まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

来年の手帳

2016-10-01 | 暮らし

もう来年の予定を入れなくてはならなくて手帳を買った。予定があることは未来があるようで嬉しいが、一番先に入れた予定が3月の金大医病院のCTの予定だった。冴えない。

その他、弓道の講習会の予定が入るが、殿の3回忌も3月までにしなくてはならない。1周忌の翌年が3回忌とは知らなかった。わたしは、実家の両親も健在で、葬儀や法事などを家ですることがなかったため、いきなりあれこれとやらなくてはならないので、写真の中で笑っている殿に「あなたはいいよねえ。」と、こちらも笑えるようになってきた。

しかし、カレンダーの予定や手帳の予定がどんどん入っていくと、余裕がなくなってどうかなあという気もしないではない。仕事のシフト表は最優先の予定となって冷蔵庫に貼りついている。

予定表の空白の日に、楽しい予定が入りますように。

来年の前に10月中で、嫌な予定は胃カメラを飲む日。楽しい予定は、孫と落語会へ行く日。お友達とのランチもある。あ、同窓会もある。「楽しい」の勝ち。


新米

2016-10-01 | 暮らし

お祝いのお返しに、自宅で採れた新米を頂いた。何よりである。古米が少し残っていたが、一番美味しい時に食べたいと思い炊いた。

米は水晶のように水の中で透き通る。やさしく手早く研いで余分な水を吸わないようにざるにあげておく。洗ったあとざるに入れて40分置く。会社へ行っている時は、夜に研いで、浸けておいて朝にタイマーを合わせていた。これでは、どんな高級な炊飯器でも美味しくないのだそうだ。

今は、余裕があるので、手順通りに炊く。新米なので水はいつもより心もち少な目で炊いた。さて、蓋をあけると、水晶に湯気が上がっている感じ。ぴかぴかつやつや。抜群に美味しい。

写真では伝えられないもどかしさ。

弓を引くのはいまいちだが、ご飯は美味い。いや、手順通りならだれでもこの新米なら美味しいのだと思う。でも、弓道はどんなに手順通りやりなさいと言われても、出来ないのである。そう思うと、お米はありがたい。ほんの少し気持ちを寄せれば、抜群においしくなる。

いつもは、仏前におぼきさんをよそうが、今日は殿の茶碗によそって供えた。茶碗一杯のごはんが食べられなくなったのに、茶碗も捨てられずにある。久しぶりに、美味しいごはんを食べて殿はご満悦だ。わたしのご飯は少し塩味がした。

 


朝ドラ最終回

2016-10-01 | 暮らし

朝ドラの最終回は、めでたしめでたしで終わる。ある意味ぱっとしない。うちの婆さんは「最終回っちゅうもんは、ぱっとせんしつまらんもんや。」と、いうが、どうなるんだろうという心配を残した終わりは不評なのである。会社勤めをしている時、朝ドラを観る暇はないと思っていたが、殿が水木しげるの「ゲゲゲの女房」が、観たいというので録画して観るようになってから、1日15分という短さと、毎回事件が起きて翌日に解決するという展開が精神衛生上良いのである。

朝ドラは、観だすと癖になる。そして、いつの間にか生活の一部になってくる。初めて観たゲゲゲの次は、「てっぱん」で、殿が好きだった任侠映画「緋牡丹博徒」に出てきた藤純子改名富司純子さんが出たから見続けた。次は、朝ドラにしては話の内容が突飛なドラマで、この時は、わたしは入院生活を送っていたので、毎朝、食堂で患者仲間とあーだ、こーだと文句を言いながら楽しく観ていた。

殿が逝くときは「まっさん」だった。その後、エリーが亡くなるシーンと爺さんの葬儀の日が同じで、通夜に泊まり込んで翌朝みんなで朝ドラを観た。通夜の夜には焼香順などを決めて大変だが、葬儀の朝は何故か時間があった。エリーがまっさん宛てに手紙を残したシーンで泣けて、殿はわたしに手紙も言葉も残さなかったなあと思ったら泣けた。テレビドラマで泣いて、舅の葬儀には泣かなかった。同じ月に夫と舅を送って、腑抜けになっていた。

最終回に何事もなく、ぱっとしないことが、ほっとするのである。最近パッとしないなあというのが、無事な証拠かもしれない。ありがたや。しかし、人生の最終回ではない。