sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:フォールガイ

2024-09-18 | 映画


「フェラーリ」では、好みじゃない顔のアダム・ドライバーがおでこを広くして
オールバックのグレイヘアにしたら今までで一番渋くて良かったけど、
ここでもまた好きじゃない顔のライアン・ゴズリングが、もしゃもしゃヘアと髭でええ感じになってて、
多分彼の一番の魅力だろう瞳が強調されたイケメンでした。カッコよかったわ。
ライアン・ゴズリングの顔って、チャニング・テイタムやグレン・パウエルと同じ系統と思いませんか?
全体的に体格は良くてがっしりしてて少し面長で顔のパーツが中心に寄り気味の顔。
なんか、アメリカ人の白人って感じ。(ライアン・ゴズリングはカナダ人か)
そういうマッチョでがっしりして男臭いけど笑顔がチャーミングで歯が白い感じが
なんかあんまり好きになれないんだけど、この映画では好感。笑

アクション映画にロマンス(恋愛要素)で味付けしてあるのはよくあるし、
これもそういう映画と思ってたけど逆だった。
むしろロマンチック・ラブコメのお話をアクション要素で彩ってある、ように思った。
それで、ラブコメ好きなので、思いの外楽しめました。
(とはいえスタントマン映画なので、アクションしっかり楽しいです)
話は結構こんがらがっていくけど痛快なラブコメ・アクションです。
夏休みに見るのにいい映画と思う。

大ケガを負い、一線を退いていたスタントマン=コルト。
愛する元カノの初監督作で久々に現場復帰するが、主演が突如失踪してしまう!
行方不明のスターの謎を追ううちに、コルトは危険な陰謀に巻き込まれることに…
彼は己のスタントスキルで、この危機を突破できるのか!?(公式サイトより)

この説明では全くわからないけどかなり作り込まれたいい映画です。
映画作りに関する映画で、しかも裏方のスタントマンが主役の話なのでもちろん
映画愛も溢れてる。
過去の名作映画へのリスペクトもあちこちにあるし、わたしがもっと映画に詳しかったら
もっと色々な小ネタに気がついて面白かっただろうなと思うけど、
そういうことが全然わからない人が見ても面白いはずです。
わたしの好きなところは、主人公と相棒の会話で、
しょっちゅう過去の名作の名セリフで決めるところ。男の子っぽさもあってかわいいしいいな。

洋画は基本的に字幕で見るけど(特に英語だと少しは聞き取れるからね)、
今回は時間が合わなくて吹き替え版で見て、それも悪くなかったです。

フランスの過去の俳優ジャン・ポール・ベルモント的な俳優は
今ならこのゴズリングではという話を聞いたけど、
この映画だけ見ると確かにそういう気もする。
でもベルモントはなんといっても粋な感じのある俳優で
ライアン・ゴズリングはどこか垢抜けないと思ってるのでやっぱり違うかな。

8月に毎年繰り返し思うこと

2024-09-17 | つぶやき
8月のつぶやきの、戦争に関すること。

8月終戦記念日前後、戦争はいけないという話の時に、日本は被害者としての訴えばかり。
負けた戦争の原爆や大空襲や自国軍からの抑圧の訴えはいつまでも繰り返されるし、
それは繰り返すべきものではあるけど、被害が苦しかったからと同じかそれ以上に、
何より加害がいけないからという思考になるべきじゃないのかな。

そもそも加害がないと被害は起こらないのよね。
被害のつらさばかり訴えると、お国のためならそれくらい我慢しろと言い出す愛国者を止められない。
もっと根本的に他国を侵略したり苦しめてはいけないというモラルの方が大事なのでは。

日本人がもう二度と戦争を繰り返しませんと平和を誓うような時、
自国の人々を被害に遭わせませんという意味でしかないことが多いように思う。
もう二度と他国の人を苦しめませんと誓うのはあまり見たことがない。
このモラルをちゃんと持たない限り戦争は遠くはならないのでは…

悪の大国が理不尽に身勝手に防ぎようもなくよるべない小国に侵略してくる場合というのも
確かに今もあるけど、日本はそういう小国ではないよねぇ。

いやみんな、戦争には一応反対なんだよ。「絶対」反対ではないだけ。
家族を守るため、大切なものを守るため、やらなきゃやられるなどなど、
戦争反対だけど仕方ない、正義のためだ、自衛のためだなど言い訳して結局戦争するんだよね。

わたしは、戦争を始めることになった時の政府の政治家は、
勝っても負けても2度と政治に関われないという法律があればいいのにと思う。
できれば子供の代くらいまで無理にして。
自分の政治家生命が断たれるくらいなら必死で戦争しないで済む道をさぐるのでは?

戦争というのはあってはならないことを起こした外交・政治の失敗ということだから、
戦争を始めた政府は失敗政府。
勝っても負けても自国民にも対戦国にも多大な負担をかけるわけだから
己の無能を反省して責任を取るべきで2度と政治に関わるべきでない。

8月のつぶやき:後半

2024-09-16 | つぶやき
窓の外を見ると暑そうで、今日はもうどこにも出かけまいと、
朝からごく普通にご飯食べておやつ食べて本読んで別の本読んでデュオリンゴでフランス語して
また別の本読んでカメラのレンズ変えたりして過ごしてる。
お盆休みはないから今日が大事なお休みで、変わり映えしない家での時間はもったいない気もするけど、
猫が安心してよく寝ていてご飯もおやつもおいしくて本は面白くて、
平穏に過ごせているだけですごいことだよなぁ。

お盆休みのないわたしには、今日の休みは大事だったんだけど、結局一歩も家から出なかった。
3食作って3食おいしかった。好きなだけ本を読み眠くなったらうとうとしてカメラをいじって、
調べ物をして、最高なのにどこか寂しかった。でも一昨日読み終わった本に書いてあった。

>寂しいおもいをするときもあるだろう。しかし寂しさのなかにさえ一種のすばらしさがある。
すくなくとも、寂しいときには自分になりきっていられるから。
パットは鳶色の頭をふりふり、鳶色の目をかがやかせた。「自由はうれしいものだわ。」
(モンゴメリー「銀の森のパット」)
・・・ふー、全くその通りだわ。ひとりでほんのり寂しいときって、
誰かと一緒にいるために無理してないし、自分を殺してもいない。自由だ。


明日は計画を立てよう。Twitter時代から言ってるけど、計画はわたしを救う。


猫のお誕生日である。クロちゃんおめでとう。
6年前に保護猫を貰ったので、お誕生日ははっきりしないけど、大体この辺と思われたので、
和歌山で生まれたパンダの彩浜(さいひん)と同じ日にしたのでした。どっちもかわいいねぇ。


去年、カルヴァドスに南高梅をつけた梅酒はりんごの香りもしてすごく美味しいんだけど、
うちには今、山崎のモルトブレンド梅酒もあって、
これもコクのあるウィスキーの香りと梅の香りが複雑に良くて後味にウィスキーが出てくる感じで、
梅酒の甘さがしつこくてずっと苦手だったわたしには飲みやすい。
まあ無理して苦手な梅酒飲まなくてもいいけど、ウィスキーブレンドなら美味しく飲めそう。


お盆は息子がいたりいなかったり、夜中の1時前に帰ってきたり3時過ぎに帰ってきたりで、
眠りの浅いわたしは玄関の鍵の音で目が覚めてもう眠れず、体調のすぐれない毎日だった。
今日は息子が出て行ってから、亡くなった懐かしい人の回顧展に行って、
懐かしい友達と飲んで帰って、いつもの日常に戻るかな。
週末に息子の布団のシーツを洗おう。


浴衣は家で、洗濯機でどんどん洗う。干して畳んでしまう。
畳むのはめんどくさいけど、嫌いじゃない。物を置いてない和室で丁寧に畳む。
1枚ずつ着て洗ってしまって、7枚持ってるのだけど、週末ごとに一通り着たら大体夏が終わる。


寝てる時に一晩に2回くらい、急に暑くなって汗をかく。
そしてすぐ冷えて寒いのに汗が出るしんどさ。
室温一定の快適な部屋なのでわたしの自律神経がおかしいのよね。でもこれは昔から。
更年期のホットフラッシュより前から、ずっと自律神経はポンコツだった。


「ゾマーさんのこと」について話してるポッドキャストを聞いてて、
ドイツの戦後文学は戦争の傷跡が見えるものが多いし、その傷は加害者としての傷で、
いい小説もたくさん生まれたが、日本には加害者としての文学がほとんどない、なんでだろうね、
というようなことを言ってた。
加害者としての文学どころか、加害はなかったと言い出す人までいる。
市井のネトウヨだけじゃなく都知事のような人までが。ほんとなんでだろうねぇ。


母の家から弟家族と花火を見た。ここは特等席なので以前から花火の日には集まっていたけど、
過去には嫁姑問題の時期があったりもして、毎回気持ちよく楽しめたわけではないけど、
今はみんな和やかに楽しくしてる。良かった。
ワイン飲みながらご馳走食べながら涼しい部屋から花火を見ます。


いろんな読書会に行ったし、自分でもいくつかの読書会をしてみたけど、
小さい読書会をいくつかするのが楽しいかなーと思う。
映画も本も感想を言い合う時間は楽しい。


自分の特性が普通の範囲を超えてるところを以前付き合った人に指摘されて、
それはその人が逆方向にブレすぎてるからそう見えるだけだろうと思ってたけど、
よくよく考えたらわたしは自分で思ってる以上に強く自分の特性に支配されてるのがわかった。
ただ、異常に空気を読んでびくびくオドオド生きてるので人には知られにくいみたい。


今日は、新しいベトナム料理屋でランチを食べて、仕事の後友達とお茶をして、
猫とベッドで本を読み、お風呂で別の本を読み、映画のレビューを一つ書いて、
とても良い普通の1日でした。
寝る前に高くなく美味しいウィスキーでハイボールを2杯飲みました。


折りたたみじゃない日傘を買った。折り畳みをずっと愛用してたけど
畳んだり広げたりが多いと折り畳みじゃない方がむしろ邪魔にならない気がしてきたので。
カバンが小さいので折り畳み傘を無理やり入れるのも窮屈だし、
すぐ開く時もいちいち畳むのが面倒だったし、普通に傘として長いのを持ってる方が楽かもと。
折り畳みじゃない日傘は、昔買ったお気に入りの麻のチェックのがあるけど、
真夏の暑さにはこれだと十分じゃないのよね。日焼け的にも日除け的にも
影が真っ黒になるしっかりした日傘じゃないと、もう無理。


気を取り直して、今夜は息子が釣ってきたのを冷凍してあったイカで、イカ飯を作ってみよう。
イカ飯作るの初めてだけど初めてのことは楽しいよね。
イカ飯を作ってる。お米はもち米とうるち米と半々にして、椎茸とイカのゲソを入れた。
息子の釣ってきたスルメイカ、おいしくできるかな〜

おいしくでけた


残りの大根カレーで明日のブランチはカレーうどんにする。
そのあと浴衣を着て落語会に行って、流しそうめんを食べる。
「カレーうどんを食べてー流しそうめんも食べるー」と大きな声で出鱈目な歌を歌いながら
トイレ掃除をしました。


今朝は、枕元ででれーんと手足を伸ばしてお腹を見せてぐっすり寝てる猫の爪を、
6つ切れたので良い日。爪切りは痛くないしすぐ終わるし終わったら褒めるのに、
猫は手足の先のほんのちょっとを一瞬でも拘束されるのが嫌いなのか、
起きてる時にはできません。


出かける前にソファに寝転んで本を読んでいたら、猫が来て横にちょこんと座る。
しばらくしたら猫も寝転んでその後の2回目くらいの寝返り(猫はよく寝返りする)で
やっともたれてくる。
うれしいけど、その頃ニンゲンは寝返りしたいしトイレにも行きたくなる頃なのよね。
でも動くと猫はどこかに行ってしまうから、もったいなくて動けない。つらい。笑


息子が釣った剣先いかの冷凍を早めに食べようと冷凍庫を見たら期限切れの立派なアサリがあって、
朝スムージーにするパプリカもあって、簡単パエリヤミックスが
スパイス瓶の底に1センチくらい固まってるのもあったので、今日のブランチはパエリヤです。

パエリヤパンはないので、ストウブの鍋かオーブンで作るかがおいしいだろうけど、
ハリオのガラスのレンジ炊飯鍋で作ることにした。
前にこれで具沢山炊き込みご飯したら不味くはないけど微妙だったのに、懲りないわたし。
今回はイカとエビとアサリはさっとワインににしたのは取り出しておいて、
そのスープとパプリカ、鶏肉少しだけ炊き込む。

正確にはパエリヤではなくパエリヤ風炊き込みご飯ですね。
ご飯から作る洋風雑炊をリゾットと呼ばれるといちいち不機嫌になるくせに、
パエリヤ味の炊き込みご飯をパエリヤと言ってしまうガサツさをちょっと反省。

アサリを酒蒸しするために、仕方なく仕方なくワインを開けたので、仕方なく朝から飲みます。



友達のワインバーでいつもの映画の会の後、立ち飲みで少し食べて飲んで解散。
家の前まで戻っても素通りして私鉄に乗り換え、
沿線のワインバーでクリュッグを飲んで、映画の話をめっちゃして帰宅。
このワインバーは時々行くけど、何と今まで一度も酔っ払ったことがない…笑
ソムリエの女性の距離感がほどほどでちょうどいいのだなぁ。
友達のワインバーはスーパー好きだけど、ほどほどの距離感のワインバーも良いものです。


サマソニで10時間くらい戸外にいた友達の話を聞いただけで眩暈がする。
最高気温37度とか(体温より高い!)の日に日陰であっても戸外にいられるのは
日傘をさしててて30分までかなぁ。
そしてその30分の後はシャワーして着替えて寝るまでエアコンの部屋でダラダラ休まないと回復しない。


猫は気ままだし、人間が何か言っても通じないよなぁと思ってたんだけど、
気にせずずっと話しかけてたら、6歳を過ぎて、言葉が少し通じるようになってきた感じがする。
昼休み、ソファで、もうすぐ仕事に戻るから仲良くするなら今やで、おいで!って声かけたら
振り返って少し考えてからトコトコ来た!
しかし、病院に行く必要性や爪切りの必要性や何も痛くないことをこんこんと説いても、
それは聞く耳持たずである…(^_^;)


猫がかわいくて仕方ないんだけど、子猫の頃はかわいさより大変さが大きかったし、
その後は自分の人生に振り回されてかかりきりになってたりで、
猫をかわいいなぁとしみじみ愛でる余裕があまりなかった、大事にはしてたけど。
最近はその余裕があって、ますますかわいい。
人間の子供を育ててる時は結局余裕がないまま成人してしまって、悪かったなぁ。

何かを好きになるのもかわいく思うのも、余裕がなければなかなかうまくいかないものね。



人と会う日は、好きな服というより似合う服を着る方が多いかも。
似合ってるとその日1日ほんの少し強気でいられる。
(普段が弱々なので、強気と言っても普通に弱気のままですが)。
でも人と会わない日、仕事行って帰るだけの日は似合わなくても着心地の良い服や、
色柄の好きな服を着る。誰に見られることもないし、
その服の肌触りやふんわり揺れる裾や色柄を幸せな気分でひとり楽しめる。
似合ってなくても何も気にしないでいいので、誰にも会わない日も好き。


お米は1、2キロずつしか買わないし、2キロあればひと月もつし、
まだ1キロ弱あるから全然焦ってないけど、スーパーやデパート見ると本当にないね。
需給逼迫の問題はせいぜい数%って新聞で読んだけど、それでこんなに空っぽになるのは、
買い占めしてる人たちのせいだろうなぁ。気持ちはわかるけどあさましいねぇ。

わたしは面食いではなく麺食いでもなく米食いですが、米がなければうどん食べるかと思うし、
まだ暑いので素麺もいいし、冷麺も美味しいし、お蕎麦も好きだし、
パンも焼くのも食べるのも好きだし、米がこの世からずっと無くなるわけじゃないんだから、
ちょっと切れてる間は別のものを楽しもうと思う。買い占める人はなんなんだろう。
米しか食べない幼児がいるなら仕方ないか。小麦粉などのアレルギーの方も仕方ないね。


今月地味に暮らしてたなぁと思ってたけど、家計簿見ると確かに生活費いつもより結構少なめで、
わかりやすいな、なるほどーと思う。
人と夕ご飯を食べたのは3回だけどどれもそんなに飲んでないからか。
一人飲みも2回だけ、新しい店といつもの店。


今日は予定を入れない日にして家から一歩も出ない。
猫と寝転んで本を読む。
あと玄関周りをすごく片付けた!靴やブーツを10足くらい捨てた。
もう履けないけど綺麗で好きで捨てられなかった靴も捨てた。


一昨日、セラーから出したばかりの時に渋くて硬くて美味しくなかったバローロ、
室温に2日置いて今日はとても美味しい。

8月のつぶやき:前半

2024-09-15 | つぶやき
中国人韓国人お断りの張り紙を出していた大久保バルの前を通ったら、
それはもう消されてたって聞いたけど、
途中の経過を見てると自らの差別を自覚して反省したようには思えないけどどうなんだろうなぁ。
日本で中国、韓国と名指しにする民族差別って、過去の植民地を名指しにしてるわけで、
ただの差別以上の問題よね。
ドイツの店で「ユダヤ人お断り」、イギリスの店で「インド人お断り」と書くようなもので、
そう考えるとどれだけダメなことかわかりそうなものだけど。


花火の人出に巻き込まれた。でもまだこの時間はましなのか。ひー。
オリンピックがいつやってるかも知らんのに、花火の予定など知ってるはずがなくて、
ぼーっと映画を見てる間に、街は浴衣の若者だらけに。


>長崎市であさって行われる平和祈念式典にアメリカやイギリスなど、少なくとも6か国の駐日大使が欠席する意向を示していることがわかりました。イスラエルが招待されていないことを理由としています。
・・・何重もの怒りが湧いてくるわ。
イスラエルに怒り続けてきたけど、イスラエルだけじゃなくもう
世界の大部分に怒らなきゃいけないようになったのか…
無理を通せば道理がひっこむという言葉のままの世界。。


息子が明日の夜に帰ってくると思ってたら今夜だった。
すっかり猫のベッドになってる息子の布団をきれいにしなくては。


Kindleの調子が悪い…猫と寝転んで読むのが最大の楽しみなのに。
ゴーストタッチは再起動したら一旦直ったけど、さっきは画面が真っ白になって、また再起動した。
買い換えようかと思ったけど白いKindleは今はどこにもない。
いろんな機能はいらないから白くて小さいのが欲しいのよ〜。
今のは3年ほど前に買った第10世代の一番安いKindleの白いやつ。
私にはこれで十分なので、こわれないでー


イスラエルに関して、そもそもハマスが悪いと言うのをすごくしょっちゅう見かけるけど、
「そもそも」ということならますますイスラエルが悪いと思うけど、なんでそうなるのだ。


Duolingoのフランス語を主にやっているのですが、彼女と別れた女性や、女性同士の結婚や、
30年前に出会った時に流れていた歌の話をしてダンスをするゲイのカップルがごく普通に出てきて、
これはフランス語だからなのか、韓国語や英語にも出てくるのかわからないけど、自然で良いです。


Kindle本のまとめ買いキャンペーンで10冊以上だと10%ポイントがつくというので、
買おうと思ってた10巻セットを買ったら、10巻でも1冊扱いだった件・・


今月は源氏物語の読書会に行けないけど、読んでると喋りたくて、うずうずするところが多い。
光源氏に怒るのに飽きてきたところなので、光の死んだあとの話になってやっと気分がかわってきた。


それはそれとして「チボー家の人々」も読んでてモゴモゴいいたことはいろいろるので、
小さい読書会をして話す予定で楽しみ。
今日は久しぶりにTwitterで猫のことなど呟いたけど、
基本、もうXにはいません。本や映画や生活や猫のことは別のSNSでやってます。


映画館に避暑に来たけど、わたしのテリトリーの映画館で唯一駅から少し歩くのがここ。
(他はほぼ全部駅直結)
夏は炎天下歩きたくないのに、毎年夏に限ってここで見たい映画が満載なのはなぜ。


花火大会で、たくさんの若い人の着慣れない浴衣を見ると、
普段着付けに自信がなくてひどいものだと思ってる自分の着付けがずいぶんましに思えてくる。
そんな浴衣下手な自分なので、着物警察にはなれませんが、
男子の帯の位置が普通にウエストのへんなのは誰かなにか言ってほしい。
今どきの細い男子がウエストマークしてキュッと締めてるのほんとにかっこ悪い。腰で着て!
時代劇見たことないんか?と思ったけど、時代劇って最近やってないのね(^_^;)


熊を捕まえる夢を見た。熊が出て、誰かが頭を殴って気絶させた。
持って帰れるよと言われてなぜかわたしが持って帰ることに。
途中で目を覚ましたので、また頭を殴って気絶させた。
痛いだろうしかわいそうで、どうしていいかわからなくなってすごく途方に暮れた。
家に着いたらまた目を覚ましたので、何か巻いてラップの芯の筒みたいなところに入れて
手足が動けないようにした。かわいそうに。ごめんね。
怖くてパニックになったときに現れる自分の暴力性に怯えて後味が悪い夢だった。

熊は好きなのに。好きだからか。近くの山のお寺にいる熊のとよに1年以上会ってないせいか。
会いに行きたいけど暑すぎる。とよ、秋になったら会いにいくからね、



久しぶりに、初めての店での1人飲みで、雷雨に負けず浴衣で来たこともあって、
店主が感じ良かったこともあって、お造りの好みがバッチリだったこともあって、
大変良い機嫌になってきておるです。
酒盗は酒泥棒なので一人飲みでは頼まないようにしてるけど、
クリームチーズではなく自家製リコッタということと、
あと茗荷入りなのが気になって頼んだけど、ほんとに酒泥棒だなぁ。(おかわり)

初めての店では、ついどんどん頼んで、中々たくさん飲み食べる人になります。
でも昔は人の3倍食べ飲みしたのに、今は人の2倍くらいになってしまって寂しい。笑
とてもいい店だけど、客が多くてワンオペで丁寧な店は、一人飲みにはちょっと間が長い。
こういう店は前の彼ときたら良かったななどと思うごめんよ。
と書いてから、いやでも今の一人飲みの方が楽しくないか?と自分に問うと、
そうだな、と思うので、何もまちがってないのだった。

初めてって楽しいよねー。

二人分くらい飲み食いし、気分が良いので近くのスタンドへ。
消化剤的にアイラのウイスキーを2杯飲んで帰り道。
良い日曜の夜だった。
こういう良さは、一人でないと味わえない。


有吉佐和子の話をしてて、そういえば「悪女について」は週刊朝日に連載時に
リアルタイムで読んでたなぁと思い出す。1978年だから中学一年生くらいか。
「悪女」という大人の響きに少しドキドキしながら読んだ。
なんかリバイバルヒットしてるらしい「青い壺」を読んでてすごく面白いんだけど、
次は「紀ノ川」かな。和歌山市民図書館の有吉佐和子の部屋は気持ちいい場所だった。
その頃すごく好きだった人と行ったのよね。
今度はひとりで自転車持って行って、一泊しよう。


「チボー家の人々」1巻、主人公のジャックがなかなか出てこない。
わりと最初の方からチボーパパがムカついて、この先この権威主義的男に耐えられるのかわたし。
兄ちゃんのアントワーヌはまともな人柄に見えるけど、この時代はそういうだったのか
濃い顎鬚にがっしりした顎、とマッチョな風貌に描かれてるけど
わたしの中ではシュッとした誠実そうなイケメン。今のところ。
(2巻に入るとやや貧相に痩せてて胴が長くて足が短いと書かれててイメージが・・・w)

訳は古いんだけど、その時代には新しいような使い方だったのか「おひゃらかす」とか
「えげつないにおい」とか今読むと違和感のある使い方の言葉もあったりする。笑

ジャックとダニエルの早熟ながら幼い思春期のアンバランスさに共感羞恥が・・・

ジャックの容貌に関しては醜いとか形の悪い鼻とか、イケメンではなかったのね・・・


うとうとしかけた頃に猫が吐く。ケポケポというか、コトコトというか、
なんか箱をカタカタ振ってるような音を立てて、少しずつ何箇所かで吐く。
カーペットの上はやめて〜と思うけど、大体カーペットで吐くから高いものは買えません。
夜中に片付けてふきふきx4箇所。なぜ動きながら吐く…
猫はよく吐くので、まあ元気ならどこで吐いてもいいけどね、とぼやきながらふきふき。
猫が一才すぎてからは、猫に怒ったことは一度もない。
どんな悪さをしても爪切りできなくてもわがままでも噛んでも引っ掻いても、
元気ならそれで良いです。でも子猫時代はあまりに悪魔で、流石に時々怒ったなぁ。


母が2度めのカテーテル手術をして今回は3つもステントを入れた。
手術は長引いて母はだいぶ疲れてたけど予定通りの日に退院できそうです。
医師にレントゲン?動画?を見せてもらったけど、ステント入れて血管がしっかりとして
血液が流れる様子がよくわかった。血管大事ね。
父も心臓だったし祖母も心臓だったのでわたしも気をつけなくては。


ずっと休館しててこの春リニューアル開館した、大阪中之島の東洋陶磁美術館に行った。
馴染みの器たちに挨拶してスターをしみじみ愛でて楽しかった。
スターは国宝のあの方やあの方。国宝は流石だけど無冠の愛する器たちにも会えて楽しかった。
みんな、かわらずかわいくてうれしい。


ぬる目のお風呂で本を読んでるうちにお湯は冷めてわたしも冷えて、だとお風呂上がりが楽だ。
冷えないままお風呂を出ると何時間も汗が引かず眠れない暑がり。
今日は久しぶりにスクラブをして、ボディミルクも丁寧に塗って全身しっとりして気持ちいい。


昨日は甘酢生姜をつけた。
いつもは茹でたりせずに薄切りをそのまま漬けちゃう派なのですが、今年は少し茹でてみた。
お湯でなく調味酢沸かしてさっと茹でて漉してから、新たな調味酢に漬けるというやり方でやってみた。


立派な米ナスがあったので、炒めてソースとチーズかけてグリルで焼いた。
美味しくて久しぶりに赤ワインを開けたけど、半分くらい食べて、うーん、
こういうのはこの5分の一くらいの量を食べるのがいい気がする。
ナスは油をたくさん吸うので、ナスだけ食べてると油で疲れてきた。
色々おかずがあるうちの一つにしとけばよかった。


猫と並んでベッドに寝転んで、猫を撫でながら本を読むのは何ものにも代え難い幸せな時間なんだけど
その時に本じゃなくポッドキャストとかを聞いてると猫が近寄ってこない。
知らん人の声は嫌なのかな。猫が来ないとつまんないので、聴くのはやめて、Kindleを手に取る。
Kindleは文庫本より軽いし薄暗くても読めるし字を大きくできて老眼鏡もかけないでいいので、
ベッド読書には最適。
隣の部屋のエアコンで間接的にほんのり涼しい北側の部屋のベッドに寝転んで、
片手にKindleを持ち、片手で猫を撫でる。王様より幸せだけど、王様も真似していいよ。
家にいると本当にしょっちゅうしょっちゅう猫を撫でてるので猫的にはうざいかなぁと思うけど、
猫は我慢しないので逃げずにゴロゴロ言ってるなら大丈夫よね。


30年ぶりくらいに幸せに読み返してて、ラストはほろほろ泣いてしまった。
自分の中に変わってない良い部分がまだあるんだなぁと思ってうれしいし、
それを素直に持ったまま生きて来れなかったのはやり直せなくて悲しい
しかし今のわたしは「銀の森のパット」ロスである。銀の森の世界が好きすぎる。


夏野菜の天丼。コーンと枝豆のかき揚げはめっちゃ油はねて大変だった。もう家ではやらない(^_^;)
エビの天ぷらが特に好きではないので長年の天丼に興味がなかったけど、
かき揚げや野菜天ぷらの天丼は好きなことに気づいて、最近はたまに作ります。

パーティが終わって

2024-09-14 | Weblog
「パーティが終わって中年が始まる」という本が6月に出ていました。こんな説明。
>定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より  若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

本読んでないので内容については語れないけど、
パーティは終わったっていう表現はエモーショナルで感傷を誘う。
元々は英語の表現の party is over から来てるんだろうけど、
初めてこの表現に出会った時には、その頃の日本ではカジュアルではなく
華やかな印象を持つパーティというものの語感を少し大袈裟に感じて
かえって印象的だと思ったのだった。外国っぽい表現だよね。

若い時代からから中年になるときには、わたしは特に何の感慨も持たなかった。
若い頃にあるべきパーティのような青春自体がなかったからね。
でも中年の時期もそろそろ終わりでとうとう老年に入ってきたなぁと感じるようになった今は、
じわじわと何かが終わった感慨が深くなっていくのを感じている。
何より体が変わってきたからね。気持ちの問題じゃなく否応なく衰えを日々感じさせられるから。
中年になった時の体の衰えは年齢なりにゆっくりとしていたけど
老年になる時の衰えは年齢なりの変化というよりは、人間としての生きている体の機能が
確実に終わりに近づいてきたのを感じさせるし、機能によっては、はい終了というものもある。
人生の野心の先が見えてしまうのが中年になることなら
人生自体の終わりがはっきり見えてくるのが老年かなぁ。

だから中年になった時のことを、中年も終わりにさしかかってから振り返って思うことは、
若いパーティーが終わっても、中年には中年のパーティがちゃんとあったなぁということ。
もちろん若い時のものとは違うパーティではあったけど、それでも終わってみるとやっぱり
それらの日々はパーティと呼んでいい気がする。
そして、中年が終わると本当にもうパーティは終わった気がするけど、これも多分違う。

冒険も出会いも目が覚めるような感動も、まだ自分にあるとは思う。
まだ馬鹿なことをするだろう。うわついたこともするかもしれない。 悪ノリもする。
ただ体力も、想像できないほどの未来ももうないから、やっぱり随分違うだろうし、
なんならただ平穏で、どこも痛くないというだけでありがたく、
(そんな日はどんどん減っていくのだ)
それだけで気分はパーティといえるほど、
小さくてごくささやかなものを、ありがたがって生きていくのかもしれない。

パーティというものの中身は変わるけど、生きている間ずっと
その人なりのパーティは続くのではないか。
年を取れば取るほど思うけど、生きているということだけでもうパーティだよね。

月記:2024年8月

2024-09-12 | 月記
春や秋に毎年やってるグループ写真展が今年は8月末にあって
暑い中落ち着かない気持ちだった月。
そして体温より気温の高い日が続いてへろへろで、もうアウトドア度ゼロでした。

・東洋陶磁美術館で国宝油滴天目茶碗を見てからリーチバー
・友達と六甲の美味しいトルコ料理
・数年前亡くなった映画祭仲間の追悼の展示へ
・母のマンションで猪名川の花火を見る
・藤田美術館で国宝曜変天目茶碗を見る
・住吉の熊の目寄席で瓶吾さんと瓶生さんの落語
・毎年恒例の写真展
・逸翁美術館 いきもの図鑑展
・気になってた初めての蕎麦屋に行く
・母の2度目の入院手術(問題なく終了。退院)
・息子の帰省
・靴を10足くらい捨てたら玄関スッキリ

映画館で観た映画:「時々、私は考える」「墓泥棒と失われた女神」
「美食家ダリのレストラン」「フォール・ガイ」「マリウポリの20日間」
「ブルーピリオド」「箱男」

配信で観た映画・・・覚えてないのよねぇ。いつも忘れる。

「猫はしっぽでしゃべる」

2024-09-06 | 本とか
数年前、本屋さんに関する本をたくさん読んでいたことがあった。
本屋さんの書いた本、世界の本屋についての本、
本屋を始めることについての本…
「奇跡の本屋をつくりたい」「まちの本屋」「本屋はじめました title」
「本屋になりたい「わたしの小さな古本屋「古くて新しい仕事」
「世界の夢の本屋さんに聞いた素敵な話」 etc...

わたしは本を読めなくなった時期があったし、それが治るまで随分かかったので
若い時以外ではさほどたくさん読んでいる人ではないのだけど
本屋さんに憧れがあったのでしょうね。
本屋さん関連の本をたくさん買って、半分くらいは読んだけど、まだあと10冊弱残ってる。
久しぶりにその中からまだ読んでない本を1冊、お風呂でゆっくり読みました。
熊本の橙書店という本屋さんの方が書かれた本です。

この本を買ってから読むまでの間に「苦海浄土」を読んだし、水俣にも行ったし
京都から熊本に引っ越した本屋さん「カライモブックス」にも行ったし、
気がつくと少し熊本の本や文学や本屋さんの世界が少し身近になっていました。

元々この著者の田尻久子さんは、熊本の地震の直前に「アルテリ」という文芸誌を
数名の有志と創刊したそうなのですが、その発案をしたのが
「苦海浄土」の石牟礼道子さんを支え続けた渡辺京二さんで、
著者は当時ご存命だった石牟礼さんとも交流があったようですね。
熊本で、文学に関わっておられる方は、繋がってるんだなぁ。いい繋がり。

最初は喫茶店をやっていた著者が隣の物件も借りて
喫茶店と行き来できるドアをつけて本屋さんも始め、多くの人が訪れるようになったのですが
その交流範囲は熊本にとどまらず、世界的に有名な写真家の川内倫子さんの話などもあって
地方で小さな店をやることでこんなに広い世界を持つこともできるのは
この方の魅力によるものでしょう、やや淡々としながらしみじみと良い文章を書かれます。

以下少し引用
「物心ついた頃から、たくさんあることが苦手だったように思う。店内を一度に見渡せる本屋さんは、心が安らいだ。どんなに狭くても、不十分な品揃えでも、そこは小さな私にとって無限に広がる場所だった。たくさんあると、そわそわ落ち着かない。あれもあり、これもあると急かされているようで辛くなる。」
わたしのことか!と思った。このブログでも何度も大きな本屋さんや多すぎる情報に
わたしはパニックになってしまうと書きましたね。

著者が武田百合子の随筆集「ことばの食卓」の中で一番好きな部分は、
夫の泰淳が枇杷を食べた時に言った言葉から続くところだで、それは
「こういう味のものが、丁度食べたかったんだ。それが何だかわからなくて、うろうろと落ちつかなかった。枇杷だったんだなぁ」
というところなんだけど、この感慨もよくわかる。田尻さんではなく武田百合子の文章ですが。

言葉を発することのない胎児性水俣病患者の話では、
彼らは言葉だけでなく生活も奪われた、私たちみんなが奪ったのだと言う。
「彼らは、体中でことばを発していたのかもしれない。私たちが使っているよりも、ずっと雄弁なことばを持っていたのかもしれない。猫だって、言葉を持っていないのではなく、彼らの行動がことばそのものだ。その猫たちが最初に水俣病になった。私たちは彼らにも謝り続けなければならない」
猫がここで出てくることを不謹慎だと言う人がいるかもしれないけど違うよね。

「涙腺は、ゆるくなるのではない。よく、年をとって涙もろくなったと老化現象のように言われるが、泣く筋力がつくのだと思いたい。本を読み映画を観る。誰かに会う、言葉を交わす。たとえひどい出来事を経験したとしても、人は必ず何かを得ている。経験は想像力を与えてくれ、泣くツボを日に日に増やしていくのだろう。」





映画:スープとイデオロギー

2024-09-05 | 映画


2022年の夏に見たんだけど複雑な気持ちで見たので感想を書いていなかった。
ドキュメンタリーは監督が前に出ないものが好きだけど
これはもろに監督の母親や家族、そして監督自身の人生を描く映画なので
エモーションやメッセージが強くて、それに疲れてしまう部分もありました。
でも今予告編を見直すと、引き込まれる自分がいます。いい映画だわ。

イントロダクション(公式サイトより)
ひとりの女性の生き様をとおして
国家の残酷さと運命に抗う愛の力を唯一無二の筆致で描き出す
年老いた母が、娘のヨンヒにはじめて打ち明けた壮絶な体験 —   
1948年、当時18歳の母は韓国現代史最大のタブーといわれる「済州4・3事件」の渦中にいた。
朝鮮総連の熱心な活動家だった両親は、「帰国事業」で3人の兄たちを北朝鮮へ送った。父が他界したあとも、“地上の楽園”にいるはずの息子たちに借金をしてまで仕送りを続ける母を、ヨンヒは心の中で責めてきた。心の奥底にしまっていた記憶を語った母は、アルツハイマー病を患う。消えゆく記憶を掬いとろうと、ヨンヒは母を済州島に連れていくことを決意する。それは、本当の母を知る旅のはじまりだった。


ストーリー(公式サイトより)
大阪・生野区生まれ、在日コリアンのオモニ(母)。
2009年にアボジ(父)が亡くなってからは大阪でずっと一人暮らしだ。
ある夏の日、朝から台所に立ったオモニは、高麗人参とたっぷりのニンニクを詰め込んだ丸鶏をじっくり煮込む。
それは、ヨンヒとの結婚の挨拶にやって来るカオルさんにふるまうためのスープだった。
新しい家族に伝えたレシピ。突然打ち明けた「済州4・3事件」の壮絶な悲劇。
アルツハイマーでしだいに記憶を失なっていく母を、ヨンヒは70年ぶりに春の済州島へ連れていくー


わたしの父は済州島の人ではなく事情は違ったかもしれないけど、
このオモニ(お母さん)とほぼ同じ世代でほぼ同じ頃に同じように日本に来て同じ頃に日本で亡くなった。
わたしは最後まで父を許せず好きになれなかったので、
それでとても複雑な気持ちでこの映画を見ることになりました。
このオモニの気持ちもわかるし、それがやっとわかったと泣く監督の気持ちもわかるけど、
わたしにはこの物語の他にもわたしの物語がまたあるもんなと思う。
子どもであっても自由を侵害し人権を踏み躙り、人の人生を支配するものが
人でも体制でも親でも許せないのは何を見ても多分一生変わらない。
かといって虐殺も許せないので、結局わたしは何も許せず世界全部が敵のようなものなのだな、
という孤独な気持ちにも少しなりました。

監督自身、ご両親の生き方にはずっも釈然としないものがあって、でも
オモニの人生を知りオモニを理解して初めて認めることができたのでしょう。
ただ、オモニの人生の悲惨な体験からの選択だったとはいえ
子どもたちを北に送って人生を変えてしまった(おそらく悲惨な方に)ことや、
自分の子供たちだけでなく帰還事業を推進することで多くの他の人々の人生も変えてしまったこと、
などはまた別の話で、それもまたなかったことにはできないなとも思います。

わたしは今はずいぶん自由になったし、自由の幸せを堪能しながら生きている。
そして自分が落ちついて満たされたらやっと(50歳を過ぎてやっと)
家族のしがらみが悪い面ばかりでもないのだろうなとも思えるようになりました。
それを支えに生きられる人もいてそういう人を否定できないなと思う。
だからこの映画もこのオモニの人生も思想も批判する意図は全くないのです。
映画では「親を赦す」ためには親の人生を知り、理解することが必要だったその道筋もよく描かれていて
わたしも含めこの物語に胸を打たれる人は大変多く、この映画は確かに必要な映画だと思っています。
わたしも含め個人個人の想いはもちろん個人個人が大事に持っていていいけど、
でもこういう大きな背景のある人生を見せる映画も、積極的に見ていくべきなんだろうな。

映画:ブルーピリオド

2024-09-02 | 映画


その昔美大に行きたくて表現することに焦がれて焦がれて焦がれて…だったわたしは
主人公の感じることを何もかも知ってる!という気持ちになりました。
とはいえ、そういう気持ちももう遥か遠く、子供や孫を見るような気持ちで見てしまう。
それは心穏やかではあるけど、同時にもう自分の人生に「これから」はないという諦めでもあるので
いいことなのかどうか?

お話は、友達と遊んだり要領よく勉強したりして手応えのない日々を過ごしていた主人公が
絵に出会い、表現することを知り、もっと絵を描きたいと願い、
芸大受験に向けて努力する1年半ほどの日々が描かれます。

個人的には、特に芸術に関して、芸大だけが芸術をするための道みたいなのはどうかと思うし、
東京芸大という最高峰の難関(エリートコース)を目指すことは
芸術自体とは関係ないことと思うけど、そういうことはひとまず忘れて素直に見ることにしました。
だって、この映画、大人も子供もみんないい人しかいない優しい世界なんだもの。
主人公が何よりまず素直で優しい。
よくある屈折や反抗が全然ないし、邪魔者も足を引っ張る存在もなく、
親や教師との対立や、悪い仲間による誘惑や、挫折によるヤケクソや
そういう定番のものが何もない。びっくりするほど、ない!
肩透かしのような、ほっとするような、むしろ新しいような。「いまどき」なのかな。
物語もまた、好きなことを見つけた子が努力し成長し夢を掴もうと歩む青春を
びっくりするほど超素直に描いている。

でも、なんだな、やっぱり素直って強いな、としみじみ思った。素直が一番だな。
そしてベタなところで泣かされたりもした(ケーキ食べるシーンとか、お母さんを描くシーンとか)。
とにかくなんとも後味のいい映画でした。
若い子の映画でこんなに素直に気持ちよく見られるのは、わたしには珍しい。
「ルック・バック」は心震えたけど、こちらはもっと素直に気持ちいい後味でした。

そしてアップに耐えるどころか、ずっとアップで見ていたい主人公やその先輩の女の子のお顔の
若くてきれいなこと!主人公は顔はきれいだけど、声は低くて男っぽい美声なのも良い。
この子、後で知ったんだけど俳優の千葉真一さんのお子さんなのね。
背が高く整った顔で声も良く、身体能力高く語学も堪能となるとこれからが楽しみ。
続きが出来たら絶対見そうです。
そういえば「溺れるナイフ」の菅田くんもだけど、わたし金髪の似合う男子に弱い気がする。笑

あと、エンドロールの音楽がおわった後の沈黙の後、紙に硬い鉛筆?や木炭?で描いてるような
カリカリいう音がしばらく続くのがとても良かったです。
あざとさのない素直な演出ながら、これはグッと余韻をひっぱりました。

映画:プチ・ニコラ

2024-09-01 | 映画


副題に「パリがくれた幸せ」とあるけど、これが確かに飾りではなく
内容もパリが舞台で合ってるんだけど、それでも要らんと思う。

これの少し前に見た「猫ととうさん」くらい疲れない映画(褒めてる)。
(「猫と父さん」は猫を飼ってる男性たちのドキュメンタリーで
どんなに疲れている時でもリラックスして見ることができる映画でした)

サンぺの描く「プチ・ニコラ」は若い頃に読んでかわいくてかわいくて大好きだったし
文庫本で持ってたと思うけどその本の感じも覚えてる。
若い頃は外国といえばとにかくパリに憧れてたオリーブ少女だったし、
その頃のパリってグラッペリのバイオリンとサンペの洒脱な絵を思い浮かべて、
今ではちょっとノスタルジックで甘い気分になる。
そのプチ・ニコラがアニメーションで動くだけでも楽しいのに、
同時にニコラの二人の作者の背景や友情も見られて大満足。
ニコラの声も、本当にイラストの通りのかわいい声で、たまらん。
小さい子供の声の外国語にすごく弱いです(日本語も可愛いけど)。

舞台は1950〜60年代、絵を描くジャン・ジャック・サンペと文を書くルネ・ゴシニは
二人で小さなニコラの物語を作り出す。
映画では、そのニコラがアニメーションとなって楽しい日々を繰り広げる一方、
作者二人の人生の苦しかった時期を垣間見せる。
サンぺは養父母に育てられたり、義父にDVを受けたりと幸せでない子供時代を過ごすし、
ルネ・ゴシニはユダヤ人でアルゼンチンからニューヨーク、そしてパリと移り住んだけど
戦争中はナチスによる暗い思い出がある。
でも二人の作ったニコラの人生は安心と愛情と笑いに包まれた暖かい世界で
それが世界中の人々だけでなく作者二人も癒していく、というようなお話。
20世紀のヨーロッパの話は、いつもどこかに必ずナチスの暗い影が出てきますね。
とはいえ、重い映画ではないので、安心してみてください。
(去年の映画だけど感想書くの遅すぎ)