読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望 」

2020年12月24日 | 日記
ベン・ルイス(集英社インターナショナル)

これは面白かった。ミステリーを読んでいるようだった。
ここで分かったことは、大幅な修復をした場合、どこまでが本来の作品と言えるのか、工房で作った一種の模写や弟子の作品にダビンチが手を入れた場合、何がオリジナルと言えるのか。金が絡むとこんな騒ぎとなる。更にアラブ世界の政治が絡むとどうなってしまうのか。興味が尽きない。

内容紹介
『アートをとりまく桁違いの華々しさと、深い闇。アートの価値は誰がどのように決めるのか、価値と値段は比例するのか―。最後のダ・ヴィンチ作品の発見として注目を集め、その後、史上最高額の510億円で落札され話題となった男性版モナリザ『サルバトール・ムンディ』。その謎に包まれた足跡を追う中で見えてきた美術界の闇。衝撃のノンフィクション!

著者略歴
ルイス,ベン
母国イギリスを中心に、著述家、ドキュメンタリー・フィルム制作者、美術評論家として活躍。美術批評を定期的に寄稿している

上杉/隼人
翻訳者(英日、日英)、編集者、英文ライター・インタビュアー、英語、翻訳講師。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同専攻科(現在の大学院の前身)修了。訳書多数(70冊以上)  』

この作品についての解説が以下。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「幻の作品」が15日、ニューヨークのクリスティーズで4億5031万2500ドル(約508億円)で落札された。これはオークション史上、世界最高記録となる。
 今回落札されたレオナルド・ダ・ヴィンチの《サルバトール・ムンディ》は、イエス・キリストを描いた肖像画。タイトルの「サルバトール・ムンディ」は「救世主」を意味している。描かれたのは1500年頃。縦65.5×横45.1センチメートルの同作は、青いローブをまとったキリストが右手で天を指さし、左手に水晶を持っている構図。
 ダ・ヴィンチの絵画作品において、この《サルバトール・ムンディ》以外はすべて美術館・博物館が所蔵しているため、同作は、個人が所有する最後のダ・ヴィンチ作品と言われてきた。50年に及ぶ行方不明期間の後、2005年にアメリカのオークションで発見。様々な調査を経た後、11年にナショナル・ギャラリー(ロンドン)で展示された。その後、13年にはロシアのコレクターによって1億2750万ドル(現在の価値で約145億円)で落札されて以降、公の場では展示されてこなかった。
 同作を巡っては、プレビュー時から大きな話題を集めており、『ニューヨーク・タイムズ』紙は香港やロンドン、そしてニューヨークでプレビューに訪れた人数を2万7000人と報道。これは、単独作品の閲覧人数としてクリスティーズ史上最高だったという。
 当初、予想落札価格は1億ドル(約113億円)とされてきたが、落札価格の508億円はこれを大幅に上回るものとなった。  』

・・・美術をめぐる膨大な金が一体どこから出て、どこに行ってしまうのか。作品を発掘した人たちの取り分があったり、修復した(作家)はどう評価されるのか。真贋騒動も絡む。人間っておもしろいなぁ。お金に縁がないから、活字で楽しんでいるだけですが・・・😋 

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「お殿様の人事異動」

2020年12月16日 | 日記
安藤優一郞(日本経済新聞社)

ちょっと歴史好みなら面白いと思うでしょう。参勤交代の時代の領地から江戸に出るのは難儀なはず。特に経費がかかる。遠いと大変。もっとも蝦夷地の松前藩は参勤交代がなく、飛び地で本州の一部をもらって領地としお米を得たらしい。こういう例外もある。
お話は、家康の関東への領地替えからはじまり、玉突きで異動がおこったりする様子が面白い。今のサラリーマンにもつながる話。

内容紹介は
『いつも辞令は突然! 時間も金もない!
大名たちは幕府(将軍)の命ずる「人事」という難関を、あの手この手でクリアした。

江戸時代は、お国替えという名の大名の異動が繰り返された時代。御家騒動や刃傷沙汰、世継断絶から、職務の怠慢、色恋沙汰に酒席の狼藉に至るまで、その理由は多岐にわたる。大名や家臣たちはその都度、多大な苦労を強いられ、特に転封では長距離の移動、費用など、負担もただならぬものがあった。大名は幕府(将軍)からの異動命令を拒むことは許されず、いつ命令が出るのか、国替えを噂される藩の江戸詰め藩士は、必死で情報の収集に努めていた。国替えは突然に命じられることが大半であり、当事者の大名や家臣は大混乱に陥るが、幕府からすると人事権を行使することで自己の求心力を高められる効果があった。

転封だけではない。大老や老中、奉行など幕閣の要職を誰が占めるのかも大名にとっては重大問題。将軍の人事権が威力を発揮するのは花形の要職だが、その裏では嫉妬と誤算が渦巻いていた。将軍家斉の信任を得ていた老中松平定信は辞表を提出し続けることで権力基盤を強化したが、最後は辞表が命取りとなり失脚した。辣腕ぶりで江戸庶民に人気が高かった火盗改長谷川平蔵は、それゆえ上司や同僚の嫉妬を浴び町奉行に就任できないまま終わったのだ。

本書は、将軍が大名に行使した国替えという人事権、そして幕府要職者にまつわる人事異動の泣き笑いを通して、江戸時代を読み解く歴史読み物。権力の象徴としての人事とそれをめぐる悲喜こもごものドラマは、江戸期の政策や各地の国づくりを浮き彫りにすると共に、現代の企業社会にも通じるものがある。嫉妬、忖度、ごますり、足の引っ張り合い――お殿様たちの様々なエピソードは、身近にいる誰かを連想させてくれるかもしれない。   』

・・・面白かった。ちょっとした知識を得られます。😃 
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「世界に続く道」

2020年12月10日 | 日記
天野之弥(かまくら春秋社)

仕事で接点があり、当時の私生活も含め、少しは知っていたのですが、子ども時代から大学の時までの苦労は、全く知らなかった。その意味で良い自叙伝です。
あの明るく人生を謳歌していた彼の見えない面がうかがえて面白かった。人間って何と複雑なものか。
フランス語だったせいか、人間が洒脱だったような気がする。

書評から引用
『河野大臣のブログで知りました。
映像でみる限りは、穏やかそうな紳士に見えましたが、こんなに大きな野心と、粘り強さ(時に強情さ)、人間臭さを持ち合わせた人とは思いませんでした。
こんなこと話しちゃって大丈夫なの?と思うようなエピソード(外務省内、ウィーン、IAEA内)があちらこちらに。
事務局長選のエピソードは、間違いなく本書のハイライトですが、各大使が無記名で投票するはずなのに、誰がどこを投票したか、ほぼ100%必ず分かるとは、怖いです(どうして分かるかは企業秘密だそうです)。
外交場面での駆け引きや等身大の苦労話が、我々一般人が理解できる語り口で記されており、今後国際社会に飛び出したい人にとても参考になる内容で、まさに天野さんの狙い通りの本だと思います。
ご多忙だった日々の合間に、こうした回顧録を亡くなる数年前からせっせと書かれていたのは、凄いなぁ。
天野さんの人生で最も充実した10年だったというIAEA事務局長時代の話が無いのは残念ですが、各国首脳から寄せられた弔文を読めば、そのお仕事の充実ぶりは自明でしょう。   』

・・・・その通り、上司の悪口もあるように、外務省も怪人・変人だらけ。相当なエリート意識のみなさん。そのくせ国内政治には疎い。日本が貧しい時代には、確かにエリートとして社交に励んでいたのだろうな。
・・・彼の人生に一面でもあるが、東大生の、競争が好きな、そして成果も出せる受験大好き人間の人生でもある。😎 
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「女帝小池百合子」

2020年12月10日 | 日記
石井妙子(文藝春秋)

これだけ、問題があるのにどうして都知事をやってられるのか?
不思議なキャラクターだが、その原因たるや幼少時代や父親の影響も窺える。
知事選は一種の人気投票だから、都民の民度の表れでもある。こんなものともいえるのだが、人間としても寂しいものがあるのではないか。

内容紹介は(インタビューから引用)
『最初は小池氏にはさほど関心がありませんでした。文藝春秋の編集者の方から執筆依頼があったのですが、小池氏は特に実現しようとしている政策もなく、いわば“空っぽ”。政治家というよりも、政治家を演じている人物だと考えていたので、本にはならないのではないかと思っていました。
 小池氏が初当選した2016年の都知事選でも、彼女は情熱的な言葉を使って聴衆をあおっている割には、目が笑っていない。言葉と感情が比例しないというか、どこかひんやりしたものを感じ、それが気になりました。それでも、彼女について積極的に書きたいとは思いませんでした。
 ただ、彼女がキャスターから政治家に転じ、東京都知事に上り詰めた平成という30年間を、小池氏という人物を通じて描けるのではないか。小池氏という政治家をここまで押し上げたのは、小池氏自身の罪なのか、この時代の私たちの罪なのか? そういう視点でなら本にできるという感じはしていました。
――月刊誌に小池氏の生い立ちを記す中で、エジプト・カイロ時代に小池氏と同居していた早川玲子(仮名)さんという女性から連絡を受け、彼女が保管していた膨大な記録や証言を取材することができたのですね。
 早川さんはとても生真面目で優しい方です。小池氏よりも10歳ほど年上で、カイロに来た当時、20歳ほどだった小池氏にとっては姉のような存在でした。小池氏は1976年10月に当時のサダト・エジプト大統領夫人の訪日に同行し、日本に一時帰国した際、日本のメディアの取材を受けて、「日本人で2人目、女性では初めてカイロ大学を卒業した」と自己紹介しました。
 小池氏は、エジプトに戻ってからそのように書かれた日本の新聞記事を早川さんにうれしそうに見せています。早川さんは当時を振り返り、「そんな嘘をついてはいけないと、小池氏にもっと注意を与えておけばよかった」と後悔の念を私に語ってくれました。
・・・(中略)
小池氏はテレビカメラが回っているなど公の場所と、そうでない場所での振る舞いが大きく違います。北朝鮮による拉致被害者の家族の記者会見に付き添った際など、自分がいかにも良心がある人物であるかのように振る舞うことはとても上手です。
 記者会見でも「○○と存じます」などと丁寧さをやたら強調した言葉遣いをします。“芦屋令嬢”的なイメージを意識しているのでしょう。しかし、いざ自分に不利な質問が出ると、手元の資料を束ねて机にたたきつけてバンバン音を立てるなど、途端に豹変する。“地金”が出てしまうのです。
 小池氏の周辺を取材して感じたのは、本人は学ぶ力、思考力が乏しいのに、複雑な物事をさも十分に理解しているように自分を見せる力だけは抜群に高いことです。多くの人々は小池氏のそうした虚像だけを見ているわけで、それが怖い。
 小池氏が07年にわずか55日間、防衛大臣を務めた際の事務次官だった守屋武昌氏は、私の取材に「小池氏は防衛政策を理解していないのに、記者会見では、さも中身を理解しているように話す。鋭い質問には論点をそらした上で、さも堂々と答えていた。中身を学んでくれればとレクチャーの時間を取ろうとしても、雑誌のグラビア撮影やテレビの取材を優先するので時間を取れなかった」と話していました。
・・・
都庁で行われる小池氏の記者会見を動画でよく見ますが、彼女のくだらない冗談に、前の方に座っている民放キー局の女性記者たちが、大げさに受けたり、うんうん、うんうんと必死でうなずいて見せている。私は密かに「うなずき娘」と呼んでいるのですが(笑)、記者たちが権力者に迎合しすぎています。
 小池氏に気に入られたいという気持ちはわからなくはありません。でも、若くても大手メディアの記者には、特権的な立場が与えられているのですから、自らの役割を自覚して、もっと毅然としていてほしいです。そもそも環境大臣時代の彼女の振る舞いをメディアが詰め切れていれば、今ごろ東京都知事にはなっていなかったかもしれません。
・・・
小池氏は、私がこれまで評伝で取り上げてきたどの女性たちとも違います。今回の取材でも、私は尊敬したくなる素敵な女性たちとたくさん出会うことができました。カイロで小池氏と同居していた早川さんがそうですし、「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」副会長の古川和子さん、築地市場の移転に反対していた「築地女将さん会」の方々などです。市井にはこんなにも優れた女性たちがいるのだと感激しました。でも、そうした女性たちが小池氏によって踏みつけられていったわけです。
 一方で、自分のことしか考えていない小池氏という人間が、ひたすら階段を上って「女性初」として社会の称賛を浴びていく。どうして彼女に出世の階段を上らせてしまったのか。社会を見渡せば“ミニ百合子”のような女性はたくさんいます。そのような人が出世してしまうという社会でいいのか。地道に努力している女性が踏みつけられていいのか、考えさせられました。』

・・・長々と引用したけど、本質が見えるはず。結局、彼女の真価は後の歴史が証明するしかないのか。
・・・以前橋本五郎さんが言っていたけれど、常にかわいそうな虐げられた女性を演出して、誰も非難できないようにした上で、敵をつくりそれをやっつける正義の使者の立場をつくって、主婦層を味方につけて政治を渡ってきたのだろう。
・・・それにしても、分かっているくせに批判しないマスコミって何なのでしょうか。悲しい構図だ。関心のある方々に是非読んでほしい。😨 


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『流人道中記」上

2020年12月07日 | 日記
浅田次郎(中央公論新社)

図書館で借りて読んだが、まだ上巻だ。面白かった。一種の若者の成長記でもある。作者の代表作にもなり得るものかと思ったが、下巻も読まなければ評価は定まらないと思い、もう少し待とう。

内容紹介は
『流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は、奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。旅路の果てで明らかになる、玄蕃の抱えた罪の真実。武士の鑑である男が、恥を晒して生きる道を選…
流人道中記(上・下) [著]浅田次郎
 2013年刊行の『一路』は、19歳で家督を継いだ若き主人公が江戸への参勤を差配する物語だった。中山道の旅を描いたロードノベルであり、主人公の成長物語であり、そして根底には〈制度〉とは何かという読者への問いかけが込められていた。
 新刊『流人道中記』も、家督を継いだばかりの19歳の青年がお役目で長い旅をする物語である。
 万延元年、姦通の罪を犯したとして、奉行所は旗本・青山玄蕃(げんば)に切腹を言い渡した。ところが玄蕃は「痛(いて)えからいやだ」と拒否。旗本を打ち首にもできず、困った奉行所は古い慣例を持ち出して、蝦夷松前藩の大名預かり――つまり流罪ということにした。
 この玄蕃を津軽の三厩(みんまや)まで押送することになったのが、19歳の若き見習与力、石川乙次郎だ。彼は罪人・玄蕃とともに、片道1カ月かかる奥州街道の旅に出る。
 まず目を引くのが、青山玄蕃の人物像だ。身分の高い旗本でありながら、気取ったところがない。豪放磊落(らいらく)にして明朗闊達(かったつ)。世故(せこ)に長け、道中で出会った人々を助けたり、厄介事を見事に捌いたり。実に魅力的なのである。
 だが彼が魅力的であればあるほど、読者の疑問は膨らんでいく。なぜ彼は切腹を拒否したのか? 本当に玄蕃は罪人なんだろうか? 『一路』では〈制度〉がテーマだった。本書で問われるのは〈法〉とは何か、だ。
 彼らが道中で出会う事件も、すべて〈法〉と人の関わりが背後にある。お尋ね者への報奨金、当時の少年法、敵討ち、旅先で倒れた病人の「宿村(しゅくそん)送り」などなど。こんな決まりがあったのかという驚きもさることながら、それに縛られる人々の苦悩を、浅田次郎は時には笑いを、時には涙を誘うその熟練の技で描き出す。
 最初は罪人と押送人だったふたりが、旅を通じて次第に師匠と弟子のようになっていくのがいい。歩きながら師匠に問い、反発し、迷いながら成長する弟子が乙次郎だ。彼が最後に到達した〈法〉の意味は、現代の私たちにも深く強く響いてくる。法に携わる人には特に読んでほしい。
 ここにはこれまでの浅田次郎が詰まっている。『一路』との共通点だけでなく、宿場町での群像劇は初期の傑作「プリズンホテル」シリーズを思い出すし、大事なものを守ろうとする人間の矜恃は『壬生義士伝』に通じる。上下巻を長いと感じさせない。むしろもっとふたりの旅を読んでいたい、この後が知りたいと思わせる。これぞ浅田節だ。
 江戸から津軽までの風景や文化の描写も読みどころ。物語の中でふたりとともに東北の旅が味わえる。手練れの一作である。
    ◇
あさだ・じろう 1951年生まれ。97年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、2008年『中原の虹』で吉川英治文学賞、16年『帰郷』で大佛次郎賞など受賞多数。15年に紫綬褒章。近著に『天子蒙塵(てんしもうじん)』『大名倒産』など。  』

・・・うーん。こういうのを「手練れ」というのか。
・・・下巻が楽しみだが、当地の図書館ではまだ160人以上が待っているのだ。絶望的な数字だ。😱 
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