詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池田清子「投票」ほか

2023-04-30 15:49:46 | 現代詩講座

池田清子「投票」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年04月17日)

 受講生の作品。

投票  池田清子

成人して
投票権を持って
初めて 投票に行かなかった

県議選
無投票

昔からのしがらみがあり
一人の人が長く続けており
対抗馬の出ない地域
なのではない

一人区一人

選挙公報はこなかった
どんな人か知らない

 統一地方選。どの選挙区でも「無投票」が増えている。時事問題をテーマにしているのだが、池田から「もやもやしている、どう書けばいいのだろう」という悩みの声。
 この詩からは、「もやもや」は、明確には伝わってこない。
 こういうときは、まず「もやもや」を、そのままことばにして書いてみるといい。各連の間、一行空きの部分に「もやもや」を書いてみる。「もやもや」で終わらせるのではなく「もやもやもやもや」「もやもやもやもやもやもやもや」と重ねて書くだけで、詩全体の雰囲気が違ってくる。あいだに「いらいら」とか「むかむか」とか「あーあ」とか。
 「もやもや」ということばのなかに「県議選、一人区一人、無投票」を埋め込んでみると、また印象が違うだろう。途中に「乱調」を挟むと、また違った印象になる。

もやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもや
もやもやもやもやもや県議選もやもやもやもやもやもやもやも
やもやもやも一人区やもやもやもやもやもやひとりもやもやも
やもやもやもやもやもやもやもや無投票もやもやもやもやもや
もももややややもやもやもやもやもやもやもやもやもやいらっ
もやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもや

 「現代詩」というのは、「わざと書くもの」というのは西脇順三郎の定義だけれど、「わざと」何かを書いていると、その「わざと」のなかに、自分の思っていることが無意識にまじってくる。
 少し例は違うが、どんな嘘でも最初から最後まで嘘をつき続けられない。どこかで「ほんとう」を言ってひと息つく必要がある。その「かけない」のようなところに、詩がふっと姿をあらわしたりする。

城  青柳俊哉

有明にそよぐ岩
琵琶の弦を調律する男
はてしない夕曲の 波の声部を
もつ 郷愁の貝の城を築くために

かれは潮に浸るサンマルコ聖堂で
奏でていた 魚の歩みを観つつ
枯葉のような乾いた音で
いのちの源泉について
思案していた

ただよう水母の 
白い星のような口から
すべてはうまれていると

 青柳の詩に「もやもや」のようなことばを差し挟むとしたら、どういう「音」が可能か。たとえば二連目の「枯葉のような乾いた音」はどう言い直せるか。「さやさや」「さらさら」「そよそよ」。全体の印象では? 「ひろひろ」「そよそよ」「ゆらゆら」。
 青柳は「城」を「水の城(水中の城/水没した城)」というイメージで書いている。ベネチア、「潮に浸るサンマルコ聖堂」をさらに発展・拡大させた感じである。
 青柳のことばは、イメージに「いのちの源泉」「思案」というようなことばを組み合わせることである。美しさに流れていくことばを、思惟で引き止める。思惟の深みにおりていく。思惟の力で、世界を再構築する。そして、その運動の先に「白い星のような口」というようなことばを産み出していく。
 この「白い星のような口」という比喩は、具体的には何を意味するのかわからないけれども、わからないからこそ、私はそこで立ち止まり、はっとする。この「はっ」としかいえないもののなかに詩があると感じる。
 要約できない何か、説明できない何か。

ハルウマレ  木谷 明

ふわふわの
サニーレタスに
混ざって
たべちゃった
さっきの苺の

こんなの好きだったんだ
シャキシャキしてる

苺あげても
たまに葉っぱからたべてたね
葉っぱだけ
あげてもよろこんで

なんでたべてみなかったのかな トントンが
好きだったのに

アタシ、ナンデ、タベテミナカッタノカナ
トントンがスキナノニ

 春のサラダ。音でいえば「しゃきしゃき」。「さらさら」「さわさわ」「さにさに」。造語も飛び出して、楽しくなったが、「トントンがわからない」という声。私は野菜を刻んでいる音を想像したのだが、ウサギの名前だった。
 ウサギにサニーレタスをやっている。イチゴの葉っぱが混ざってしまった。それも食べてしまった。飼っているウサギ、ではなく、飼っていたウサギ。「たまに葉っぱからたべてたね」に過去形が出てくる。だから、悲しい詩、と木谷。
 作者の説明を聞いて、初めてわかる部分もあるが、わからなくても、それなりに楽しい。聞いたあとで、また読み直すというのも、一緒に詩を読む楽しさ。
 タイトルの「ハルウマレ」のかたかなが不思議な印象。
 「適度な距離感がある」という受講生からの指摘があった。なかなか言えない指摘だ。

はる  杉惠美子

何かを纏って歩く
何かを抱きつつ歩く

行き先を戸惑いながら
すれ違う景色を確かめもせず
いざなわれて行くが如くに
辿り着いた

峠の一本桜

風を探して散る桜
うらとおもてを繰り返し
終わりとはじめを
知らせるように
折り合いもつけず
迷いもなしに
遥か遠くに舞い降りて
また確かな時を刻む

手放して
手放して
拡がる風景

 どんな音で言いあらわせるか。「はらはら」「さわさわ」「すっきり」。むりやり音に変える必要はないのだが、そういう「むりやり」をやってみると、自分のもっていことばの「領域(限界)」を自覚することができるので、強引に、やってみた。
 そして、そういうことをやってみると、「強引(むりやり)」ではない印象(感想)が自然に動き出す。「もっと言いたい感想がある」ということだ。
 毎回話題になるが、ことばの展開、表現のリズムがとてもいい。「うらとおもてを繰り返し/終わりとはじめを」というような対句的表現がとても効果的だ。満開の桜、満開をすぎて散っていく桜のいさぎよさ、その桜の姿が目に浮かぶという感想がつづいた。「峠の一本桜は現実なのか架空なのかわからないが、一本に気持ちが表れている」という声。
 リズムの面から見ていくと、この一行は、とても効果的。
 二連目につづけても「現実」としての意味は変わらないが、印象が変わる。歩いてきた過去を振り切って、ぱっとあらわれる。三連目の独立して一行は非常に印象が強い。左右の空白が、まるで、桜の背景の青空のように感じられる。
 現実か、架空か。
 それは「現実の風景」であると同時に「意識の現実」でもある。
 この「意識の現実」を通過することで、三連目の「現実」がそのまま「意識の運動」になり、四連目で「意識の拘束(束縛)」からの「解放」へと展開する。意識がもう一度、広い現実ととけあう。

 


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Estoy Loco por España(番外篇347)Obra, Miguel González Díaz

2023-04-29 21:21:05 | estoy loco por espana

Obra, Miguel González Díaz

 Escribió Miguel en Facebook que estas obras van a los premios del teatro .
 ¿Qué significa el teatro para Miguel?
 Me vienen a la mente las palabras muerte y ficción. Esto se debe a que las calaveras y las máscaras aparecen en la obra de Miguel.
 En el teatro se desarrollan a menudo contradicciones, como el amor y el odio, y el placer desesperado de la traición. Al interpretar un papel, ¿el actor mata su pasado o lo deja vivir?
 La figura del hombre que se enfrenta a la calavera (muerte) parece simbolizar el momento en que el actor está actuando. La vida y la muerte se encuentran en el drama, pero el actor en escena siempre puede encarnar su propia vida y muerte en su propio presente. A veces enmascarado.
 Estas obras parecen simbolizar la "presencia" de un buen actor.

 演劇関係の賞のための作品、とMiguelはFacebookに書いていた。
 演劇とは、Miguelにとって何なのだろうか。
 死と虚構ということばが浮かんだ。それは、Miguelの作品に、ドクロと仮面が出てくるからである。
 ドラマでは、多くの場合、愛と憎しみ、裏切られたときの絶望的な快感というような矛盾したものが展開する。役を演じるとき、役者は自分の過去を殺すのだろうか、それとも生かすのだろうか。
 死(ドクロ)と向き合った男の姿は、役者が演技をしている瞬間を象徴しているように見える。ドラマのなかでも生と死が出会うが、舞台の役者は常に自分の現在のなかに、役者自身の生と死を具体化しているのかもしれない。ときには、仮面をかぶりながら。
 これらの作品は、優れた役者の「存在感」を象徴しているように思える。

 

 Inspirado por el trabajo de Miguel, se me ocurrió la idea de una entrega de premios ficticia.
*
 Es para mí un honor dedicarte esta primera estatua. No has estado buen en trabajo últimamente. Como muchos críticos han dicho, tu estabas bastante peor. Pero esa escena de la esquina de la calle en "Lluvia de Abril" es maravillosa. Sólo por eso merece un premio. De hecho, estoy convencido de que es un premio por esa actuación tuya. El autobús dobla una esquina y se revela. Es el momento en que estais a punto de despediros. "Era esta parada de autobús. Vienes hacia mí. Casi nos cruzamos, de repente nos paramos y nos miramos. Aún puedo oír tus pasos". Dices esto y luego te calla. Y la densidad de tu interioridad se espesa. Un silencio de unos diez segundos en el tiempo. Tú rechazas las líneas que he escrito. Y luego el telón repentino. Ese silencio completó el drama. Gracias.


 Miguelの作品に触発されて、私は、架空の授賞式を思いついた。

 この最初の像を君に捧げることができるのは、私の栄光だ。最近の君は調子がいいとはいえなかった。多くの批評かが言うように、むしろ調子が悪かった。しかし、「四月の雨」の、あの街角のシーンはすばらしい。それだけで賞に値する。実際に、あの演技に対する賞だと私は確信している。バスが街角を曲がって姿をあらわす。別れが近づいた瞬間だ。「このバス停だった。君が近づいてきた。すれ違いそうになって、突然止まって、見つめ合った。あのときの足音がまだ耳に聞こえる。」そう言ったきり、口を噤む。君なのかで、内面性の密度が濃くなる。時間にして十秒ほどの沈黙。私が書いたセリフを君は拒否した。そして突然の幕。あの沈黙が、ドラマを完成させた。ありがとう。

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阪本順治監督「せかいのおきく」(★★)

2023-04-29 17:13:50 | 映画

阪本順治監督「せかいのおきく」(★★)(キノシネマ天神、スクリーン3)

監督 阪本順治 出演 黒木華、寛一郎、池松壮亮

 「せかいのおきく」を私は「世界の記憶」と思い込んでいた。舞台は江戸時代。街で糞尿を買って、農家に売る男と、武士の娘の恋と聞いて、てっきり「日本の貴重な歴史(記憶)=循環型の社会」が背景として描かれるのだと思っていた。
 そんなことを思うのも。
 私には、寛一郎、池松壮亮のようにそれを商売(生業)としていたわけではないが、糞尿を担いだ記憶があるからだ。山の畑まで運び、糞尿を撒くという仕事をしたことがあるからだ。私は病弱だったが、貧乏だったから、そういう仕事は日常だった。鍬で畑を耕したり、刈り取った稲を担いだり。
 小学生のころから、そういう仕事をしながら、寛一郎のように、「学問(字を覚え、読み書きがしたい)」のようなものに憧れていた。テレビで見た「海外特派員」にあこがれ、世界の広さを知りたいと願っていた。家が貧乏だったから、これは、ほんとうに夢の夢だったのだけれど、いま生きている世界とは違う世界を知りたい(糞尿を担いで畑仕事をする以外のことをしたい)と願っていた。
 だからというか。
 黒木華の演じる主人公の気持ちとは関係なく、映画を見ながら、いろいろ思うことがあった。
 私は、エルマノ・オルミ監督の「木靴の樹」も大好きだが、それは、主人公(ミネク)のおかれた状況に自分を重ねてしまうからだった。「学問」というのは、日常とは違う。そして、そこには何か、いままで知らない世界を知る手がかりがある。その未知へのあこがれと、その世界に近づくための困難さ。
 それは江戸時代という遠い歴史の問題ではなく、私が小学生のころは、まだそのままの世界だった。江戸時代は、いまから思う「昭和」よりも、「平成」よりも、もっと「地続き」だった。
 で、ね。
 糞尿を買って、それを売って生活するたくましさは、何といえばいいのか、私にはとても美しく見えた。水や風の動きも、とても気持ちがよかった。私は、こういう世界を知っているということが、不思議な喜びとして広がってくる。
 声を失った黒木華が、こどもたちにせがまれて、寺の寺子屋(?)で文字を教えることを決意するシーンなんかも、とっても好き。自分の「役割」を「学問」と結びつけて、それを大切にするという感じが、しずかにつたわってくる。こどものときにいだいた「あこがれ」がよみがえってくる。
 勉強をする、そうすると世界が変わってくる。このことが、私はとても好きなのだ。自分の世界を変えるために、もっと何かを知りたい。何かを考えたい。考えるためには「学問」が必要なのだ。
 ちょっと映画から離れた感想かもしれないけれど、そういうことが「世界の記憶」として、どこかに生きていると思う。
 そういうことを静かに実感させてくれる映画なのだけれど。
 うーん。
 糞尿を汲む杓が、何だか頑丈すぎる。金属でできているように見えてしまう。さらに、池松壮亮のセリフに「仕事をさぼって」というなものがある。私はよく知らないのだが、「サボタージュ」とか「サボ(木靴)」ということばから派生していると読んだ記憶が、かすかにある。外来語、である。それを江戸の末期とはいえ、糞尿を担いで生きている若者が知っているとは思えない。(偏見かもしれないが。)「青春している(だったかな?)」という言い回しにもびっくりした。「青春」ということば自体は中国の古典にあると思うが、それがはたして学問を知らない若者に浸透しているかどうか、それが疑問。
 「せかい(世界)」も同じだなあ。江戸時代は、ふつうは「世の中」、あるいは「しゃば」と言ったのではないだろうか。映画のタイトルを「世界の記憶」と勘違いしたのも、ひとのなまえと「せかい」が結びつくとは、江戸時代を背景にした社会では、私は想像できなかったせいもある。私自身の記憶をさかのぼってみても、「世界」ということばは、わりと新しい。小学5、6年生のころ「世界地図」というものを知って「世界」ということばが自分のものになった気がする。江戸時代、いったい何人が「世界」ということばを知っていたかなあ。
 美しい映画なのだけれど、「ことば」への疑問がぬぐいきれず(学問というのは、ことばの世界がと思うので)、かなり興ざめしてしまった。「江戸時代の循環型生活」というのも、「お飾りの背景」(知的装飾)に見えてしまう。これは、実際に糞尿を担いで野良仕事をした人間には、なんというか、「侮辱された」と感じるものに変わってしまうかもしれない。糞尿を担いだこともない人、何も知らない人が、そのことを知っているかのように描いて利用しているだけという感じてしまうかもしれない。
 ことばの問題がなければ、★4個の作品。

 

 

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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
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Estoy Loco por España(番外篇346)Obra, Javier Messia

2023-04-27 18:40:39 | estoy loco por espana

Obra, Javier Messia

 Cuando llegué, el sofá tenía rastros de una persona sentada en él y la luz de una lámpara estaba encendida, pero la habitación estaba vacía. En la pared, rodeado de unos retratos, había un cuadro azul.
 ¿Lo recuerdas?
 ¿Puedes decirme qué cuadro había allí? Sé que te cuesta encontrar las palabras adecuadas para expresar tu dolor. Pero se lo pido. Por favor, sólo unas palabras. Las voces se convierten en palabras cuando tiemblan. Las palabras se convierten en voces cuando tiemblan. Quiero oír tu voz y sentir que estás vivo.
 No he preparado ninguna palabra para responderte, aunque te había hecho esta petición irrazonable. Tal vez sólo pueda devolverte los saludos de rigor. No puedo prometerte que compartiré tu dolor. Pero puedo sostener con firmeza tu voz y tu cuerpo temblorosos. Quiero abrazarte.
 Háblame del hermoso retrato que había allí.

 私がたどりついたとき、ソファには人が座ったあとが残っており、スタンドの明かりはついていたが、その部屋にはだれもいなっかった。壁には、肖像画に囲まれて、一枚青い絵があった。
 覚えているかい?
 そこにはかつて、どんな絵があったのか話してくれないか。君が、悲しみをあらわすのにふさわしいことばが見つからずに苦しんでいるのはわかっている。しかし、私は君に頼みたいのだ。どうか、少しでいいから話してくれ、と。声は、震えながらことばになる。ことばは、震えながら声になる。声を聞いて、君が生きていると感じたい。
 こんな無理なお願いをしながら、私は、君に返すためのことばを用意していない。習慣的なあいさつを返すことしかできないかもしれない。君の悲しみを共有できると約束することはできない。しかし、君の震える声を、その震える肉体をしっかり抱くことはできる。君を抱きしめたい。
 だから、かつてそこにあって美しい肖像画について話してくれないか。

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高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』(2)

2023-04-26 08:37:37 | 詩集

高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』(2)(ふらんす堂、2023年04月16日発行)

 高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』は、もうひとつ「絶対に」書いておかないといけないことがある。これは「絶対に」だから、かならずだれかが書く。だから書かなくてもいいという「選択肢」もあるのだが、そして、私は実はそうしたかったのだが、書いておくことにする。

 詩集を読み始めるとすぐ「既視感」が襲ってくる。あ、どこかで読んだことがある。文学というものは新しいと同時に古いものだから、それがあるのは当たり前なのだが、そういう「既視感」ではない。
 「輾転反側する鱏たちへの挽歌のために」というタイトルの詩に繰り返されたあと、「まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう」という詩があり、さらに「慟哭に沈潜する深海魚の群れに一錠の光がさして」「海溝はおのれの内なる深淵の詭計に耐ええずに」「狂い咲きのサンゴを沈黙の岸辺に投げつける」という具合に、詩集が構成されていく。巻頭の詩は、つまり、それ以後の詩の第一行目を並べたものなのである。一種の「目次」とも言えるが、目次は目次でちゃんと書かれている。
 さらには、本文(?)の詩「輾転反側する鱏たちへの挽歌のために」の最終行は「まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう」であり、その「まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう」の最終行は、次の詩「慟哭に沈潜する深海魚の群れに一錠の光がさして」なのである。(私は全部をていねいに確認したわけではないから、途中で、わざと違うことをしているかもしれないが、たぶん、そういうことはないだろう。)
 この、サンドイッチのような強固な「構造」が「既視感」を産み出している。あ、この行は読んだことがある、という思いを読み起こす。当たり前だが、詩集をつづけで読めば、だれだってその構造に気づく。
 ここからが問題である。
 この「構造」(仕掛け)と、どう向き合って、つまり詩人の仕掛けてくる「わな」とどうき合って詩を読み進むべきなのか。それが試されている。
 だから、私はすぐにはそれについて書かなかったのである。「わな」とわかっているのに、そのなかに飛びこむか。「わな」であるとき、その「わな」にかかるべきなのか、「わな」を「わな」のなかから破壊し、無効にすべきなのか。どちらにしたって、結局は「わな」であると告げるしかなくなる。これではおもしろくない。「わな」だけれど、それを「わな」ではない、と主張できるような視点を持ち込むことができるか。まあ、こう考えたときから、「わな」にかかっているのだけれどね。 

 さて。
 この「強固な構造」をもった詩集は、巻頭の詩の註釈として書かれたのか、あるいは巻頭の詩はそれにつづく詩の要約として書かれたのか。それとも、それはほんとうは無関係で、無意識を明るみに出すために書かれたのか。無意識というものはない、かならずどこかで意識として動いているということを証明するために書かれたのか。
 もし、その無意識というものにたどりつくことができたらおもしろいだろうなあと思い、私は「わな」のなかに入っていく。
 「無意識」といえば、どうしたって、「性」である。それは、この詩集ではどう展開されているか。ちょっと探ってみたい気持ちになる。

輾転反側する鱏たちへの挽歌のために
海面は自ら凪いで明日の愁いにそなえる
太陽光が仄かにゆらめく静まりかえった海底
棘皮動物が秘めやかな触手をひらめかせ
ヒエロニムス・ボッシュの描く悪鬼にも似た
軟体動物の硬化した生殖器官を愛撫し続ける

 「生殖器官」ということばが出てくる。「性」を連想するが、「生殖」と「性」は、ほんとうは違うかもしれない。ほんとうは違うけれど、「連想」が結びつけてしまうもの。その「連想」を支えているのが「無意識」かもしれない。
 「仄か」「ゆらめく」「秘めやか」というのは「性」を連想させるが、「生殖」を連想はさせない。おもしろいのは、「軟体」動物と「硬化した」ということばのつながりである。この「矛盾」が「性」をたぶん象徴しているといえるだろう。「矛盾」というか、異質でないと「性」は成り立たないのかもしれない。
 それは「異性」の交渉が「性」の基本であるという意味ではない。「同性」であっても、きっと双方の間では「異質」というか「矛盾」を探し当て、それを呼び合うのが「性」の行いなのだろう。
 「難破船」の描写には、こういう二行がある。

かつて船上で展開された血みどろの闘いのさまや
華やかな舞踏会に響く靴音の記憶を反芻しながら


 「血みどろの闘い」と「華やかな舞踏会」。そこに「響く靴音」は、そのことばの調子が軽やかなステップではなく、むしろ「軍靴」のような暴力を感じさせる。これは、「血」と「闘い」ということばのせいかもしれない。
 さらに、こんな行がある。

過去とは逃れることのできぬ桎梏の別名だろうか

 しかし、「過去」ではなく「現在」、「未来」もまた「逃れることのできぬ桎梏」と呼ぶことができるはずである。
 「矛盾」とは、ほんとうは対立ではなく、いつでも「入れ替え可能」な「誘惑」かもしれない。
 高柳は、ことばで読者を誘惑しているのか、それともことばが高柳を誘惑して、この詩集をつくらせたのか。「無意識の誘惑」をリードしているのは、どちらだろうか。

 

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Estoy Loco por España(番外篇345)Obra, Jesus del Peso

2023-04-25 15:51:54 | estoy loco por espana

Obra, Jesus del Peso

Negación del lirismo

Atención y disatención. Esto, una par de paradoja. O asimetría. Describir con precisión  (con lógicamente......, fue una vez escrito y borrado) una grieta que ellos esconden es convertirse en una metáfora absoluta. La metáfora implica una dirección condensada, pero no tiene sentido interpretar a qué se refiere. La grieta como esta dureza sólo nos dice que no hay medio de vuelta atrás.

 "¿Eso nació cuando se conocieron o cuando se separaron?" Tú, no respires ese aliento a pescado.

抒情の否定

 注意と不注意。この、一対の逆接。あるいは非対称。そのなかに隠された亀裂を正確に描写することは絶対的な比喩になることだ。(論理的に証明することは、といったんは書かれ、消された。)比喩とは、凝縮された方向を意味するが、何を指し示しているか解釈することに意味はない。この硬度としての亀裂は、もう戻ってこれないと告げるだけである。

 「それは出会ったときに生まれたのか、別れたときに生まれたのか」。君よ、そんな生臭い息を吐くな。

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Estoy Loco por España(番外篇345)Obra, Javier Messia

2023-04-24 19:16:18 | estoy loco por espana

Obra, Javier Messia

Me da impresión la obra de Javier…..

 La soledad que refleja el agua es aún más solitaria que la soledad. Porque nos dice que, por muy parecidos que seamos, nunca debemos superponernos. No toques la soledad reflejada por el agua. Desde el punto en que la toca, le atrae. Al caer un guijarro solitario al agua y lo podemos ver. La obra de Javier resiste la tentación de los círculos concéntricos y se divide en varios cuadrados. El agua oscura ilumina en silencio su tristeza. Inconsciente de que son sus propias palabras, la soledad escucha la voz del agua.

                  

 水が映し出す孤独は、孤独よりも、さらに孤独だ。どんなに似ていても、けっして重なり合ってはいけないと告げるからだ。水の映し出す孤独に、触れてはいけない。触れたところから形が崩れ、引き込まれてしまう。孤独な小石を水に落としてみればわかる。同心円の輪が広がり、小石をのみこんでしまう。Javierのこの作品は、その同心円の誘惑に抗い、いくつもの四角形に分裂していく。暗い水は、その悲しみを、静かに照り返している。それが自分のことばだとは知らずに、孤独は、水の声を聞いている。

 

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荒川洋司「工場の白い山」ほか

2023-04-24 18:11:27 | 詩(雑誌・同人誌)

荒川洋司「工場の白い山」ほか(「午前」23、2023年04月25日発行)

 中井久夫が、どこかで「訳詩というのは、元の詩を暗唱してしまえるくらい記憶するのではなく、少しうろ覚えのところがあるくらいの方が、うまくできる」というようなことを書いていた。詩の鑑賞も、それに似ていると思う。完全に理解してしまうと、そして暗唱できるくらいに覚えてしまうと、つまらないのではないか。記憶まちがい、なんだったかなあと思い出せない部分があるくらいの方がおもしろい。
 その中井の意見とは少し違うのだが、そして似ているかもしれないとも思うのだが、詩というのは、何かわからないところがある方がおもしろい。特に、初めて読む詩というのは、わからない方がおもしろい。

 荒川洋司「工場の白い山」を読んでみる。

白い山肌は
みそれにおさめられた
落ち悔いたようで
安らかでなく
生き方は いまどうしているのか
鋭利なものは とがりながら枠を外れ
愁然とした一本のからだを横にしたり
真横に返したりして
引き寄せるうちに
次々に仲買人の肩先をとおって
生き方は どこかへ
あるじのないまま運ばれていくのだ

 書かれていることばのひとつひとつは、わかる。(わかると、思う。)しかし、そのつながり方が、よくわからない。だから、つまずく。それは、わからないものを偶然見つけてしまう感じにも似ている。
 「生き方」ということばが二回繰り返されているから、だれかの「生き方」を思って、荒川はことばを動かしているのだろうと想像はできるが、どんなふうに想像しているのか、よくわからない。「いまどうしているのか」とあるから、まあ、荒川も、それを知らないのだろう。知らなくても(あるいは知らないから)想像できるとも言える。
 荒川のなかでは「脈絡」があるのだろうけれど、その「脈絡」は私の想像をこえているので、ついていけない。ついていく必要もないのだが、ついていくとぶつかってしまう。それは私の行きたいところとは関係ないから何だろうなあ。
 この感じが、雑踏の中を歩いていて、前を歩いている人にぶつかってしまうときの感覚に似ている。しかも、知らない人なら、「あ、ごめん」ですむのだけれど、なまじ知っているので、何か、その人を追いかけていたのを見つかってしまった感じかなあ。
 つまり、私を逆に、覗かれてしまった感じ。
 でも、私の何を? 私のことばの動きを。私のことばがどう動いているかを。

 あ、ほんとうは、こんなことを書きたいわけではなかった。思わぬところへ引きずり込まれてしまいそうなので、ちょっと逆戻りする。

 ことばを追いかけ、つまずいてしまうのは、私の知っている「文法/文体」意識では書かれていないからである。「文体」(意識の肉体)というものは、だれでも独自のものだから、それを完全に理解できるはずがないものだ。しかし、私たち(私だけ?)は、それを「理解できる」ものとかってに思い込んで、それを追いかける。追いかけると、妙なずれに悩まされる。そして、書かれていることばの「文体(意識の肉体)」のなにかを見落として、その瞬間に「ぶつかる」。意識な「意識の肉体」にぶつかる。

 ということも、ほんとうは書きたかったことではなく、脱線なのだが。
 でも、脱線してから、もとに戻った方が、断線の重大さがわかるかもしれないなあと思い、先走って脱線しておくのだ。

 何が書きたかったかというと。
 今回の、荒川の詩の文体、ギクシャクと折れたような文体、つまずきを誘うというのは、いまの現代詩のひとつの流行であり、それは江代充はじめ、何人かがバリエーションを展開することで流行した。まあ、「源流」は、荒川が『水駅』で完成した文体を破壊し、別なことばの動きを探し始めたところにあるのかもしれないが(だから、今回の荒川の詩は、一種の「先祖返り」の部分もあると思うのだが)、……これは、荒川の「その」という指示代名詞がつくりだす厳密な「文脈」からの「解放」ともいえるものだ。
 あ、私の「文体」も乱れています? でも、私の文体の乱れ方は、どちらかというと、「粘着的」でしょ? 「折れた文体」というよりも、「切断」を拒んでねじまがっていく文体だね。
 この荒川の、あるいは、江代の、折れながら(切断されながら)、接続していく文体は、どうすればつくることができるのか。きょう考えるのは、それだ。
 荒川は「生き方は」ということばを繰り返すことで、さらには「横にしたり」「真横に返したりして」という具合に「横」を引き継ぐことで、接続を強調し(この手法が、ほかの詩人とは違う)、逆に切断を浮かび上がらせるのだが。
 田中清光の「約束」を読んでいたら、ふいに、簡単な(?)方法を思いついたのである。
 田中の詩は、こうである。

木は
花を咲かせるという約束を
目の前に見せている
木の声には言葉がいくつもあって
その音声は 空の言葉に
無心に答えているように聞こえる
わたしにあるはずの
見えない水路
宇宙の資材とつながっている回路でも
かすかな音声が通りみちの淀みや暗渠を越えようとしているようだが
まだわたしの身体まで到着してこない

 この田中の詩も、かなりギクシャクしているが、五行目の「その音声は」の「その」が荒川世代の「粘着力のその(指示代名詞のその)」なので、そういうものをばっさり切り落として、こうすると、どうだろうか。

花を咲かせるという約束の
木の声には言葉がいくつもあって
無心に答えているように聞こえる
わたしにあるはずの
宇宙の資材とつながっている回路でも
かすかな音声が通りみちの淀みや暗渠を越えようとしているようだが
まだ身体まで到着してこない

 「その」という粘着力のあることば、必然的に脈絡を産み出してしまうことば削除し、さらにそれにつながることばを隠してしまう。「その」によってひっぱりだされてきたものをあえて隠してしまう。脈絡を見えなくして、飛躍を装う。(ほんとうは、脈絡はある。)そうすると、「いま流行の文体」になるのではないかと思ったのだ。
 しかし、それを繰り返すだけではおもしろくない。
 では、荒川は、どうするか。それを私は、どう読んだか。それを書こうと思ったが、やっぱりやめておく。「午前」で、荒川の詩を直接読んで、そのつづきをたしかめてほしい。

 


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Estoy Loco por España(番外篇344)Obra, Paco Casal

2023-04-23 23:06:54 | estoy loco por espana

Obra, Paco Casal
Grabado en plancha de hierro tratada al ácido.
38 x 28 mancha 28 x 15,5

 Esa ventana me recuerda. Detrás de esa ventana hay un espejo. Una vez intenté reflejar mi cuerpo desnudo en ese espejo empañado por la ducha. En el espejo, los contornos de mi cuerpo eran turbios, como un grabado imperfecta. En mis flancos se extendían vagas sombras. No se había caído en la ducha. Donde aqul dedo se había movido, como buscando algo. En el espejo, mi dedo comienza a trazar la sombra, recordando aquel dedo. Aquel dedo que se movía como si tallara una huella. Al comenzar a escribir este poema, yo ya conocía la metáfora de un grabado. Un secreto que, cuando sólo está tallado, aún no ha sido visto por nadie. Sólo cuando se refleja en un espejo, de forma invertida, lo algo que puede verse. Algo que sólo yo sé. Pero si otros dedos tocaran el mismo lugar, ellos daría cuenta de mi secreto. Porque mi cuerpo se movería. No, ahí no. Ahí no, matando el llanto. Y entonces, abruptamente, se interrumpe, abruptamente termina. Lo perdí todo. Debería haber mirado por la ventana entonces, no en el espejo. Debería haber mirado al cielo vacío.


 あの窓を見ると思い出す。あの窓の奥には、鏡がある。その、シャワーで曇った鏡に、私は、自分の裸を映してみたことがある。鏡のなかで、刷り損ねた版画のように、肉体の輪郭が濁っていた。脇腹に、あいまいな陰影が広がっていた。それはシャワーでは落ちなかった。あの指が、何かを探すように動いた場所。鏡のなかでは、その指を思い出しながら、私の指がその陰影をなぞりはじめる。版画を彫るように動いたあの指。版画という比喩は、すでに知っていたのだ。彫られただけでは、まだ、だれにも見られることのない秘密。鏡に映したときだけ、反転した形で、見えてしまうもの。私だけが知っているもの。だが、もし指が同じところに触れたなら、気がついてしまう。私の脇腹が動いてしまうから。違う。そこではない、と叫びを殺しながら。そして、突然、中断し、突然おわってしまう。私は何もかも、失った。私はあのとき、鏡ではなく、窓の外を見るべきだったのだ。だれもいない空を見るべきだったのだ。

 

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平田俊子の視点

2023-04-23 08:49:10 | 詩(雑誌・同人誌)

平田俊子の視点(読売新聞、2023年04月23日)

 2023年04月23日の読売新聞。「こどもの詩」というコーナーに、古井いつきの「私のおなか」という作品。

おなかには三つお部屋がある
一つ目はおくすりのへや
二つ目はおやつのへや
三つ目はごはんのへや
もぐらさんのおうちみたいに

 さて、この詩に、いったいどんなことが言えるか。平田俊子は、こう書いている。

 大人になるとお酒の部屋もできたりします。

 この感想は、とてもいい。子どもを特別扱いしていない。子どもはおとながお酒を飲むことを知っている。子どもは飲んではいけない、ということも知っている。だから、ね、大人になるといいでしょ? なりたいでしょ、とそっと言っている。
 このちょっとふざけた励ましは、「一つ目はおくすりのへや」の奥にあることばをくみとっているのだろう。
 この子どもは、薬を毎日飲まないといけない。何らかの病気なのだろう。そして、子どもは薬を飲むことを、部屋が三つあるという言い方で納得している。だれもが三つの部屋をもっているわけではない。このけなげな努力を、ゆっくりとゆさぶり、ときほぐしている。
 平田の詩には、何かしら「配慮」の匂いがして、私はその「配慮」が嫌いというか、どうしても肉体がむずむずしてしまうのだが。
 でも、この子どもに対する「気配り」はいいなあ、と思った。子どもは「気配り」されたことに気がつかない。「対等」を、まあ、対等(平等)ということばではつかみ取らないと思うが、その「対等/平等」を感じ、目を丸くするだろう。
 その驚き、喜んでいる子どもの顔が見てみたいし、あとで舌を出している平田の顔も見てみたい。
 
 詩は、書かれただけでは、完結しない。

 

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Antonio Baños「ME DUELE EL CORAZÓN 」

2023-04-22 23:33:21 | 詩集

Antonio Baños「ME DUELE EL CORAZÓN 」("Cuando se rompe el silencio" )

 スペインの詩人の詩は、ロマンチックである。Antonio Baños の詩を読んだ。

ME DUELE EL CORAZÓN

Me duele el corazón de no verte.

Me duele cuando despierto de mi nostalgia,
cuando escucho la alondra cantando en mis silencios,

cuando los atardeceres de mis días finitos suenan en la lejanía sin sonido aparente. 

Me duele el corazón de no verte.

Me duele, cuando la vela de mi vida
se consume lenta, irremediablemente,

cuando la leña de nuestros deseos
cruje como llanto de ausencia y desespero.

Me duele el corazón de no verte.

Me duele cuando mis manos solo acarician recuerdos,
cuando rozo tu piel en la retina de mis ojos,
cuando todo expira en mí, no tu recuerdo.

Me duele el corazón de no verte.

Porque… el amor duele,
duele de tanto querer,
duele de querer quererte

 二つのことば(フレーズ)が繰り返される。それが音楽的な効果を上げている。ひとつは「Me duele el coraz n de no verte 」、もうひとつは「cuando」。このとき「cuando」以下のことばが少しずつ変化していく。目覚めから、人生の夕方、そして、夜。暖炉で燃える薪の炎は、詩人の欲望の炎である。その赤い炎は太陽を思い出させるように、いまはそこにいない「あなた」を思い起こさせる。
 そして、最終連なのだが。
 ここでは「cuando」はつかわれない。かわりに「porque」(なぜなら)がつかわれる。同時に「no verte」がつかわれずに「quererte」が登場する。
 このことは、なにを意味するか。
 繰り返される「cuando」は「porque」と言い換えられる。「no verte」は「quererte」と言い換えられる。つまり、意味としては「cuando=porque」、「no verte=quererte」なのである。そして、それを言い換え、同じものであると感じたとき、この詩は、Antonio のものではなく、読者のものになる。


あなたに会えなくて心が痛む。

憧れから目が覚め
私の静寂の中でヒバリが歌うのを聞くとき

私の残りの日々を知らせる夕日が
音もなく遠くで鳴り響くとき

あなたに会えなくて心が痛む

私の人生のキャンドルが
ゆっくりと無情にも燃えていくとき

不在と絶望の叫びのように
欲望の薪がパチパチと音を立てるとき

あなたに会えなくて心が痛む

私の手が思い出を撫でるとき
目の網膜にあなたの肌がよみがえるとき
あなたの記憶ではなく
私の記憶が消えていくとき

あなたに会えなくて心が痛む

なぜなら... あなたを思うとき
愛が、あなたを愛しすぎた愛が
その激しさで私を傷つけるから

 


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高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』

2023-04-22 21:51:27 | 詩集

 

 高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』を開いて、私は、困惑する。行分け詩、いわゆるふつうの詩のスタイルなのだが、各行が長く、ほとんど同じである。同じ長さの行でそろえられた詩もある。標題になっている作品の冒頭。

輾転反側する?たちへの挽歌のために
まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう
慟哭に沈潜する深海魚の群れに一錠の光がさして
海溝はおのれの内なる深淵の詭計に耐ええずに
狂い咲きのサンゴを沈黙の岸辺に投げつける
析出し続ける半島の白亜紀になずむ堆積から
喪われた時の骨格がしずかに浮き上がる
両側にかしずく白鳥の翼をもつ双生児たち
その影に怯える夥しい魚卵の鮮明な痕跡は
瀝青の内部に隠された生命進化の遍歴譚に
自らのありうべき肖像を加えようと企てる

  最初の方こそ一行の長さが乱れているが、それが少しずつ調子をあわせ、同じ長さになる。これは、ある意味では読みにくい(リズムを強制される)が、その読みにくさが、なんといえばいいのか、船酔いのような愉悦を誘う。苦しいのだけれど、不思議な誘惑がある。
 そして、そう書いた瞬間に思うのだが。
 これは高柳が企てたものなのか、それともことばが高柳をそそのかして、そうさせているのか。
 そもそも、この詩集は何を狙って書かれたものなのか。もちろん、詩人は最初からすべての計画を立てて、それにあわせてことばを動かしていくわけではないだろうけれど、詩人を最初にこの一群の作品に駆り立てたものは何なのか。なぜ、高柳は、短文スタイルではなくて行分けにしたのか。
 こういうことは、真剣に、あるいは厳密に、「調査」してはいけない。直感で、何かをいわなければならない。
 この詩で(その書き出しで)印象に残るのは、各行の長さである。これと、視覚の印象。その視覚の印象には感じが多いということも加わる。ことばのスピードが漢字によって加速し、そこには何かが隠されているという感じがする。何が隠されているか。音である。
 漢字は表意文字。意味を持っている。鱏はエイと読むのか、カジキと読むのか。どちらたぶんエイと読ませるだと思うが、かわらかなくても、魚であるということがわかる。そして、それを読んでみたい(音にしてみたい)という気持ちにも誘い出す。
 それは鱏という一文字よりも、一行全体として、何か「音」を誘ってくる仕組みをもっている。
 一行目。

はんてんめんそくするえいたちへのばんかのために

 「ん」の音が繰り返し登場し、一行を短く感じさせる。二行目は「された」「される」「まず」「ざんしゅ」というさ行濁音、それは「された」「される」のさ行とも呼応する。三行目は「ちんせん」「しんかい」、「ちんせん」「いちじょう」「さして」の「ち」、さ行、ざ行の交錯。
 この「音」は、もしかすると、実際に「声」にだしたときの音ではないかもしれない。少なくとも、私は声に出して音を確認するわけではなく、耳がかってに、いや、喉や舌がかってに肉体の中につくりだし響かせる音であって、それが積み重なって響くのである。
 私は「交響曲」の楽譜は読むことができないが、高柳の今回の詩集は、肉体を総動員してことばの「音(その音楽)」を聞くための詩でできているのかもしれない。

 そういえば。
 というのは変な理屈だけれど。楽譜の左右の長さはみんな一定だよね。そのなかで音が上下に動くと同時に、音の長短(音符の長さ)が変化し、全体を立体的にする。
 高柳の「音」の響きあいは「和音」、その繰り返しの「間隔」は「リズムの変化」(こう言っていいのかな?)を表現しているかもしれない。
 音楽(交響曲)に意味がないように(あるのかもしれないが)、詩も、意味がなくてもいい。音とリズムがあって、それに肉体ひたすとき、肉体のなかからことば(声)を発するときの喜びが沸き上がってくれば、それでいい、ということがあってもいいと思う。
 この表題作は、こう締めくくられている。

アルゴマン花崗岩の秘匿された喜びの歌に
始原の闇の欠片が雲母となって紛れ込んで
造山運動の底に眠る通奏低音をゆり起こす
大地の亀裂から鮮烈な熱泉が吹き上がり
世界は眠たげな黄昏一色に染められる
夏の両腕に抱き取られた夕景を受肉しながら


 「秘匿された喜びの歌」がこの詩にはあり、それは「通奏低音」である。「雲母」には「きらら」とルビがふってあるのだが、それは「欠片」を「かけら」と読ませるためかもしれない、というようなことも、私は思うのだった。

 


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Antonio Baños Roca「RECUERDAME QUE TE QUIERO」

2023-04-21 18:21:39 | 詩(雑誌・同人誌)

Antonio Baños Roca「RECUERDAME QUE TE QUIERO」

 Antonio Baños Roca「RECUERDAME QUE TE QUIERO」の詩を読んでいたら、不思議なことばにであった。

Sin rumbo, navegando a la deriva
en un mar de incertidumbre,
llegan los días y las noches
donde mis cabellos blancos
soportan el paso del tiempo.

Atrás quedan ilusiones logradas,
momentos compartidos,
experiencias adolescentes vividas,
promesas por cumplir.

Recuerdo, cuando recuerdo...
El claroscuro de mi comportamiento.
El dulce sonido de tus palabras.
La suave caricia de tus manos.

Pero a veces... tormento y desespero.
Sombras sin voces me acompañan
en mi viaje a ninguna parte
con sonidos de colores apagados.

Y tú, a mi lado cuando despierto
con tus manos acariciando mi frente,
recordándome que soy y que existo.


 三連目、二行目のある「claroscuro」。claro (明るい)とoscuro(暗い)が結びついている。日本語にも「明暗」ということばがあるから、これがそのまますぐに「撞着語」(oxímoron)とはいえないかもしれないが、そうした類のことを感じさせる。
 恋愛は、いつでも明るい部分と暗い部分をもっている。「あなたのことば、その甘い響き」「あなたの手、その柔らかな愛撫」は、私を誘う。そして、とらえて放さない。それが甘美であればあるほど、不安も忍び寄る。恋愛の歓喜の一瞬にさえ、不安は忍び込む。そして、それは不安があるからこそ、喜びを高めるのかもしれない。不安は、いうまでもなく、自分自身のなかから生まれてくる。聞いてはいけない声が、自分の中から聞こえてくる。それは、いつでも詩人に寄り添っている。
 Antonio が書いていることは、私が「誤読」している内容(意味)ではないかもしれないが、「claroscuro」という不思議なことばは、そういうことを思い起こさせる。「Sin rumbo (方針もなく、あてもなく)」という書き出しのことばが、それを感じさせるし、「 incertidumbre(不確実性、あいまい)」も、そうした「不安」を増幅させる。途中に「歓喜」が書かれているけれども、「不安」がよぎる。
 「RECUERDAME QUE TE QUIERO」(お前を愛している、そのことを思いださせてくれ)というのも、その「不安」と不思議な呼応をしている。

櫂もなく、あてもなく
私は不確実という名の海を漂う
繰り返しやってくる昼と夜の
つきることのない時間に洗われ
私の髪を波のように白く乱れる

実現してしまった私の夢
二人で共有した至福の瞬間、
青春の純粋ないのち
約束は必ず果たされた

覚えている、忘れることなく覚えている
私をとらえて放さないそのまぶしいような、
あなたのことば、その甘い響き
あなたの手、そのやわらかな愛撫

そして同時に、私をとらえて放さない
苦しく不安な予感、声を持たない影が、
どこにもたどりつけない旅を
沈んだ音をひきずりながらついてくる

でも、きみが、私のそばによりそうきみが、
その手が、いつもと同じように
私の額に触れるので、私は私を思い出す
きみを愛する私はまだ生きている

 これは、「翻訳」というよりも、「意訳」、あるいは「誤訳」の類だが、日本語にしてみたくなって書いてみた。

 

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Estoy Loco por España(番外篇343)Obra, Jesus Coyto Pablo

2023-04-20 23:00:49 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo

 En cuanto vi esta serie de dibujos de Jesus, me quedé sin palabras. Sólo quería escribir algo. Pero, ¿cómo podría hacerlo? La primera palabra que me vino a la mente fue "inocencia". Pero la palabra "inocencia" ya no está pura. Hay cosas que no se pueden escribir por la palabra "inicencia".
 Imagino algo así.
 Un día, Jesus ve a su hijo pintando. El hijo está imitando a su padre, Jesus. Pero no hay perspectiva en su cuadro. Las formas son inestables. No sabe mezclar pinturas para crear nuevos colores. El hijo sólo mueve la accion de su padre. Le gusta crear nuevos mundos para colorear. También le gusta imitar a su padre.
 Ahora Jesus imita a su hijo pequeño de aquel día. Siente la alegría de imitar algo que no comprende. En esta "inocencia" hay "confianza". La inocencia a veces contiene errores, pero la confianza no tiene errores. Hay algo que me hace sentir esto.
 Quizá sea la "confianza" cuando crees en la pintura. Hay una "inocencia" en creer que puedes pintar.

 Jesus の、このシリーズの絵を見た瞬間、私は、ことばを失った。ただ、何かを書きたいと思った。だが、どうやったら書けるだろうか。最初に思いついたことばは「無垢」である。しかし、「無垢」ということばは、すでに手垢がついている。それでは書き切れないものがある。
 こんなことを想像してみる。
 ある日、Jesus は息子が、父親(jesus )の真似をして絵を描いている。遠近感はない。形は不安定だ。絵の具をまぜて新しい色をつくることも知らない。ただ、からだを動かしている。色を塗るために新しい世界が生まれてくるのを楽しんでいる。父を真似ることに喜びも感じている。
 いま、Jesus は幼い息子を真似ている。真似ることの喜びを感じている。この「無垢」には「信頼」がある。「無垢」はときどきまちがいを含むが、「信頼」にはまちがいがない。そういうことを感じさせる何かがある。
 たぶん、絵を信じている、というときの「信頼」。描くことができる信じる「無垢」がある。

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中島隆志『倉庫の明かり』

2023-04-18 22:16:34 | 詩集

中島隆志『倉庫の明かり』(紫陽社、2023年06月10日発行)

 中島隆志『倉庫の明かり』は、「弱い強さ」とでもいうような感じを持っている。あることばが強い主張を持っているわけではない。どちらかというと「弱さ」を持っている。ここに書かれていることばだけで生きていくのはむずかしいと感じさせる弱さである。しかし、それは、目を引いてしまう。言い直すと、目を引いてしまう強さを持っている。あ、ここに「弱さ」がある。そして、それは守らなければ消えてしまうという弱さなのだが、そういう感じを呼び起こす強さである。
 ながながと書いてもしようがない。たとえば詩集のタイトルになっている「倉庫の明かり」。そのなかほど。

そんなつもりはなくても
うっかり曲げたり
指紋をのこしたり
小さな失敗もかさなれば暗くなる

 失敗を「かさねる」ではなく「かさなる」。ここに「よわさ」がある。かさねる「つもりはなくても」、かさなる。そして、それを「暗くなる」と感じている。何かを感じる力がある。ほんとうに「弱い」存在も、弱さを知らない「強い」存在も、この不可抗力の「かさなり」のことを自覚しないだろう。
 この詩人には、「自覚」というものがある。それが「強さ」である、と言い直すことができるだろう。
 この「自覚」は、こんなふうに書かれる。「輪郭のなかへ」。人文字をつくる子どもたちを描いている。

たとえばFLOWER[・]
そこは彼の定位置だった

 「定位置」を知っている。
 それにしても。

たとえばFLOWER[・]

 か……。この一行、荒川洋司は大好きだろうなあ。
 私は、こういう行は(ことばは)、どちらかというと嫌いなのだが、こういう行を好きというひとがいるというのは、とても大事なことだと思う。だれもが納得するわけではない(感動するわけではない)と知っていて、それでも、それをことばとして残しておく。これも「弱い強さ」かもしれないなあ。

 何が、どうのと、具体的に書くことはできないのだが、1970年代の、詩のことばがまだ短くて、それこそ、書き手のみんなが未熟で、その未熟さの中にある「弱さ/強さ」の出会いが、なんとなくことばを支えていた時代を思い出したりもする。(みんな、と書いたが、「超売れっ子」の詩人のことではないよ。同人誌を出して、ほそぼそと自分を探していいた詩人のことだよ。)
 詩集のつくりも、いまふうの「厚み」で勝負する(脅しをかける?)のではなく、ひっそりとしている。そこに上品さがある。私は、こう書いたあとできっとすぐに忘れてしまうだろうが、本の紙の質がとてもなめらかで気持ちがいい。そこに「ていねいさ」がある。それもいい。

 私がいちばん好きなのは「つり橋」の二、三連。

ぼくはいま
大きなものを見たくて
つり橋を渡る

「トーストを食べて、何もかも放り出して、部屋に入って眠る。」
富士山麓で百合子さんは言う
その横でぼくは
小さな実のように固くなる

 「富士山」は固有名詞であって、まあ、固有名詞とは言えないような「一般的」な存在だが、「百合子さん」は固有名詞であっても固有名詞とは言えない「無名」にのみこまれていく存在である。しかし、ね。この詩人、中島隆志は、それをきちんと受けとめて、ことばにする。「弱さ(無名さ)」を書くことで「強さ」に変えていく。
 ここが美しい。
 そのあとで、「その横でぼくは/小さな実のように固くなる」というのもいいなあ。「意味」にしてしまってはいけないのだけれど、その「小さな実」は、ほら、

たとえばFLOWER[・]

 その[・]のようでしょ?
 無関係なような詩なのに、どこかで「呼応」する感覚があり、それがこの詩集全体を貫いている。
 書いた中島隆志もおもしろいが、その一行を含んだ詩を支える荒川洋司の、ことばの嗅覚も、いいものだ。

 

 

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読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
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