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鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

満員列車の中で

2013年03月30日 | 議会活動

平成25年3月30日(土)

 今日は休日でしたが朝から県庁に登庁し、最近何かと注目の「政策提言プロジェクト」のメンバーとして提言書のとりまとめ準備作業を行い、その後、夕方から「TPP対策勉強会」に出席して先ほど帰宅したところです。

 TPPについてはまた後日書こうと思いますが、朝の通勤電車内での出来事を書かしていただきます。

 

 時々利用する在来線は、いつも同じ時間帯の電車を利用していますが、平日に比べ春休みのせいか多くの乗客で混み合っており、静岡駅まで立ちっぱなしでした。

 ある駅でのこと、優先席も全て乗客が座っている状態でした。そこへ白杖の男性が一人で乗車してくると、優先席に座っていた若い男女がすっと立ち、その男性に席を譲るような行動に。しかし、その様子は男性には判らなかったようです。しばらく空いた席の前に立っていましたが、その様子を見かねた近くの別の中年男性が白杖の男性を促すように空いた席へ誘導。お礼を言って着席し、その後静岡駅の手前で下車しました。

 ここまではどこにでもあるような光景です。席を譲る行動は珍しくないし、体の不自由な方、優先席とくればなおさらです。

 興味深かったのは、席を譲った若い二人の行動です。立ち上がった後、白杖の男性が立っていたにもかかわらず、他の男性が誘導するまで「言葉の投げかけ」がなかったようでした。優しい行動なのにそれが相手に伝わらない。この優しさを完結するためには、「一言」が足りなかったのです。

 あの時の若い二人がどのように感じたか知る由もありませんが、どうかこれからも優しい心で接して欲しいと思います。

 白杖の方が下車するとき、今度はまた別の中年の女性がドアまで彼を誘導し、彼はお礼を言って立ち去りました。

 

 最近、人の心を踏みにじるような社会現象が目に付きます。そんな日本人の危うい行動が日々の議員活動でも、公式な会議の場で議論されることが多い中で、日本人の優しさは失われていないことを実感し、すがすがしい一日を過ごすことができました。

 休日出勤でしたが、平日では体験できないチャンスに巡り会ったことに感謝したいと思います。

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「発達障害の支援を考える」議員連盟誕生

2013年03月25日 | 議会活動

平成25年3月25日(月)

 「発達障害の支援を考える」議員連盟が静岡県東部の県議会議員と14市・町の議会議員の有志約70名で発足しました。

 

 超党派で構成しており、他に類を見ず県東部では初めてではないかと思われます。

 

 発達障害とは、法的な表現(発達障害者支援法の第2条<定義>)で説明すると、「自閉症、アスペルガー症候群その他の広帆性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」となります。また、政令で定める障害は「通常低年齢において発現するもののうち、言語の障害、協調運動の障害その他厚生労働省令で定める障害」としています。厚生労働省令で定める障害は、「心理的発達の障害ならびに行動及び情緒の障害」とされています。ただし、「自閉症、アスペルガー症候群その他の広帆性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害、言語の障害および協調運動の障害を除く」とされています。

 法はいつも理解しがたい表現でこんがらがってしまいそうです。

 

 小さいときに早期発見し、早い対処で改善することが可能ですが、幼児から各発達段階での発見のきっかけとなる健診も、その支援体制がしっかりしていないとスルーとなってしまいます。発見したとしてもその子どもや保護者への支援が必要です。そのまま大人になって気付くことも少なくなく、社会生活に支障が出てしまうこともあり得ます。

 

 私たちは、教育機関としての支援策では、特別支援学校や特別支援学級などを知っていますが、その役割や実態について十分に理解しているでしょうか。

 

 障害者に対して福祉的な支援を行うために交付する手帳には、「身体障害者手帳」(肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、心臓・腎臓、・呼吸器等、免疫機能等障害)があり、「精神障害者保健福祉手帳」(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律で定義された精神障害者等)が、また「療育手帳」(知的障害者)があります。療育手帳は都道府県および政令市で定めますが、前の2種は国が定めるものです。

 

 療育手帳では、IQが79以下を知的障害と定義し、IQによって最重度、重度(2段階)、中度、軽度の5分類があります。IQ80から89までで発達障害の診断を受けた場合は、発達障害として定義します。このように、知的障害と発達障害は同じものではありません。

 ただし、IQが120以上でも特別支援学級に通う子どももいます。自閉症や情緒障害を患っている子どもたちです。普通学級の子どもたちと一緒に試験を受ければ満点を取ることも十分あり得ます。

 

 このように私たちが思うように単純な分類ができるものではありません。そのために、彼らに対する支援は充分とは言えず、やっと動き出したというのが現状です。

 普通学級の子どもたちと同じように十分な教育を受け、その上で障害の部分を改善していくことで将来の不安は軽減されていきます。

 

 今回は設立総会という位置づけで、役員人事や規約などを審議し、今後の活動計画などについて議論しました。

 年2回程度の研修を開催する予定です。

 

 また研修が2件あり、最初は「発達障害児における教育の現状と課題」と称して、静岡県教育委員会学校教育課特別支援教育室長の渡邊浩喜氏が、次に先進事例として「藤枝市の発達支援システムの現状と課題」と称して、藤枝市健康福祉部から2名の担当者による講演がありました。

 

 

 

 

 やりがいのあるテーマに頑張っていこうと思います。

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災害から復興し新しいまちづくりへの挑戦(島原半島ジオパーク)

2013年03月22日 | 議会活動

平成25年3月22日(金)

 今、伊豆半島ジオパーク構想が進んでいます。その先進地である島原半島を視察してきました。島原半島ジオパークは、世界ジオパークネットワークに加盟した日本の第1号です。

 ジオパークとは、地質学的に見て重要な場所である地質遺産を複数含む、一種の自然公園のことです。ジオパークの目的は、1.地質遺産の保護、2.それを用いた教育・普及、3.地質遺産を用いた観光「ジオツーリズム」。ジオパークの地質遺産は、大学や地質調査機関の協力の下、適切に保護されなくてはならなりません。ジオパークでは、地球環境問題を含む地球科学全般に関する教育・普及活動を行い、そうした活動を通じて地質遺産を観光するジオツーリズムを発展させ、それによって地域の振興を図るとされています。(島原半島ジオパーク資料から引用)

 ジオパーク構想が持ち上がるずっと前に発生した島原半島にある雲仙岳の火山噴火は、私たちの記憶にしっかり残っています。1990年11月に噴火した平成噴火は噴火終息宣言まで約6年を要し、その間に40人以上の死傷者と家屋などに甚大な被害をもたらしました。

 

(雲仙岳の溶岩ドーム)

 

(水無川から雲仙岳を臨む)

 

(土石流で埋まった民家)

 

(土石流で埋まった民家から見た雲仙岳)

 

 当時の報道番組では、幾度となく大噴火の場面が映され、高速で山を下る火砕流と逃げまどう報道関係者達。さらにその後発生した土石流は水無川を下り、集落を飲み込み有明海まで達しました。

 この場面を再現するように、乗車したタクシーの運転手さんが当時の事故現場に遭遇し、必死の思いで報道関係者を乗せて逃げたことを話してくれました。

 この土石流を排除し海岸部に埋め立てた土地に建つのが、「がまだすドーム」(雲仙岳災害記念館)です。この地で何が起き何が残ったのか。自然の驚異と災害の教訓を風化させることなく後世に残すことを目的として設置された施設です。

 施設内には、ドーム型スクリーンでの火砕流・土石流を疑似体験できる「平成大噴火シアター」をはじめ、火山や防災について11のゾーンに分けて展示されています。見て触れてリアルに体験しながら、わかりやすく学習できる日本で唯一の「火山体験ミュージアム」です。また、この施設には島原半島ジオパーク事務局があり、島原半島ジオパークを中心に国内外のジオパーク情報が展示されています。

 島原半島では、平成新山をはじめとする雲仙火山や千々石断層の断層崖など、地球が活動している証拠をいくつも観察することができます。火山からは災害で多くの被害を受ける一方、素晴らしい景観、おいしい湧水や島原・雲仙・小浜と泉質が異なる温泉が楽しめるなどの多くの恵も受けているという現実を捕らえ、災害の教訓を後世に残すとともに、新たなまちづくりへ挑戦している事務局からお話を伺うことができました。

 

(島原ジオパークの情報展示)

 

(ジオパーク事務局)

 

(英語版の案内図)

 

(第5回ジオパーク国際ユネスコ会議)

 

(雲仙岳の溶岩サンプル)

 

(説明していただいた石川氏と一緒に)

 

 「がまだす」とは、島原方言で「がんばる」の意味があります。大きな災害にも負けず復興に向け、さらにその先の未来を見越した思いがこもっています。

 元々は、火山都市国際会議としてスタートしましたが、やがてジオパーク構想へ発展しました。外国人から見るとこれだけの大きな災害を受けた土地であれば、その後は住まないというのが一般的な考えで、その例がイタリアのポンペイです。それでもこだわってこの地に居続けようとする考え方に興味が集まったそうです。そして、ジオパークに登録される上でプラスになったとも。世界遺産登録に際し、もともとあった「フィールドミュージアム構想」がその原型になっているそうです。

 私たちが訪問して感じたことから様々な課題も共有できました。今回、島原半島に入り、この施設に到着するまでの間に「ジオパーク」の案内表記はほとんどなく、広報については不十分と感じました。また、もっと市民に意識していただく「市民に身近なジオパーク」を目指したいとの意見も聞きました。

 

(やっと見つけたジオパーク看板) 

 

(ジオパーク案内)

 

 近い将来、伊豆半島が世界ジオパークに登録されることを期待しながら、実りの多い視察でした。

 

 諫早市から島原半島に渡る諫早湾干拓堤防道路(通称、雲仙多良シーライン全長8.5km)があり、ジオパーク到着前に諫早湾干拓事業を視察しましたので少し触れておきます。

 諫早湾干拓事業は、諫早湾の最深部にある干潟を堤防でせき止め、陸側を淡水化し埋め立てて農耕地として利用するものです。1989年から工事が開始され、2007年11月に工事が完了しました。造成面積約942ha、調整池面積約2,600haで総事業費は2,533億円かかりました。漁業者従事者と農業従事者間の主張の違いにより裁判にも発展しました。

 

(諫早湾干拓堤防道路) 

 

(干拓事業を説明する表記)

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防災を足元から考える(静岡市内の治山・砂防事業視察)

2013年03月16日 | 議会活動

平成25年3月14日(木)

 静岡県議会の超党派でつくる「治山・砂防事業推進議員連盟」による、県内中部地区の事業を視察してきました。全て静岡市内でその中から3カ所の視察状況を報告します。

 この議連は県議会議員の大多数が登録していますが、その内22名が参加しました。

 私は昨年の西部地域に続き2年目の参加で、所管する交通基盤部の土木・農林関係職員に説明役で同行していただきました。せっかくの配慮に誠に申し訳ないのですが、参加議員に匹敵するくらいの職員数は多いような気がします。説明員と若干の補佐役がいれば充分と感じますが、次年度以降は議連側も当局と事前協議の上、必要な人数で対応していただけるよう提言してみようと思います。

 さて、最初に訪れたのは新東名高速道路の安倍川に架かる橋付近で、昨年4月14日に新東名高速道が開通以来、東名高速道や周辺の基幹道路に与えた影響等について道路企画担当から説明を受けました。

(県担当者が新東名高速道の運用状況を説明)

(配布された説明資料)

(安倍川にかかる新東名高速道の橋。下を一般道が走る)

 説明の中では、いずれも開通後6ヶ月間のデータですが、平均インターチェンジ利用交通量の変化については、平日で11%、休日で19%の増加があった。渋滞状況の変化では、東名高速道の渋滞回数が9割減になった。交通事故の発生状況については、全事故数が1割減で人身事故数は3割減少などの報告がありました。

 次に視察したのは安倍川の中流域から西に入った葵区桂山地区の急傾斜地の崩壊対策事業現場。平成23年9月21日、台風15号に伴う豪雨で斜面崩壊が発生し、かろうじて平成6年から14年にかけて人家を守るために設置した待受擁壁で人家への直撃は免れましたが、幅60m、高さ140m土砂量約2,000立方メートルが崩壊しました。

(崩壊現場の下にある二階屋はかろうじて助かった。しかし今は無人のよう)

(崩壊現場を支えるアンカーボルトの説明)

(このような工事は機械ではできない。作業員が命綱を附けて吹き付け作業)

 崩壊対策では、現地の状況に合った複合的な対策を講じています。急傾斜部分はアンカーボルトを打ち込んで壁面を固定したり、コンクリートの吹き付けや植物による土砂流出を防いでいます。

 ここだけで2億1,500万円ほどかかる事業で、国の支援も必要です。人命や財産を守るために、被災後の復旧だけでなく危険個所の防災対策など土木費の需要はこのような場所でも発生しています。

 次は、藁科川沿いの中山間地、葵区坂本地区にある鍵ワ沢にある災害復旧事業を視察しました。ここも平成23年7月20日、台風6号に伴う豪雨により山腹崩壊が発生し、幅130m、高さ100m、土砂量30,000立方メートルが流出しました。直下にある坂本地区の集落に直接の被害はありませんでしたが、今後土石流の危険があり、大がかりな対策を講じています。

(土石流を防ぐための堤)

(後ろの黒い大きな篭は、大きな岩をせき止め、土砂と水は流す)

(配付資料)

(施設の説明は現場を見ながらだと解りやすい)

 このように台風などによる豪雨や強風などで毎年、日本中のどこかで災害が発生しており、ニュースなどで報道されなくても県内でもどこかで発生していることがわかります。しかも、その復旧には多大な費用と時間がかかります。今、大地震や津波被害対策に目が向いていますが、身近に起きている防災を幅広く意識していかねばなりません。

 同行した議員の一人がこんなことをつぶやきました。「集団移転すれば問題解決できるのではないか。しかもこれだけの予算を投じて防災や復旧をすることを考えればもっと効果のある対策が可能だ。」

 確かに一利ある考え方ではあります。しかし、この山奥のが数百年前から存在していて地域の歴史や文化を考えたとき、住民の立場で簡単に割り切れないことも忘れてはいけないと思います。同時に地域のリスクは普段から住民と共有することが重要で、移転のような重要な判断は住民自身が判断できるよう意見交換を重ねていかねばならないと思います。

(防護施設が守っているのは直下の集落)

(山間地で静岡茶が生まれている。この石積みは地域の歴史と文化の凝縮)

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東日本大震災 被災2年目を迎え地元住民が犠牲者を慰霊

2013年03月11日 | 議会活動

平成25年3月11日(月)

 今日は東日本大震災から2年目を迎えました。地震の発生した午後2時46分には、多くの国民が黙とうを捧げたと思います。

 県庁では県議会2月定例会の常任委員会が開催されており、黙とうは地震発生時刻ではなく、午後の会議の冒頭、全員で捧げました。

 平成23年3月11日午後2時46分、3週間後に始まる統一地方選挙の静岡県議会議員選挙に向け、支持者達と選挙事務所となる建物の中で打ち合わせ中に大きな揺れを感じたのは、ついこの間のように記憶しています。市内至る所が停電している中で、その事務所には電気が来ており、テレビで続々と入る東日本大地震の被害状況、特に津波の黒い大きな悪魔の動きには、言葉も出ませんでした。

 しばらくして、市内の支持者から至る所で停電していること、その影響で信号も消え、交通渋滞が発生していることを聞き、異様な事態を少しずつ飲み込めたこと。しかしまだその時点では、福島第一原発事故のことなど予想もつきませんでした。この感想が私にとって東日本大震災の初期の感想です。

 改めて、亡くなられたり、未だ行方不明の皆様に心よりご冥福を申し上げるとともに、復興の槌音さえ聞こえない厳しい現地の状況に、心を痛めています。一日も早く復興が進むよう心から願っています。

 昨晩、私が住む富士市吉永地区では、この大震災の記憶を消さないようにと地域の有志が住民に声をかけ、富士市立吉永第一小学校のグラウンドを会場に、竹灯籠にロウソクを灯して慰霊と復興のための慰霊祭を実施しました。グラウンドには約4000本の竹灯籠が並び、「ガンバレ日本」の文字が浮かび上がりました。テントでは、募金箱が置かれ現地の学校関係者に贈るという説明を受けました。また、寄せ書きもあったりこのひとつひとつの行動が、大災害を風化させない、近い将来自分たちも経験するであろうその時のために、地域の団結を感じた一日でした。

(まだ少し明るい夕方、竹灯籠に火が灯り始める)

(富士山を背景にほぼ準備が整った)

(「ガンバレ日本」の文字が暗闇に浮かび上がる)

(テントの中では、寄せ書きが集められた)

(現地の学校へ送られると言う募金活動)

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