鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-神島-その5

2015-04-18 06:25:51 | Weblog
崋山が「ニワの浜」付近で描いたスケッチは、私の推定では4図あります。①神島、船ヲアグル図②神島海岸を望む③海岸岩石④洞穴の4図。もう2図、「相崎」「相崎、弁天山、ナゴラコノハナ」というスケッチがありますが、これは「ニワの浜」からやや離れた「古里(ごり)の浜」付近から「弁天岬」を描いたもの。①のスケッチは崋山らが乗った船が着岸したと推定される「ニワの浜」そのものを描いたものであり、②は「ニワの浜」の上から伊良湖岬方面を望んだもの。③④は「ニワの浜」の北東部に露出しているカルスト地形を描いたもの。かつてはここの波打ち際に「洞穴」があったものと思われますが、現在はコンクリートの高い防潮壁が造られたことにより、その「洞穴」は失われています。崋山はこれらのスケッチを、「ニワの浜」に上陸した直後に付近を歩いて、次々と描いたものと思われます。そして「ニワの浜」を出発して、島北側にある集落へと向かう途中、「古里(ごり)の浜」越しに弁天岬を描いたスケッチが、「相崎」および「相崎、弁天山、ナゴラコノハナ」。崋山は現在の「弁天岬」を「相崎」、そしてその先端を「ナゴラコノハナ」と記しています。私が、伊良湖浜から漁船に乗った崋山らが上陸したところは、島の南側の弁天岬の付け根、「ニワの浜」であると推定したのは、以上の崋山が描いたスケッチ群によります。 . . . 本文を読む