鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.11月の「国府津・小田原宿」取材旅行 その5

2007-11-23 08:07:41 | Weblog
小田原は小田原北条氏以来の城下町であるとともに東海道沿いの宿場町。東側には酒匂川の渡しがあり、西側には「箱根八里」(箱根の関所越えと山越え)を控えた宿場町で、参勤交代の諸大名が江戸の行き帰りに必ず宿泊したところ。そのために本陣は4軒、脇本陣も同じく4軒ありました。本陣・脇本陣合わせて8軒というのは、東海道の53宿の中で一番多い。城下町を兼ねた宿場町である小田原は、大きく武家地と町人町、そして寺社地に分かれます。武家地はお城の周辺や町の出入り口部分にあり、町人町は町の東西を走る東海道沿いと北へ通ずる甲州道などに沿ってありました。東海道沿いの町、すなわち「通り町」は9町。江戸見附から、新宿(しんしゅく)町→万(よろず)町→高梨町→宮前(みやのまえ)町→本町→中宿(なかじく)町→欄干橋町→筋違橋町→山角(やまかく)町。山角町を過ぎると上方見附(板橋口・枡形や番所がある)。「通り町」にある旅籠屋は、本町・宮前町を中心におよそ90軒。小田原宿惣町の総鎮守は松原神社でした(宮前町の「宮」とは松原神社のこと)。甲州道は、青物町から右折する道で、現在の「国際通り」。その通り沿いには、一丁目町・台宿町・大工町・須藤町・竹花町などがありました。東海道の新宿(しんしゅく)から大手門に続く通り、「御成道(おなりみち)」というのもありました。これが現在の国道1号線。この「御成道」には、明治になって、国府津駅前からまず馬車鉄道(明治21年開業)が走り、その後電気鉄道(明治33年開業)が走りましたが、大正9年(1920年)の国府津~小田原間の鉄道開通に先立って、国府津~小田原間の東海道(海沿い)を走った電気鉄道(路面電車)は廃止されました。 . . . 本文を読む