sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

管理と放任の間

2016-05-06 | こども
東大に、子供3人を入学させたお母さんの話題を見て、
子供の管理と自主性ということの間についてはよく考えます。
巧妙に子供に自主性の皮を被せた誘導というのを、わたしも結構した気がする。
たとえば、子供と協議して、子供の意思で何かをすることに決めさせる形ながら、
実は親の思う方に誘導するなんて操作は簡単なのです。
まあわたしは自覚はあったので、程度は考えましたが。

息子は、もう大きいので、今は本当にすっかりほったらかしていますが、
小さい時はやはり、行く道を少し掃除しといてあげたり、
行くべきでない道のドアは閉めておいたり、ということは多少やっていました。
それも管理といえば管理よね・・・。

たとえば恋愛もあれもこれも無駄、東大生になってからでいいと隔離し、
受験勉強だけゴリゴリにさせるこの方のような親は極端なので、
誰もが簡単に責めやすいし、わたしの周りでもみなさん、おかしいと言うけど
勉強だけでなく遊びや他のあらゆることに関しても、
育てるということの中に親の影響や誘導や管理はある程度入ってくるし、
完全になんの管理もしないということって、できうるのだろうかとも思う。
誘導されていない本当の自主性って、ほっとけば誰でも持てるわけでもなく、
その自主性自体も育てないといけない部分があるし、
管理というものをすべて悪である、と決めつけることはできないでしょうしねぇ。
子供が手を離れた今更だけど、そういうことを考えます。
考えてももう、どうにもならないけど。

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