鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.3月取材旅行「阿左美岩宿~新田(にった)村田~新田木崎」 その5

2013-04-21 06:15:21 | Weblog
足利本坂町の「蔦屋」2階で崋山と岡田東塢(とうう)は意気投合し、崋山がひそかに藩主三宅氏の家譜の調査を行おうとしていることを打ち明け、東塢に、深谷か三ヶ尻のあたりで協力してくれる人を得たいのだがと協力を依頼したところ、東塢は必ずそういう人を探してあげようと確約してくれました。10月27日に、その東塢から前小屋で開かれる書画会への誘いの手紙が届いたのは、「深谷、三尻の近辺なれバ、まして手がゝりも出来めれバ」との配慮からでもありました。その東塢の配慮に崋山は喜び、29日に前小屋へと出立したわけですが、その東塢と崋山の足利での出会いを企(たくら)んだのは、崋山が桐生で知り合った佐羽蘭渓と奥山昌庵の二人でした。崋山が前小屋の旅に昌庵を誘っている(しかし事情があって昌庵は行けなかったが)ことから考えると、東塢と特に親しかったのは昌庵の方であったかも知れない。とすれば、まず昌庵との出会いがあって、足利の五十部(よべ)村代官の岡田東塢との出会いが生まれたのであり、そしてその出会いがあったからこそ、崋山のその後の三ヶ尻調査も円滑に進むことになったと言うことができるのです。そこには、地方とはいえその地におけるひとかどの人物であった昌庵や東塢たちをたちまち引き付けるほどの、崋山の人柄や魅力も大きく作用していたことは言うまでもありません。 . . . 本文を読む