読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「長いお別れ」

2018年08月29日 | 日記
中島京子(文春文庫)

 新幹線の往復で読了。以前の単行本の時は時間がなくて読めなかったけど、今回は楽勝。
 義理の父親が、まったく同じ症状で、そこが身につまされた。とは言っても、自分は部外者の、かつ傍観者?だったので、深刻さはほとんどなかったけれど。でも今度は自分の番も想定される。

 内容紹介は
『かつて中学の校長だった東昇平はある日、 同窓会に辿り着けず、自宅に戻ってきてしまい、 心配した妻に伴われて受診した病院で認知症だと診断される。
昇平は、迷い込んだ遊園地で出会った幼い姉妹の相手をしたり、 入れ歯を次々となくしたり、 友人の通夜でトンチンカンな受け答えを披露したり。妻と3人の娘を予測不能なアクシデントに巻き込みながら、彼の病気は少しずつ進行していく。そして、家族の人生もまた、少しずつ進んでいく。
認知症の父と妻、3人の娘が過ごした、あたたかくも切ない、お別れまでの10年の日々。

中央公論文芸賞、日本医療小説大賞、W受賞作。

著者略歴
中島/京子
1964年生まれ。作家。2003年田山花袋『蒲団』を下敷きにした書き下ろし小説『FUTON』でデビュー、野間文芸新人賞候補となる。2010年『小さいおうち』で直木賞を受賞し、2014年に山田洋次監督により、映画化。同年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞を受賞。2015年刊行の『長いお別れ』で中央公論文芸賞と日本医療小説大賞を受賞。著書多数  』

・・・内容は深刻だし、実際はまさに「戦争」みたいなものだが、その点はあっさり書かれていて、ちょっと違うよねという感想にはなるが、小説としては、冒頭の遊園地の話から、最後の孫が校長先生に会って話をするところなど、実にうまく書けていて、秀作だと思う。死ぬまでに一度読んでおくと良いです。
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映画「ファーゴ」

2018年08月22日 | 日記
 DVDで見ました。
 遅まきながらゆっくり名作鑑賞です。
 クライムサスペンスというようだが、なんでこんな展開になるんだ?ということだが、アメリカでは多分相当現実に近い感覚がある。なんせ、ときどき銃の乱射事件などが発生するし、勉強しない一定の層が犯罪者になったりする国だ。このくらいの悪役人間は存在していそうで怖い。

 内容紹介は
『コーエン兄弟が贈る、ブラックユーモアをちりばめた異色のクライム・サスペンス。厚い雪に覆われるミネソタ州ファーゴ。多額の借金を抱える自動車ディーラーのジェリーは、妻ジーンを偽装誘拐して彼女の裕福な父親から身代金をだまし取ろうと企てる。ところが誘拐を請け負った2人の男が警官と目撃者を射殺してしまい、事件は思わぬ方向へ発展していく……。アカデミー脚本賞、主演女優賞をはじめ、多数の映画賞を獲得した話題作  』

・・・『トリビア』としてネットに出てたものを引用します。見てからのお楽しみにしてね。後から「そうなんだ!」という楽しみがあります。https://ciatr.jp/topics/190646

 
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「逢魔が時に会いましょう」

2018年08月21日 | 日記
萩原浩(集英社文庫)

 軽快なユーモア小説です。
 主人公が大学4年の女子学生で、もう一人の登場人物が、ちょっと変な研究者の准教授。もののけ探しがテーマだけど、愉快な冒険の話になっている。

 内容紹介は
『大学4年生の高橋真矢は、映画研究会在籍の実力を買われ、アルバイトで民俗学者・布目准教授の助手となった。布目の現地調査に同行して遠野へ。“座敷わらし”を撮影するため、子どもが8人いる家庭を訪問。スイカを食べる子どもを数えると、ひとり多い!?座敷わらし、河童、天狗と日本人の心に棲むあやしいものの正体を求めての珍道中。笑いと涙のなかに郷愁を誘うもののけ物語。オリジナル文庫。

著者略歴 荻原/浩
1956年埼玉県生まれ。成城大学卒業後、コピーライターを経て、97年『オロロ畑でつかまえて』で第10回小説すばる新人賞受賞。2005年『明日の記憶』で第18回山本周五郎賞受賞、14年『二千七百の夏と冬』で第5回山田風太郎賞受賞。16年『海の見える理髪店』で第155回直木賞受賞   』

・・・最初の「座敷童」の話が好きだ。軽いお話で、頭休めに有効です。お勧め。

 ネットの感想でぴったり意見が合ったのは、以下です。参考まで。
『妖怪は面白い。実在した場合は無論のこと、実在しなかったとしても、どうしてそのような言い伝えが発生したのかという考察が面白い。この本では両方の面白さを半々ずつ楽しめる。
自分は特に座敷わらしのエピソードが好きだ。捕まえたときのシーンが鮮烈で。
ちなみに、主要人物2人(研究者と助手)はそれぞれ個性を持ちながらも無駄に美男美女設定で、全体的にフンワリとしたラブコメ仕立てになっている。そこも見所なのだと思う。』
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「空港ピアノ」

2018年08月20日 | 日記
 BSで再放送を見た。

 NHKの案内では『イタリア南部のシチリア島、パレルモ空港。チェックインを終えた人々が搭乗を待つロビーに、一台のピアノが置かれている。旅立ちを前にした人が、思い思いに音を紡いでいく。私たちは数台の定点カメラを設置、ピアノを奏でる人々を見つめることにした。旅行に出かけるカップル、一人旅で友人宅を訪れた77歳の女性、ガーナからの移民、世界一周旅行の途中だという青年。彼らはどんな思いで、どんな曲を弾いたのだろうか…。』

 ・・・なかなか良かったですね。空港と言うのは旅の通過点だけど、そこに行きかう人たちがピアノを通して交流しているみたいだった。ちょっとした15分ほどの番組だったけど、心がほっとした。

 ブログがありました。https://blog.goo.ne.jp/somesette/e/1bd45de6592fdabc779576c1060f2050

 ネット散策ではいろいろな方が書いている。ひとつ引用しますね。
『2018年2月16日金曜日

空港ピアノ♪…で弾かれる曲たち♪
少し前にTVで「空港ピアノ」の番組を偶然に観た(途中から…)。これがなかなか興味深い番組で、そこに出てくる曲を知りたかったので調べてみた。
そうしたら、どうもNHKの『空港ピアノ「憧れのシチリア島」』という番組だったようだ。放送日が 1月13日となっているが、そんなに昔ではないので、観たのは再放送かも知れない。こんな(↓)説明がついているが曲目は書いてない。
「イタリア南部のシチリア島、パレルモ空港。搭乗ロビーには1台のピアノが置かれている。世界中から訪れた人が、思い思いに音を紡いでいく。…彼らはどんな思いで、どんな曲を弾いたのか」
NHKのサイトには写真もないので、YouTube を探したら、いろいろな "airport piano" の動画が(パレルモ空港以外も)見つかった。上の写真は下記動画の一場面。
♪ Rock and roll piano-Palermo airport
番組についてのブログ記事(NHK「空港ピアノ」から)もあったが、曲名については、
「『イマジン』『炎のランナー』『渚のアデリーヌ』などポップスで、いわゆるクラシックがなかった…」
…と書いてある。2曲ほど、ちょっといいなぁ♪ と思った曲があったのだが、その曲名は残念ながら入っていない。1曲だけは作曲者がエイナウディということだけ覚えているのだが、もう1曲はまったく手がかりがない…。
それにしても、こんなに気軽に、楽譜も見ないで、さらっとピアノが弾けたらいいだろうなぁ…と思う。日本人だと(私だと?)恥ずかしさとかカッコよく弾かなきゃとか…余計な意識が先行しそうだけど…。

「空港ピアノ」というのはなかなかいいアイデアだと思う。「ストリートピアノ」もいいとは思うのだが、空港だと飛行機を待っている客がいるし、場所としてもオープンなサロンみたいな雰囲気にできそうだ。
日本の空港にはないのか探してみたら、2011年の記事だがこんなの(↓)が見つかった。ただ、これは事前にピアニストを募集しているので、誰もがふらっと弾ける「空港ピアノ」とはちょっと違うようだ。しかも期間限定。
✏️成田空港、春休みのロビーコンサートでピアニスト募集

ところで、なんか前にも似たような光景を見た気がしたので、以前のブログを探したらこんな記事(↓)を書いていた。空港ではなく駅だった。それに、音楽祭の宣伝みたいなものなのでこれもちょっと違うみたいだ。
〈デルフト駅でピアノを弾くボリス・ギルトブルグ〉
ただ、このときに見つけた下記記事はどうも「空港ピアノ」をトリフォノフが弾いているようだ。こんなのに遭遇したらラッキーだな…(^^)♪
✏️トリフォノフがベルギーの空港でピアノを弾いている件

おまけ:「空港ピアノ」がいい感じだと思った理由。
《2018年 My Piano Life の目標 ♪》に、「ピアノを弾けるという感覚を身につける」ということを書いていて、その中身はこんな感じ(↓)なのだが…。
•とくに構えなくても楽にピアノが弾ける
•楽譜がなくても知ってる曲などを自由に弾ける
•即興などの遊び弾きができる
…これが「空港ピアノ」でみんなが弾いている感覚にとても近いと思ったのだ。
でも、そこで弾かれる曲たちはやはりポピュラー系が多いわけなので、「空港ピアノ」で弾くためという訳ではないけれど、少しポピュラー系もやってみようかナ…(^^)?
まずは、エイナウディの曲を探してみることにしよう。YouTube をかたっぱし聴いてみるとするか…』     
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「百年の孤独」

2018年08月10日 | 日記
ガブリエル・ガルシア=マルケス(新潮社)

 2年以上かかってやっと読了した。解説を入れると492ページ。
 登場人物の名前が、同じ名前が多く、重なって複雑で理解できないので、混乱する。しかし、何となく、一族の100年と言う流れを感じることができたような気がするのだ。

 内容紹介は
『蜃気楼の村マコンド。その草創、隆盛、衰退、ついには廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の、一人からまた一人へと受け継がれる運命にあった底なしの孤独は、絶望と野望、苦悶と悦楽、現実と幻想、死と生、すなわち人間であることの葛藤をことごとく呑み尽しながら…。20世紀が生んだ、物語の豊潤な奇蹟。

著者
ガルシア=マルケス,ガブリエル
1927年生まれ。コロンビアの作家           』

あまりにも複雑?なので、ネットの書評を引用する。
『これは、コロンビアの架空の村におこった一族の物語です。
夏の間に一気に読みましたが、熱帯のような蒸し暑い気候によくあう本でした。
一族の歴史のうねりを、若かった作者がどうやって書いたのだろうと不思議に思いましたが
作者は小さなころから噂好きの祖母の話を聞いていたそうなので
年を重ねた人間の視点を、若いうちから自然と身につけていたのかもしれません。
一家の男たち、または新しく生まれる子供たちは、それぞれに個性(癖)があって、
おもいおもいの人生を形作っては、一つ一つの物語としてこの本を彩っていきます。
が、それらは全体からすれば1つのエピソードにすぎず、淡々と時系列で
物語が起こっては消え、語られ続けていくのです。
(これが退屈に思う人は途中挫折しそうになるかもしれません!)
そんな中、一族の家長の妻であるウルスラは、
家族を愛し、家の存続のために熱心に働き、1世紀以上という長い人生のほとんどすべてをかけて、
家族を見つめています。
男たちがどんなに暴れても、戻ってくる場所は、母が守り続けてきた家。
この母、地味なようでいて、実は一族にとってのふるさとであり、軸となり、舞台であると感じました。
ただし、母もまた時間の経過によって、老化していきます。
そしてまた、これだけの厚みをもった一族すらも、
世界の歴史という物語全体からすればただの1エピソードである…?
スケールが大きい話なので、一人一人のエピソードが語られている間は
泥臭い感覚があるのですが、全体を通して見れば、一族の動きを空から
覗いているような感じです。
また、語り口調もどこかユーモラスなので、読了後は妙にさっぱりと、
心静かな状態になりました。

(もうひとつ)
複雑すぎる人間関係(といってもみんな家族だが)、
西欧的、近現代的な世界法則を無視して展開される物語、
陰鬱で陰惨な物語の閉じ方。
読みにくいことこの上ない本作ではあるが、
この閉じた物語と自分の生きている世界とを対照すると
いろいろとハッとする発見があって楽しい。
これがガルシア=マルケスという天才一人の頭の中から繰り出されたと思うと
憎らしくさえ感じてしまうが、
キリスト教徒が聖書を読むのはこんな感じなんだろうなと思ってしまう。  

(3つ目の書評が分かりやすい)
今回読んで、この物語の中心主題のひとつは「反復」だと気づきました。このモチーフは、次の数行のなかだけでも何度も現れています。
<ホセ・アルカディオ・セグンドは、相変わらず羊皮紙を読みふけっていた。もつれた紙の下から、緑がかった歯くそが縞になった歯並びと、動きのない目だけがのぞいていた。曾祖母の声に気づいた彼はドアのほうを振り向き、笑顔を作りながら、無意識のうちに昔のウルスラの言葉をくり返した。
 「仕方がないさ。時がたったんだもの」
 つぶやくようなその声を聞いて、ウルスラは言った。「それもそうだけど。でも、そんなにたっちゃいないよ」
 答えながら彼女は、死刑囚の独房にいたアウレリャノ・ブエンディア大佐と同じ返事をしていることに気づいた。たったいま口にしたとおり、時は少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけであることをあらためて知り、身震いした。>
くり返されるモチーフはほかにもたくさんあります。生まれた子に父祖の名をつけること、近親間の愛(叔母と甥)、ひとりの女が同時に兄弟ふたりの愛人になること、ブエンディア家の人々の多くが超常的な死を遂げること、ひとりの男が17人の女に17人の息子を産ませること、「豚のしっぽ」、百五十年ほども生きる女二人、五年近くも降り止まぬ雨、などなど。
しかし終末部で、この反復の物語は、二度と反復しないと宣言されます。
<また、百年の孤独を運命づけられた家系は二度と地上に出現する機会を持ちえないため、羊皮紙に記されている事柄のいっさいは、過去と未来を問わず、反復の可能性がないことが予想されたからである。>
つまりこれは、「反復」という本質をもつがゆえにけっして反復されない物語なのです。
それと、「過剰」のモチーフも重要ですね。ありえないほど長命、絶倫、巨根、美貌の登場人物が出てきて笑えます。
たとえば途方もないほど美しい小町娘のレメディオスは、その色香のために近づく男たちをことごとく恋に狂わせ、ひとり残らず不幸な死に追いやります。
それでも荒唐無稽な感じはしないんですよね。何か神話を読んでいるような、妙な現実感があります。
人生の折々に読み返したいと思える、まぎれもない傑作です。』

・・・これで少しは輪郭が見えてくるというものだ。
・・・ともかく、大部な小説をよく読んだねと言うのが、感想ですわ。(苦笑い)
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