sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

ブランケット・デモ

2017-04-28 | 芸術、とか
ちょっと前だけど、アイ・ウェイウェイの難民支援ウォークという記事がありました。
>Ai Weiwei and Anish Kapoor to walk through London to raise awareness of refugee crisis

アイ・ウェイウェイは戦う現代美術家で、
もうひとりのアニッシュ・カプーアはロンドン在住の現代彫刻家。
一般の人も歓迎というこの行進は、
ロンドンのロイヤルアカデミーからストラドフォードまでの7マイルほどで
二人はこの行進をこのあと数ヶ月の間に
世界の他の都市でもする予定ということだった。

この行進デモの特徴はブランケットで、
世界中にいる6千万人の難民の象徴として
二人の芸術家は、それぞれがブランケットを1枚持って行進したそうです。

これ、ブランケットというのがいいなぁと思う。
アイ・ウェイウェイは不屈の戦う芸術家で、過激な言動もしますが、
作品は美しく、暴力行為は好まない人なんだと思う。
ブランケットってそもそも、なにか、優しくて温かいものの象徴でしょう。
ブランケットと聞くだけで、ふわりと優しい気持ちになるような。
この行進の様子を、参加した一般のイギリス人がTwitterでアップしてて
それを見かけてわたしは知ったんだけど、
きっと温かい雰囲気の中、平和的に行われたんじゃないかなと思う。
そしてそのやさしさは、
世界中の不当に虐げられている人たちに向いているんだな。

アイ・ウェイウェイの受けた迫害についてはこちらにありますが
「アイ・ウェイウェイは謝らない」
母親がユダヤ人のカプーアも、ベルサイユで自分の彫刻作品を
反ユダヤ主義者に破壊されたことがあるそうです。


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女より女らしい?

2017-04-26 | Weblog
手芸が全くダメなのにかぎ針編みだけは大好きで偏愛しているわたしなので
編み物映画と聞いたら見ないわけにいかない気分だったんだけど
予告編観たり前情報を知るにつけ、嫌な予感で見に行く気にならない。
そもそもわたしは「女より女らしい」という言い方がなんとも嫌いなのです。
母性溢れる、女性になりきって、そういうことが女より女らしい、って。。。

>生田斗真演じる「女より女らしい」トランス女性、
>『彼らが本気で編むときは、』

一部抜粋しかし、本作ではトランス女性をメインに扱い、同性愛(後述)にもふれながら、トランスジェンダーとシスジェンダー(身体や社会的性別に対して性同一性に違和がない状態を指す)、同性愛と異性愛の、それぞれのあいだの差異や他者性をあまりにも軽視していると言わざるを得ない。自分たちと異なるジェンダー、セクシュアリティを持つ人々とのちがいに目を向けている気配はなく、男女ふたつの性別と異性愛のみが「普通」とされる、ヘテロセクシズムの社会になじんだトランス女性が登場しているだけ。既存の社会における家族観、女性観、母性観が揺らぐことはない。なぜなら、本作で唯一登場するトランス女性の人物造形は「女より女らしい」うえ、彼女が築くのは既存の男女一夫一婦制の婚姻関係という、ありふれたものだからだ。そこには多様性がない。

荻上直子監督は「かもめ食堂」は嫌いじゃないんだけど、
「バーバー吉野」は微妙で「めがね」はだめだった。
もう、わたしには無理かなぁこの監督、と思う。
それでもこの前の「しあわせのパン」の監督よりはマシだけど。(名前も覚えてない)
ゆるふわ映画って、単に独りよがりの無神経な甘い映画だったりして、
それが丁寧な生活とか優しい関係とかを中心に描かれているだけなら問題はないけど、
差別に切り込むには、甘すぎるし、単純すぎるし、
すかすか雑すぎるんじゃないのかな。

ツイッターにあった他の人のひと言感想。
>一切事前情報を得ないようにして映画を見て、
>次いでこのインタビューを読んだことで、
>「『自分には偏見はない』と思っている人間の持つ暴力性が一番やっかい」
>という感覚をまた新たにしてしまった次第。
>「偏見のない視点」よりも、
>「偏見を相対的な存在としてとらえる視点」の方が必要では、と思う。

「偏見がない」と言い切る人間に限って、いろいろジャッジするんですよね。
だって自分に偏見はないんだから、と信じこんでるから・・・。
自分は偏見はない、自分は人の傷がわかる、とかいう人に限って
人の傷や痛みに、無神経なさわり方するからなぁ。

見ないで文句言うのはなんなので、これは映画カテゴリに入れず、
そのうち見てから感想書こうと思います。
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プライドの罪?

2017-04-25 | Weblog
ある日のTwitterでのやりとりのようなもの。

Aさん>
「収入が低くて生活保護を受けられるのに申請していない人が
 少なくとも400万人以上いると推計されています」
(NHK NEWS WEB 生活保護“抑制” 広がる反発 )

Bさん>
「生活保護をもらっていれば、生活を再建し、立ち直って
 社会にも貢献出来るようになるはずの人材が、
 くだらないプライドで生活保護を固辞して、
 落ちぶれたままグズグズとその能力と才能を腐らせていくというのは、
 生活保護の不正受給をやってる連中と同様に罪深い。」

Cさん(Bさんに対して)>
「弱者の側に立っているようで安全圏から弱者をシバいてることに
 無自覚なやつを見ると瞬間最大風速的に腹が立つな。」

わたし・・・>
プライドというものは、くだらないと思うけど、
それを捨てられない人間のやるせなさに罪はないということだと思う。
人間のそういう弱さダメさは、もう仕方ないものなんだよね。
愛すべき、と思いたい。

まあそれ以外に、そういう手続きをいろんな事情で出来ない人や
知らない人や、そもそもどうしていいかわからない人も多いんだろうけど。
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悲しみを飼いならす

2017-04-24 | Weblog
この人は、自分の中でやっと追悼できるようになったのでしょうか。
保育事故で亡くした息子と向き合うため、写真家になった母親 短い人生のすべてをアルバムにおさめた
4歳の一人息子を亡くした母親が、10年以上経って、写真の勉強を始め、
息子の遺品を撮るようになり、息子の亡くなった日の足跡を追うように
撮影して作った写真集のこと。彼女は言う。
「同じような経験をした人たちの『喪失の可視化』をお手伝いしたいと思っています。痛みがわからない人じゃなく、私だからわかるよと言ってあげられる場面があるはずですから」
撮影には大変な痛みと苦しさ悲しさを伴ったことだろう。
思い出したくないこともあっただろう、でもやらなきゃと思って作り上げた。
この人がここまでつらい記憶を、
このような形でシェアできるようになるまでの、つらい時間を思うと涙が出る。
このお母さんに、ある医師が言ったという言葉がいい。
「悲しみはドラゴンみたいなもの。いなくならないけれど、飼いならして箱に入れてしまっておこう。ただ、そこには鍵をかけなくても良い、見えていて良い」
このお母さんは、自分なりの方法でなんとか悲しみを飼いならしたんだな。
そして、つらい思いをした人はよく、こういう表現に行きつき、
さらに他の人のこういう痛みもわかるよと寄り添うような活動を
はじめる人も多いなぁと思う。
わたし自身の友達にも複数いる。

でも、なんかわたしは、また別の部分で、表現ということの業を思う。
自分が意固地なだけだと思うけど、
わたしはこういう風に表現して、共有してしまうことはできないなぁと思う。
きっとそこまで消化できない。悲しみを飼いならせない。飼いならしたくない。
混沌は混沌のまま、悲しさは悲しさのまま何にも作り替えずに
そっと個人的なものとして持ってる。
人の悲しさも共有できない。
人の痛みをわかるよと言えない。
弱虫だから、人の痛みは人のものだし、
自分の痛みは自分だけのものにしかできないと思ってるからなぁ。

でも震災でも個人的なことでも、
切実な個人的な悲しさを人と共有したくない自分のこの潔癖さで
人をジャッジすることがないように気をつけたい。
このお母さんの活動を静かに心から応援できる人でありたい。
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映画:ムーンライト

2017-04-23 | 映画


少年時代、学生時代、そして大人と3つの時代が描かれる主人公、シャロンの
成長を描いた映画、みたいなコピーがあったけど、
シャロンは特に成長はしてない気がする(笑)。
孤独ないじめられっ子の子ども時代、高校生時代を経て、その後
おそらく努力して、マッチョで(見るからに)強い大人になったけど、
それは成長というのとはちょっと別のもののような・・・。
このシャロンは主人公として特にキャラが立っているわけではないし
隠れた魅力があるわけでもないし、地味で、さして面白みのない人なので、
この映画は、彼の成長を見るものじゃないように思うんだけどな。
淡々とシャロンの生きてきた人生の情景を見るような映画と思う。

父はおらず、母はドラッグ依存症のシャロンは、学校でもいじめられっ子。
いつもうつむいていて、ほとんど口をきかない。
そんな時知り合ったフアンという男とその明るく優しい恋人が
シャロンにひとときの安らぎをくれる。
でもこのフアンはドラッグの売人で、シャロンをかわいがりながらも、
シャロンの母親にドラッグを売っているという皮肉な巡り合わせで、
そういう自分自身に対して重くつらい気持ちになるフアン。

このフアンがとてもいいです。冒頭で出てきた時は強面で、ああ、
これはガラの悪そうな、どうしようもない馬鹿なチンピラ売人ねーと思ったのに
その後何かでにっこり笑うと、まさに破顔一笑。
なんとも愛嬌のあるやさしい顔になる。ちょっと魅了された。
でも、わりとあっさりといなくなって、とても残念でした、
もう少し彼を見ていたかった。

高校生時代も相変わらずのシャロンで、母親はますますひどくなり
シャロンからドラッグを買うためのお金を巻き上げながらも、自分勝手な態度で
悪態をついたり、愛してると言ったりしてシャロンを支配しようとする。
この母親のくだりは見ていて本当につらいし嫌な気分になります。
親が子供をダメにする。子供の人生をめちゃくちゃにするのって、見ててつらい。
そんな中でもやっと親友と呼べる相手ができ、
ひととき気持ちの通った楽しい時をすごすのですが
とある出来事で、裏切られることに。

その10年以上あと、30代になったシャロンは別人のように大きく強くなり
ドラッグの売人をしている。
結局フアンと同じことをするようになってしまったのです。
フアンはシャロンにとって大事な人だっただろうけど、
そのフアンの苦しみを自分もまた同じように味わうことになる運命の皮肉。
でもシャロンは弱かった自分には戻りたくなかったんだろうな。
そんなあるとき、高校時代に自分を裏切った親友から電話が来て
会いに行くことになり・・・。

最初の方のシーンの手持ちカメラで360度ぐる〜っと撮ったり
微妙な揺れ方をする撮り方には、ちょっと酔いそうになりましたが、
ウォン・カーウァイ映画との共通点やオマージュ的なところを言われるし
監督自身、そのように公言していて、いやはや本当にそうだった。
特に後半の夜のシーンは本当にそれ。
ねっとりと絡みあう色、光と影、カメラのたゆたう動き。音楽。
街も店も人も、
わたしの記憶の中のウォン・カーウァイのいくつかの映画の切なさが
見ている画面に重なって、何重にも切ないシーンになっていく。
後半のこのあたりはもう、どきどきしてはらはらして緊張して期待して、
不安もあって、と主人公と同じ気持ちを切なく切なく味わいました。

とはいえ、ウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」ほど
恋愛という人間関係をガッツリ描いたものでもない感じかなと思う。
恋愛とも言えるとは思うけど、優しい気持ちと切ない気持ち、求める気持ちや憧れも
恋愛のほんの少し手前で、もっとあわあわと、ただ、たゆたっている感じ。
最後のシーンのシャロンのセリフ以外は、
誰かの感情が吐露されることも、ほとんどありません。
でも、情景をたんたんとつなぐことで、十分にそれを感じさせるのは
いい映画なのではないかと思います。

この映画と比べると、「ラ・ラ・ランド」は楽しい映画だけど、
どこまでもなんか人形の作り物だったなぁと思います。人の感情までも。
でもこっちには生身の人の温度と湿度があるんですよねぇ。
特に湿度が。

これがウォン・カーウァイの映画との類似点の動画です。
こじつけっぽいところもあれば、そっくりすぎるところもあるかな。


映画のラストも、ハッピーエンドと言っていいのかどうかわかりません。
望む形で受け入れられたのか、そうではないけど思いやりの形なのか、
その辺もはっきり描かれていませんが、それでいいと思います。
どっちにしても、やさしく美しいラストシーンでした。
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薄揚げの油抜き

2017-04-22 | お弁当や食べ物
薄揚げや厚揚げを料理するときに、熱湯をかけるかさっと煮ることで
油抜きをするって教わって、
人生50年近く疑いなく毎回それやってきたけど、
去年だったか別にしなくてもいいよというのを何かで見かけて、目から鱗が。

いや油揚げがどうこうというのではなく
なんでわたしは油抜きとするということを疑いなく頭から信じ込んでたんだろうと。
試しに油抜きをしないで料理してみたけど、何も問題ない・・・。

教わったことや聞いたことで、自分でよく検証したりないで
何も考えずにそのまま疑いなくやってることって、たくさんあるなぁと自分に思う。
どうでもいいことも多いし、まあお揚げさんの油抜きも大したことじゃないけど
油抜きはあんまり好きな作業じゃないから、
そこで手を抜けることをなんで考えつかなかったんだろう?ということに
今更ながらびっくりしているのです。
わりと、どんなことでも疑問に思って検証してみるほうだと思ってたけど
まだまだだなぁ。。。

ちなみに薄揚げは、油を敷かないフライパンでカリッと両面焼いて、
スライスチーズをのせてとろっとしたところに醤油をかけて食べるのが好きです。
糖質制限的食べ物ですけど、おやつにいいし、酒の肴にもいいです。

でも写真がないので、上にあるのは晩酌の時のレンコンの写真。
レンコンをオリーブオイルで炒めてお醤油を絡めるだけ。
七味とマヨネーズで食べました。5分でできる肴ばっかり。
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攻撃する人

2017-04-21 | Weblog
法的には問題ないんだよ!なんて言うのは、
攻撃する立場の人が、威張って言うことではないとわたしは思う。
ましてや、攻撃する対象が権威を持った政治家や団体ではなく個人である場合。
法的には問題なくても、おかしいことはたくさんある。

差別でもなんでも、暴力を受けた側が、
あまりのひどさに耐えきれずに反撃するのを責められないし、
その反撃を個人的には、いてまえ!いてまえ!と思ったり、
ざまあ見ろと思ったりするんだけど、
でもそのやり方が正しいかどうかは別の問題じゃないかな。
(正しさなんてクソ、と思うのもわかるし、わたしもよくそう思うけど)
まだ考えがすっきりまとまってないままだけどずっと考えてる。
自分の立場は、正しくないとは思うけどわたしには責められない、とかかなぁ。

人はうっかりする。認識が甘くてうっかりしたり、
考えが浅くてうっかりしたり、
物を知らなくてうっかりしたり、
自覚のない差別心でうっかりしたり、
考え間違いでうっかりしたり。
うっかりの内容はいろいろで、話せば通じることもあるだろうに、
問答無用ですぐに攻撃に出る人の怒りやすさはなんだろう。

攻撃に出る人がいわゆる頭が良くて弁が立つ人だと、
本当にうまく、人のうっかりを、
話せば通じるかもしれない、変わる余地があるかもしれないうっかりを、
馬鹿や差別者の戯言ということにして、軽蔑と見下しと憎悪の対象にしてしまう。
なんでそんなに簡単にレッテルを貼ってしまえるのかな。

すぐ怒る人は、それだけ傷つきやすいとか優しいとか繊細とか
そういう場合もあるだろうし、
単にせっかちだとかイライラしているとか、そういう場合もあるかな。
その中に本当に切実な怒りもあると思うけど、
怒ってる時の判断はやっぱり間違いやすいものではないかと思う。
切実さとは別に考えたい。
すごく怒ってる時は、悲しい時やつらいときの判断は
少し時間をおいたほうがいいよね。
あと、お腹が空いてるときも。

Twitterは、わたしは、考えのまとまってないことを、
つぶやきながら考えたりすることもあります。
考えが変わることもある。
よくある。
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ケーキはしっかり甘いのが好き

2017-04-20 | お弁当や食べ物
甘いものは苦手な方だったけど糖質制限を始めて前より好きになった。
でもケーキとか、甘さ控えめってやつで、
おいしいのにあたったことがほとんどない。
甘いものは結局渋いお茶や苦い濃いコーヒーをおいしく飲むためのもので
飲みものなしにケーキとか甘いものが食べられないわたしは、
ケーキが甘くないと苦い飲み物がおいしくならない。
渋い飲み物とのマリアージュを楽しむために甘いものを食べるわけだから、
甘くないぼんやりぼけた味のケーキとかお菓子とか食べても
なんだかつまんないだけなのよねぇ。
甘いものはガツンと甘く、はっきりと味を主張しててほしいのです。
しかし、今朝のチョコケーキは、ガツンと甘い上に大きかったので、
コーヒーが2杯必要でした・・・。
バナナ食べるのも水か何かないと甘すぎる、と苦労するわたしなので。
イチゴとか酸味のある甘さは大丈夫なんだけどね。
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美術館併設のカフェって

2017-04-19 | Weblog
美術館は、こじんまりした古い邸宅などを改装したようなのが好きですが
建物がそんなにいいのに、併設カフェにがっかりすることは多い。
併設喫茶室みたいなのは、また良かったりするんだけど。カフェはダメ。
インテリアも飲食内容もダメなことが多いと思います。

先日も、神戸方面の某美術館に行ったのですが、
とても寒い日でうろうろと店を探すのもいやだったので、
その美術館のカフェでランチを食べたのです。
でも、サラダは美味しかったのにスパゲティがここ数年食べた全部の中で最低。
家で国産のパスタを茹でて、レトルトのソースかけたものの方がマシのレベル。
茹ですぎでフニャフニャの麺にはせめて濃いめの味で
ナポリタン風という別モノにすればいいんだけど、
ソースは手作りっぽいけど薄味な上に、パスタ自体に全然塩気がついてない。
ボロネーゼなのに、ソースの味よりオリーブオイルの味が勝ってて、
塩気なしの油を食べているみたい。
レトルトより不味くては、手作りの意味が全くないな・・・。

お塩をもらうと、食卓用にはなくて、小皿にスプーンと一緒に来たけど、
いわゆる化学塩で、ぴりっと嫌な刺激臭の後口がまずい。
全部の調理にこれ使ってるんだろうなぁ・・・。

美術館の併設カフェにあまり期待はしてないとはいえ、
久々にこんなダメパスタ食べたわ。
作ってる人センスないなぁ。
来る途中でちらっと見かけた古い中華そば屋のラーメン食べればよかった。
あるいは駅の改札出たところでモス食べればよかった

せめてカフェのインテリアだけでもよかったらいいけど、
こういうところは大体ダメです。
いい美術館でも興醒めするので、行かないようにしてる美術館のカフェ。
やっぱりもう行かない。
(食いしん坊なので、一食でもまずいもの食べるとかなりショック)
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シール

2017-04-18 | Weblog
並ぶのが嫌いなのは、気が短いせいというより、
なんだか何かに支配されてるようなへりくだった気持ちになるのが
わたしは嫌なんだろうと思う。
デパ地下のケーキ屋さんは、システマチックじゃなく、結構待たされるので
人が数人前にいたらもうやめる。
人がたまたまいない店でケーキを2つだけ買って家に帰って、感心したことがある。
ケーキの箱の蓋を止めてあるシール、
賞味期限とか要冷蔵とか店の名前が書いてあるやつの
4隅のうち左上のとこだけ内側に少し三角に織り込んであったのです。
つまり、そこからすっとシールをはがせる心遣い。
粘着力の強いシールをしっかり貼られると剥がすのが少しめんどうだけど、
この心遣いは感心。

CDや化粧品などのぴったり覆ってあるビニールのラップは
はがすのが面倒で、いつもちょっとイラっとするものですから。
わたしは爪が弱くてすぐ折れるので、こういう心遣いはありがたいです。
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ほどほどの食欲

2017-04-17 | Weblog
>忙しいと『食べるの面倒だな』って思うことがあるんですが
>(倒れるから食べますけど)、これ生命力弱いってことだと思うのよ。
>長生きしそうな(してる)人って食べることに異常な執着がある(ように見える)。
>で、胃腸も頑健だから羨ましい限り。
というつぶやきを見て、・・・
わたし忙しくても食べるなぁと思う。
食いしん坊すぎて食べてる最中から、次の食事は何を食べるか考えてるくらい。
でも胃腸は弱く潰瘍も逆食もあっていつも痛くて苦しいし、
すぐに太るから体調もいつも良くない。
悲しくて死にたいときも、味がしない砂のようだと思いながら
泣きながら食べ続ける。
でも生命力はかなり弱いと思う。笑

食べられなくなる人や、食べることに執着のない人が羨ましい。
衝動で食べるのではなく、考えて食べられるから、
そうなれたら健康に近づくと思う。
吐きながらでも食べるもんなぁ。これはこれで病んでると思うけど。
まあ、ほどほどの食欲というのが一番望ましいですね。
ほどほどの、ちゃんと機能する健康な食欲がほしいです。
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電車で咳が出て(笑)

2017-04-16 | Weblog
帰りの電車の中で、急に咳が出て少し咳き込んだら、
(風邪ではないんだけど、アレルギーで鼻も少しムズムズ)、
隣の隣に座ってた知らんおじさんに睨まれ、何度も舌打ちされ、
しまいに「まったく!」と聞こえるように言われたんだけど、
急な咳にマスクはないし、小さな咳き込みを手で口元を押さえながらしてたのに、
そんなに攻撃されないといけないこと?

試しに一回だけ作り咳をコホンとして見たら、また睨まれて、
今度はチッと舌打ちされた。聞こえるように。
電車の中で、マスクもせず手で押さえもせずに、
目の前でゲホゲホ咳する人に、おいおい、って思うのわかるけど。

こういうおじさんって、相手がわたしでなく若くて強そうな大きな男性でも、
咳一つしただけで、睨みつけて舌打ちしまくるのかな。(−_−#)
いやそれはないだろう、と思うと無性に腹がたつ。

わたしが堂々とした体格の男なら、「なにか?」って、聞き返してやるのになぁ。
でも悔しいので、その人が降りるときに、そっち向いて思いっきり
ごほごほごほごほと嘘の咳をしてやった。
(一応口元は押さえてます)
そしたらすっごい顔で睨んで、また大きくチッと舌打ちをしてた。

ちなみに、わたしとそのおじさんとの間には若い男性が一人座ってて
ことの成り行きと不穏な空気で迷惑かけてしまった、ごめんよ。笑

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関西弁のありがとう

2017-04-15 | Weblog
>電車内で
>「すいません」(そこのあなた、忘れ物しましたよ)
>「すいません」(ああ、これはご親切に。ありがとうございました)
>「すいません」(いえいえどういたしまして。
>             いきなりお呼び止めして失礼しました)
>という高度な圧縮言語による会話が交わされている

というつぶやきを見かけて、
たしかにすいませんで全部通じるけど、
わたしはできるだけ、ありがとうという場面ではありがとうと言うようにしてる。
だいたい普通に関西アクセントでありがとう(「と」が高い)と言うけど、
なぜかバスを降りるときだけは、「おおきに」になる。
バスに乗るのが、京都が多いからかな。笑

ありがとうは、東京方言だと、なんか改まった感じがして言いにくいけど、
関西イントネーションだと気楽に言いやすい気がします。
アクセントが後ろにつくから、いい始める時に、
もにょもにょ、もごもごと、小声で言い始められるからかな。
東京方言のようにアクセントが前にあると言い出すときに口に力がいる感じ。

ということに今気づいた。
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ないのではなく偏ってる

2017-04-14 | Weblog
この人はデリカシーがないのではなくデリカシーが非常に偏ってるのだと思う。
北条かや「インターネットで死ぬということ」のタイトルに全くデリカシーがなく、非常に不愉快である

リンクが切れたらと、内容を簡単に説明しておくことも多いけど
これは結構こじれた問題なので、めんどくさくて、省略。

しかし、最近の北条かやの文章がびっくりするほど面白くないので、
昔からここまでつまんなかったか思い出そうとしてるけど思い出せない。
まだ学生だった頃の彼女のツイートは、面白いことも少しはあったのになぁ。

とにかく、この一連の揉め事を見てわたしが思ったのは
デリカシーがないわけではなく、偏ってるだけの人が多いということ。
自分の傷にはものすごく敏感で大騒ぎするけど、
人を傷つけることには無頓着な人っているよね、ってこと。
自分に関係ない人の問題に関しては、
こんなにデリケートな私が大丈夫と判断するんだから
たいしたことないって考えるのか、平気で傷つけるようなことをして、
それ指摘するとむしろ自分が傷つけられたと騒ぐような人。

ああ、そういう人いたなぁ・・・(遠い目


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3月のつぶやき:後半

2017-04-13 | つぶやき
家の電話にかかってくることってめったにないから、こんな時間に非通知で、
2コールだけ鳴って切れる電話は、いやだなぁ。
ただの間違い電話だろうけど不安になる、夜中12時過ぎ。


ウィスキー好きな人でハイボールが苦手、好きじゃないという人を時々見るけど、
あれは薄いウィスキーではなく、ウィスキーフレイバーの炭酸水だと思って、
料理の邪魔にならないくらい薄いほうがいいと考えると、
悪くないのでは?安い店で食べ物に合うお酒を考える時に。
いいグラスに、いい氷を使ってちゃんとしたカクテルを作ってくれるバーだと
ウィスキーはそのまま飲む方が多い。
ハイボールは居酒屋さんで飲む甘くない炭酸水のバリエーションと思って
飲んでる。


昨夜、台所に立って料理してた時に、こういうとき
猫がいたら足もとで邪魔されたりするのかなと、思った。
子どもが小さい時は、ふと思い立って夜中に料理したりする余裕はなかった。
こんなふうに誰にも邪魔されずに料理できるなんて、
自分は今自由なんだなぁと気づいて、自分が本当に猫を飼いたいのか、よく考える。


今日は気温上がりそうね。
うちのカオス地帯から救出した
(多分誰かにあげるつもりで包みに入ったままだった)シルクのスカーフを
そっと洗います。
自分の薄くて繊細なシルクのバティックのコレクションのことを思うと、
生きる元気が出てくる。


帰りも乗り換えで危うく電車乗り間違えそうになった記憶があるのに、
一本で帰れる電車に乗ってたよと言われ、
ではあの乗り換えの記憶はなに?夢?


夕方まで春っぽい雨で、なんとなく寂しい気分の日だったなぁ。


楽で楽しい場所ばっかりでなく、アウェイな感じもときには必要かと、
たまにアウェイな場に行くけど、
元気な時は楽しめてもそうでないときは寂しくなるだけなんだよな。
でもよく知らない場所や人やことに定期的に会わないと、
どんどん頭も気持ちも緩んで世界が狭くなる気がするから、無理しても行く。


タンゴ、ある程度ステップが身についたら、
今度はぼーっとすることを覚えないといけない。
男性のリードを読もうと前のめりになると間違うから、
ぼーっとちょっとのろいくらいの反応でついていくようになれるといいんだけど、
難しいのよ。何事によらず、意図的にうまく脱力するのは難しい。

運動神経は本当にないし、右左がいつもよくわからないし
(右足体重で後ろと言われて理解するのに5秒はかかる)
2年やっても相変わらず踊れないんですけど、
それでも去年よりは少しはわかってきたと思う段階のお稽古事は楽しい。


方向音痴というのは人生でものすごくたくさん時間を無駄にしてるなぁと思う。
スマホに聞くにしても、わたしのiPhone4は頼りにならず、前日に調べて予習する。
5回くらい行った場所でも数ヶ月行かないと、
初めてと同じなのでやっぱり予習がいる。
地図を見て、行き方を見て頭の中で予行演習。
週に2回くらいは、そんな風に時間をかけてよく知らない場所に行くことがあって、
いつもちょっと悲しい気分で、何度も行った場所を調べ直す方向音痴。


なんかいつも忙しいのでしのげるんだけど、急に寂しくなることはあって、
本当は誰かずっと大事にできる人が一人あるといいと思う。
シンプルな生活に変えたいと思ってるので、そういう人が一人いるといいなと。
ずーっと長く大事にできる人。でも難しいのでやっぱり猫を飼うか、と思う。
自分が、友達がすごく少ないような気がするときに、
家族じゃないけど家族の次くらいの場所にいつもいるような人が、
ひとりいるといいなぁと。

やっぱ猫だな。猫、前向きに検討しよう。リフォーム終わったら。

わたしは、うちのうさこさんみたいな白くて
茶色とかのぶちのある子がいいなぁと思ってるんだけど、
息子は猫らしく淡い色の茶トラなんかがいいと言う。へー。
まあ息子は同居してないので、わたしが旅行のときとわたしが死んだときに、
猫の後見人になるだけですけど。


昨日の女子中学生と父親の話。
ツイッターには子供を擁護してくれる大人がいるけど、
現実リアルにはめったにいないんだよな。
家族の問題は「それくらい」ですまされて、誰も子供を助けてくれない。
怪我したり死んだりするまで弱いほうに我慢を強いるんだよ、
思いやりとか親の愛情とかいう善意の忠告で。
子供は世界が狭いし本当に無力なのに。

自分自身が被害にあったことのない人は呑気でいられるのかもしれない。
これくらいのことと気にとめずに育った人もいるかもしれないけど、
「これくらいのこと」に傷ついてまだ癒えてない人も多いと思うのよ。
ずっと「これくらいのこと」で済まされてきたからなぁ。



「ゴーン・ベイビー・ゴーン」
子どもに対する犯罪が描かれている映画はほんとうにつらい。
正しいことの基準は人それぞれだけど、人が勝手に人を裁くことは法が許さない。
でも法に従ったこの主人公は、
結局自分の責任を回避しただけなのじゃないかという思いが残る。
問いかける形で終わるいい映画。


おデートのアイデアは思いつくけど、おデートの相手を思いつかない


久しぶりに買ったCDはモーツァルトのバイオリンソナタ全曲、
レイチェル・ポッジャーの演奏。
モーツァルトのソナタはヒラリー・ハーンのを1枚だけ持ってて、悪くないけど、
バッハの無伴奏で一番好きなポッジャーの弾くモーツァルトがどんなのか聴きたくなって。
やっぱりこのヴァイオリニストの音が好きだなー。
ヒラリー・ハーンもいいけどやっぱこっち。
ちょっといらないものがある方がきれいって感じの、
奥の方に深い色彩が隠されてるような音なんだよなぁ。
ハーンは、もっと透明な感じ?

本を読むのものろいけど音楽聴くのものろくて何度も聴かないとよくわからないので、
新しい音楽をどんどん聴く余裕が全然ないんです。
つまらないものに引っかかる暇もないから、古典ばかりになる。
苦労して読んだり聞いたりしても失敗がないからなぁ。
失敗もいいけど余裕がある時は。


猫の夢を見よう。猫しか出てこないでいい。



去年の今日はもうユキヤナギが満開だった。今年はまだ1分咲きくらい。
ゆっくり春になるといいよ。夏短くていいし。


メモった言葉が、自分が書いたのか友達が書いたのか知らない人が書いたのか
わからないことがある。自分が書いた気がするけど。
あと、本読んでて、ある表現があまりに自分が書きそうな言葉で、
それって忘れた頃にうっかり自分で書きそうに思う。
でもそれすると泥棒だから、それしないように、
これは自分の言葉じゃないってよく覚えておかないといけない。めんどくさい・・・


なくなったものは仕方ないけど、ときどき、もうなくなったんだって
急にしみじみ感じて、ぽかんと悲しい時はある。


自分が五十すぎて、ひとりで、そしてまだ父が生きてるとは思ってなかったなぁ、
若い頃は。


自分の一番ダメでバカでみじめなところは、今まで誰にも話したことがない。
話せる人が現れる気もしない。
うさぎには話したけど興味がなさそうだった。猫を飼ったら猫には話すかも。
猫。


コンビニで、猫の雑誌と早起きの雑誌と甘いものを、少し買う。
ああ、自分に必要なものばかりだなこれ。


お相撲を全く知らないので(というかスポーツ全般驚くほど知らない)
今日ネットを見ててお相撲の中の「変化」という言葉を初めて見た。
変化。どんな変化だろう。技の名前なの?
でもあまり褒められないらしい変化。
想像が膨らむので、本当のところは知らないままでいいや。


モンゴルには一度行ってみたかったな。母は何かの旅行で行ったことがあって、
その時に買ってきたグレイのカシミアのセーターをわたしはまだ持ってる。
ミハルコフ監督の「ウルガ」と言う映画の、
モンゴルの草原がとても懐かしかった。行ったことないけど。


艱難辛苦の末に、みたいなのが好きよねみんな(^_^;)
わたしは面白半分というのが好きですけど、そういう姿勢は大体怒られる。


どの人も優しいけど、そうじゃないことをいつも甘えたい。
理屈に合わないことを、子供のように、甘えたいのよ。

人生で一度くらい、ものをねだるとかもしたみたい気が。
結婚してた相手にさえ、何かをねだったことなんてない。


自分は、わりと善良ないい人だと思ってるけど、恋愛関係においては、
相手にとってかなり気難しくてめんどくさくてややこしい女だと思います。
でも気難しくはあってもわがままを言うことはない。
たまには言ってみたいけど、言ったことって多分ないよな。
言ってみたいものだなー。


この前息子に香港で買ってきてもらった、チャイナな感じの紙コップと、
昨日友達にもらった誕生日プレゼントの小磯良平せんせの絵のスープ皿で、
おいしいスープと合う紙コップドリンクの会を、しなくては。
リフォームが終わったら。


友達のお母様の家が大規模なリノベーションをしてすっかり新しくなったのに、
1、2週間して行ったらもうすっかりお母様に馴染んで
彼女の家になってて感心したという話を聞いて、
うちのリフォームが終わってあれこれ新しくなった後に、
自分らしい場所になるのにはもう少しかかりそうだけど、楽しみ。


祝いという文字を何度見ても呪いと読み間違える。


実はものすごい赤毛のアン好きで、若い頃にはアンシリーズ全部
なんどもなんども読んだんだけど、同じ作者の銀の森のパットの2冊も大好きで、
トランプ大統領見てるとそのうちの一冊を何年ぶりかで思い出した。
弟が下品な女に引っかかって結婚しちゃって、
家が乗っ取られ調和も平和も無くなっていくところ。
その中で心ある人たちはなんとか楽しく過ごすために
できるだけのことはやってくんだけど、
やっぱり一度壊れて無くなってしまったものは、戻ってこないの。
新しいところで新しいものを自分で作り上げるしかないの。
ハッピーエンドだけど、途中はずっとなんか寂しい話なのよねぇ。
トランプの4年間で壊れたものも、戻ってこないんじゃないかと思うと憂鬱になる。


早寝早起きをしたくて、早起きについて書いてある雑誌をこの時間に読んでるのが、
すでにすごくあかん気がする(~_~;)
5時に起きてだな、白湯とか飲んで、スムージーとか飲んで、7時からジムに行って
一汗流してから出社、みたいな人生って、なにそれ都市伝説?

朝の5分習慣で、朝ごはん前に5分の読書って人が載ってるんだけど、
5分で読書なぁ。。。


昔、人にもらったブロワーが、ロケットみたいな形で自立して好きだったんだけど
とうとうぽろぽろと粉が落ちてくるくらい劣化してゴミに。
カメラに使うより圧倒的に、パソコンのキーボードにシュッシュする方が多かったけど。


いつか猫を飼いたい飼いたいっていってるけど、
うさぎ飼ってる人の記事とか見ると、やっぱりうさぎもかわいいよなぁと思う。
うちのうさこさんは、そっけない子だったけど、
本当にふわふわと動くぬいぐるみだった。
静かで我慢強く孤独にも強いぬいぐるみ。


週末に、ちょっと若い夫婦のおうちのホームパーティに行くんだけど、
この夫婦が本当に仲良くてかわいくて、気持ちのいい人たちで、
仲のいいカップルを見て気分が良くなる自分もいい人に思えて、
ますます居心地がいい。
そして、人の家ってこの頃あまり見ないので、それも楽しみ。

昔知ってた元夫の友達夫婦は、かっこいいご夫婦でおうちも素敵で、
もてなしもセンスがあった。
そこは子供がいないバツイチ同士の夫婦だったけど、雰囲気のある人だったなぁ。
ああいう風になりたいと思った時の自分は、
子供が小さくて生活感まみれで惨めで情けない自分だった。今も変わらんけど。


リフォーム工事中3週間以上も毎日同じ早い時間に起きてたら、
別の人間に生まれ変われちゃうよね。掃除のできる、ちゃんとした人に。


大きさや勝ち負けに興味がないので、
商売も得意じゃないしゲームにも興味がないんだなー。


ソフトバンクのおとうさんのような白い犬を2匹連れた小柄な女性とすれ違って、
堂々とした大きな立派な賢そうな犬で、それぞれ赤と青の首輪がとても似合ってて、
かわいく頼もしかったなぁ。
あんなわんこ2匹連れてたら、怖いもの少なくなるなぁ。

犬というのは立派な動物だもんな。


するすると難しい本でもどんどん入り込んで読めた頃の感覚が、もう思い出せない。


幸せでなくても欲のある人には希望があってそれで生きていけるけど、
欲のない人は不幸だって映画の中で誰か哲学者の言葉を言ってて、
わたしの不幸はそれだなーと思う。欲がない。
痩せたいけど。食欲はあるけど。



かけられた呪いって、信じてなくても効くからなぁ。

わたしは、息子になんの呪いもかけずに育てられただろうか?
呪いをかけないという呪いをかけすぎてないだろうか?と、ふと思う。


自分を自分勝手で好きなことしかしてないと言うような人は、だいたい優しい。


昭和の文豪への追悼文を集めた本をのろのろ読んでるんだけど、
作家の死への追悼を残された作家が何かの文芸誌とかに書くというタイプのものは、
思ったほど面白くない。いや面白いけど、思ってた面白さとは違う。
だってさほど私的交流のなかった人が書くんだもん。みんな作家だからうまいけど。

本当に親しかった人の振り絞るような心の声みたいなのを期待してたのになー。
でも中で、森茉莉の三島由紀夫への追悼文は、やっぱり森茉莉で面白かった。
政治しらんー右翼わかんないーでも美とエロスはおもろいー、みたいな。笑


”みんなただ生きて死ぬ。私たちはその一瞬を一句に書き留めているだけだ。
切ないから「たのしい」と言って笑っているのだと言うことを、忘れないで。
てふてふに獣の顔のありにけり 辻桃子”


とりあえず台所のモノの数を半分にしよう。食器はずいぶん減らしたけど、
20年使ってないどでかいハートのケーキ型とかいらんよなぁ。


二日酔いはほんまに人生の無駄やなぁ。


地図に載っていない場所のことが出てくるドキュメンタリー映画を見たけど、
「本当に素晴らしいところは、どんな地図にも載っていないとメルヴィルは言い、
誰かの帰るべき誰かの胸の中の場所は、確かにどんな地図にも載っていないよなと納得する。」というのは昔つぶやいた言葉。
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