sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

映画:海は燃えている

2017-03-25 | 映画


ドキュメンタリー映画。ギリギリ最終日に見ました。
前に同じ監督の「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」をさっと見たことがあるけど
そっちもまた改めてもっとじっくり見たい気がしてきました。
メッセージを特に押し出すことも、わかりやすい物語もほとんどないので、
ドキュメンタリー映画見慣れてない人にはつかみどころのない映画かもしれません。

イタリア領最南端の島ランペドゥーサ島は、島民5500人規模の小さな島ですが、
年間5万人もの難民が上陸し、難民移民の玄関口、難民危機の最前線と呼ばれ
アフリカや中東からの難民の多くがここを目指すという島。
地図を見るとわかるけど、北アフリカから最も近いヨーロッパ領なのです。

密航船の海難事故も多く、地中海を超えて過酷な条件の船の中で
命を落とす難民も少なくありません。
島には難民救助のための設備が整っていて、無線や救援挺やヘリコプターがあり、
訓練された救援部隊もあるようで、映画ではその様子が映し出されます。
脱水で意識もなく息も絶え絶えな人たち、袋に包まれた遺体たち、
救助後に、力尽きて呆然としている人たち。
島にたった一人の医師は、ひとりひとりを救おうと頑張っているけど
毎回の検死や、この現実に慣れることなどできないと言います。

そしてそういう難民についての映像の合間に、
それとは全く無関係に見える島の普通の人のいつもの日常生活が挟み込まれます。
透明度の高さで有名で、世界有数の絶景にもあげられているこの島の海とも、
押し寄せる難民たちの世界とも別の、ごく普通の人たちの生活。
丁寧にベッドメイクをする女性、イカの煮込み料理の下ごしらえ、
ウニを獲る仕事のダイバー、ラジオにリクエストの電話をするおばあさんなど。
松の木を削り出した自作のパチンコで、
的や鳥を狙うのが好きな12歳の少年についてはもっとじっくりと、
片目の弱視が見付かって治療したり、
漁師の父や、優しい祖母や、友達との日々などをカメラは追います。
でもそれも、平穏な日常のスケッチで、
それぞれ特に大きな物語の起伏はなくドラマチックな感じではないんだけど、
そうやって難民の世界と、それに関係なく続く他の日常とを
交互に映し出す手法が、より現実をうまく描いているように思います。
難民受け入れ最前線の緊迫のリアルも、無関係に見える島民の日常のリアルも、
どっちの世界も同じ島のできごとで、両方淡々とあるのが現実なんだなぁと。

欲を言うと、これだけの数の難民が上陸する島で、
地元の普通の人々の生活とのちょっとした影響や関わりの部分も
なにかあればよかったかなぁとも思うけど。
上陸後に難民たちはすぐにどこか別のところに送られるのかなぁ?
難民たちが集まられている場所で夜にサッカーをするシーンがあるけど、
救助直後は、不法入国者なわけだから、施設の外には自由に出歩けないのだろう。
それで、島民との接触はほとんどないのかもしれませんね。

この監督のインタビュー記事を以前ネットで読んだので抜粋。
「難民の“地獄”と、交わらない島の生活 巨匠ロージ監督×島村菜津が語る」
”映画というのは、世界的言語ですから、垣根のなさは深く心がけています。”
”いわゆるお国自慢の“イタリア人気質”もいいところばかりではないし、他者とのほどよい距離感という点でニューヨークが一番かな。オバマ前大統領は「壁をつくる国家は孤立するだけだ」と言っています。人と人の間に壁をつくる人も、自らを牢獄に閉じ込めるだけです。歴史を振り返れば、壁は常に壊されてきた。だから最近の米国の風潮は非常に残念ですね。”
”若い頃、仕事で東京に約1カ月滞在しましたが、この社会についてよくわからないことがある。だから学生に教わりながら考えてみたいんです。”

ぜひ、この人に今の日本も見て撮って描いてほしいと思いました。

・・・あと、映画に全く関係ないし、すごくどうでもいいことですが
12歳の子供がスパゲティを盛大にずるずるすするシーンが気になって気になって。
日本人がそばをすするのと変わらないくらい、ずずずーっとすするんです。
イタリア人も音立ててすする人いるのか?子供だからなのか?
ちなみにお父さんとおばあさんは、音立ててすすってはいなかった。笑
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2月のつぶやき:後半

2017-03-24 | つぶやき
きれいなものは好きなのにファッションにずっとあまり興味がなかったのは、
結局自分の容姿に自信がなかったからで、
できるだけ目立たない普通の服装をしていたかったけど、
50歳をすぎた今頃になって、ファッションを楽しんでる友達などを見ていて、
自分ももっと楽しみたい気持ちが出てきたかも。
容姿は依然とかわらんのだけどね。


何かに誘う時に、用件を言わずに〜日空いてる?と聞く人も好きじゃないけど
言いたいことがあるのに、話すことがあるんだけど今度にしようかな、
今聞きたい?とかもったいぶった会話の持って行き方する人も好きじゃない。
だいたいたいした内容じゃないし、わたしに関係ないことが多いし。
まわりくどいのや、思わせぶりなのや、もったいつけたのや、
持って回った話し方は、ほんとめんどくさいよ。
なんでそういう話し方するんだろうなぁ。


うさぎのキャラクターって鼻が犬や猫みたいに独立して丸く描かれてるものが多いけど、
うさぎは鼻の上まで毛皮で、ミッフィーちゃんのバッテン印の鼻とお口が正しいのよ。
/(・x・)\


美容院で、主婦雑誌を読んでたけど、節約とか貯蓄とかの特集で、
そういう貧乏臭い記事が嫌いじゃないことに気づいた。
節約というか、ものを持たない暮らしは憧れがあるからなぁ。
リフォーム見積もり予算増えてるし、ちんまりと清く貧しく真面目に生きよう。


ヘアカラー。めちゃ混んでたけど、わたしのあと新しいお客さん来ない。
いつも一番混んでるタイミングに行っちゃうんだよ。
列があると短くても長くても速くても遅くても、
だいたいわたしの並んだ列が一番遅くなる。
悲しいくらい日常のくじ運がない人生。
その分そのうちまとまっていいことあるはず。


トマトとモッツァレラのカプレーゼ、
葉っぱ野菜に焼いた薄揚げと刻んだウィンナトッピングしたサラダ、
セロリにタルタルソースかけたサラダ、の3種類が今、冷蔵庫にある。
あと湯豆腐とウスイエンドウの煮浸しがこんやの献立。
食べ過ぎか。糖質はそんなにないはず。ワイングラス1杯と。

うちのカプレーゼは、モッツァレラは小さく切って
汁気少しとオリーブオイルをよく混ぜてちょっと乳化させるようにしてる。



差別に鈍感で、差別してることに気づかない人も多いけど、
されてることに気づかない人もかなり多いのかもって、今思った。。。


ブログ、のりのりで書いてると、
なんか人といっぱいしゃべったような充足感があるのはおかしい?


写真の整理って、作品じゃなく日常の写真だと、アルバムの整理と同じで、
つい見入ってしまって時間がかかるよねぇ・・・。
三分の一くらい削除する。
多すぎると見にくくなって意味ないのは、ものもデータも同じよね。
自分の管理できる分以外は出来るだけ捨てよう。


揶揄や嘲笑というのは、自分の気がすむ、相手の気分を悪くする、
という以上のことはあまりないし、
喧嘩したいだけでないなら使いたくないものだな。


大人の顔をしているオトコの人たちの、
負けず嫌いでケンカっ早い、小学生男子的なとこを見て、
まあ、かわいいっちゃ、かわいい。


寒々しくて、困り果てたひとりぼっちの自由の時。
これが結局一番大事なものなのかもなぁ。


こういう限界にさえ、人は慣れるものだなと思う。
壊れるのに疲れ果てると、あとはいろんなドアをしっかり閉じて
死んだように生きることになる。


90年代には結婚して出産して地震にあってそのあと海外にずっと住んでたので、
オザケンとかって知らない文化のまま。


韓国のチナムル?という葉っぱのナムルが、おいしかった。
春菊にちょっと似た味で、葉っぱは楕円形で柔らかい。
田舎の手作り味噌を混ぜたナムル。春っぽいおいしさ。

あと、缶入りマッコリ。マッコリは食事と飲むには甘くて、おいしいけど
あんまり好みじゃないんだけど、これはさらさらと軽く飲みやすい。
氷入れてグイグイ飲みたい。でも、マッコリも糖質よね・・・?


いかなる糖質制限も2月のウスインドウには勝てぬ!というわけで豆ご飯。
久しぶりに米炊いた。もち米を少し混ぜたのでもっちり。
軽く1膳食べてあとは小分け冷凍のつもりが、おかわり、、、


リフォームが終わったら、生活を変えるし変わると思ってたけど、
もうスタート入っちゃって、なんか多分別の人間になると思ってるんだけど、
人に言うと笑われる。
今までも普通に地味な生活のつもりだったけど人からは派手に見えてて、
もっと地味にと言っても誰も信じてくれない。


家をなんとかしたいのは10年前から思ってたことだし、
まだ残ってる家族の問題ももう10年のことだし、両方片付けて、
十何年ぶりに健康診断も受けて、8年ぶりくらいに人に雇われるということをして、
やらなきゃと思ってたことを全部してしまったら、
それからどうしていいかわからなくなりそう。

もしかしたらこの10年でなくした生きる意欲みたいなものが出てきて
元気な人間になるかもしれないし、
もしかしたらぽかんと空っぽになるかもしれないし、
そのときになってみないとわかんないけど。
今はぽかんと空っぽな感じがはじまったばかり。


盛りだくさんに予定詰めてたのに、まあ今日でなくていいかーと先延ばしにして
結局どれも行けなくなるというのを何百回やってきても学ばない。
100万回くらいやったら学ぶんだろうか。


>”ぼくは、人種差別はやっぱりなくなるだろうと思っている。
>いま世界を覆い尽くす勢いに見える人種差別の潮流は、あとで振り返ってみると
>世界の、本質的には不可逆的な進歩についていけなくなった人間たちの
>最後の抵抗ということになるのではないかしら。”
・・・そうだといいなぁ・・・


そういえば昨夜、ネイティブアメリカンの油田持ちが出てくる
サローヤンの小説を読んだけど、それはとてもいい話だった。
ロバに乗ってふらっとどこからか現れたインディアン。
みんなは頭がおかしい浮浪者だと思ってたけど・・・という話。


好きな作家が「イベント」という言葉は好きじゃないけど他に言いようがないので、
こういうイベントに行ってきた、みたいなことを書いてて、
ああ、わたしも「イベント」という言葉はなんだか好きじゃないんだと気付いた。
ライブとかトークとか何かに分類できるものはできるだけその呼び方で呼びたい。

わたしの場合は「イベント」という言葉の何が悪いということじゃなく、
音的にも意味的にも使い方的にも、
おそらく単に個人的なセンスと好みの問題なんだけど。
でも「会」という言葉は好きなので、言いにくいできるだけ
〜〜の会とか、そういう風に言いたい。


東京弁でも普通、格助詞は全部は言わないし書かないけど、
口語的な関西弁を書くときには、東京弁よりはるかにたくさんの格助詞が抜けて、
その方が自然なことについて考えているなう。


久しぶりによそでうさぎを見て、そっと撫でてみた。
うさぎたちをみてる時は泣きそうな気分だったけど、
撫でてみたら、そのふわふわした感触はうちのうさぎとは少し違って、
ふぅん、と思っただけ。
でもふわふわは素敵。すごくでかいうさぎ、かわいかった。

動物はみな、尊い。と思うしかわいいやつも多いけど、
植物の方がうまがあう。今のところ。
動物がたくさんの場所で花や葉っぱばかり見ていた。


さっきのインタビューのトランプ支持者たちもそうだけど、
こういった被害者意識は攻撃性につながり先手必勝と動き出す。
自分たちが攻撃する強く大きい側にあっても被害者妄想は無くならず、
攻めてくるから守っているだけだと言い張る。


落語の、寿限無とか動物園とってか、
初心者向けだなーと思ってだるい気持ちで聴くことが多いのに、
今日の動物園は、すごく初心に帰って聴けて楽しかったなー。


うっかり何処かへ留学する夢。知らない大きな街。
荷物もお金もなく、そこで一学期過ごすらしい。
一応英語の国だけど英語覚えてないよーと焦りつつ、
街も巨大で歩いていいのか車の道なのかもわからずオロオロ。
スーパーもなくてどこで買い物すればいいの?
あ、痩せるかも、とか考えてた夢。


実はアカデミー賞にあまり興味がない。
友達が色々話すのを聞いてるのは好きだけど、
家にテレビがあった頃もちゃんと見たことってなかったなぁ。
アカデミー賞自体はわざわざは見ないんだけど、
ツイッターでいろんな人がいろんなことを言ってるのを見るのも好き。


今日はだめな気分だったけど、なんとか手を動かしてたら
これ以上沈まないでいられそう。波に飲み込まれるのが一番怖い。
飲み込まれて動けなくなって何日もお風呂に入れなくなるのが怖い。


恋人いないと死ぬ病気の人に、つらいつらいと延々訴えられてるんですけど、
わたしその病気じゃないから、別に他の楽しいことしたらいいやんとしか言えないし、
それ通じないし、困ったもんです。
「どうせ自分なんか」と常に言い続けてる人の相談に乗ってはいけない。。。


朝、着る服が決まってると1日がスムーズにいくことが多い。
でも前の晩決めてた服と、その日の気分が合わないと、あれこれ迷って疲れて、
もう着替えるのも1日生きるのもいやになる。

気分というものは厄介なものですな。いやそれに振り回されてる自分がいけないのか。



もっと貪欲になってもいいと思っても、貪欲というのがもう自分の中にないんだよ。
食欲以外・・・w


電車の中で、かぎ針編みの指の動きの軌跡がぼんやりと頭の中に浮かんできて、
何かに似てると思ったら、あ!ト音記号?の、
くるーりすーっくるっすーっちょん、やん!と気がつく。


寄り道しよと思ったのにお金待ってなかった。
朝、新聞の集金来たんやった。


10年ぶりくらいに人並みの長さに爪が伸びてる。爪はものすごく弱くて
指より1ミリでも長いと折れたり割れたり、
ちょっとのことで途中からひっくり返ったりするので、いつも短く切ってた。
楽器やカフェやってたし。
今人並み程度の長さになってみると、昔よりは強くなってる気がする。
肉食べてるから?


肉と言えばスタミナ。でもそういえば、スタミナって何語だろうとググったら、
英語だけど、ラテン語の縦糸stamenの複数形staminaらしい。
運命の女神が紡ぐ「人間の寿命の糸」の意とか、
「生命体が持つ根元的な要素」とかそのへんから来たらしい。


わたしが今サロンパス臭いのは、湿布を貼ってるからではなく、
湿布の匂いのクナイプのバスソルトのお風呂に入ったからです。
この匂いだけで肩こりが治る気がするわ。。。w


天邪鬼なのではなく、経済的及び本棚的問題より基本的に本は文庫で買うので、
今読んでいる村上春樹は短編集の「女のいない男たち」です。
しかし新刊の方は友達が貸してくれた。


行ったことはあるけど行き慣れてない場所に行く時、行きはやっぱり迷う。
なぜか迷った末に反対方向に歩き出してしまう。今日もそれやった。
でも、帰る時は、あんまりよくわかってなくてもなんとなく帰れることが多い。
迷うこともあるけどね。
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2月のつぶやき:前半

2017-03-23 | つぶやき
友達が急に増えたり減ったりするわけじゃないのに、友達がすごく少ない気分のとき
といっぱいいすぎる気分のときがあるんだけど、なんで?


使い捨てカイロを、去年も大量に安く仕入れて余ってるのに今年も仕入れてしまって、
もううんと贅沢に使っていいことにしたんだけど、なかなかなくならない。
すごく贅沢に使っても1日2つくらいだもんな。
1日4つくらい使い捨てられるくらいの豪快でセレブな人になりたい。


チャチャチャ楽しい。年配の方が多いので、スタイルのいい人ばかりではないけど、
ダンスはやっぱりすらっとしてる方がきれいに見える。痩せねば。
あと、特にラテンは照れてたらむしろカッコ悪い。
シャルウィダンスの竹中直人に負けないぐらいになりきった方が勝ち。
誰も笑わないから。


わたしはとても温厚なので、ひとに馬鹿とか言う時は、
本当に呆れ果てて、そして多分怒ってるときです。
差別や偏見をデマで広げる害悪医者を鵜呑みにして長々と擁護するようなひとに、
怒っている。


一昨年くらいに編んだシャーリーズセロンになれる三角ストールが、
この前買ったセーターとすごく同じ色なのに今気づいた。
でも、シャーリーズセロンになってないなぜ?


ちりちりと飲んで酔っ払わない人になれそうなきがするこのごろ(気のせい?


そういえば、枝雀とお風呂に入って、君は桂貧弱と名乗りなさいと言われた、
というおじいさまがいた、飲んでたカウンターの横に。確かに似てた。
女性の気楽な飲み友達が欲しいんですよと何度も言われたけど、
いつも割り勘なのに、相手に気を使ってしまうわたしは、
いらんおじいさまの友達は増やさない方がいい。


お腹に貼ってたはずの、貼るホッカイロが知らないうちになくなってて、
どこで落としたんだろうというか、なんだか恥ずかしゅうございますです
(どこでも脱いでません)。でも燃えるゴミなので許して。


来年はうちで、恵方巻くパーティをする。具は持ち寄り。
各自で好きなサイズに巻いて、全員で恵方向いて腰に手を当てて食べる。
わたしの好きな具は干し椎茸と卵焼きですけど、
みなさん鰻やいくらやトロを存分に持ってきてください。笑

豆まきはお掃除が嫌なので、子供が小さい時もしなかった。
自分で掃除できるようになったら好きにしていいよ、と。
のびのびと自由な子育て、の反対でした。


トランプの4年間は、もうなにも取り戻せないところまで行っちゃうんじゃないか。
ほんの数年間の歴史の混乱と汚点、では済まずに。
戻れないところまで。そして日本は?


出かけてにぎやかに遊ぶのと、休むのと、静かに一人で家で遊んでるのと、
1:2:3くらいの割合がいい。
現状は3:1:1くらいかな。なんかこの頃しんどい。
静かに読んだり考えたり作ったりしたいです。
出かけるのは楽しいんだけど、もうそろそろペースダウンしたい。
だんだん空っぽになって来た気分。


ずっと絵を描いててすごく上手い人と、ずっと描いてるけどうまくない人がいる。
でもずっと描いてることが一番偉い。


手袋は編み上がったし晴れてるし。


数と質という話をしてて、考えない反復練習にはいいこともあるけど、
考えすぎて動けないのは困るし、どっちも大事だよなと思う。
そして今年に入ってブログも毎日書いてる。というか基本、
年に360個くらい書き続けて14年目くらいですが、別に賢くなってないし、
いいことも特にない。


誰に強制されるわけでないお祭り騒ぎはいいんじゃないかと思う。
バレンタインは世界のチョコが並ぶし、恵方巻きの巻き寿司は好物だし、
ハロウィンにはおいしいカボチャのタルトやプリンが出回ってうれしい。
でも、残り物を強制的に買わされるコンビニバイトの話はひどい。


手ぬぐいに、マイお猪口とマイお箸をくるんで、出かける利き酒の会よ。
いつも可愛いお猪口持って行ってたけど、
今日は真面目に利き酒する気満々なので白い基本のお猪口。


プライベートでも、要件を言わずに気軽にこのひあいてる?ってよく聞かれるけど、
要件を同時に言ってほしい。
わたしは、相手が気が向かなかったら断りやすいように、
必ず要件を同時に伝えるようにしてるけど。
相手が無理しないように断りやすいようにって、考えない人が案外多くて疲れる。


大好きで信頼してる年配の方に2、3年ぶりに手相を見てもらったら、
今年はあまり自分から動かずじっとしてていいですよと。じっとしてていいんだ。
血液型も相手にしない占い不信者ですけど、この人に診てもらう手相は好き。

パートナーというか恋愛運は・・・何もなさそうとのことでした。あーああああ
清く正しく地味に生きますよ。


八百屋はほんまにあかん。
きれいな野菜見ると買わずにいられないし、
野菜は新鮮に食べたいからあわててで料理することになる。
大きくてきれいなパプリカとセロリがあったので、
半分はミョウガと紫玉ねぎとピクルスに。ピクルス液は非常にテキトーな配合。

残りのパプリカとセロリはキーマカレーに。
玉ねぎと人参、椎茸みじん切りにしてひき肉と。
糖質制限中なのでご飯でなく、スナップエンドウ茹でて、それにかけて食べます。


追悼文にはまりつつあるわたしですが、
本のあとがきが素晴らしい追悼文になってることもありますよねぇ。
さっきお風呂で読み終わった「塩一トンの読書」のあとがきがそうで、
しみじみしてしまった。やっぱり追悼文はいいなぁ。


ファッション読書家って、わかりやすい使いやすそうな言葉だな。使おう。


地球上のあらゆる場所が誰かのものである必要はないと思うんだけど。
誰のものでもないどの国の領土でもない場所があってもいいのに。
そうはいかないのねぇ。


わたしが今するべきなのは、逃避ではなく掃除!


炭水化物じゃないからって、豚バラ肉400グラムの塊を
一回で食べてしまっていいんだろうか。
薄く切って油落としながらカリッと焼いたのを、
ごま油と塩コショウつけて、チシャと大葉に包んでパクパクと・・・


誰も話を聞いてくれないような気がする時に(といっても話を聞いて欲しいような
気分なだけで、実際に聞いて欲しい話があるわけじゃないけど)、
ツイッターの自分の好きなリストをぼーっと眺めるか、
自分のブログの古いのを読むかすると、とりあえず気がすむことは多いな。


とても綺麗な人がたまたま何かの投稿で自撮りをあげてたけど、
誰もその人の容姿についてコメントせず普通にその投稿内容に関しての会話してて、
一方で頻繁に自撮りをあげる人が実際はさほどの美人ではないけど、
コメント欄はきれい〜すてき〜と容姿に関する褒め言葉ばかり、
というのを見て考えてる。
多分、前者の人と友達になりたいと思うなぁ。


室内履きの手編みの靴下にまた穴が。
穴は毎年開いて、毎年ツギ当てをするので、だんだん芸術作品になってきている。
めちゃかわいくて大好きなわたしの室内履き靴下。


仲のいいカップルを見るのは嫌いじゃないけど、
ぎゅうぎゅうの満員電車の中で彼氏の顔をベタベタ触りまくって
しまいに彼氏のニキビ潰しに熱中する女子は、いやだなー。
人のニキビ潰すのも自分のを消毒してない爪で潰されるのもいやだ。
家の中で勝手にやるのはいいけど、電車でそれ見せないでくれる?


欲しいものを作れるというのは自由を一つ余分に持ってるようなもので、
食べたいものを作れたり着たいものをものを作れたり
すみたい家を作れたりするのは素晴らしい。
わたしは料理と編み物した出来ないけど、なんでも作れる人羨ましい。


お天気いいのに、気持ちが重い。自分を大事にしてないし、
自分に嘘もついているかもしれない。


すごく疲れてて、1日冬眠のような日曜日を過ごした。
詮索されたり疑われたり責めらたりするのは本当に疲れて
回復に何日もかかる。無駄だし徒労。いやになる。

自分を損ねていくような寂しさは、
居たくない場所や相手と一緒にいるときの寂しさで、
本当に一人でいるときの寂しさは寒々しくても清潔だし、
注意深くじっくり味わえば休まることもある。
わがままかもしれませんが、後者しかいらない。


豆乳入りホイップクリームを見つけて、
生クリームも糖質的にはそんなに悪くないんだけどまあ試してみようかと、
キッシュ焼いてみたら全然問題ない。
キッシュは皮のない中身だけのやつなので、糖質的にはオーケーです。
皮がないと西洋焼き茶碗蒸しみたいだけど。
具は炒め玉ねぎと菜の花とウィンナー。
皮のないキッシュは、卵と生クリームと野菜と肉か魚だけなので、
糖質制限には良い食べ物ですね。次はツナで作ろう。


食べ物は、味が大事だけど、見た目のかわいさきれいさに、かなり弱い。
食べ物なのにかわいいなんて素敵。
レストランも味が大事だけどセンスのいいインテリアの居心地のいい店には弱い。
見た目に弱い人間だなわたし。
殿方に関しては外見重視ではないつもりだけど、どうだろう。

でも確かに好みのルックスの人と付き合ってた時は、
あかんわこの人と思ってもつい許してしまうことが多かったような。。。
ちょっとした仕草に見とれたりして。

好みのルックスの人を好きになったことはほとんどないけど



機嫌の悪さで人をコントロールしたくないから、
無理して機嫌の悪さを隠してものすごく疲れる。問題は向こうにあるのになぁ。


派手なストッキングをはいたった。ピンクと青と水色と黄色と白の幾何学模様。


酔っ払いというものはかわいいものであるなぁ、と思う。
人間の原型であるけど単純化されるので、大体許せるし、まあ、そういうもん。


立ち飲みで、隣の隣あたりの女性の声がアニメ声でよく通って、
とくいわざはぺろぺろですとかいうので焦ったけど、ペットの話でした。
コーギーわんこ。


ミネストローネを作るときいつも、
トマト味にする前のスープの味がしみじみと優しい野菜味で、
つい、トマト味にしないでそのままにしちゃうことが多いけど、
今日は、えいっとトマト味にしました。
ニンニク、玉ねぎ、セロリ、人参、アスパラガス、キャベツ、しめじ、トマト。
豆類も少し入れた。
いつも作りすぎるけど、今日は残りもの野菜だけなので、普通の量。
食べるときとろけるチーズとトリュフ塩かけて、
バターを分厚く塗った薄切りのバゲットと一緒に。
明日の朝はそうしてスープ食べて夜は湯豆腐食べる。



ぽかん、とした。しばらく、ぽかんとしている。

強く楽しく生きていくぞ。

うそ、楽しくはできるけど、強くはなれない多分。

どんどん自分の世界が薄暗く狭くなっていって、
空っぽなのに窮屈で居心地が悪い。



世界を少しでもよくしたいというような凡庸な良心が自分にも少々はあって、
そのせいでしんどくなることが多いし、
それを捨てて軽やかに生きたいと半分以上は本気で思ってるけど、
絶対それを捨てない人たちを見ているとなかなか難しい。

でも自分はあまりに些細でちっこい生き物なので、
何をしてもしなくても許されると思ってる。


ワルツの三拍目のタイミングとアップダウンと、今頃わかってきた。
すいてる駅のホームで待つときはいつも、こそこそとステップの復習をしている。


右でも左でもない普通の日本人、という言い方を揶揄的に使ってしまうけど、
そういう自分も、右でも左でもない普通のただの人間、と思ってる。
ただの在日ですが、そこあんまり関係ないからなぁ。


グランフロントのあたりで、たまたまいつもと違う道を歩いてたら
アジア系の男性にエクスキューズミーと声かけられ、
チラシのようなものを持ってたのでネパールレストランのランチチラシか何かかな
(多いのよ)と思いつつも、一応立ち止まったら
ここへ行きたいんですけどと道を尋ねられたのだった。
それは、なぜかいつも外国人観光客でいっぱいのスカイビル。
あそこって日本人観光客はあんまり行かないと思うんだけど、
海外からの旅行者に人気よね。
外国向けのプロモーションを頑張ってるのかしらん。
わたしはそこに映画を観に行くところだったので、そこまで一緒に行きました。
小さな男の子を抱いてて、かわいい奥さんも横にいて、他にもう数人。
どこから来たのか聞くとマレーシアからで、
わたしも以前8年ほど住んでたのよと話が弾んだ。
久しぶりのマレーシア訛りの英語も懐かしくてうれしかった。
日本で彼らの会う人たちがみんな親切で、良い旅行になりますように。
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アウティング

2017-03-22 | Weblog
半年前に話題になった事件だけど、書きかけだったのをアップしとこかな。
その後どうなったんだろうなぁ、事件自体は2015年の夏に起こってます。
ちょっとぐぐったけど新しい情報は見つけられなかった。(検索力ない・・・)

一橋大学ロースクールに通っていた25歳の男子学生(当時25)が、
ゲイであることを同級生にばらされ、苦悩の末に校舎から転落死。
その後遺族は、秘密をバラした(アウティングした)同級生や大学を提訴。
事件に関する記事のリンクはいつまであるかわからないけど一応ここに→*

学校の対応の間違いや問題も重大だけど、その前にアウティングについて。
亡くなった学生は以前から好きだった友達に告白をするけど振られます。
でも友達同士でいようという感じになって、それまで通りに普通にしてたのだけど
あるときその友達が、他の友達もいるグループLINEで彼がゲイであることを
いきなり勝手にバラし、その後起こった事件でした。
アウティングした方の学生は、
「恋愛感情をうち明けられて困惑した側として、
アウティングするしか逃れる方法はなく正当な行為だった」と主張しています。
・・・ってそこ、わたしには意味がよくわからない。
いったい何から逃れる方法?
自分の、同性愛に対する差別と偏見と勝手な困惑から逃れる方法???
意味わかんない。

加害者のこの言葉だけだと彼なりにどう対応したらいいのか悩んだようにも読めるけど、
個人的な葛藤や悩みを信頼できる人に打ち明けることと、複数の前で晒すのとは別だし、
すでに3人に話した後にさらに8人いるLINEグループで、
本人に断りなく、本人の目の前で暴露する意図は、わからないでしょ。
普通に考えて、なんらかの悪意があるように思えてしまう。
しかも元々同性愛を生理的に受け付けないと公言する友達もいるらしい環境の中で。
これ晒しの意図は全くなかったって言うの、通用しないと思います・・・。
なんの自覚もなくやったのかもしれないけど、通用しないと思う。
アウティングした子だけを責める問題でないのはわかってるけど。
少ない情報で勝手な判断や推測でよく知らない人を責めるべきでないのもわかってるけど
亡くなったこのことを思うとやりきれなくてつい。すみません。
でも、悪気がなかったにしろ、軽い気持ち、というものが、
時にどんなに人を傷つけるものか、忘れずにいたいと思うし、
ましてや、ほんの少しでも悪意や晒しの気持ちがあったなら、
それは相手が差別される側のマイノリティだとわかってる状況では
やはり差別に関わる問題になると思う。

事実関係を一つか二つのニュースからしか知らない状態で、
誰かを責めるようなことは言いたくないんだけど、
アウティングした男子が、彼なりに悩んだ末の行為だったとしてもやっぱり
差別心がどこかにある加害者なのは変わらないし、
もしもこのゲイの子のことをあざ笑うようなことがほんの少しでもあったなら、
絶対に絶対許せないと思ってしまう。
どれだけのことをしたか自覚ないんだろうな。よく調べて欲しい。
情報不足の他人のわたしには今は何もジャッジできないけど。

その後、ツイッターでゲイを不快に思うのは自然と言い張る人と不毛なやり取り。
同性からの告白は「速攻で強烈な不快感に直結する」って言われた。
同性愛者から好かれると「やっぱり不快」「物凄い不快感」って、何度も繰り返す。
そういう人も世の中にはいるかもしれないけど、
なんで「不快」に思うのが普通だと言い切る?
100歩譲ってゲイを不快に思う人がいるとしても、
それを当然だなんて言い切るのは間違いです。そんなことは絶対ないですから。
そもそも、わたし自身は一滴も不快じゃないけど、
もしも心のどこかで不快に思うんだったとしても、
そういう自分を恥じて黙るしかないと思う。
自分の差別心を恥ずかしいとも思わず「不快なのが当然」とか言えるのって
いったいどういう理屈なんだろう。

この事件のアウティングした人についてツイッター上で
自分の推測だけで無責任にたくさんつぶやいてしまったことは、
自分でもちょっとどうかなと思うんだけど、
結局わたしが反論したいのは、この当事者たちの誰か個人というより、
同性愛者を傷つけることに無頓著なこういう人たちに対してなんだろうなと思う。

自分は在日で、それを秘密にしたことは一度もなくて、
不当な差別なんかに負けないしなんともないと思ってきたので、
若い頃はそれのできない人を見下すようなところがありました。
それを隠す人たちに対して、差別を助長するのかと非難する気持ちがあった。
わたし若かったし馬鹿だったし優しくなかった。
今は違います。少し大人になりました。
戦うのは立派かもしれないけど、戦えない人を責めるのはおかしい。
だってそもそも間違ってるのは差別する側なんだもん。
差別される側にどこまで負担を強いるんだよって話で、
だから亡くなった男の子を迂闊だの男女間ではよくある話だのと責めるのは
お門違いと思う。

アウティングした学生が、言葉通りに困惑の末相手を傷つける自覚なくしたことなのか、
なんらかの悪意なり嘲笑なりがあったのかは、訴訟にもなってることだし、
その後のLINE内外でのやりとりや周りに学生への聞き取りなどで
はっきりすることでしょうから、わたしがあれこれ決めつける立場じゃないですね。
だからわたしがぶつぶつ反論してるのは、このアウティングした子に対してではなく
それを擁護する人たちに対してなのだと思います。
その擁護の中のいつくか、納得のいかないものに対して。
(中には納得いくものもあります)

自分のしたことが人の命を奪ってしまうことにつながる自覚は、
悪意のあるなしに関わりなく、この加害者にはなかったろう。
だから、どこまで罪を問うのかは、司法の問題で、
外野のわたしたちが糾弾したりリンチしたりすることではない。
でもわたしは、この加害者のしたことを許せない気持ちだし、
そういうちょっとした無自覚がどれほど、
社会で被差別者として生きているマイノリティを傷つけるかということは、
もっとみんな学んだ方がいいと思う。

以下は差別について時々話し合う友達の冷静なつぶやき。
>そうか。差別が一度ある程度まで固定化されると、それを無くそうとした時にマジョリティ側の人がそれまでやってきたツケの一部を支払う事になるのか。それでもマイノリティ側からするとまだまだ全然対等ではないけど、マジョリティ側からすれば、こんな事今までしなくて済んだのにとなるのか。
>差別がある事でマイノリティが一方的に押し付けられてきた損害のツケを、差別をなくすためにマジョリティも一部支払う必要が生じたというだけなんだけどねえ。それでも、全体として(その属性という側面だけ見れば)マイノリティが不利な状況はまだ覆せていないんだけども。
>なんにせよ「差別」っていうのは、わかりやすく誰かが誰かを虐待してるという話というのではなく、当事者が強い恐怖や怒りを感じるようなあれこれが、多数派によって常に「そんな大げさな」「大した問題ではないでしょ」とされてしまう、その絶望と向き合わされる状況のことなのだなと思う。
>「ちょっと大げさじゃない?」「被害者意識強すぎない?」が積み重なって人が死ぬ。その時人々は、彼/彼女の苦痛が死に至るほどのものだったという事実を急激につきつけられ、罪悪感にうろたえる。そこで懺悔が始まるならまだいいが、現実を直視できず被害者の「弱さ」や「落ち度」を探しだすことも多い。
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映画:ラ・ラ・ランド

2017-03-21 | 映画


こんなに大絶賛されるのって、
みんなこういう素敵な王道ミュージカルに飢えてたんだなぁ、という印象。
そういえばつい先日バズ・ラーマンの「ムーラン・ルージュ」をDVDで見て、
わたしはあの凝った仕掛けと絢爛さと余分な過剰のあるミュージカルの方が、
ずっと好きだけど、でもあれが万人受するとは限らないからなぁ。
過剰や欠落を愛する人間は少数派だから、
王道の国民的なんとか、になりうるのは「ほどほど」というものを熟知していて、
素晴らしくバランスのとれた作品の方なんだろうと思う。
そういう意味で「ラ・ラ・ランド」はまさにそれ。

たとえば「サウンドオブミュージック」は素晴らしい名作ですが、
「ラ・ラ・ランド」は同じくらい健康な喜怒哀楽がある映画で、
わたしの中では同じ場所に分類されています。
深すぎる陰影のない、健康な喜怒哀楽のある映画といえば、
上質なディズニーの映画も思い浮かびますが、
「ラ・ラ・ランド」が多数派にもマニアにも受けて賞賛されるのって、
上質なディズニーのアニメが受けるように受けて、
好まれるように好まれてるのと同じかなと思う。

決してけなすわけじゃないけど、「ラ・ラ・ランド」に乗れなかったのは
ミュージカル特有のワクワク感はあったけど、その他の部分が物足りなかったから。
映画の中に過不足や外れた部分のディテールがあるのが好きなんだもん。
あと、決定的に、ライアン・ゴズリングの顔が好きじゃないということも。
これはもう個人的な好みの問題でしかないのですが、
ロマンチックな映画の主人公男子の顔が嫌いって、かなり大問題です。笑

あらすじは、女優を夢見る女子とジャズクラブを持つことを夢見るピアノ弾きが
出会い、恋に落ち、それぞれの夢に向かう中ですれ違い・・・という王道ドラマ。

音楽に関して、この映画は→「セッション」の監督の映画で、
どっちの映画も全然ジャズ映画じゃない云々を
いう人も多いけど、わたしは音楽には疎いので、そういうことはどうでもいい。笑
ジャズジャズ言うけど、白人の金髪碧眼若い美男美女カップルが主人公で、
一体どんなすごいジャズを期待するというのか?笑

そういえば、ミュージカルといえばアメリカで、
ハリウッドのミュージカルって、ハリウッド臭というかアメリカ臭が
普通の映画より強すぎて、
(それはそれで規格化された楽しさがあって、別に悪くはないんだけど)
翻って日本の古いミュージカル映画なんか見ると、
なんか見慣れなさがすごく楽しい気がします。
雪村いずみと美空ひばりの「大当たり狸御殿」を前に映画祭で見たけど
ハリウッド臭がまったくないミュージカルって、
違和感というか、なんか変な感じがあるのが、面白い。
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「The PLAY since 1967」

2017-03-19 | 芸術、とか
アカデミア美術館所蔵「ヴェネチア・ルネサンスの巨匠たち」展を
中之島の国立国際美術館で見たときにやってたもう一つの展示「PLAY」。

ヴェネチア・ルネサンス絵画には、まだ十分馴染めてない初心者なので
少しお勉強モードで見て回りましたが、「PLAY」の方は
やっぱりわたしこういうの好きだなぁと改めていい気持ちで見ました。

感想などをまとめようと思ってるうちに半年1年たっちゃって忘れちゃうので
もう随分たっちゃったけど、写真だけ貼っときます。
こういうパフォーマンスはいつもオノヨーコと60年代を思い出す。
自分がこういうものを知ったのは80年代の学生時代ですが、
その頃に驚いて以来、今もこの手のものが好きです。素直にもう、芸術楽しい。
これちゃんと説明しようとすると長々と面倒くさいので
→オノヨーコのパフォーマンスについてちょっとだけ書いたブログのリンクだけ。笑
写真OKの展示だったのに、カメラ持ってなくて古いiPhoneの写真しかないけど。

これは発泡スチロールなどで作った家。
木津川や淀川でやったらしい。
この家を作る過程や家の中での生活の記録も面白かった。


  
セーヌ川では、家ではなく大きな矢印を。
   

羊を連れて移動するパフォーマンス。
なんかこの写真の牧歌的ながら変な感じが好き。






他にも彼らの活動の記録がいろいろありました。


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映画:葛城事件

2017-03-18 | 映画


友達に何しろいいから見ておいでと言われてた映画だけど、確かにすごかった。
このあと続けて「ラ・ラ・ランド」を見たんだけど、
「ラ・ラ・ランド」の何もかもがが生ぬるく感じられてしまいそうになったわ。笑

予告編で、三浦友和が酔っ払いながらカラオケ歌いどなるシーンなど見て
強権的な父親のせいで崩壊していく家族の話と思ってたけど、
映画を見るとすべて父親だけのせいとはいえない感じで、家族それぞれがおかしい。
妻の南果歩は、すごく得体の知れない気持ち悪さがあるし
無差別殺人に走るひきこもり次男の内にこもった勝手さは、不快感しかない。
共感どころか、反感しかもてないような登場人物たちの、
なんともいえない気持ち悪さがすごい。

三浦友和も南果歩もすごい。本当にうまい。息子たちの役もそれぞれいいです。
でも、死刑囚と獄中結婚する田中麗奈だけは、
見た目が一途で、まともに見えすぎるとこがダメだなと思う。
無差別殺人をして、まったく反省をしない、話の通じない死刑囚と結婚して、
自分が家族となって相手を変えるとか信じてるんだから、
おかしなカルト宗教の狂信者並みの歪んだ信念の持ち主なわけで、
かなりおかしい極端な人間の役なので、
南果歩のほんの一割くらいでも得体の知れなさや狂気があればよかったけど、
大体、健気で真面目な子にしか見えない。
ちょっと役不足なかんじ。

三浦友和は演技すごいけど、幅もすごい。
若いシーンの爽やかな男前具合と、その後の汚れ具合と、違いすぎで、うますぎる。
でも、彼、体絞ったらブラピより男前と思うんですが。
まだまだ色気あるし、甘い2枚目の役も、おじいさんになる前にもいちど見たいぞ。
佐藤浩市がやりそうな、切ないメロドラマを体を絞った三浦友和で見たいなぁ。
若い頃、優等生的すぎて好きじゃなかった三浦友和だけど
ほんと色気が出たなぁと思うんですよ。

妻と二人の息子と、マイホームと幸せな家庭のはずだったのに
支配的な父親に逆らえずいい子を演じてきた長男、
期待に添えずに内にこもっていくひきこもり次男、
夫のいうなりで、何もかも諦めてただ生きてるだけみたいな妻。
の話。
映画は、あれこれ細部まで丁寧に作られてるし、
暗さギリギリのシーンのカメラのとらえる人の表情も、ホント上手い。
ラストも、はっきりとした句読点を打たないで終わってる感じで、
そこがうまい。終わらせずに終わってるというか。
この地獄はずるずるとどこまでも終わらないんだなぁって感じ。

疲れる映画ですが、これは傑作。
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お酒を飲むこと

2017-03-17 | Weblog
お酒は誰とでも楽しく飲めるけど
お茶は自分にとって良い相手としか楽しく飲めないから
自分はお茶を飲むのだ、と言う内容の記事をみかけたんだけど・・・
いやいや・・・素面で面白くない人は飲んでも面白くないことが多いし、
飲むと誰とでも楽しくなってしまう、なんてことはないですよ。

楽しくお酒を飲める友達と、楽しくお茶を飲める友達とは違うこともあるけど、
どっちも大事。
なんでお酒をそういう風に、バカがバカな話をして偽りの楽しさを味わうもの、
みたいに決めつけるのかなぁ。
これを書いた人って、そういう飲み方しかしたことがないんだろうか。
まあ、つまんないお酒もあるしつまんない酒飲みもいるけどね、
でもなんでも一緒くたにして、お酒は、知的でない雰囲気だけの会話をするもの、
アルコールのせいで楽しくなってるだけのもの、なんて決め付けられると、
やっぱりムッとします。
(まあ、そういう時もないとはいえませんが。すみません・・・笑)

お酒の場で産み落とされる名言の数々、昔はそのままみんな忘れてたけど、
今はツイッタやインスタでアップされて翌日素面に戻った時に見て、
おーなんという慧眼!と思うこともたまにある。
わー馬鹿なこと呟いてた!と焦ったり恥じいったりすることの方が多いけど。笑
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映画:ティファニーで朝食を

2017-03-16 | 映画
8年ぶりくらい?に「ティファニーで朝食を」を見たら、
なんか最初からずっと、哀しい話だなぁと・・・。
年とともに哀しくなってくる映画だなこれ。
子どもの頃は、ハッピーエンドだし、そんなに哀しいと思ったことなかった。

自由でしかいられないホリー。
お金は捨てられても自由は捨てられないだろうに、というか、
そうしか生きられないだろうに、
映画はロマンチックなハッピーエンドになってるので、おいおいって思う。
こんな若い美男美女的な恋愛のために、彼女が変われるもんかと思うと、
映画の話の続きを考えてまた哀しくなる。

ヘプバーンはいつ見てもひたすらかわいい。
「ローマの休日」なんかは、グレゴリーペックの素晴らしく渋い
あの低音ボイスにもほれぼれするけど、
それ以上にヘプバーンを、おっさんか爺や目線でとろけそうになりながら見てしまう。
だって、ほんとうにかわいいんだもん。
でも王女様でなく、高級娼婦的な役の映画でも、やっぱりノーブルで汚れて見えない。
清らかな子供のような彼女がかわいい。

でも最初の配役イメージはマリリン・モンローだったと聞く。なるほどねと思う。
そっちで見たかった気もします。
ヘプバーンは清すぎるからなぁ。清らかでシミひとつ見えない。
でもモンローの無垢さは、ヘプバーンのとは種類が違う。
汚れてくたびれて、よれっとした弱さの、その哀しい奥底に
ぽつんと残されているマリリン・モンローの無垢さのかけら。
そういう哀しさのホリーも見たかったな。

「ティファニーで朝食を」を最後に見たのは8年くらい前、
村上春樹の新訳が出たときだったと思います。
本を読んで、映画もまた見てみたのでした。
本は若い頃にも読んだのに、小説の方は、特にディテールをあまり覚えてないのは
映画の印象が強すぎるんだろうな。
ラストや配役にいろいろあっても、やっぱりいい映画だなぁと思います。
何より自由でしかいられないホリーが好き。
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映画:マリアンヌ

2017-03-15 | 映画


戦争とスパイと恋。ドラマチックですよね〜。
ドラマチックでロマンチックな映画を楽しむ気分で見に行って、
まあ大体その通り楽しめました。

久しぶりに変な役や汚い役やおっさんくさい役でないブラッドピットを見たけど
でも二枚目俳優としては、昔の輝きはもうなくて惜しいなぁ。
若い頃はロバート・レッドフォードと比べられる美しい男だったけど
レッドフォードがこれくらいの年の時って、まだまだバリバリの二枚目で
キレッキレの美しいいい男で、それがつまんなかったりもしたわけですが
ブラピは目に力がなくなったなぁと思う。
それで、甘さはもうないのに、渋さがまだ十分付いてない。
なんか、キレがないんだよねぇ、演技じゃなく二枚目役として、ね。

一方ヒロインのマリオン・コティヤールは相変わらず美しい。
正統派フランス女優って感じで、堂々と美しさを振りまいています。
モデルのような完璧さではなく、なんか人間臭い女っぽさはフランス女優だからか。
映画って、きれいな人もきれいさを振りまくわけにいかない役が多いので、
こういう、なにしろ女神のように美しい女の役をやるのって
ときどきだと楽しいだろうなぁと思う。

モニカ・ベルッチやマリオン・コティヤールみたいな美人女優を見ると
同じ人間の女とは思えないのは百も承知な上で、
あーわたしももう少し身なりや体やお化粧やいろいろ気をつけて、
ちょっとはいい女になろう、とおこがましくもずうずうしくも思ってしまう。
あのシルクのスリップ、ああいうのいいな〜ほしいな〜とか。(似合いません)
でもそういう風に銀幕にうっとりするのも映画の楽しさですよね。笑

お話は、ナチス支配下のカサブランカで、スパイ同士恋に落ち結婚した二人。
ロンドンで娘も生まれ、幸せな生活を送るが妻に二重スパイ容疑がかけられ・・・

冒頭の砂漠もきれいだし、カサブランカの町のエキゾチックな雰囲気や、
そこにいるマリオン・コティヤールの美貌や、
夜に屋根の上で語るシーンのロマンチックさや、見ている間は
いろいろとうっとりして満足してみてたんだけど、
後で考えると脚本にはかなり雑なところがいっぱいあったなぁと思う。
たとえば恋に落ちる前のふたりの、それぞれの人生や孤独が
もう少し描かれてたらよかったのに、というか、
いや描かれなくてもいい、せめて仄めかされてたら、もっと盛り上がったのにな。
お互いがお互いにとってかけがえのない特別な存在になる理由みたいなのが
普通は過去の孤独とかが描かれることで納得できるんだけどね。
まあ、スパイ同士危険な状況での吊り橋効果もあるし、
美男美女が恋に落ちるのに理由はいらないんでしょうけど、
陰影というものがないわねぇと、後で思い返すとしみじみ思った。
他にもそういう箇所が多いです。おとぎ話的に雑。

さて、その脚本の雑さ鈍さという点に関して
わたしにはどうにも納得できないことがありました。
でも、それは完璧ネタバレになるので、ネタバレ嫌な人はここからは読まないで。









ええっと、子供が生まれるところでですね、
空襲の最中のすごい状況で生まれる感動的な場面なんですけど
子供を抱いたマリアンヌが迷いも躊躇もなくあらかじめ決まってたことのように
その子をいきなり「アナ」と呼ぶのです。そしてうろおぼえなんだけど、
会えたわね、だったか、ここに来たのね、だったかそういうセリフを
赤ん坊に向かって言うんですよ。その場面の唐突さ、不自然さが気になって。
夫婦で娘ならアナって決めてのだと無理やり考えても、その時の
「ここに来たのね」かなにかのセリフがずっと引っかかってて、
何かの伏線と思って最後まで待ってたのに答えが出て来なかったから、
お話のテーマより、そっちのもやもやが、、、(^_^;)

そしてあの、マリアンヌがピアノが弾けなくてスパイってばれたところでね、
アナを殺すと脅されて仕方なく!って言ってたけど、
マリアンヌがドイツのスパイだったのはアナが生まれる前、マックスに会う前、
カサブランカに行く時からだったでしょ?
その時、アナはまだ生まれてないでしょ?そこのつじつまも合わない。
マリアンヌはあの時代のナチス側のスパイだったわけです、最初から。
ナチスを憎む連合軍とは思想信条が全く違うはず。
恋に落ちて、変わったのだ、それでナチスのスパイも一旦やめたのだ、という
解釈しかないけど、命をかけた思想をそんな簡単に変えられるもんかな?
というところでマリアンヌの人物造形ができてないというか、抜けてるなー。

そして一旦やめたドイツのスパイを娘を守るために再び始めたという、
その、娘が生まれたあとのことはわかるけど、
じゃあその前の元々ナチスのスパイだったことは、どうでもいいことなの??
誰にでもある間違い、では済まないと思うんだけど。
いろいろとつじつまがあわなすぎる。

それでわたしは脳内でもう一つ物語を作ったのです。
昔マリアンヌにはアナという姉妹かいとこか親友がいて、
そのアナを人質に取られて仕方なくドイツ側のスパイになった、と。
恋に落ちて組織から逃げロンドンへ行き娘を生み、
その子に、無事かどうかわからない大事な姉妹かいとこか親友の名前をつけた。
しかし結局探し当てられて、今度は娘のアナを殺すと脅され
仕方なく再度スパイとしての活動を始めた・・・と。

これならいろいろな疑問が全部消えるんだけど
映画にはもちろん全くないわたしの妄想話なので
結局、映画自体に関してはモヤモヤが消えず、楽しめなかった・・・
まあこの映画、思わせぶりなシーンで何かのメタファーか伏線か?と思わせて
何もないしり切れとんぼの部分もたくさんあるし、
その逆になんか抜けてて意味わかんないけどあとで解決されるのか?と思わせて
最後まで抜けてるままの部分も多く、いろいろと杜撰ではあります。
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憎むこととデマ

2017-03-14 | Weblog
何か憎むというのは本来エネルギーが入り疲れることだと思うんだけど、
嫌韓デマなどをのタチの悪いヘイトデマを信じ拡散する人の多さって、
結局そういうデマを待ち望んでいる人の多さってことなんだろうなと思う。
みんな憎みたくてうずうずしてるんだな。気分の悪いことだ。

多くの人は善良な市民だから何でもいいから憎みたいというわけじゃなく、
憎まれて当然のものを正義の側から安心して憎みたい、善人のままで。
自分は差別心はないけど、こんなにひどい相手なんだから憎んで当然という
お墨付きを待ち望んでる。
それでこういうデマを待ってましたと鵜呑みにする。

何かを憎く思ってしまう時には、わたしはよく気をつけようと思う。
特にそれが正しさから来る場合は。
知らず知らずに何かを憎みたがって、
憎むことを正当化できるものを待ち望んでいる自分がないか
注意深く自分の中を見ようと思う。
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月記:2017年2月

2017-03-13 | 月記
この2月は個人的に大きな出来事と変化がありました。
変えなきゃいけないなぁと思ってたことが変わり、
結局それがいい方に向かうようになるといいなぁと思う。

・テレビに出てる女将さんの、ミナミの小料理屋さんで満腹。
・歌舞伎の顔見世見に行って和久でお腹が破裂するほどご馳走食べる
・アラン編み風ミトンを二つ編む
・京都で日本画同期のかみはて展見る
・大山崎山荘美術館でクートラス展
・友達の店で利き酒会
・噺家さんの動画撮影につきあってすえちゃんでお好みと白鶴記念館
・横尾忠則美術館の横尾温泉郷展で、卓球大会に出る
・アドルフ・ヴェルフリ展@兵庫県立美術館
・初もんじゃ焼きと、なぜか卓球バーで卓球。
・写真の会でポーアイの動物王国撮影会
・垂水寄席で瓶悟さんと瓶生さん聴く
・タカギトオルさんの写真展


・映画館で観た映画「未来を花束にして」「マギーズプラン」「ホームレス」
「グレートミュージアム、ハプスブルク家からの招待」「ホライズン」
「世界でいちばんのイチゴミルクの作り方」「アルジェの戦い」
「マリアンヌ」「The NET 網に囚われた男」

・DVDなどで観た映画「しあわせのパン」「ムーラン・ルージュ」
あと、ドラマ「モーツァルトインジャングル」の3rdシーズン
モニカベルッチが出てるやつ見ました。
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カワセミのしょうゆ差し

2017-03-12 | 小さいもの
食器はシンプルを旨とし、最低限の数で使い回す派なのに、
そして醤油差しって使ったことないのに、買ってしまった。
カワセミの醤油差し。
実物はもっとカラフルな色です(^_^;)
頭を外して、お醤油を入れる。


中身洗いにくい形だなぁ。洗いにくいものは買わないポリシーだし、
結婚後は常夏の国に長く住んでたし、お刺身を家でたべることはあんまりなくて、
20年間卓上に醤油差しがあることのない家だったのに、買ってしまった。

リフォーム後は、読み書きPC作業の机と、食事やお茶のテーブルが
きっちり分離するはずなので、卓上に醤油差しが出っぱなしでもいいはず、
というか、これが置いてある景色を想像すると楽しい。

こういうものを増やすのは、断捨離的にはダメなんでしょうが、
こんまり先生は許してくれる、と思って。
一律に決められた合理性にストイックに殉ずる断捨離より、
ときめくものはあっても良い、というこんまり先生について行きます。笑
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追悼

2017-03-11 | Weblog
1月に考えたことだけど、
自分の住んでいるところに甚大な被害があった大震災の日がくるたびに思うこと。
妙なこだわりというか、鬱屈というかがあって、
わたしはこの日のことをなんだか人と共有したくないのです。
だから追悼のつどいなども一度も行かないできた。
自分勝手かもしれないけど、個人的なところでひとりで追悼したいのです。

自分の、震災のことを誰とも共有したくない気持ちってなんだろう。
自分の内側に自然にある気持ち以上に、
しみじみしたり悲しんだり感動したりしたくないんだと思う。
追悼や慰霊の集いのようなところに行くと、
自分の気分が、外側からの刺激で一方向に増幅されそうなのが嫌なんだと思う。
それも、嘘、ではないはずなのに、
あくまでもひとりであの日のことを思いだしてそのあとのことを思い出して、
それですませたいのです。
モラルはいろいろと崩壊しているわたしですが、
ほんのちょっとの罪のない嘘もつけない困った潔癖さというのはあるのです。
あるいは何かの罪悪感だろうか。

震災の話は、自分よりずっと大変だった人の話も、
自分よりずっと大変じゃなかったのに気持ちだけ寄り添ってくれる人の話も、
聞きたくないのこれは何これもう乗り越えないといけないことなの?
みんななんでそんなに簡単にあんな大変な大変なことを
人と共有したりできるんだろうほんとにわかんない
わたしが偏屈なだけなんだろうけど、ああ、わかんない。

そういえば、ちょっとの間だけど、今日も、乗ってた電車が揺れて、
震災のことも福知山線の事故のことも一緒に思い出して心臓がばくばくした。
あの事故の路線はうちの最寄り駅からすぐの、いつも乗ってる路線だった。
そういうことも、やっぱり人と共有せずにひとりで抱えていたいのです。
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ハリスおばさんパリへ行く

2017-03-10 | 本とか
むかし、なんとかおばさんパリへいくという本で、
裕福でない掃除婦か何かの女性が、何十年かけてためたなけなしのお金で
ずっと夢だったディオールのドレスを買う話を読んで、なんかとても好きだった。
おばさんは、確か苦労してやっと手に入れたドレスを
若い女の子に貸してあげちゃうんだった。
その女の子が恩知らずで自分勝手な娘だったような違ったような?うろ覚え。
小学生くらいの頃に読んだんだったかなぁ。
おばさんがおいおい泣く場面で一緒に泣いたのは覚えてる。
ドレスを買おうとして拒否されかけたところだったか
ドレスがダメになったところだったか、場面は覚えてないんだけど。

儚いものでもバカなものでも高いものでも安いものでも、
夢に見るほど憧れるものがあるのって、いいなぁ。
そんなにほしいもの、わたしあるかなぁ。

ぐぐったらその本はポール・ギャリコの
「ハリスおばさんパリへ行く」でした。

ハリスおばさんの好きなものに焦がれるところも好きだし
彼女を助けるいい人たちも好きだし
ラスト、うろ覚えだけどほろ苦くも前向きな終わり方だったそれも好き。

今思い出すと、これの映画化見たいなぁとしみじみ思う。
ディオールのメゾンの華やかさ、ドレスの美しさ、
それに対比しておばさんのとてもとても質素で堅実な節約メイド暮らし、
それからこの時代のパリの街・・・
映画的王道ないい材料が揃ってるから、
大人も子供も楽しめるいい映画になると思うけど。
誰か作ってくれないかなぁ。
ディズニーでいいけど実写でやってほしいな〜。見たい。
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