読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「昭和の店に惹かれる理由」

2017年06月29日 | 日記
井川直子(ミシマ社)

 文章がちょっと軽いけど、一種の食べ歩きに近いと思えば「あり」かな。
 古いお店にはそれなりの歴史とうんちくがあり、敷居が高すぎないところが紹介されていて気持ちが良い。

内容紹介は(出版社による)
『その、なんか正しい感じに私は憧れる
普段、表に出ることのない10軒の名店の人々。「サービス」では永久にたどりつかない何かを探った。
昭和の時代をつくってきた人々の、そしてそれを継ぐ者たちの、技・心・そして...時代とともに消えゆこうとするその灯火を丹念に追った、著者渾身のノンフィクション。好評ロングセラーとなった『シェフを「つづける」ということ』に並ぶ名作、誕生。

著者情報
井川直子(いかわ・なおこ)
1967年、秋田県生まれ。フリーライター。レストラン取材のほか、主に料理人、生産者など「食」と「飲」まわりの人々、店づくりなどの記事を雑誌・新聞等に寄稿。『dancyu』『料理通信』『メトロミニッツ』など連載多数。著書に『僕たち、こうして店をつくりました』(柴田書店)、『シェフを「つづける」ということ』(ミシマ社)などがある。』

・・・行ってみたくなりますよね。最後が秋田のお店というのは偶然か?著者の出身地だもんね。

 ちょっと内容紹介を超える紹介です。以下。著者によるもの。(「クロワッサン」の記事のようです)
『東京・神保町にある餃子と包子の専門店『スヰートポーヅ』は昭和11年創業。三代目の和田智さんは毎朝5時30分から皮と餡を作り、手で包む。1800〜2000個作る餃子はその日に使い切って冷凍もしない。
「ノスタルジーではなくて、その店のあり方や店主の姿勢が尊敬できる10店を紹介しました」
食を中心に料理人や生産者に着目した記事を書いてきた井川直子さんの新刊『昭和の店に惹かれる理由』は、そんな名店で今も守られている技や心を伝えている。
「スピードや効率、価格などで否定される非合理的なことを切り捨てずに、先代の教えを受け継いでいる店が多かったです」
目黒にある『とんかつ とんき』を紹介する際には、カラリと揚がった衣の秘訣以外に、長年使われながらも今も真っ白な檜のカウンターが、毎日30分かけて昔から決まった石鹼とたわしで木目に沿ってしっかり磨かれていることを井川さんは記す。丹念な仕事が施された店ならではのとんかつを味わいたくなる。
「マニュアルというより武芸の『型』に通じるものがある気がします。人の手と意思で毎日磨かれた清潔感のある店には、お客として行った際にもいずまいを正す気持ちが生まれると思います」
ただし、東京・湯島にある酒場『シンスケ』を紹介する際には、棚に並ぶ徳利が文字を正面に揃えず“正しすぎず”置くことで客への圧迫感をなくす配慮がされているとさりげなく描く。
「お店に来たひとりひとりに“肩幅の世界”があるから酒場の役割はそれを守ることだ、という先代の教えを汲みとって、落ち着かせる空間をつくるんです」
渋谷のんべい横丁にある焼き鳥『鳥福』では狭い店だからできる職人の心意気を、秋田のバー『ル・ヴェール』では“見せない仕事”へのこだわりを。ふだん表に出ない面にもスポットを当てることでお店の輪郭も浮かびあがってくる。つい昨今のグルメブームについて聞くと、井川さんは本書に登場する『カフェ・ド・ランブル』の店主、102歳の関口一郎さんの言葉とともに話してくれた。
「みんな情報や知識はあるけれど自分の舌を持っていない、と関口さんがおっしゃったんです。誰かがいいと言った店を渡り歩くなかで自分の物差しがなくなっているのかなと思いました。自分が好きなお店を知るには何度か通うなど工程や時間が必要な気がします」
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「いつかの夏」

2017年06月29日 | 日記
大崎善生(角川書店)

 ここまで丹念に描かれたノンフィクションはまるで小説のようだ。登場人物が生き生きと描かれているのは著者が作家でもあるからかもしれない。被害者の生い立ちから死の直前まで、どのようにしたらここまでの詳細な事実を探り出せるのか。読み応えのある作品です。

 内容紹介は(出版社より)
『小説家、ノンフィクション作家の顔を持つ著者でなければ書けなかった真実
「闇サイト」で集まった凶漢三人の犯行により命を落とした一人の女性がいた。彼女はなぜ殺されなくてはならなかったのか。そして何を残したのか。被害女性の生涯に寄り添いながら、事件に迫る長編ノンフィクション。

娘が遺した最後の言葉に、
ただただ胸がかきむしられる思いです。
――磯谷富美子

私にとって、この作品がひとつのピリオド。
『聖の青春』からはじまった作家人生は、
この物語を書くためだったのかもしれない。
これで終わっても、引退してもいいと思うほど書ききった。
――大崎善生                         』

・・・一種の謎解きもあり、裁判のどんでん返し的な要素もあり、読ませる。
・・・世の中には、本当にどうしようもない「悪人」というのがいるのだと思い知らされる。いくら生い立ちや環境に問題があってもそれを理由に減刑や、反省しているといううわべだけの弁明で、刑が決まったり、弁護術によって結果が変わるのがおかしい。被害者の家族にとって極刑を求める気持ちがわかる。

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「昭和解体」

2017年06月23日 | 日記
牧 久(講談社)

 国鉄の分割民営化の話なのだが、確かにこれによって、国鉄の組合特に国労を解体し総評も連動して力を失い、さらには社会党が崩壊した。その意味で55年体制が終わった契機になったのだろう。戦後の政治情勢の清算でもあったのだ。時の自民党、政府は中曽根総理の時代。
 この裏表の動きを丹念に追いかけてノンフィクションとして出色だ。

内容紹介は(出版社のそれから引用です)
『本書は国鉄が崩壊、消滅に向けて突き進んだ二十年余の歴史に再検証を試みたものである。昭和が平成に変わる直前の二十年余という歳月は、薩長の下級武士たちが決起、さまざまな歴史上の人物を巻き込んで徳川幕藩体制を崩壊に追い込んだあの「明治維新」にも似た昭和の時代の「国鉄維新」であったのかもしれない。少なくとも「分割・民営化」は、百年以上も続いた日本国有鉄道の「解体」であり、それはまた、敗戦そして占領から始まった「戦後」という時間と空間である「昭和」の解体をも意味していた。

目次
序章 日本の鉄道でいちばん長い日
第一章 田中角栄と細井宗一
第二章 磯崎総裁の「マル生運動」と国労の反撃
第三章 政府・自民党VS.国鉄労使
第四章 走り始めた国鉄解体
第五章 運輸族・三塚博の秘密事務局員
第六章 中曽根康弘「風見鶏内閣」誕生
第七章 国体護持派と改革派の暗闘
第八章 改革派、絶体絶命
第九章 最後の主戦場
第十章 「猛き者ついに滅びぬ」
終章 国鉄落城――新時代への出発

著者紹介
著:牧久(マキヒサシ)
ジャーナリスト。昭和16年(1941)、大分県生まれ。昭和39年(1964)早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。同年、日本経済新聞社入社、東京本社編集局社会部に所属。サイゴン・シンガポール特派員、平成元年(1989)、東京・社会部長。その後代表取締役副社長を経て、テレビ大阪会長。著書に『サイゴンの火焔樹――もうひとつのベトナム戦争』、『「安南王国」の夢――ベトナム独立を支援した日本人』、『不屈の春雷――十河信二とその時代(上、下)』』

・・・三人組のお一人を知っており、興味深く読んだ。この流れの途中の一部の時代、海外勤務があって知らない部分があったので、「歴史」を補完できたかなとも思います。こういう現代史の一部ですが歴史好きにお勧めです。
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「京都のおねだん」

2017年06月19日 | 日記
大野浩之(講談社現代新書)

 やっぱりちょっと気になりますよね。京都で祇園のお茶屋に行くといったいどれだけかかるのか。
舞子さんや芸妓をあげて気分よく「遊ぶ」とどうなるか。そこだけが関心の最大のもので、そのために読んだ。やはり体験記と請求書の『花街で自腹で飲んでみた』が一番のポイント。

 内容紹介は(出版社の宣伝?から)
 なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか――大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。
そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。
2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ

目次
プロローグ おもてなしのおねだん(3万2000-9万円)
第一章 食のおねだん
〈料理のおねだん 2万5000円から〉
〈「抹茶パフェ」のおねだん 1080円〉
〈ハイカラな爆弾のおねだん 150円〉
〈水のおねだん 1キロ260億円〉
第2章 季節のおねだん
〈お地蔵さんのお貸出のおねだん  3000円から〉
〈春は7倍 秋は10倍〉
〈冬の寿司のおねだん 1890円〉
〈夏の風 1500円から〉
第3章 絶滅危惧種のおねだん
〈「旦那」を生む(?)土地のおねだん 公示価格の3-4倍〉
【補足 〈京都〉の範囲について】
〈跡継ぎのおねだん 1000円〉
〈映画ビデオのおねだん 上限撤廃〉
〈静寂のおねだん 1050円〉
〈公家のおねだん 1万円 侍のおねだん 3500円〉
〈仕出しのおねだん 一万数千円〉
〈京都大学の自由(?) およそ3万円〉
第4章 舞妓・芸妓のおねだん、すなわち、京都のおねだん
〈夏の芸舞妓はん 1800円~〉
〈萌え系舞妓のおねだん 0円〉
〈花街で、自腹で遊んでみた!〉
エピローグ 東京の「京都のおねだん」、あるいは私のおねだん 5000円から7500円
【本書に登場した場所・お店】』

・・・あんまり京都って好きじゃあないけど、先般の「京都ぎらい」の痛快さ! 溜飲を下げたけど、本書も内部リポートみたいで楽しかった。ちょっと気になったのは「京大」の話で、これじゃあ、大学生は勉強してないなぁ。。。文系の話ですけどね。

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「おばちゃんたちのいるところ」

2017年06月15日 | 日記
松田青子(中央公論新社)

 一風変わったテイストだ。何がって言うと登場人物が、この世のものではなさそう。。。かといって怖い話ではなくユーモアいっぱいなので、慣れるまで時間がかかるかも。これを楽しめる人はどのくらいいるかな?
 
内容紹介は(週刊誌の書評があります)
『メディア掲載レビューほか
おばちゃんたちのいるところ―Where The Wild Ladies Are [著]松田青子
霊的な存在がいきいきと描かれた短編小説集。現代の日常にふと幽霊があらわれたら?というちょっと不思議な世界が17の連作短編をとおして展開される。
「牡丹柄の灯籠」はリストラに遭い、家に籠もっていた男のもとに非常識なセールスレディ二人組がやってくる話。ずれた女たちの会話に次第にとりこまれ、気づくと……。「楽しそう」では夫婦の死後のありようが描かれる。死んだ後の妻があまりにも楽しそうで声をかけることができない夫と、あえて知らぬふりをする妻。そして実は後妻も死んでいて……。また「菊枝の青春」は播州皿屋敷で有名な姫路を舞台に、注文した皿が一枚足りないことから素敵な関係が始まる話。
落語や歌舞伎に材をとりつつ軽やかな筆致で現代小説に仕立てている。読後感の爽やかな一冊だ』
(評者:石原さくら・週刊朝日 掲載)
おばちゃんたちの情熱と行動力はやっぱりすごい
八百屋お七にお岩さん。昔ばなしでおなじみの幽霊たちが今の世の中によみがえったら――。愉快な発想を元にした短編集『おばちゃんたちのいるところ』(松田青子著)が刊行された。怪談への愛情とタイトルにある「おばちゃん」たちに込められた思いとは。 「子供の頃夏の楽しみはテレビの怪談ドラマでした」
松田青子さんの最新短編集でモチーフになるのは娘道成寺、八百屋お七、お岩さんなど歌舞伎や落語で古くから知られた怪談だ。
「取材で姫路城に行った時、城内の“お菊井戸"で小さい男の子が『1枚、2枚』ってお皿を数えるまねをしていたんです。私の頃と同じように今も子供がちゃんと知っている。廃れない怪談の底力を感じました」
1編目「みがきをかける」では、脱毛エステから帰宅した女性のもとに自殺したおばが訪ねてくる。娘道成寺の清姫をかっこ良いと称賛し、姪に発破をかけるおばちゃんの、死者とは思えぬ活気に笑ってしまう。
「怪談に出てくる女の人の情熱や行動力が好きなので、パワフルな女の人を書きたいと思いました。日本語で一言で表現すると“おばちゃん"かなと思った時に、センダックの絵本『かいじゅうたちのいるところ』と結びついて書名が決まり、全体の構成が出来ました」
表題作は、1編目のおばちゃんの息子が主人公。彼の就職した奇妙な会社を通じて全編が緩やかに繋がる構成だが、そこで働くのはこの世のものに限らない。
「工場で主任を務める友達がおばちゃんの有能ぶりを力説していたのが印象的で。それと、怪談を読み直すとやはり現代の感覚では性差別的だったり、理不尽にひどい目に遭う女の人が多いので、小説ではなんとかポジティブに変換したくて。その結果が、生者も死者も女性も男性も関係なく楽しく仕事をする姿なんです」
7編目「クズハの一生」では〈標準的な人間の女のふり〉で生きてきたクズハが、存分に能力を発揮する喜びを知る。一方、男性新入社員を見て〈悪い意味で、平等になった〉との述懐も。
「江戸に生きたお岩さんも過酷だけど、クズハが生きたバブル期も今では信じられないようなセクハラ地獄。時代ごとの地獄がある中で、かつては女性だけが見ていた地獄が男性にも見えるようになったのが現代ではないかと思うんです。地獄に変わりはないけど、同じものが見えているぶん少し解り合えるかも。男性性からも女性性からも解放されたほうが、楽になれますよね。私が怪談に惹かれるのも解放されたパワーゆえかもしれません。恨む相手を祟り殺したり、恋のために放火したり、情熱の赴くまま無茶をする。自分にはできないからこそ憧れます」
ユーモアと現代の目線で、おなじみの怪談が魅力的なおばちゃんたちに化けた。
(評者:「週刊文春」編集部・週刊文春 2017.2.16号掲載)

内容紹介
『わたしたち、もののけになりましょう!
あるときは訪問販売レディ、あるときはお寺の御朱印書きのアルバイト、そしてあるときは謎の線香工場で働く〝わたし〟たち。
さて、その正体は――?!
八百屋お七や座敷童子、播州皿屋敷お菊たちがパワフルに現代を謳歌する痛快連作短篇集。
嫉妬、憎しみ、孤独に苛まれ、お化けとなった女たちの並々ならぬパワーが昇華され、現代女性の生きにくさをも吹き飛ばす!
ここにしかない松田青子のユニークかつ爽快な17つの物語』

・・・時間がなくて読み通せなかった。最初の2編だけでしたが、感じは分かった。これを楽しめる穂とは少し”幽霊”がかっていませんか?

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