読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「料理通異聞」

2023年05月26日 | 日記

松井今朝子(幻冬舎)

料理がたくさん出てきて、食べてみたくなる。その意味では「料理本」である。
しかし、この歯切れのいいそしてテンポよくくり出す江戸言葉。いいですねぇ。

内容紹介は
『江戸に一代で名を轟かせた料亭「八百善」。料理を文化にした男、栗山善四郎の一代記!

天明二年。江戸は大地震に見舞われた。まだ騒然とした空気が残る中、栗山善四郎は御金御用商・水野家で、料理に関係のない奉公生活を続けている。
料理屋の自分が、元服した今になってなぜこの家に預けられたのか? 家人たちの様子から、善四郎はうっすらと自らの出生の秘密を感じ取っていた。
困っている者を見ると放っておけなくなる性分から、ある日、貧乏旗本の娘、千満の病床の父親に料理を届けるが、ほどなく千満は姿を消す。自分でも驚くほど気落ちした善四郎は、千満への想いにようやく気付くのだった。
実らなかった恋を抱えながらも、水野の主人の供として評判の店「升屋」を訪れた善四郎は、江戸一の潮汁を堪能し大いに満足する。手持ち無沙汰に廊下に出たところへ、庭から白い鞠が飛び込んでくる。「遅い、遅い」と笑いながら鞠をせかす相手は、相当な身分の様子。これが、姫路藩主の次男にして、江戸を代表する文化人として名を馳せる、後の酒井抱一との出会いであったーー。

相次ぐ天災と混乱の時代に、料理の才覚と突出したプロデューサー資質で頭角を現し、ついに一料理屋を将軍家のお成りを仰ぐまでの大料亭にした、栗山善四郎。
大田南畝、酒井抱一、葛飾北斎——そうそうたる時代の寵児たちとの華やかな交遊、そして、想像をかき立てられる江戸料理の数々が登場! !

祇園「川上」を実家に持つ松井今朝子が、満を持して描く江戸料理の世界!
栗山善四郎、八百善の大躍進にご期待下さい。   』

ご参考に「メディア掲載レビューほか
江戸のごちそうを文章で味わう
この著者は、きっとすごく料理が上手な方なのだろう。文章のリズムが、料理を作るときのテンポに似ているのだ。まるで大きな魚が手際よくさばかれていくのを見ているよう。

江戸の料理屋「八百善」の跡取り善四郎が、寺町の小さな店を将軍御成りにまで大きくしていく一代記。主人公の目を通して当時の富裕層の食文化を垣間見る……というとお勉強みたいだけど、料理屋のお座敷や台所を「どんなものを食べてたの?」とそっと覗かせてもらうような楽しさ。随所に「へーっ! 」という驚きがちらばっていて、どんどんページを捲ってしまう。

たとえば、この頃の精進料理には干瓢の出汁を使ったという。〈日向臭いような匂いがした〉とあるけど、確かに、干瓢を水で戻すときはそんな匂いがする。江戸時代は肉をあまり食べないぶん、植物系のうまみを繊細に使ったことだろう。おそろしく美味いんだろうなと羨ましくなる。

卓袱(しっぽく)料理の話も面白い。長崎では丸い卓を皆で囲んで食べる料理が流行りと聞いた善四郎が再現を試みるのだが、大きな卓を見た息子は目をまるくする。そういえば、江戸時代はめいめい膳で食べるのが普通だった。この唐土伝来の円卓が後の“卓袱台(ちゃぶだい)"となるとサラリと書かれる。へーっ! 卓袱台なんて昔っからお茶の間にある物だと思っていたら、よもや舶来品とは。未知のことなのに、どこかで現代の私達とつながっている。そんな親しみのある驚きだから、誰でも楽しむことができるのだろう。

どんな時代でもどんな社会でも、ものを食べない人はいない。だから、そもそも食という題材自体、誰でも興味が湧きやすいのだ。

鱸(すずき)、鯛、鮎に瓜や茄子、みょうが……。登場する食材は今でもおなじみのものだ(あ、鶴は別ですよ。鶴をどんな風に食べるかは読んでのお楽しみに)。ステーキや寿司、天ぷらに慣れた現代で実際に並べられたら、ごちそうとは思えないかもしれない。なのに文章からごちそう感が溢れてくるのは、善四郎が食材を吟味し、手間ひま惜しまず、工夫をほどこしているのが伝わってくるからだ。

出生の秘密に惑ったり、旅に出たり、芸者に恋をしたり。各章で色々なエピソードが繰り広げられるが、いつも物語の中心には善四郎の料理への熱意がある。小僧の頃から隠居まで変わらない真っ直ぐさが好ましく、つい応援してしまう。

丁寧な仕事、一途な生き方。綺麗なものを見たな、という思いで本を閉じた。ただ一つ困るのは、善四郎が作る江戸の料理が食べたくて堪らなくなることだけど。
評者:瀬尾 幸子
(週刊文春 2016.11.28掲載)    」

・・・書評も楽しい。
・・・表紙があか抜けない気がするが、こんなものかな。😄 



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おやじはニーチェ」

2023年05月13日 | 日記

高橋秀実(新潮社)

有益です。認知症をあるがままで付き合ったなじめな観察だと思う。いつか自分だってなるかもしれない世界だし、冷静に、行き着く先かも知れない。

内容紹介は
『覚えていなくても、変わってしまっても、おやじはおやじ。
突然怒り、取り繕い、身近なことを忘れる。変わっていく認知症の父に、60男は戸惑うが、周囲の人の助けも借りて、新しい環境に向き合っていく。結局、おやじはおやじなんだ。時に父と笑い合いながら、亡くなるまでの日々を過ごす。「健忘があるから、幸福も希望もあるのだ」という哲学者ニーチェの至言に背中を押されながら。』

・・・哲学から認知症と付き合ったら、こんな感じになるやも知れぬ。ユーモアあふれる会話にほっとする。哲学部分は難解だがそれもちらちらちりばめられているのだから、読み飛ばしても面白さは変わらないが、哲学も味わうと良いのです。
・・・認知症の専門医という人からの書評が参考になる「認知症を専門とする医師からみても、とても興味深い記述が並びます。幻視はアルツハイマー型認知症が原因で生じることもあり、その鑑別診断に際しては苦慮するのが現状です。しかし筆者の髙橋秀実さん(ノンフィクション作家)は、たくさんの専門書を読んで勉強され、「『さっき見えた』と過去形で語るとアルツハイマー型認知症で、『見えている』と言って声をかけたりする場合はレビー小体型認知症らしい。」(66頁)といった有益な医療情報を随所に披露して下さいます。
 そして、認知症の人が感じている世界を本人目線で描いておりますので、認知症に対する誤解や偏見などの是正にも繋がるのではないかと感じました。認知症の症状からケアに至るまで幅広い知識を得ることができ、とても有益な一冊だと思いました。 」
・・・面白くやがて悲しい認知症。。。。😜 


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「芥川症」

2023年05月08日 | 日記

久坂部羊(新潮社)

 まあ、人を食った話ではある。著者が医者だから場合によっては「人」も食っているかも知らん、などどいえばホラーではある。

内容紹介は
『あの名作が、現代の病院によみがえる――文豪驚愕の医療小説! 医師と芸術家の不気味な交流を描き出す「極楽変」。入院患者の心に宿るエゴを看護師の視点で風刺する「クモの意図」。高額な手術を受けた患者と支援者が引き起す悲劇「他生門」。介護現場における親子の妄執を写し出す「バナナ粥」……芥川龍之介の代表作に想を得て、毒とユーモアに満ちた文体で生老病死の歪みを抉る超異色の七篇。 

久坂部/羊
1955年、大阪府生まれ。大阪大学医学部卒。外務省の医務官として9年間海外勤務の後、高齢者が対象の在宅訪問診療に従事。その一方で20代から同人誌「VIKING」に参加し、2003年『廃用身』で作家としてデビュー。2014年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞   』

・・・著者の持論の「年を取ったら医者に行くな。病人にされる」を地でいったような話もある。全体的に笑えるけど怖い話。
・・・医者も相当変わったやつもいますよね。ってところだな。😵 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする