鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.7月取材旅行「三ヶ尻 Ⅱ」 その3

2013-08-08 05:40:51 | Weblog
「延命寺」について、崋山は次のように記しています。「宮島にある。新義真言宗。榛沢(はんざわ)郡針谷(はりがや)村にある弘光寺の末寺。宝珠山地蔵院と号する。本尊として地蔵を安置している。鐘は近年鋳造したもので鐘楼はない。」同じく宮島にある田中神社の別当寺であったことは、「田中神社」に関する記述の中の「別当延命寺」でわかります。この「延命寺」の全貌を崋山は描いており、『渡辺崋山集 第2巻』のP94~95に掲載されています。水路を小橋で渡って小さな門を潜ると、正面に茅葺屋根の本堂があり、門から続く塀の一部は同じく茅葺屋根の蔵らしきものになっている。門の左側は竹林があるようです。門の前を流れている水路は、奈良堰から分水された農業用の灌漑用水路であると思われる。奈良堰から分水されたこのような小さな用水路はいたるところに、縦横に張り巡らされていたようであり、その名残は現在でも各所に見られます。延命寺の門は南を向いているから、右側画面の奥に描かれている山は奥日光あたりの山々ではないかと思われます。「田中神社」も田んぼの中にありますが、その別当寺である「延命寺」も田んぼの中にあったことが、この崋山の絵からわかります。 . . . 本文を読む