詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

桐野かおる「凶区」

2021-05-22 10:06:33 | 詩(雑誌・同人誌)

桐野かおる「凶区」(「潮流詩派」265、2021年04月10日発行)

 桐野かおる「凶区」は蠅が多い地区のことを書いている。

蠅には生えタタキ
蠅にはキンチョール
というのが常識だが
この地区で蠅タタキやキンチョールがよく売れている
という話は聞いた事がない
みんな丸腰で
平気な顔をして蠅が飛び回る中を歩いているが
私が出かけるときの必須アイテムは蠅タタキとキンチョール
キンチョールで弱らせておいて
蠅タタキでバシッとやる
けれども蠅は後から後から湧いてくる
殺しても殺しても湧いてくる
そのスピードに
私の蠅タタキとキンチョールは追いつかない


 この二連目が傑作だなあ。リズムがいい。「この地区で蠅タタキやキンチョールがよく売れている/という話は聞いた事がない」と行わたりの文体でリズムを変化させて、一気に加速する。「キンチョールで弱らせておいて/蠅タタキでバシッとやる」は、そうか、そうすればいいのか、と思わず思うだけではなく、あ、これ、やってみたい、と感じる。楽しいだろうなあ。いや、そんなことが楽しいはずがないのだが、楽しくないはずのことを楽しくやってしまうコツのようなもの、勢いがある。
 けれども。「けれども蠅は後から後から湧いてくる」。「殺しても殺しても湧いてくる」。この「後から後から」を「殺しても殺しても」と言い直す、畳みかけなおすリズムがとても好き。なんというか、「蠅、頑張れ、桐野に負けるな」と言いたくなる。
 変でしょ? さっき私は桐野になって蠅をバシッと叩き殺す動きをやってみたいと思っていた。でも次の瞬間、蠅、負けるな、叩き殺されても叩き殺されても、桐野を襲え、と思っている。
 矛盾しているけれど、この矛盾が、きっと人間なのだ。
 エイリアンと人間が戦う映画(ゾンビと人間が戦う映画でもいいけれど)、人間が打ち勝つのもいいけれど、人間が襲われるのも、なんだか快感だよなあ。どっちの味方というよりも、そこで起きている「闘いのリズム(事実のリズム)」そのものに興奮する。それに似たものが、この桐野の文体にある。
 桐野も、きっとこういう「リズム」と「スピード」が好きなのだ。
 三連目(最終連)。

ここらでこの地域を出てやろうと思うのだが
その境界を跨ごうとする時
私を追いかけて蠅がついてこないか
私の体に卵が産みつけられていないか
気になって気になって
なかなか跨ぎ越せないでいる
片手に蠅タタキ片手にキンチョールを持ったまま
境界線を眼の前に
明日はここを出てやろう
明後日はここを出てやろう
私は腑抜けた決心を口にしている


 ここでは「気になって気になって」が、私にはとてもうれしい。「後から後から」「殺しても殺しても」と同じリズム。終わりがない。桐野の気(持ち)は、後から後から湧いてくる。「私の体に卵が産みつけられていないか」という意識は、蠅のように殺しても殺しても、生まれてくる。
 桐野は桐野でありながら、蠅なのである。蠅は、桐野の生きている「地区」なのである。人間と「地区」は切り離せない。仮に桐野がそこから出ていったとしても、桐野の生きている「場」が蠅の生きる場になる。桐野以外に、だれもキンチョール片手に蠅との闘いをやめる人間はいないからだ。キンチョールでプシュッ。蠅タタキでバシッ。桐野の肉体から生まれ続けるもの、あるいは桐野に肉体(正直)が呼び寄せるもの、「不穏な意識」を叩き殺し続ける。
 「気になって気になって」は最後に「出てやろう」「出てやろう」という形で繰り返される。
 何でもそうだが、人間は繰り返すしかない。繰り返すということは、それが「思想」だからだ。本質だからだ。桐野は「腑抜け」ということばをつかっているが、いいじゃないか、腑抜けを生き抜けば。
 他人のことだから(桐野のことだから)、私は、自分を棚に上げて、そう思うのである。だって、蠅との戦争をつづける桐野をいつまでもいつまでも見ていたい。蠅のいないところで、きどって高級料理を食べているという詩など読みたいとは思わない。

 

 

 


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