前回の報告に続き、静岡県議会自民改革会議「英霊にこたえる議員連盟」による視察において、フィリピン レイテ州(レイテ島)ブラウエンにある静岡県戦没者慰霊碑の台風被害と現地協力者の様子について報告します。
4月16日(水)マニラからの日帰りでタクロバンまで1時間30分の飛行機、タクロバンから1時間30分の車を乗り継ぎブラウエンへ。わずか1時間ほどの現地滞在となりました。
マニラからタクロバンまでの航空券
ブラウエン近郊の風景
第二次世界大戦のレイテ島の戦いでは、約8万名の日本兵が亡くなっています。静岡県出身者も多くがこの地で亡くなりました。
レイテ島の戦いの説明は以下を参照(ウィキペデア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
ブラウエンにはかつて飛行場があり、激戦地の一つでした。
2006年に静岡県議会の「英霊にこたえる議員連盟」では、戦後60年を迎えるに当たり、この地に慰霊碑を建立することになりました。その候補地を探していたところ、沖縄県出身でブラウエン在住の仲村秀子さん(HIDEKO NAKAMURA OLINPO)からの協力を得て、仲村さんが所有する土地の一角を提供していただくことができました。幅5m奥行き約10mの土地に静岡県の県旗をあしらった慰霊碑が建立され、以来、毎年議員連盟が現地を慰問しています。
在りし日の仲村秀子さん(昨年2月)
議員連盟から贈られた感謝状
仲村さんご夫妻
仲村さんと慰霊碑
慰霊施設全景
平和之塔と静岡県旗
碑の横には石川元県知事名が
「日比両国の永遠の平和と繁栄を祈念し建立」とある
昨年2月には静岡県遺族会の一行が議員連盟と共に慰問に訪れ、慰霊祭を行っています。
昨年2月開催の県遺族会との合同慰霊祭
今回の慰霊に参加した県議会議員
平和之塔に手を合わせる県議会議員たち
補修等の打ち合わせ
昨年11月8日(現地時間)、猛烈な勢力の台風(フィリピン名:ヨランダ(Yolanda))が街を直撃。海岸から離れていたため高潮の被害はなかったものの、強風により建物が倒壊したり屋根が吹き飛ばされたりして、大きな被害をうけました。
仲村宅の被害はなかったようですが、慰霊碑の入り口にある門が傾くなどの被害が発生しています。今回の慰問では、これらの被害状況確認と復旧に向けた手配などを実施しました。
さらに、本年2月19日には、慰霊碑建立に協力いただいた仲村秀子さんが病気のため、82歳で永眠されたので、その弔問と今後の慰霊碑の継続をお願いするため、仲村さんの第3子であるMrs. ANGERA YODEKO OLIMPO BROSASと会うことが今回の訪問の目的でありました。
仲村秀子さんの逝去に関し、衷心よりご冥福をお祈りします。昨年2月にお会いしていただけに残念です。しかし、静岡県関係者へのご厚情が次世代に引き継がれたことは安心しました。
台風の被害は海岸部のタクロバンと比べれば少なく、ほっとしています。しかし、日本の協力で設置した小学校の屋根は吹き飛ばされており、まだ復旧はしていません。地域の早期復興を心からお祈りします。
仲村秀子さんの住まいの前で
日本の協力で建てた小学校だが台風被害で屋根が飛んでいる
慰霊碑を護っていただく仲村家には県内関係者からお預かりした義援金を届け、また慰霊碑補修を依頼し、参加者全員で慰霊碑にお参りし現地を後にしました。
県内関係者からお預かりした義援金等を仲村秀子さんの娘に渡す