sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

東京写真合宿:1 写真の会

2023-07-31 | 一人旅たまに人と旅
写真の仲間と写真の会をずっとやってて、今何年目だろう。
年に一度の写真展は8回目くらい?だから写真の会も10年くらいかな。
勉強会や撮影会などの他に、年に一度くらいの合宿もしてきました。
コロナ禍のあいだは中止で、今年は数年ぶりの合宿。
どこに行こうかというミーティングで、今までは四国や山口や舞鶴や
地方の景色の面白いところに行くことが多かったけど
たまには都会もいいのでは?と提案して東京に行くことになりました。
つい先月、息子の東京就職6年目にして初めて東京へ行った母でしたが
その後ほんのひと月でまた行くことになったのでした。

わたしたちの合宿は自由度が高く交通も宿泊もそれぞれでやって現地集合現地解散方式です。
最初の頃はそうでなく、幹事役の人がまとめて用意したりして幹事の負担が大きかった。
でもみんな大人なんだし、もっと気楽にしようと、この方式になりました。
今回は土〜月といろいろ予定が組んであって、各自好きな時に参加することになり、
わたしは土曜の夜に写真家の先生と飲んで、日曜の朝にスタジオ見学とお話、
昼に渋谷で撮影会を楽しんで、先生の写真展のギャラリー訪問してから帰ることにしました。
本当はその後、交流会があり、月曜はまた別の場所で別の先生との撮影会があったけど
仕事と猫の留守番の都合で土曜に1泊だけにした。でも楽しい旅行だった。

実は一番楽しかったのは、合宿に参加する前に友達と二人で
白州夫妻の家だった旧白州邸、武相荘と、山種美術館をまわったことでした。
友達が、武相荘に行ってみたいいんだけどと言い、わたしが山種美術館に行ってみたいと言い
朝から出かけて、合宿前にどちらも行くことにした。プレ合宿ですね。

(ちなみにこれ、660円もする限定のハイボールで、確かに美味しかったです)
行きの新幹線で待ち合わせ、わたしはいつものプシュッ。
友達は二日酔いで?フレッシュジュース。

旧白洲邸の「武相荘」は新幹線では東京駅より新横浜の方が近い。
新横浜で降りて乗り換えして4、50分かな。
中にレストランがあって、そこでランチをいただく予定だったので混む前にと
最寄駅からタクシーで向かい、まずはレストランへ。
少し待って通されたのは大きなテラスのある超素敵な場所。
気候が良ければ外でいただきたかったな〜。(梅雨でした)

映画:エゴイスト

2023-07-29 | 映画


普段、映画館と美術館だけ眼鏡をかけるのですが、
眼鏡をうっかり忘れたことに気づいたのは座席に座ってから。
邦画で字幕読まなくていいし、まあいいかと思ったけど全然良くなかった(^_^;)
アップがすごく多くて、しかもフワフワと手持ちカメラの揺れるシーンがやたら多いせいか、
すぐに気持ち悪くなって、途中からは頭痛と吐き気を我慢して見てしんどかったー。
眼鏡忘れた自分のせいですが、近視は別にいいんだけど乱視の矯正が眼鏡なしだとできないので、
気持ち悪くなってしまう。しんどかった。。。

映画はまあ予想通り。前半の恋愛パートより後半の親子パートの方が少しはいいかな。
前半の恋愛パートの描き方はどこか薄っぺらで
それは物事の描き方が直接的すぎて、台詞で説明するのと変わらない安直さがあるからかと思う。
ピュアな彼というのを描きたいのはわかるけど、正面から健気ピュアアピールが直接的すぎるわー。
後半の親子パートも、どことなく嘘っぽくてなんだかなぁ。
どっちも結局、カメラが近すぎて俯瞰した視点が持ちにくいのは共通かな。
人の主観だけを交代で追いかけると、そりゃドラマチックロマンチックにはなっても
すぐお腹いっぱいになって飽きちゃうよね。
映画ではなく2時間もののテレビドラマとして見たら、まあまあだったかもしれません。

しかしエゴイストというタイトル、断罪してるのか温かい意味なのか、よくわからないけど、
登場人物の行為や好意や感情のどこをエゴだと言いたいのかな。
主人公の愛情による支援が、かえって相手に無理をさせてしまった、
与える喜びがエゴだった、ということだと何かで見たけど、うーん。
そもそもどんな感情も行為も、好意も善意もエゴと切り離せるものなんてないだろうに、
わざわざこういうタイトルをつけるのはあざといと思ってしまう。
原作はもっと納得できる話だったと読んだ人に聞いたけど、そうなのかな?
映画のあまりよくないと思った点はカメラや美術や演出が中心で
お話としては悪くない要素は多いので、原作ではなくこの映画がわたしに合わなかっただけかもしれません。
(これを書きながらググったら原作者の方は少し前に亡くなってたのですね…)
でも、あるレビューで、主観的で近いカメラが主人公の感情を背負っているのがいいと
わたしと正反対のことを書かれてるのを見たので、結局は好みの問題なのかなぁ・・・

お化粧にお金かけてるから

2023-07-27 | Weblog
女子が美容や化粧や髪や服にお金をかけているから奢ってもらって当然みたいなやつ、
SNSで毎年のように噴き上がって炎上してるし、それに対して
10年前からすでに今言われてるようなことは言われつくしてると思うので、
まだ言いだす人は炎上狙いか、よっぽどリテラシーがないかどっちかだからとスルーするんだけど、
最近ふと思ったのは、
じゃあ、素顔のあなたがいいと言われたらその女子は相手のためにお化粧も美容院も
かわいい服も全部やめるのかな?やめないよねぇ?
これって男の人が自分は家族のためにしんどい思いして働いてののだと言うのと似てるなぁと思った。
じゃあ家族がいなかったら仕事やめる?やめないよねぇ。

結婚してた時、ワンオペ育児などに不満を言うと、
自分は家族のためにこんなに仕事を頑張ってると夫に言われて、
結婚する前も同じように仕事してたくせに嘘つき…と思ってたことを思い出したのでした。

なんで自分が何かすることを、人のためにやってると言い張るんだろうな。
相手のためではなく自分のため、あるいは自分が好かれたり大事にされたり得するためにやってることを、
相手のためだからと言い張るの、男女問わないよね、と思ったのだった。

相手のためにやってることをお金に換算して見返りを求めるのも不毛だけど、
そもそもどっちも本当は全然相手のためにやってることではないよね。
恋人いてもいなくても外見にお金をかける人はかけるし、
家族いてもいなくても仕事たくさんする人はすると思うんだけど。

わたしはなんでも自分のためにしているつもり。
人のために何かするのも、自分がしたくてしてる。
お金の見返りはいらない。
でも気持ちの見返りは・・・少し、欲しいかもね。笑

大事にする

2023-07-26 | Weblog



猫はわたしが太っても年取ってもダサくてもバカでもなんでも全く気にしないで
同じ気持ちでわたしを見るし
同じ気持ちでわたしを好きでいる。(多分)
そんなふうに人を好きになることは、わたしにはもうないかもしれない。

一度はあった。

とはいえそんな猫も、わたしが猫を大事にせず足蹴にしてご飯もあげず冷たく無視し続けたら、
いずれわたしを好きでなくなるだろう。そういうことだ。

ミニマルな料理

2023-07-25 | お弁当や食べ物
新聞に載ってたイナダシュンスケさんの麻婆豆腐を作ってみた。
イナダさんの南インド料理の店、エリックサウスのビリヤニが大好きなんだけど
何冊かの料理本の中に「ミニマル料理」という本を出されていて
旨味に頼らない超シンプルな料理について考えている人。
料理は引き算っていうのは昔から知ってたつもりだったけど、
最近やっと本当にわかってきた気がして、稲田さんの言うことがすごくわかる。

料理本を見てなんでも自分なりにアレンジするのではなく
書かれてある通りに一度作ってみるということをここ数年するようになったんだけど
それまではさらなる旨味を求めて本のレシピより材料の種類を増やし、調味料を付け加え
複雑な味にしたつもりが、複雑ではあってもいつも同じような味になってた。
それが、レシピ通りにするとシンプルなものもそれなりに美味しくて、
素材を生かすというより、複雑にしすぎないということが大事だなぁと今は思うのです。

さて、イナダさんの麻婆豆腐は、ちょっと辛くなりすぎたけど美味しかった。
調味量は、花椒と黒胡椒と一味、醤油くらい。ニンニクとネギば入るけど
特に旨味の出るようなものを他に使ってないので複雑なコクや深みみたいなのはないんだけど、
しみじみとした美味しさはある。なるほどなぁ。
こういう美味しさもあるよねぇと、本当によくわかる。
昔のわたしは、美味しいものを作ろうと思ったら干し椎茸使ったり味噌や味醂やオイスターソースや、
いろんな隠し味を使って味を深くしようとしたものだけど、今はシンプルな味付けに惹かれるな。
素材も味付けもミニマルにすると、むしろ味のバリエーションが増えます。
ますます料理が楽しくなってきた。

痛かったなぁ

2023-07-24 | Weblog
5月の終わり頃から左脚付け根外側が歩き始めなどに少し痛くて、でも歩いてるうちに平気になるし
筋トレしても痛くないしで放置してたけど、いろいろぐぐると
変形性股関節症かなと思って、ストレッチをYouTubeなどで探してやりました。
どうせ整骨院行ってもリハビリするだけだし、
予約して行くのに診察2時間待ちとかもう嫌だしなぁ、と思って。
寝る前に10分くらいやって寝たら、なんと朝に痛みがずいぶん減ってて
ちゃんとやってみるもんだねぇ、と感心してたのだけど
その後数週間あまりよくならないので、結局一応病院に行ってみた。

そのクリニックの医者はなんだか威張って不親切な感じで
股関節の辺りが痛くて、と言うとどこ?指差して!と言われて、
痛いあたりをこの辺と言ったら、もっとちゃんとどこか指差して!と怒られた。
ちゃんとと言われても、痛みは点ではなく線や面で来てるので、点で指差すことができない。
その後あちこち少し動かして、股関節じゃない!股関節ならここ!と
不機嫌な感じで言われ、レントゲンの後に、カルシウムが溜まって炎症起こしてるから
湿布と痛み止め出します。痛いことしないで安静にして、1、2週間で治る、と言われました。
診察の後、でこれはなんと言う病名になりますかと聞くと「関節炎」と一言だけ。
後でググったらカルシウム溜まって炎症越すのは石灰沈着性鍵板炎というのね。ふむ。

と、初診では関節炎と言われたのに、予約を入れられた2度目の診察では
なぜか股関節症の話をしながら診察されたので、
「前にこれ関節炎って…」と言うと「関節炎言ってない!」と軽くキレられる。
え?ときょとんとしてると初めてカルテ見て「あ、いや、関節炎ね。うん。お大事に」と
股関節症のアドバイスを訂正されないまま診察を終えられた。

そのときに次の予約も入れられたけど、それはこちらからキャンセルしました。
カルテもちゃんと見ずに思い込みで別の病気と間違えたまま診察し的外れなアドバイスをし、
自分の間違いを指摘されても、誤魔化したまま訂正せずに診察を終える医者は絶対ダメでしょう。
しかも自分が間違えてるのに不機嫌に怒るし。威張った人間嫌い。。。

そして別の病院に行ったら、なんと別の診断をされました。
カルシウム関係ないです、と言われ、仙腸関節障害のチラシをもらった。
ググってみて、あんまりピンとこないけど言われた通りのリハビリやってたら少しずつ痛みがマシに。
その後一月弱で、普通に歩くだけならあまり痛まないところまで治りました。

筋肉は大事なので負担にならない強度の運動は続けて、リハビリのストレッチもやって、
完治にはまだもうしばらくかかるかな。でもちゃんと治ると言われたのでがんばります。

年をとると、生きて生活してるだけで体のメンテナンスに時間もお金も取られるねぇ。
とはいえ、じっとしてると痛くないし本も映画も見られるし
美味しいものも食べられるし普通に生活できる程度なので
それはありがたいです。
できるだけ痛みのない生活をしたいし、痛くないと言うことには常に感謝したい。

映画:ウーマントーキング

2023-07-19 | 映画


ベタすぎる映画「テノール人生なんとかかんとか」の後に続けてみた、これはどっしりした会話劇。
内容も映画としての次元もあまりに違いすぎて、同じ「映画」という括りにしていいのかとまどう。笑
(でもどっちも別の次元で褒める。笑)

2010 年、自給自足で生活するキリスト教一派の村で起きた連続レイプ事件。
これまで女性たちはそれを「悪魔の仕業」「作り話」であると、男性たちによって否定されていたが、
ある日それが実際に犯罪だったことが明らかになる。
タイムリミットは男性たちが街へと出かけている2日間。
緊迫感のなか、尊厳を奪われた彼女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う―。(公式サイトより)


外部との接触のない閉鎖的なコミュニティで暗黙の了解のように続けられ、
なかったことにされてきた、男性から女性への薬を使った有無を言わせぬ性暴力。
女性は一切教育を受けられず覚えのない妊娠する者も自殺者や心を病む者もいる一方、
男たちは子供の頃からそのように教育され、支配者と奴隷のような関係が続いていた様子は、
これは中世ですか?それとも19世紀くらいの僻地?と思うけどなんと設定は2010年!
事実(2000年代のボリビア)を基にした小説の映画化ということで驚いたけど、
確かに世界には今も女性の教育を禁止したりまだ子供なのにお金のために結婚せられたり、
あらゆる自由を奪われていたりする国や地域はまだたくさんあることを思い出した。あぁ。。

とはいえ、映画の中では政府からの国勢調査の車が来たりもして、
この隔離された村から数時間程度のところでは普通の現代文明生活を送っている人々がいるわけで、
国として女性差別や女性虐待をしているわけではなく、この村の中だけでのおぞましい習慣のようでした。
そんなん現代社会がそばにあるならネットで晒して炎上させてどんどんメディア入れて社会問題にして
弁護士雇ってカンパ集めて法的に裁いたらいいのに!などと思いそうになるけど、
あまりに隔離された環境で、文字も読めない、世界の情報も来ないとなると、それは遥かに遠いのね。
でもとうとうレイプが作り話や悪魔のせいではないとわかり、男たちが街に出ている間に
女たちが集まってこれからどうするかを話し合う一日の話なんだけど、
まずとにかく脚本がすごいな。原作が良いということなのかな?

そんな男たちみんなぶっ○しちゃえばいい!ということにはならず、そこは信仰深い人たちで、
赦しとは、愛とは、と話し合いは溢れる感情の上からうんと深いところまで揺れ動きます。
性暴力の描写が多かったらつらくて見ていられないかもと不安だったけど、
直接的なそういうシーンはなく、基本的に女たちの話し合いのシーンだけでできている映画だけど、
でもその話し合いの中だけで、どれだけ酷い目に遭ってきたかはすごくよくわかります。
そして彼女らの選択は・・・

彼女らの選択は彼女らにとって一大事ですが、映画としては選択自体以上に
話し合いの過程が重要になっています。
そこで描かれる一人ひとりの女性を知ることで彼女らのつらい過去も間接的に描かれ、
そこからの話し合いで彼女らの思想がわかる。
だから最後に彼女らが何を選んでも、この映画は成立するし、
その良さも損なわれないのだろうと思う。

また映画の中では「赦し」についてもずいぶん話し合われてて、
教育がなくても信仰があると人はこのように寛容で聡明になれるのか、すごいものだなぁとも思いました。
でも、自分勝手な暴力を、自分一人苦しみながら許すことが正しいとはやっぱり思えない。
なんでも赦すのが正しいなら、許せないということも赦されるべきよねぇ。
相手が悔い改め、後悔し、罪を償おうというのなら許してあげなさい、っていうことならわかる。
信仰を利用した差別や暴力、それに対して赦しを強要されることは女性にはとても多かったと思うし、
反省もなくさ隙あればつけ込む相手を、許せなくてもいいんだよと、わたしは思うけどね。

映像的には。自然の中で暮らすコミューンの人々のストイックな暮らしぶりがとても美しく見えます。
色味を抑え彩度を低くしやや青みがかった画面に、自然も家も、
クラシックで質素で清潔な(おそらく手縫いの)服を着て髪をまとめ化粧っ気のない姿の女性たちもみな美しい。
静かに自然の音や人の気持ちの揺れにまで耳を澄ませるような映画で、
(それはエンドロールの時にまた感じられたけど、後述)全体に美しい映画だと思います。

俳優も素晴らしい。
異常な存在感を放つフランシス・マクドーマンドは出番は少ないけど割と重要な役。
彼女は今回、この映画には製作でかかわっているので、役者としては遠慮したのかな。
ただ、女性たちが皆、黒髪をまとめてひっつめてスカーフを被ってお化粧もなしでいると
時々見分けがつかなくて苦労しました。
人を見るときって結構お化粧や服や髪型で見分けてたんだなぁと気づいたわ。笑
文字の書けない女たちに変わって書記をする役のベン・ウィショーがまたすごいハマり役。
こんな善人で優しくて聡明なのに便りなくて大丈夫なのかと思う役がぴったりですね。
この映画の中のルーニー・マーラとベン・ウィショーは「ストーリー・オブ・マイライフ(若草物語)」の中の
シアーシャ・ローナンとシャラメくんのカップルと感じが似ていて、
なんかもう優しくてかわいくて大事で、幸せを祈りたくなる二人。

監督がこの映画をドラマチックな人間ドラマとしてではなく叙事詩的に描きたいと言ってたことを
マクドーマンドがインタビューで語っています。
叙事詩的な映画の方がわたしも好みなので、監督がそのように撮ってくれて良かったと思う。
>サラのこの作品に対するビジョンに一番驚きました。私は至近距離から撮ったような素朴な作品を想像していたのですが、サラは最初から『これは叙事詩的な大作に仕上げたい。そろそろ女性の物語をスケール感たっぷりに描いても良いはず。撮影も華麗に壮大にシネマティックに撮るべき』と語っていました。壮大にシネマティックに「壮大さ」を要するストーリーに。

映画が終わりエンドロールが流れ出した途端に横の女性がスマホを取り出して見出したので
少し躊躇したけど「やめて」と囁いてやめてもらった。
すぐに「すみません」としまってくれてほっとしたけど(逆ギレされるのこわいし…)
実際このエンドロールの後半、大変印象的で示唆的なある小さな音が流れて、
それが素晴らしく効果的だったので、我慢しないでちゃんと言ってやめてもらってよかった。
外国では日本のようにエンドロールで静かに座ってたりしない、とかも聞くけど、
余韻に浸りたい人もいるし、エンドロールに効果的な演出を仕込んでる映画もあるから、
すぐスマホ開けたり喋ったり騒いだりするのはやめてほしい派です。

黒字にクリーム色の文字が流れるだけのエンドロールですが、曲が終わりしばらく無音の静寂のあとに
草や風、虫の音から雨音、やがて雨が止み、夜明けの鳥の声、そして女たちの歌声
(何の歌かは知らないけど宗教的なものかな??)の順番で音だけがしんとした映画館に流れます。
これね、映像がないだけに、音に集中するので、何も見えないのに
映画の中で見た草原や木々、暗い空から降り出す雨、明るい日の差し始める朝、など目に見えるように、
そして移り変わる時間まで感じられてすごい印象的な数分だった。
その後の女たちの歌声(映画の中にもあった讃美歌かな?)を聴きながら
彼女らがその繊細さと聡明さ、強さと優しさと信仰で強く生きていくことを信じようと思った。

野点:野点セットを組む楽しさ

2023-07-18 | 小さいもの
野点用のお茶のお道具が小さいので、小さい籠や箱に入れて持ち歩くのですが
これも小さくまとまった感じがお弁当のようでかわいいのです。
わたしがお弁当を好きなのも、ちまちまと小さいものがそれぞれ
あるべき場所にぴったりはまってる感じがものすごく好きだからなのですね。

前から持ってた、煎茶の旅持ち茶器セット(小さい急須と湯呑みが二つ、お茶缶が入ってた)に
入れてみたり、お弁当用の箱に入れてみたり。
縫い物が得意なら作りたいけど、猫が邪魔するし無理かな。
これは自転車で出かけた公園。




奈良のホテルに持ってった野点セット。中島完さんのお茶碗よりは少し大きいけど
それでも普通のお茶碗よりずいぶん小さいのです。茶杓もたためる。

自転車でもなんでもたためてコンパクトになるものが好きみたいです。
お家もたたんで運べればいいのに、と思うのでキャンピングカーは憧れ。

これは金沢で買ったお茶碗。半田濃史さんという作家さん。

すごく気に入ってたのに一度割ってしまって買い直したものがこちら。
この話は前に書きました。→金沢で買った器


これはお湯をわかすところから山でやる練習にキャンプ用の簡易コンロと固形燃料を使って
会社の昼休みに試した時の写真。
写真ではわかりにくいけど、本当におままごとのように小さくてかわいい。






そしてこれは自分の道具ではなく、京都のDEAN &DELUCAでのお茶のイベントでのセット。
マグカップで気楽に立てていいんですよと、京都の一保堂茶舗の方がおっしゃってた。

野点:小さいお道具

2023-07-17 | 小さいもの
20代の頃にほんの数ヶ月近所のお茶の教室に通ったことがありました。
2、3ヶ月でやめることになったので何も覚えていませんが思いの外楽しかった。
いつかまたお茶を習いに行きたいなという気持ちを持ちつつ
機会もないままに何十年も経ってしまって
野点という言葉を聞いたのは何年前だったかな。

コロナ禍が始まったころ、近くの山などに登るようになったり
折り畳み自転車を買って遠出したりするようになって、
その野点も楽しむようになりました。

野点用のお茶のお道具はひと回り、ふた回り小さくてとてもかわいくて、
ついついいろいろほしくなりますが、最初はそういう小さい茶道具を造られてる
中島完さんの京都の個展でいくつか買いました。
お茶碗だけでなく、茶杓も茶線も何もかも小さいのです。かわいくて全部欲しくなる。








その後あちこちで手頃なものを見つけては買ってみて、山や川や公園で野点を楽しんでいます。
自転車で遠出するときは、途中で和菓子屋さんを見つけてお菓子を買うのが楽しみ。









6月のつぶやき:後半

2023-07-16 | つぶやき
自己肯定感は一朝一夕では無理だけど、よくわからんと思いながら、
繰り返し繰り返し大事にされると少しずつ積もっていくかねぇ。


そういえば今日住民税を払ったけど、去年より少し減ってて、嬉しいような悲しいような…
住民税も少し減ってたけど、国民健康保険もだいぶ減ってた。去年の収入・・・


今日30℃か!
バーベキューなんですけど、暑いかな…
絶対汚すのでエプロン持って行く。


なんかもう坂口恭平だけ見てたら何とかやっていける気がしてきた…

お金の問題は別なので、どっちを見てもどんどんなくなっていくモノはなくなっていくけぉねぇ。
わたしが使ったものでないのに、わたしが払う羽目になってるものだけど…
なんでわたしが払うのかと言えば、それは最終的には自分の尊厳のためかなと思う。
自分で自分を嫌わずに済むよう「できること」はやる。理解されなくて感謝もされなくて、
むしろ理不尽に憎まれ恨まれても。


眠れなくて3時間落語を聴き続けて白酒さんの「青菜」を聞いてげたげた笑ってますます目が覚める。
新聞屋さん来たし。
猫も起こしに来たし。


明け方に夢を見た。まだ子供の息子とアジアのどこかに旅行中。部屋は違うけど元夫もいる。
ホテルで自室にたどり着けなかったり、すごい水漏れがあって崩れたり誤記が
(嫌いすぎてカタカナで書けない)でたりして、ずっと不安な夢。

息子が夢に出るときは大体小学生くらいのことが多い。
ぼんやりした夢だと、懐かしくて嬉しいんだけど、不安な夢はしんどいな。

わたしは猫はとことん甘やかしてるけど、息子は甘やかさなかった。支配的で厳しい母親だった。小
さい頃に自尊心が育たないくらい厳しくしたと思う。
自分が未熟で親からの支配の連鎖から抜けられてなかったのよね。
せめてその頃の息子を夢の中くらいは存分に甘やかして可愛がってあげたい。意味ないけど


午前中に近所に出掛けて、このまま出かけたかったけど関節炎があかんので家でじっとしてる。
じっとしてると痛まないので、座って作業したり本読んだりはできて、それはありがたい。


紫陽花。マクロで撮るときれいで簡単だけど、そうじゃなく引きできれいに撮りたいのに、
小さい花がもこもこ集まってるからコントラストの具合が難しいなぁ。


負の感情に今は飲み込まれてないけど、それがほんの目の前にあるのでリラックスはできてない。


ポールスミスには、ドキュメンタリー映画とポールスミス展を見て以来好感を持ってる。
ファッションはわからないけど、自転車でロンドンの街を走り早朝通勤する様子がよかった。
軽やかに自転車に乗るおしゃれな男性にとても弱いかもしれない。
NYのファッションフォトグラファーだったビル・カニンガムもそれだ。めっちゃ好き。
好きすぎてドキュメンタリーの予告見るだけで涙が出そう。

元気が出た。今日も頑張って働いて、ジムも行くぞ。



〜の里歴史資料館、という文字を自分で書いてるのに毎回「黒歴史」と読んでしまう。。。


鍋で炊いてると、玄米は水加減も炊飯時間も白米とは違うので、
炊き込みご飯をするのはちょっと慣れない。白米切れてるけど買っておこう。(炊き込みご飯好き)

とうもろこしを見かけるようになったので、とうもろこしご飯を炊きたいのだ。


昨日首元の汗疹が痒かったの、抗ヒスタミン系のクリームも効かなかったけど、
ステロイド系のクリーム塗ったらすぐに治った。助かる。

牛蒡の炊き込みご飯をしたいけど薄揚げが切れてる。
定番のささがきではなくごろごろとした牛蒡で炊こうかな。
ごぼうとにんじんで、肉なしのシンプルな炊き込みご飯にした。
やっぱりご飯炊くの好きだなぁ。趣味は炊飯と言える。


飲み掛けのまま消費期限が1週間前に切れてる牛乳を飲んだら胃もたれ。
牛乳のせいじゃないと思うけど(味はだいじょうぶっぽかった?)


>現代日本人の嗜好の中心にある「最適解」には、うま味、甘み、ジューシーさといった
>いくつかの特徴があり、揚げ物のクリスピーさもその中のひとつであることは間違いないでしょう。

・・・わたしもカツ丼が同じ理由であまり好きではなくカツカレーが好きなのは
せっかくのサクサクをサクサクのまま食べたいからだけど、天ぷら食べる時に天つゆは使うので、
つまり皿うどん理論でサクッとベシャッが共存してる瞬間を口に入れたいのだな。


扇風機があると風呂上がりの汗の引き方がずっと早いし快適。
ここ数年夏は24時間エアコンつけっぱなし生活で扇風機出してなかったんだけど、
エアコンがほどよくついてても風呂上がりの汗はなかなか引かなかったのよね。
夏は扇風機もちゃんと出そう。


お布団に入ってうとうとしかけたら、猫がカポカポ吐く音が…
食べたばかりのカリカリをたくさん吐いてて(7:2:1で3箇所に!)後片付けが大変で目が覚めてしまった。
フローリングはいいけど敷物の上に吐かないで…


今スコットランドにいる知り合いのバーテンダーさんが「私たちは何を飲んでいるのか、
ウィスキーという悠久の時を飲んでいる」と書いてて、朝からウィスキーが飲みたくなる。
今日は午後からワインの日なので飲まないけど。


先が見えないことってしんどいなぁ。


次の週末は浴衣が着れるな。


またアトピー症状出て、両目尻赤く、まぶたがぶよーんと腫れて重くなってる…
保冷剤で冷やしてたら、保冷剤がお魚臭くて、顔もお魚臭くなって悲しい。


とろとろの牛ステーキを食べたけど、うまく焼いた牛ステーキは本当に美味しいなぁ。


お弁当を混ぜご飯にしようと昨夜軽く炊いておいた牛蒡と椎茸と人参。やっぱり三食丼にした。
昨夜の焼き万願寺と、炒り卵と。三食丼はいろんな組み合わせができるけど、好きです。
スプーンで食べる。お昼楽しみ。


テレビがないので病院の待合室で初めて動くプリゴジン氏を見たけど、なんとも映画的…


茄子と椎茸を炊くイナダシュンスケさんのレシピをストウブで無水調理してみたけどいい感じだった。
ストウブ面白いな。


調子に乗ると痛い目に遭うのも知ってるので、ぬか喜びが怖くてつい冷静にしていようと思うけど、
常に気持ちを抑制してても人生つまんないので、嬉しいことは嬉しく味わいたい。


最近、自分の特性が思ってたより強いものだったことを再確認して、そういう目で振り返ると、
学生時代のコミュ障具合や失語症や鬱やあれこれ、そりゃそうだな…と激しく納得する。
倫理的な正しさには無頓着だけど、論理整合性へのこだわりと、
それを全て言葉で説明したいこだわりがひどすぎた。

そこで黙ってれば終わったはずのことを、小さいことまでいちいち説明することで
相手を苛立たせたり怒らせたり、ばっかりだったかもなぁ。
Twitterを始めて最初の数年のツイ廃時代は、思う存分説明しても怒られない気持ちよさがあった。

還暦前になっても、自分のことも人のことも、改めてやっとわかったことばっかりで驚くわ。
もう脳みそのキャパが足りないので自分の問題との折り合いだけは対処していくけど、
あとは呑気で優しい人たちの中で生きていくしかない。

自分は優しいのではなく、自尊感情の低さもあって異常に我慢強いだけなんだけど、
それは長所ではなく、もっと自分を大事にするべきと言われてきたし確かにそれに注力するべきとも思った。
でもどんな目にあっても結局そこはそのままで、
優しさと間違われる我慢強さで自分を削りながら生きるしかない。
削れても削れても、残るものを守ればいいや。


30年くらい音信不通だった人から、なんとブログにコメント入った。
どうやってわたしの個人ブログに辿り着いたんだろう?しかし懐かしいなぁ。

わたしはあの頃よりはずっとしあわせと思う。
20代と40代のどん底の頃よりは大体いつもしあわせだ。
そしてもうほとんど別人になってると思う。


編み物も瞑想だけど、料理もわたしには精神安定剤だなぁ。特に煮込み料理とケーキ。
部屋中いい匂いになって、あとは待つだけの時間がしあわせ。


ジュリアンサンズ、亡くなったのか。65歳はまだ若いなぁ。
わたしの印象に残ってるのは、「眺めのいい部屋」より「ボクシングヘレナ」
「ミリオンダラーホテル」そして「異端の鳥」かな。
「ボクシングヘレナ」は変な映画だった…


猫に夏用の敷布を買っていつもの寝床に置いたのに、もちろん猫は見向きもせず、
そばに片付けておいた冬用の暑い毛布の上に寝ている・・・猫だからねぇ・・・


4時半に目がさめたので、今眠い・・

仕方なく起きて、5時過ぎからピラフを炊いてた。