sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

調和

2018-09-30 | Weblog
自分は地味な性格と思うけど、実は地味好きというわけではなく、
なんというか、調和のとれた状態が好きなんだろうな。
時々、飲みすぎるのもハメを外すのも、全体で見て調和が取れてたら、
日常に組み込んで楽しくやれる。
澄んで静かな心の人になりたいけど、
そういう人を見ていると、自分とは根本的に違うので、難しいことであるよ。
でも多分今の幸せな生活が何年か続いたら、少しは近づけるかもしれない。
幸せに過ごすのは、人間をよくすると思う。(つまり、美味しいものは正義)

では調和とは?
言葉で言うとなんかめちゃ安っぽい言い方になってしまうけど、
自分で選んだ人生を自分らしく落ち着いてすごしていること、かなー。
時々コントロール外れてバカをするのもちょっと含めて。

写真は台風前にベランダのプランターを避難させたところ。
台風前の変な空からの光がいい感じだなぁ。

方向音痴ゆえ

2018-09-28 | Weblog
女性は機械が苦手とよく言われるけど、
女だからではなく、わたしがおバカだから、ITや機械に弱いです。
いや、何に対してもおバカなわけではありません。
人並みや人並み以上にできることも、あります。
でも機械やITのことは、人と同じくらいもできません。
理解の手前でもやもやと、いろんなことがぼやけてしまう。

そういうのすべて、自分では結局方向音痴と結びついてると思うのです。
方向に関係ないことは、わりと人並みにできる。
でも、右と左や、奥行きや、なんしか3次元の認識能力が非常〜に低い。
小説読んでても道の描写や家の中の描写とか、
どんなに一生懸命考えながら何度も読んでも、
いつも迷子になってついていけず、掴めない。

機械音痴なのは、機械の中は小さなこまかい町のようで、
そこでもやたすく迷子になるからです。
とにかく、迷子になることになってる。

学校の科目では地理が一番苦手だったし、
数学は得意だったけど幾何は難しかった。
人の顔があんまり覚えられないのも、方向音痴すぎて
図形の認識能力がないからと思う。
ダンスが下手なのも、何度踊っても右と左がわからなくて覚えられず
臨機応変ということができないし、急に言われるとよく知ってるステップでさえ
右足だっけ左足だっけ?と自信がない上に、いまだしてる足がどっちの足かも
立ち止まって考えないとわからない。

方向音痴が、あらゆることに影響を与えていると思うのです。
慣れてるけど、結構大変。

お金のかからない人

2018-09-27 | Weblog
基本的にあまりお金のかからない人なので、
今は自分なりの贅沢をして楽しく暮らしているけど(大きな西瓜を丸ごと買うとか!)
もっと切り詰めても楽しく暮らす習性は身についていて、それはよかったなーと思う。
美味しいものは作れるし、もっと美味しいものもたまに外で食べられるとうれしい。
図書館はすぐ横だし、本屋も近いし、駅もすぐ前だし、スーパーも安いし、
コーヒー豆屋も豆腐屋もあるし、息子の新卒初任給より安いお給料でも、まあ困らない。
十分楽しく暮らしています。今の仕事がなくなると、少し困るけどな。

もしもお金がたくさん入っても、図書館で借りる本を本屋で買うようになって、
お昼のお弁当がたまに外食になって、好きなポットやお皿をたまに新調するくらいで、
他に何をしたらいいのかあまりわかんないしなぁ。。。
お金持ちになったら、豪華なお店での食事は増えるかも。
あと、家で飲むときのお酒のグラスがいいものになるかなー。
ワインも少しグレードアップするかな。
靴はオーダーメイドで足の痛くならないものを作れるかな。
・・・と考え始めると、やっぱりお金は素敵か。笑

とはいえ・・・
写真は大学生の甥の買ってきてくれたお土産と
小学生のかわいいかわいい甥が入れてくれたコーヒー。
これ以上の贅沢はないよね。おいしいよ。

頑張ってきた人たち

2018-09-26 | Weblog
東京医大の件。女性受験者に厳しく公平でなかった入試のニュースを見て
男性の3倍できないと生き残れなかった時代の女性が、今の人たちに、
そんな差別当然、それも乗り越えないと、みたいなことを言ったり思ったりするの、
ロクでもないといえばロクでもないんですけど、
そういうこと言う人たちにも、ほんとによく頑張ったねぇ、つらかっただろうねぇ、
すごいねぇ、と、言ってあげたい気もするのよ。わたしは。
3倍頑張って勝ち抜いた人には、なんて立派で偉かったかと、
3倍頑張れなくて挫折した人には、つらかったねぇ、悔しいねぇ、と、
そう言って、どれだけ頑張ったかよく考えてわかってあげてから、
でも、もうこれからの人たちがそんな不当な苦労をしないでよくなるように
味方になろうよ、無駄な苦労しないでいいように助けてあげようよと言えば、
すんなりわかってもらえる人もいるんじゃないかな・・・
と思うのはナイーブなことなのでしょうか。

ああ、あとこれは、杉田水脈みたいな根っからの差別主義者には、絶対効かないので、
それはまた別の話ですね。
こういう、自分の苦しさではなく単に狭量で醜悪な差別心から差別する人には
何言っても無駄だし、通じないし理解し合えないと思う。

でも、自分が頑張ってきたことのつらさを、自分で乗り越えられないだけの人には
誰かがそう言って、大変だったねぇとわかってあげれば、
優しくなれる人もいるかもしれないと、やっぱり思う。甘いかな。

わたし自身、人に対して意地悪な気持ちになったときに誰かがやさしくしてくれたら
それ以上意地悪にならず、自己責任論を振り回さず、
少しやさしい人になれる気がするのです。甘いかな。


子猫が来るのです

2018-09-25 | うさぎとねこ
ここ10年の大事件といえば、息子の大学進学に伴う独り暮らし、
カフェ開業と閉店。
事務職に就職。
家の大リフォーム。
10年以上生きたうさぎのはてなの死。などですが(順不同)
ここにもう一つ加わりました。
猫を飼うことになりました。

うさぎが死んで2年、猫を飼いたいなあと思いつつ、
でもペットショップの生体販売には賛同できないので、
保護猫サイトや拾い猫情報を、ここ半年くらいなんとなく見ていたのですが、
宝塚の友達が5匹の拾い猫もらってくれる人募集をシェアしてて、
宝塚なら近い!と連絡したら、保護主さんは宝塚ではなくわたしの住んでいる市!

こういうのもご縁かな〜と、保護主さんに連絡をしてもらって、
1週間後くらいになんとか面会の予定を合わせました。
最近少し、猫アレルギー疑惑があったので、アレルギー検査もすぐ予約。
アレルギー検査は無事で猫は全然大丈夫!
でも子猫を実際に会うまでは、飼うかどうかもまだ迷いがある状態でした。
子供の頃からの夢だった気ままな独り暮らしが終わってしまっていいのか?
超自分勝手でマイペースなわたしが、猫中心の生活をできるのか?
もう長期の旅行も留学(最後の夢)もできなくなるけどいいのか?

もらいたがってる人は多いということで、見るだけで断るかも、
というくらいの軽めの気持ちで、見に行ったのですが、いやはや、
かわいい・・・まだ小さくて頼りなくて、全くなんの罪もない生き物。
完全に無垢な、こんなに頼りないふわふわしたものを手に抱いた瞬間
(腕ではなく手で抱けるくらいの小ささ)
「うち来る?うちの子になる?」と子猫に聞いていました。



5匹のうちもう2匹が決まってて、そのうち2匹は白地に茶トラ模様。
1匹がいわゆる三毛猫で、うさぎのはてなみたいなブチ模様の女の子が
いたらいいなぁと思ってたので、まずその子を見せてもらって、決めちゃった。
白の多い、優しい優しい色の茶トラの女の子も、すっごくかわいくて
少しだけ迷って、いっそ2匹!とも思ったんだけど、
他にも欲しがってる方がたくさんいるということで、三毛の子だけをもらうことに。
なんか、ぼーっとして、実はあんまり子猫の顔とか体つきとか見てなかった。
緊張と興奮で、少しパニック状態だったのかもしれない。
でもスマホで写真は何枚か撮ったので、家に帰ってからなんども見ました。
かわいい。どんな感じに大人猫になるのかなぁ。

とーっても猫好きのご家族に保護されれて、大事にされてて、
まだひと月半くらいの小ささなので、引渡しは来月、
わたしの旅行が済んでからになりました。
その頃で2ヶ月半くらいかな。まだまだ小さいけど、
写真より一回り大きくなって、ほわほわの毛が、ふわふわに変わってきてるかな。
飼育本(すでに2冊買った)読んで、トイレやいろいろ準備して、
あと3週間待ちます!名前考えなきゃ。

かたばみ

2018-09-24 | 小さいもの
最近は大きくて派手なオオキバナカタバミやハナカタバミをよく見かけるけど、
お花が1センチもない小さい小さいカタバミが一番好きです。
小さい花には小さい蝶が蜜を吸いに来る。
あっちの花、こっちの花と存分に味わってらっしゃった
清少納言も言うてたと思うけど、小さいものはみなみなかわいいなー。

プッシー・ライオットのこと

2018-09-23 | Weblog
サッカーの国際試合の決勝戦だかのフィールドに飛び込んで
パフォーマンスをした人たちがいました。
それはロシアの強権独裁的体制下での、不当逮捕や弾圧に対するデモ行動でした。

試合の最中にそういうことをされると、集中力が切れて
場合によっては取り返しのつかないことになる、
タイミングが悪すぎる、やり方が間違ってる、など、
特にスポーツファンからの非難の声も多い中、
わたしは、彼女らのやり方を全面的に支持するわけではないけど、
少なくとも彼女らの側の人間でいたいと思ったし、自分の態度をそう決めました。

どんなに正しくても、目的のために罪のない個人を傷つけていいのか、
それはテロを容認することじゃないのか?と問われると、難しいです・・・。
あらゆるテロに、わたしは反対するし、過激なデモ行動を支持したくはない。
でも時と場合によって、人を殺したり怪我させたり傷つけたりしない範囲では
許すべきじゃないかと思う行動はあると思うし、今回はそれだと思うのです。
弾圧されている少数者の、権利獲得のための戦いが、常に、
体制や多数派や、他の誰にも迷惑かけないように配慮しなきゃいけなかったら、
女性参政権も黒人の権利も何十年遅れたか、
世の中はいまだ、どんなふうであったか、と思うから。

人生をかけて戦っているアスリートの方には気の毒ではあったけど、
あれが、例えば開催国が北朝鮮で、理不尽な独裁体制に抵抗するデモ行動だったら、
そういうこともあるだろうと納得できる日本の人はもっといるかもしれない。
でもロシアをなんとなく先進国仲間のように思ってると、違う感じ方になっちゃう、
ってとこがあるんじゃないかな?
ロシアの人権侵害を甘く見ている人は、日本には案外多いんじゃないかなと。

いずれにしろ、選手たちは気の毒だし、
スポーツを政治利用するなという人も多いだろうけど、
スポーツやその選手を政治の駒のように扱っているのは、
むしろ体制側の方だと思うけどなぁ。

・・・と2ヶ月前に書きかけのままだったんだけど、
このプッシー・ライオットのメンバーの一人がモスクワで重篤状態に陥ったものの
少ししてから意識回復し、ベルリンで治療することになったと知りました。
毒を盛られた可能性が高いという話で、事実はわからないので、
安易な陰謀論を盲信しないようにしたいけど、そういう話が出る時点で
体制への抵抗は危険な行為なのだなと、やっぱり思った。

以下はプッシー・ライオットの、サッカー場乱入デモ行動の時の犯行声明文。
プッシー・ライオットがFIFAワールドカップ決勝に登場!「警察官、試合に出場する」
今日はロシアの偉大なる詩人、ドミトリー・プリゴフの11年目の命日にあたる。プリゴフは現代のロシア社会における警察官の姿を、理想国家のメッセンジャーとして描いた。
プリゴフによれば、理想的な警察官は神と以心伝心である一方、世俗的な警察官はデモ行進を解散させようと待ち構える。理想的な警察官は野の花にやさしく触れ、ロシアのサッカーチームが勝利を収めるのを温かく見守るが、世俗的な警察官はオレグ・センツォフのハンガーストライキに無関心だ。理想的な警察官は国民のよき手本であるが、世俗的な警察官は人々を傷つける。
理想的な警察官は赤子の眠りを守ろうとするが、世俗的な警察官は政治活動家らを起訴し、「リポスト」または「いいね」の罪で彼らを拘束する。
理想的な警察官はワールドカップという素晴らしき祭典を実行するが、世俗的な警察官はお祭り騒ぎを恐れる。理想的な警察官はつねに試合のルールに従おうと努めるが、世俗的な警察官はルールのことなどお構いなしに、試合に割り込んでくる。
FIFAワールドカップは、私たちに、偉大なロシアにおいて理想的な警察官が存在しうることを示唆した。だが同時に、世俗的な警察官はルール無用の試合に乱入し、私たちの世界を分断する。

世俗的な警察官が試合に割り込むとき、我々は以下の事柄を要求する:
1. 全ての政治犯を解放すること
2. 「いいね」の罪で拘束しないこと
3. デモ行進中に不法に逮捕しないこと
4. 国内での自由な政治競争を容認すること
5. 罪状をでっちあげ、理由なく収監しないこと
6. 世俗的な警察官を、理想的な警察官に変えること

(Translated by Akiko Kato)

手ぶらが好き

2018-09-22 | Weblog
喉が弱いので水は大体持ってるけど、小さい水筒を持ってることが多い。
夏のペットボトルは水滴がつくのでいやだけど、たくさん飲むので仕方ない。
冬は少量あればいいし(コンサートや映画で咳が出た時用にも)
春や秋も水筒持って出かけることは多い。
そして、小さい鞄が好きだけど小さすぎると水筒とカメラが入らないので
これくらいの大きさがちょうどいいです。

でも、夕方以降に飲みにいくときはポケットのある服に財布とスマホを入れて、
大体手ぶら。
手ぶらで出かけると、すごく自由で強い人のような気分になるのが、好き。

「日本すごい韓国すごい」

2018-09-21 | Weblog
たとえば日本嫌いの人というのはそれなりに理解できても、
同時に韓国は尊敬するとか雑に言われるとわからない。
だってどっちも同じくらいひどいところがいくらでもある。
つまらないゴリゴリ儒教の、男尊女卑と年功序列で、
しきたりやらメンツやら伝統やら、日本以上に鬱陶しい国だと思ってきた。
子供の頃からわたしの知っている韓国はそういう国だったから。
女性で、古い家に生まれて、ひどい抑圧にあってきたから、
韓国は日本と違って素晴らしいなんて、どう考えても言えないし納得できない。
まあ、そういうこと言うのは男なのね。
男はそういうひどい目にあってないから、無自覚で気楽でいいよね・・・
意地悪な言い方だというのはわかってる。男って雑にひとくくりにする間違いも。

映画「デトロイト」を見ていたのですが、こういう映画を見ると、思うのです。
映画の中で、白人に虐げられてきた黒人たちが暴動を起こすのですが、
虐げられたものが耐えきれなくなった最後の手段という側面はあっても、
略奪も暴力も結局ほとんど男たちの欲求不満解消と言う側面が大きすぎるように見える。
直接関係ない者までも調子に乗って暴力を繰り広げるけど、それは男たちなんですよね。
男以上に虐げられても女たちはそこまでバカな暴力を繰り広げてはこなかった。
・・・ほんと、男は気楽でいいな。

今の韓国をよく知らないし、大都会では変わったのかもしれないけど
今もしょっちゅう会う韓国の親戚を見ると、昔から大して変わってないとこは多い。
あの根強い、日本よりよっぽどひどかった女性差別が
この30年で何もなかったみたいに変わるはずないと思う。
変わったとしたら都市部の人の世界だけでのことじゃないかなと思う。
日本だって20年も前から東京発のトレンディドラマでは女性差別なんかあまりなくて、
人々は意識高く、男女対等に恋愛してたけど、実際は今もこんなものだもの。
韓国でどんなにフェミニズムが進んだ、韓国は素晴らしいと聞いても、
わたしにはまだまだ、全然信じられないわ。
民主化へ向けての学生や市民の戦いや、人々の意識の高さは、
最近感心することも多いけど、
日本の政治に批判的な人たちが、韓国を褒めて批判しようとしないのは
別にもう勝手ににしたらいいと思う。
でも、手放しで賞賛したりするのは、はっきり言って気持ち悪い。
気楽な男の目には、ずっと虐げられてる人たちのことは見えてないだけなのかな。

映画:ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命

2018-09-20 | 映画


お金ばかりが気になる、安直な感じに意識の高いモダニズム開発業者に、
抵抗した人、ジェイン・ジェイコブスのドキュメンタリー映画。

自分がなんとなく高層マンションがいやな理由がすごくわかった気がする。
あと、街についてもっと考えたい。
生きている街と死んだ街。
多様性というのがここでも大事なキーの一つでした。

アメリカの高層マンション類中心の街づくりの罪は、ル・コルビュジェにあるんだな。
映画の中では、開発業者が彼を悪い方に誤解してそうなったと言う言い方をしてたけど
いやいや、コルビュジェ自身、そういうとこ、あかん奴だったと思う。
彼に街をまるまる作らせたりしたら、ひどいことになってたと思う。
ジェインは彼の、家や家具だけでなく都市開発でも機能優先の考えに批判的だったけど、
前に見た映画の中でも、ル・コルビュジェは、
多様な人の営みというのがまったくわからなそうな、いやな奴だった。
映画はフィクション部分も多いでしょうが、その後知った限りでも、そういう男。
才能はあるけど、街は多様な人々を含む生き物だというのを、
自分の理想や美意識のためには、案外平気で踏みにじりそうな、傲慢な男。
天才にありがちな傲慢なのかもしれないけど。

1950年代ニューヨーク。
それまでの都市計画を根底から覆し、ダウンタウンの大規模な再開発を阻止した一人の女性がいた。
1961 に出版された「アメリカ大都市の死と生」は、近代都市計画への痛烈な批判とまったく新しい都市論を展開し、世界に大きな衝撃を与えた。今や都市論のバイブルとなったこの本の著者は、NY のダウンタウンに住む主婦、ジェイン・ジェイコブズ。建築においては一介の素人に過ぎなかった彼女の武器は、その天才的な洞察力と行動力だった。本作は、当時の貴重な記録映像や肉声を織り交ぜ、“常識の天才”ジェイコブズに迫った初の映画。都市は誰がつくり、誰のためにあるのか? 私たちが暮らす街の未来を照らす建築ドキュメンタリー。

当時の主流は、アメリカンモダニズムを背景にしたゾーニングと自動車中心の都市計画。けれど一見合理的に作られたはずの街が次々と活力を失い、未来の廃墟となっていくのはなぜなのか? ジェイコブズは実際に活気溢れる街を、そこで暮らす者の視点で観察し、魅力的な街を作るための独創的なアイディアを練りあげた。対するは"マスタービルダー"の異名を持つ NY 都市開発の帝王、ロバート・モーゼス。彼が強引に推し進める開発プロジェクトを阻止するため、ジェイコブズとその仲間たちは立ち上がった。ワシントンスクエア公園で、グリニッジ・ビレッジで、そしてローワーマンハッタン高速道路の建設をめぐって、壮絶な闘いを繰り広げていく。(映画公式サイトより)

ジェイン・ジェイコブズは今から100年ほど前に生まれたアメリカ人。
貿易雑誌の秘書から編集者へ、そして記者になった人。夫は建築家でした。
50歳過ぎてから、カナダへ移住し、カナダでもまた、高速道路の建設に反対した。
都市開発への反対運動中には、何度か逮捕もされている。
以下はこの映画監督の言葉(公式サイトより)
1950 年代、ワシントンスクエア公園の真ん中を通る4 車線の高速道路を走らせたいディベロッパーやニューヨーク市と州の公共事業を取り仕切っていたロバート・モーゼスたちによる都市計画に対して、ジェイコブズをはじめとするグリニッジ・ビレッジの住民と活動家たちは、正式な異議申し立てを行った。彼女たちは近隣住民たちとコミュニティを形成し、市を相手取り道路建設への反対運動を展開した。反対運動の輪は次第に広がり、あらゆるレベルの市庁職員に手紙を書くキャンペーンなどを通して、ジェイコブズと仲間たちはついに勝利を手にし、モーゼスの公園を破壊する計画は流れた。
今日、これとよく似た闘いがある。それは、バーニー・サンダース氏の選挙キャンペーンであり、一般市民を顧みない権力者のトップダウンのやり方に飽き飽きした人々による草の根運動だ。
僕は本作で、都市に対する市民の権利の主張、そして今から半世紀以上も前に繰り広げられたワシントンスクエア公園に関するジェイコブズたちの闘いについて描いた。
現代のビッグバンクの役割や1パーセント程度の富豪による政治的影響への抵抗と同じように、ジェイコブズとグリニッジ・ビレッジの住民団体メンバーは、一般市民が、表面上は市民に仕えているように見せながら実は個人に忍耐を強いる権力構造に対して闘ったのだ。
彼女は彼女が生きた時代において唯一無二であり、現代の見苦しい政治的な陰謀を暴くために信頼に足る人物だと思う。

市民が権利を主張し、市民運動により権力に打ち勝つ様子というのは
本当に気持ちいいものだなぁ。
失敗は成功よりずっと多いだろうけど、成功例を見るのは痛快だな。

最後に、ジェイン・ジェイコブの本より街について彼女の考える必要な条件を
都市の街路や地区で,溢れんばかりの多様性を生成するためには,4つの条件が必要不可欠である。
1. 地区,そして,地区内部の可能な限り多くの場所において,主要な用途が2つ以上,望ましくは3つ以上存在しなければならない。そして,人々が異なる時間帯に外に出たり,異なる目的である場所にとどまったりすると同時に,人々が多くの施設を共通に利用できることを保証していなければならない。
2. 街区のほとんどが,短くなければならない。つまり,街路が頻繁に利用され,角を曲がる機会が頻繁に生じていなければならない。
3. 地区は,年代や状態の異なる様々な建物が混ざり合っていなければならない。古い建物が適切な割合で存在することで,建物がもたらす経済的な収益が多様でなければならない。この混ざり合いは,非常にきめ細かくなされていなければならない。
4. 目的がなんであるにせよ,人々が十分に高密度に集積していなければならない。これには,居住のために人々が高密度に集積していることも含まれる。 (中略)

この4つの条件は,どれかひとつが欠けても有効に機能しない。都市的多様性が生成するためには,4つの条件すべてが必要である。

(著:ジェイン・ジェイコブズ、訳:中村仁 "The Death and Life of Great American Cities"(Random House, 1961, and Vintage, 1992, pp.150-151)