鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.7月取材旅行「三ヶ尻 Ⅱ」 その最終回

2013-08-16 05:08:05 | Weblog
「訪瓺録」に収められている崋山の絵の中で、私にとって興味深い絵は何といっても「下宿図」と「上宿」という街道筋の風景を描いた2枚と、「三宅屋敷堀ノ内笠原清七宅」を描いた1枚です。街道(秩父街道・熊谷道)を描いた2枚を見ると、街道には水路が流れ、その水路には水路側の各家に入る板橋や石橋が架けられています。水路の壁は板壁になっています。水路には洗い物など用を足すための段々が設けられているところもある。その水路はカルガモの親子のような水鳥が泳ぐ水路でもある。街道筋には板葺(重しとして丸石が置かれている)や茅葺の商家や人家が建ち並び、また瓦葺や板葺の大きな土蔵(白漆喰塗りか)のある人家もある。「下宿図」には茶店が描かれ、その店内で飲食をしている旅人や馬方がいる。右隣の板葺の家の軒先には草鞋(わらじ)が束になって吊り下げられています。茶店の前で憩う馬の背に載せられているものはその大きさからいって炭俵だろうか。「上宿」図では、道端で遊ぶ三人の子どもと、水路ばたで赤ん坊を前抱きにして屈んでいる若い母親が描かれています。三ヶ尻村の街道筋の日常がよく伝わってくる興味深い絵であり、また三ヶ尻村に「桃源郷」を見た崋山の思いが伝わってくるような絵です。「笠原清七宅」で注目されるのは、赤子を抱いた清七の妻が、黒田平蔵や崋山らが訪れた時に糸車を動かしていたことがわかること。「清七宅」は2階建てですが、2階は居住空間ではもちろんなく、養蚕が行われていた空間(天井裏の)であったでしょう。「秩父太織」と同じような絹織物がどの家においても女性の手で作られており、それは「清七宅」においても例外ではなかったのです。 . . . 本文を読む