sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

アンデルセンと差別?

2011-11-16 | Weblog
アンデルセンが好きという話は前にも書いたけど
ある人にアンデルセンのおすすめは、と聞かれて困った。
複数の登場人物がいて賑やかな感じのもので、と。

アンデルセンで知っている話といっても
文庫で出てる童話集と「絵のない絵本」しか持ってないし
誰でも知ってる話しか知らない。

一番好きな話は、子どもの頃から「人魚姫」。
全然賑やかじゃない、悲しいお話ですね。
「マッチ売りの少女」も悲しいし、
「ナイチンゲール」も、「雪の女王」も
ハッピーエンドでも、どこか悲しい。
アンデルセンは悲しい話が多いです。

悲しい話が好きなのは、教訓じみてないからだと思う。
どんなに愛しても伝わらなくて、愛し返してもらえず、
王子を殺すよりは自分が海の泡になることを選んだ人魚姫の話には、
勧善懲悪も因果応報もありません。
自分だけ幸せになった王子にも罰はあたりません。
原作を読むと、海の泡になって昇天する人魚姫の最後の描写は
きらきらとした大層美しい文章で
天国での救いと祝福が表現されているのです。
まあ、子ども(特に宗教を持たない日本の子どもには特に)には
この部分は理解しにくいためか
単純な悲恋のお話に思われてることが多いけど、本当は
ただ与えるという、純粋な愛のお話なのです。
でも、やっぱり現世のわたしには、愛されないことは悲しくて
切ないお話であることには変わりないけど。

アンデルセンの童話への批判も読んだことがある。
(本田勝一が有名らしい)
「醜いアヒルの子」や「カエルの王様」の話のように、
醜い貧しいものが、美しくあるいは裕福になってめでたしめでたし、のような
美しいものを単純に良しとする
ステレオタイプの差別が見られる、と。

・・・それ、時代的な面もあるでしょうが、他の童話だって、
アンデルセン以上にそういう話が多かったと思うのでそこは責められない。
それプラス教訓、心の美しいものが得をする、というような話が。
でも、この、深くて美しい「人魚姫」を書いた作家は、
単純な差別感覚でお話を書いたりしていないと思う。
彼が書いたのは教訓ではなく物語なのです。
物語では、アヒルはアヒル、白鳥は白鳥、というだけで、
現代のわたしたちはそこに差別意識を見つけられるかもしれないけど、
例えば、誰よりも美しい姿と心を持った人魚姫の恋はかなわず、
海の泡になってしまうという話をこんなに美しく書いた人ですよ。
アンデルセンの物語に、無理に教訓を重ねて差別意識を見ようとする
批判者には、わたしはなれない。

まあ、そんなことはどうでもいいか。
美しいお話を、ただ楽しめばいいのです。

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