読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「翼竜館の宝石商人」

2019年01月22日 | 日記
 高野史緒(講談社)

 好みは分かれるでしょうねぇ。
 絵画好き、歴史ものに興味がある人向け。
 一応ミステリなんだけど、お話が混線気味だし、登場人物のリアリティが?

 内容紹介は
『1662年晩夏のアムステルダム。宝石商人ホーへフェーンがペストで死んだ。
しかし遺体が埋葬された翌日、厳重に人の出入りが管理された館の、
鉄格子がはまった部屋で、ホーへフェーンに瓜二つの男が意識不明で発見される。
画家レンブラントの息子ティトゥスと記憶を失った男ナンドは、ひょんなことから
事態に巻き込まれ、謎の解明に乗り出す。

ペストの恐怖。蘇った死体。二重密室。
17世紀ネーデルラントの濃い闇の中から浮かび上がる真相とは。

著者について
高野 史緒
1966年茨城県生まれ。茨城大学卒。お茶の水女子大学人文科学研究科修士課程修了。1995年日本ファンタジーノベル大賞最終選考作『ムジカ・マキーナ』でデビュー。著書に『カント・アンジェリコ』、『赤い星』『ヴェネツィアの恋人』など。2012年『カラマーゾフの妹』で第58回江戸川乱歩賞を受賞し大きな話題を呼んだ。 』

・・・私としては、無理して読むほどもないと思えた。要はレンブラントが登場して探偵まがいの真相解明をするお話だけど、そういう画家だったのかな? 
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「私は闘う」

2019年01月22日 | 日記
野中広務(文春文庫)

 そうでしたね、オーム事件のころ、国家公安委員長でした。圧巻は、小沢一郎との戦い。真相が分かってきて今どんな気持ちでしょうか。当時のマスコミなど『政治改革』であおったみなさんは・・・
 こうやって、落ち着いたときに客観的に記録を残すことは大事でしょうね。

 内容紹介(出版社から引用)
『阪神大震災、地下鉄サリン、長官狙撃、麻原逮捕、大蔵省醜聞、総裁選、対小沢一郎戦争――捨身の政治家が書き下ろす「わが闘争」

 (担当編集者より) もし麻原が、子供たちを巻き込んで集団自殺をしたら。警視庁から「明日逮捕」の報告を受けた自治大臣の野中広務氏はそのことが頭から離れず、眠れません。東の空が白み始めるころ野中氏は一通の辞職届けをしたためます。すぺての責任は自分がとる――。「小沢一郎が最も恐れる男」と呼ばれる野中氏が、政権中枢で遭遇した様々の事件。阪神大震災、地下鉄サリン、全日空ハイジャック、大蔵省スキャンダル、対小沢一郎戦争。政権中枢でどんな判断があり、何がなされ、政治家たちは何を考えたのか。『私は闘う』は捨身の政治家が書き下ろす「わが闘争」です。  』

・・・元の出版は相当古いのですが、今読んでも大事なことが書かれている。一読の価値ありです。
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「火のないところに煙は」

2019年01月17日 | 日記
芹沢央(新潮社)

 冬に怪談というのは日本的ではないけれど、ちょっと怖い「霊」のお話。
 こういうものを感じる感覚の鋭い人っているのかな。そうだとしたら生きていくのがちょっと面倒ですね。

 内容紹介は
『本年度ミステリ・ランキングの大本命! この面白さ、《決して疑ってはいけない》……。「神楽坂を舞台に怪談を書きませんか」。突然の依頼に、かつての凄惨な体験が作家の脳裏に浮かぶ。解けない謎、救えなかった友人、そこから逃げ出した自分。作家は、事件を小説にすることで解決を目論むが――。驚愕の展開とどんでん返しの波状攻撃、そして導かれる最恐の真実。読み始めたら引き返せない、戦慄の暗黒ミステリ!

著者略歴
芦沢/央
1984年東京都生まれ。2012年『罪の余白』で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。2017年『許されようとは思いません』が第38回吉川英治文学新人賞の、2018年「ただ、運が悪かっただけ」が第71回日本推理作家協会賞短編部門の候補になった   』

・・・理屈で考えたら、それなりの解決が見えるところもあって、そんなに怖くはないけど、気味が悪いと言う感覚は残る。怖い話でも大丈夫と言う人にはおすすめ。「このミス」で高ランキングというのはピンとこない。さほどでもないやね。
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DVD「パルプフィクション」

2019年01月09日 | 日記
 タランティーノ監督作品
 
 最初は、何でこんな映画が最高傑作だの面白いだのと言われているか分からなかった。でも最後まで見続けると、何となく混乱した時間軸の中で、自然に話がつながってその展開の面白さが見えてくる。
確かに個々のエピソードはくだらないおバカな話ではあるが、通底する何かが感じられる。

 内容紹介は(ネットの「感想」から引用)
『1994年アメリカ映画。(原題:PULP FICTION)
カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したクエンティン・タランティーノ脚本・監督によるクライムドラマの傑作。1994年のアカデミー賞では7部門にノミネートされ脚本賞を受賞した。全編過去と現在が交錯するオムニバス形式となっている。出演ジョン・トラボルタ、ユマ・サーマン、サミュエル・L・ジャクソン、ブルース・ウィリス、ティム・ロス、ハーヴェイ・カイテル、エリック・ストルツなど。

あらすじ
 あるレストランで話をするチンピラとおぼしきカップルのパンプキンとハニー・バニー。二人は強盗の計画を実行に移そうとする。一方、盗まれたトランクを取り戻そうとするマフィアの殺し屋ビンセントとジュールスは、くだらない話をしながら、組織を裏切った青年らの部屋を訪ねるため、車でそのアパートへと向かうのであった。

感想・レビュー
「パルプ・フィクション」は、今観てもなお色褪せない新鮮味を与えてくれるバイオレンスアクションの傑作である。「パルプ・フィクション」とは、安っぽい小説、三文小説、くだらない話しの意味である。映画の内容も全くそのようなものである笑。この映画により事実上、タランティーノの名は世界に広く知られるようになった。彼の才能を凝縮させたような作品だ。変幻自在の時間軸の構成、緻密に計算された脚本、愛すべきキャラクター達、そしてセンスの良い音楽。タランティーノはこの世界をほぼ完璧に仕上げた。彼の揺るぎない代表作であると同時に、映画史に残るクライムドラマの代表作である。
 この映画を観て、自分も映画を撮りたいと思った人間は数知れないだろう。
それだけ、今もなお影響力を持つ作品であることは間違いない。
 まず、この映画は5話で構成されている。
【プロローグ】
【ビンセント・ベガとマーセルス・ウォレスの妻】
【金時計】
【ボニーの一件】
【エピローグ】
である。
時系列順で言うと、
【プロローグ】(ヴィンセントとジュールスの車中での会話から)
【ボニーの一件】
【エピローグ】
【ビンセント・ベガとマーセルス・ウォレスの妻】
【金時計】
金時計のエピソードが時系列でいうと一番最後である。
ちょっと複雑だが、実は時系列はそんなに気にしなくてもいい。
 タランティーノが意図をもってこの構成にしているので、映画の順番通りで完璧である。映画のラストでいうと、ジュールスが足を洗うと宣言してレストランから出ていく。パーフェクトな終わり方だと思う。この映画についてはそれこそ様々な感想・批評があると思うが、私の個人的視点でいうと、この映画の肝は、簡単にヴィンセントが殺されてしまうところ、であるように思う。
 ジュールスは足を洗ったので、あの場にはいない。ヴィンセントは足を洗っていないので、いる。ここが生死の分かれ目である。ヴィンセントの死ぬ場面が、あまりにもサラっと描かれているのが大変興味深い。ラストのジュールスの聖書解釈「俺が悪しき者で、お前が弱き者」「俺は羊飼いになろうと努力している」と言って改心した場面をラストに持ってくるところが、なんとも憎いではないか、と思う。「パルプ・フィクション(くだらない話)」であるが、その実「パルプ・フィクション」ではない所が、この映画の凄いところだ。

 クライムドラマの金字塔。「パルプ・フィクション」は絶対に観るべき映画のひとつである、と思う。』

・・・まあ、最後までご覧あれ。それでもつまらなかったら、あなたは正常人だね。
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「犯罪小説集」

2019年01月07日 | 日記
 吉田修一(KADOKAWA)

 ベースはニュースにとったように思う。しかし、暗い・・・
 結末も救いがない。これが現実と言えばそうかもしれないけど・・・

 内容紹介は(週刊誌の書評から)
『“ニュース"の背後にうごめく人間の情動
日々のニュースに流れる「事件」や「犯罪」は、ひとたび報じられた瞬間からガラスケースの向こうに陳列された展示品のようになってしまう気がする。犯罪者は犯罪者であり、悪は悪。私たちはその“自分たちとは違う特殊な人"のニュースを眺める。そこに自分たちと地続きの人間性や生活を見ることは難しい。潔いタイトルに期待感が高まった。『犯罪小説集』はその名の通り、五つの犯罪にまつわる小説が収録された短編集だ。
女児が行方不明になったことで揺れる小さな村の夏。三角関係のもつれで店の客に内縁の夫殺しを依頼したスナックのママ。バカラ賭博で何億もの借金を重ねる大企業の御曹司。老人たちの集落で孤立した六十代の“若者"が振るう凶刃。華やかな生活から抜け出せなかった元プロ野球選手はどうなったのか――。
小説の中に出てくる犯罪すべてに、マスコミを騒がせたあの事件この事件の影が差す。そのため私たち読者は事件の顛末をすでにうっすら知っている。そしてこの「知っている」感覚が本書にとんでもない凄みと奥行きを与えている。
事件は起こる。起きてしまう。それを知っていてなお、その犯人がひとたび著者の筆によって目線を与えられると、私たちは否応なしに彼らの気持ちがわかってしまう。その哀しみ、疲れ、行き詰まり。あるいは、深く考えなかったのであろうという無自覚な短慮の感覚までもが。
だからこそ読みながら願った。女児が行方不明になった夏に事件が起こらないこと、犯人がその人でないことを願い、その反対に賭博で作った借金には、主人公の救済を望むのと同義に、事件の早期発覚を願う。狭い集落の中の孤立が小さな誤解の積み重ねで解決できないところまで追いつめられると「事件」はむしろ破たんではなく、来るべき閉塞状態からの解放のようにさえ感じられてしまう。
どの作品もラストが素晴らしい。著者は事件の発覚や容疑者の逮捕といった私たちが思う「顛末」を遥かに凌駕する瞬間をどの話にも用意している。逮捕や発覚は、この本の中で事件の瞬間のひとつであって、全部のまとめではない。
人は、世界の貧困を本心から嘆いていても、何億もの金を一瞬で溶かしてしまうことができる。善でも悪でもなく、哀しみでも疲れでも生ぬるい、名付けられない感情によって時として「事件」は起こる。その名付けられない何かの営みを描くものこそが小説であり、犯罪を小説で描くことの意味なのかもしれない。圧巻の犯罪小説集だ。
評者:辻村 深月
(週刊文春 2016.12.19掲載)

(簡潔に表現すれば次のようなことになる)
失踪した少女を巡り、罪悪感を抱え続ける人々。痴情のもつれで殺人まで行き着いたスナックママ。名家に生まれながらギャンブルの沼にはまった男。閉鎖的な過疎の村で壊れていく老人。華やかな生活を忘れられない元プロ野球選手。犯罪によって炙り出される人間の真実。凄絶で哀しい5つの物語。

著者について
●吉田 修一:1968年長崎市生まれ。97年「最後の息子」で文學界新人賞を受賞し作家デビュー。2002年『パレード』で山本周五郎賞、同年『パークライフ』で芥川賞を受賞。07年『悪人』で毎日出版文化賞、大佛次郎賞、10年『横道世之介』で柴田錬三郎賞を受賞。著書に『怒り』『森は知っている』『橋をわたる』など多数。   』

・・・「青田十字路」には驚く結末が待っていて、別の闇が見える。「万屋善次郎」には狭い社会の救いのなさ、ようやく「白球白蛇伝」でちょっと気持ちが落ち着くが、全体は嫌になるバカげた人間の話ばかり。事実は小説よりも奇なり、そのもの。
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