平成31年1月14日(月)
田子浦新浜地区で進められていた、航空灯台記念碑の除幕式が開催され、来賓として出席をさせていただきました。この件については、私の平成30年11月8日にアップしたブログにて関連を報告していますので、そちらも参考にしてください。
田子浦まちづくり協議会では、今年度の地域事業として、「田子浦かるた」の制作を進めています。この事業は地域資源をかるたにて紹介しようというもので、その資源探しの過程で判明したのが、この田子浦航空灯台跡の存在でした。協議会では、この史跡を後世に引き継いでいく重要性を議論してきましたが、その賛同を得られてことで、設置の経緯を記した記念碑を建立し、今日の除幕式となったものです。
(除幕式の様子)
(記念碑とその後ろに見えるコンクリートの枠が航空灯台の基礎)
(来賓として挨拶を申し上げた)
(関係者と記念撮影)
航空灯台とは、夜間飛行に必要な航路の「道しるべ」となるもので、現在では電波による誘導ですが、当時はライトを照らして光で誘導する方式でした。
昭和8年頃、当時の逓信省は郵便物を運ぶ手段として航空機を導入し、昼間以外でも飛行させる必要がありました。このことを知った現在の電装メーカーである小糸製作所の創始者が、富士市伝法出身ということもあり、故郷に近い駿河湾の最端部に位置する海岸線のここ、富士市田子浦新浜地区を選定し、国産第1号の設備として、高さ50mの鉄塔の上にライトを設けた航空灯台が誕生したということでした。
しかし、昭和18年には大東亜戦争が激しくなり、本土への爆撃も行われるようになったことから、その機能を停止してしまったということでした。
現在では、その鉄塔のコンクリート製の基礎の部分が残され、その周囲には境界を示すコンクリート杭が打ち込まれ、内側が国有地として周囲とは別格の土地であることが、登記所の資料などで確認されています。
私は11月上旬にこの関係者からの相談により、この史跡は県が関わる海岸沿いの松林内にあり、防風林でもあることから、設置等の許可における手続きをお手伝いすることになり、所管の県担当部署と協議を重ねてきました。
地元代表に同行し、県担当者にその主旨を説明したところ、大変理解をしていただき、手続きも協力的に進めていただいたことから、多くの時間を要することなく事業が進みました。今回の私の招待は、それらに関する支援に対してのものでした。
私からの来賓挨拶では、「灯台は足下を照らすものではなく、遠くを照らすものですが、足下となる地元のまちづくり活動がきっかけとなって、その活動の功績を遠くまで届けるかのような灯台が史跡として踏み出したことは、地域を広く発信し、将来に向けて展望するかのような出来事と認識しています。今後も、このような地域資源の発掘を通じて、まちづくりに寄与する機会を応援していきます。」と申し上げました。
式典の後はその余韻もあって、これからのまちづくりの話題に花が咲いていたのが印象的でした。