詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(99)

2020-08-31 20:33:29 | 詩集
* (ぼくの意識は収穫をあげているのだから)

ある日の開花

 「収穫」は「開花」と言い直されている。
 そうすると「開花」したのは「意識」だろうか。
 この詩の断片は、そうした「比喩」よりも「だから」という「論理」の方に深みがあるかもしれない。
 「だから」と説明しなくてはいられない苦悩。「論理」しか頼るものがないという苦悩が潜んでいる。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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読売新聞の嘘のつき方(安倍へのゴマのすり方)

2020-08-31 08:47:13 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の嘘のつき方
   自民党憲法改正草案を読む/番外384(情報の読み方)

 2020年08月31日の読売新聞(西部版14版)。1面「総括 安倍政権」の署名記事。きょうは編集委員・飯塚恵子。

戦後外交に区切り

 という見出し。そして、真っ先に書いているのが、これである。

 特筆されるのは、安全保障政策だ。集団的自衛権の限定的行使を可能にする新たな憲法解釈を行い、2015年、安全保障関連法を制定した。
 日本の近海で警戒監視にあたる米艦が突然攻撃されても、日本は何もできない。果たして米国民はこれを許すだろうか――。日米安保体制のこうした制約に、歴代政権は手を出せなかった。安倍政権は戦後の法制度に風穴を開け、海上自衛隊は平時から米艦を防護できるようになった。

 だが、これは「外交」なのか。「外交」の「交」は「交渉」である。外国からなんらかの「利益」を引き出すのが「外交」だろう。日本はどの国から、どんな「利益」を引き出したのか。
 北朝鮮や中国が、「日本が集団的自衛権を確立したから、日本へは攻撃しません」と文書で約束したのか。
 だいたい「集団的自衛権」は「日本近海」だけで行使されるのではない。アメリカが攻撃されれば、どここであれ、アメリカへの攻撃を「日本の存亡の危機」ととらえ、外国まで自衛隊を派遣し、アメリカ軍と一緒に(アメリカ軍と集団になって)戦うというものである。アメリカ軍一緒にというよりも、アメリカ軍の指揮下に入って戦争するということである。
 「戦争法(安全保障関連法)」は、だれの利益にあるかからみていけば、さらにはっきりする。「米艦を防護できるようになった」と書いてあるように、アメリカ軍の利益になるだけである。日本の利益はどこにあるか。「米国民はこれを許すだろうか」ということばが象徴的だが、「米国民から非難されない」というだけの利益である。
 いいかえれば「戦争法」は「安倍は何をやっているんだ」とアメリカから叱られたくないから、安倍が強行採決したのだ。「ぼくちゃん、アメリカから叱られたくない」というためのものにすぎない。
 「戦争」は、「外交」が失敗したときに起きる。戦争のすすめは「外交」とは相いれない。飯塚が書いているのは、「外交」ではなく「安全保障」の問題である。「戦後の安全保障のあり方」を変更したのが「戦争法」なのだ。そして、それは「憲法」を踏みにじっている。
 そして、このとき安倍は「国民」に対して何をしたか。「国会」で何をしたか。議論を封じ、強行採決をした。国内でさえ「議論封じ」でしか「自己実現」できない人間が、外国相手に「交渉」できるわけがない。国民と憲法は、安倍によって踏みにじられた。それが「戦争法」の制定である。
 「外交」でもなければ、「内交」(こんなことばがあるかどうか知らないが)でもない。「独裁政治」の強行である。つまり、「独裁」という「内政問題」が、このとき露顕したのだ。「独裁」がこのときから暴走し始めたのだ。

 2面には、こんな見出し。

北方領・拉致 解決遠く

 北方領土と拉致問題は、ロシア、北朝鮮が「交渉」の相手である。そういう具体的な「交渉」では何一つ安倍は引き出していない。
 北朝鮮とは「交渉」すらできていない。トランプに「ぼくちゃんのかわりに、金に言って」とアメリカに頼んでいるだけだ。
 ロシアとの交渉も傑作である。「経済協力」の名目で金をつぎ込んだ。そして見返りに北方領土4島のうち2島を返還して、と「交渉」しようとした。ところが、安倍の地元・山口での首脳会談直前、ラブロフが「金をロシアが要求したわけではない(だから、これは交渉ではない。2島返還はありえない)」と「交渉経過(裏話)」を明らかにして、プーチンとの階段前に「決裂」してしまった。だから共同声明も出せなかった。「外交」とはことばで成立させるものなのに、どんなことばも共有できなかった。
 金さえばらまけば、「交渉」に応じてくれるという安倍の「金ばらまき外交」はロシアには通じなかった。
 これが「安倍の実力」である。

 そして、この「金ばらまき外交」という点から、最初に書いた「戦争法」を見つめなおせば、なんのことはない、安倍は「アメリカ軍(と軍需産業)」にもっと金をばらまくと約束しただけなのだ。
 それは、いまもつづいている。「陸上イージス」は飼わないことにしたが、きのうの読売新聞はそれにかわる「ミサイル防衛体制」を報道していた。ミサイルをどう調達するか書いていないが、アメリカから買うのだろう。アメリカに金をばらまきつづけ、アメリカに「安倍はよくやっている」とほめてもらう。これが安倍のやっている唯一の「外交」である。「安倍の利益」のための「金のばらまき」である。

 「外交」の「定義」もせずに、ただ安倍をもちあげることだけを考えて書いているから、こんなでたらめな「評価」になるのだ。そして、このむちゃくちゃな「評価」は、結局、読者に対して嘘をつくことなのだ。
 傑作は、

首相が辞任表明した28日、モリソン豪首相は長文の声明を発表した。「安倍首相は世界を代表する政治家であり、開かれた貿易の積極的な推進者である。日本が誇る傑出した外交官でもある」とし、特に、首相個人の「指導力とビジョン」をたたえた。

 である。
 首相が辞任すれば、よほどのことがないかぎり、ひとは安倍を称賛する。オーストラリアのように、日本が大事な貿易対象国(交渉相手)であれば、なおさらである。豪州牛を買ってくれなくなったら困る。だから「開かれた貿易の積極的な推進者」と讃える。モリソンはちゃんと、「自己主張のことば」を盛り込んでいる。こういうことを「外交」というのだ。

 飯塚は、「外交」とは何か、すぐれた外交にはどういう具合にことばがつかわれているか、それから学びなおすべきだろう。安倍の「外交」を称賛するなら、安倍の「ことば」を引用すべきだ。どういう「ことば」でどういう「成果」を引き出したか。「外交」は武力ではなく「ことば」でおこなうもの。「名言」ひとつ提示できない「すぐれた外交(官)」は存在しない。
 









*

「情報の読み方」は9月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 



*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
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小池昌代『かきがら』

2020-08-31 00:00:00 | その他(音楽、小説etc)


小池昌代『かきがら』(幻戯書房、2020年09月11日発行)

 小池昌代『かきがら』は短篇集。7篇収録されている。「ブエノスアイレスの洗濯屋」というタイトルに惹かれて、まず、その作品を読んだ。
 ブエノスアイレスが直接登場するわけではなく、主人公の働いている洗濯屋の親方の祖先の末裔がブエノスアイレスで洗濯屋をやっている、という具合に登場する。直接小説の「舞台」になっているわけではない。
 で。
 こんなことから書き始めたのは、実は、この小説が「ブエノスアイレスの洗濯屋」のような「ことば」と、その「ことばをとおして想像すること」を、とても巧みにつかうことで成り立っているからである。このタイトルは、ひとつの「象徴」のような働きをしているのだ。
 「ことば」と「ことばばをとおして想像すること」というのは、いくつも書かれるのだが、象徴的なことにしぼって取り上げると。
 主人公(空也)が住んでいるビルには「おにぎり屋」がある。このおにぎりをつくることを、空也は「むすびかた」と言う。「おむすび」といういい方があるから、それを踏襲したものだが、それを聞いておにぎり屋の店員(ヒロノブ)は、

「つくりかたじゃなくて、むすびかたか。あんた、微妙なことを言うね」

 と感想を漏らす。言っていることはわかるが、「微妙」な違いがある。それは「ずれ」というのでもないなあ。むしろ、逆に「重なり方」「一致の仕方」というものである。
 そういうことが、いくつものことばが出会いながら「重なり」(一致)を深めていく。「ことば」が重層的になるとき、世界が重層的に、立体的に見えてくるという構造になっている。
 洗濯屋にはアイロンがつきもの。空也はアイロンをかけることを仕事にしている。アイロンは「皺」をのばすためのものである。おりぎりは手で握る。その掌には「皺」がある。もちろん掌の「皺」はアイロンでのばすものではないが。
 おにぎりは素手で握ったものがおいしい。「雑菌が調味料」の役割をする。アイロンも完璧に皺がなくなってしまってはいけない。

人間の手作業の「雑味」というものを、残すくらいが、いい仕事だ。

 「雑菌」が「雑味」と言い直されて、アイロンがけとおにぎりをひとつに「結ばれる」。
 キーワードがつぎつぎに変化して、世界がなんとなく重なりひとつになる。このときのキーワードを小池は「雑味」のように、括弧で強調するときもあれば、クライマックスででてくる「人肌」のような、括弧なしでつかうこともある。
 人が死ぬとき、手を握る。そうすると、命が延びる、生きている人から死んでいくひとに向かって血が流れ、同時に時間が逆流するように、死のうとしているひとが引き返してくる感じがある、とヒロノブがいう。その話を聞かされた空也が、ヒロノブに手を握らせてくれ、と頼む。

空也の手から、ヒロノブの手へ、静かに移動していくものの気配があった。空也の手はつめたく大きく、ヒロノブの手はあたたかく小さい。ヒロノブも空也も、久しぶりに人肌に触れた。炊きたての白米とはばかに違う。アイロンの取っ手とはまったく異なる。人の肌。人の肌は。

 この短篇は、この「人肌」の発見、あるいは「人の肌」に「触れる」という、ちょっとなつかしいようなものをことを発見するまでのことを描いている。このあとで、空也は、

空也は初めて、親方の「親戚」に思いを馳せた。(略)合ったことのないブエノスアイレスの洗濯屋を、空也は今こそありありと身の近くに感じた。

 ことばが重なり、それが世界を、他人を身近にする。ことばがあって、ことばをとおして想像することで「ありあり」が初めて存在する。
 それが、先に引用した「雑味」のようなことばをぽつんぽつんとつなぎながら語られていく。括弧のないものも含めて引用すると、「後屈」「事実婚」「果皮(老婆)」「砧/皺」「見えない人」「降臨」「旧世界」などである。どれも「ありあり」を浮かびあがらせるためのことばである。
 補足すると「見えない人」とはドガの「アイロンをかける女・逆光」の絵について触れたところに出てくることばであり、それがブエノスアイレスの「見たことのない人」へとつながり、「旧世界」は富士山が爆発する前の世界をさす。つまり、この小説は、現代が舞台ではなく「未来」が舞台なのである。
 「未来」と断ることで、「ことば」にかかる圧力を軽減し、「ことば」と「ことばを通して想像すること」の関係が巧みに語られるのだが、気になるのは、その語り方があまりにも巧みでつまずきがないことである。書いているうちに「ことば(キーワード)」が生まれてきたというよりも、最初から「キーワード」を散らしておいて、それをつないでいったのではないかという印象がしてしまう。それはそれでひとつの方法なのだと思うが、私が散文を読むときに感じる興奮とは相いれないものである。だから「巧み」という印象が真っ先に出てきてしまった。








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「詩はどこにあるか」2020年8月号、発売中。

2020-08-30 22:25:28 | その他(音楽、小説etc)

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目次

谷川俊太郎『ベージュ』2  ジョージ・ミラー監督「マッドマックス 怒りのデス・ロード」14
谷川俊太郎『ベージュ』(2)16  藤森重紀『まちのかたち 凡庸な日常』23
谷川俊太郎『ベージュ』(3)25  谷川俊太郎『ベージュ』(4)32
高山羽根子「首里の馬」42  青柳俊哉「蝉声」、池田清子「最近の」、徳永孝「川の流れの中で」45
柴田秀子『遠くへ行くものになる』52  森鴎外『阿部一族』56
須田覚『西ベンガルの月』58  長嶋南子『海馬に乗って』62
長嶋南子『海馬に乗って』(2)68  アイラ・サックス監督「ポルトガル、夏の終わり」73
池田瑛子『星表の地図』75  鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』80
遠野遥「破局」84  野沢啓「詩を書くという主体的選択――言語暗喩論」88
鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』(2)93  水島英己『野の戦い、海の思い』98
レオナルドマイコ「一碧万頃」102  河邉由紀恵「蝋梅」、田中澄子「彼女は 彼に」105
坂多瑩子「クレヨン」109  池田清子「えっ」、徳永孝「怒っているの?」、青柳俊哉「水踏む音」113
太田隆文監督「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」124
山本育夫「つづれ織り『詩の遠近法』」128  山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編134
有働薫『露草ハウス』138  吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』143
山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編(2)147  吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』(2)152
小池昌代『かきがら』157
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吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』(2)

2020-08-30 09:53:14 | 詩集
吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』(2)(七月堂、2017年09月01日発行)

 吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』の「九千日の昼と夜」はどんなふうにことばが動いているか。
 他人のことば(あるいは映画)と向き合いながら吉田はことばを動かす。他人のことばのなかには他人の「論理(意味)」がある。それが他人のことばを支えている。それを意識することは、当然、自分のことばを意識する形になる。
 53ページに、こんなことばの運動がある。

 何も取捨せずに想起のままに奔り去ろうとする(われわれにあるのは想起であって精神ではないから)。ほとんど奔ることが止ることと同じように遅れつづけながら。私たちは遡行しつつ、ついにつながらず・・・・。どこへも行くことはできず、また問うこともできない。いや問いはない。ただそこから帯状の何かになって無数の映像の漣のようなものと出会うことができるだけだ。まひる=真闇のなかで。浮遊のまま、未生のまま、平坦のまま亀裂のままで、名指すことができずに漂い続けてゆく。そこにはたぶん意味の回廊はなく、所在もなく、対象もない。終わりも始まりもない風景。そこは沼津であっても三島であってもきっと同じだ。

 何が書いてある?
 実は、ある詩人の詩への「批評」なのだが、何のことか私にはわからない。つまり、ここでは広田の「論理」は不透明になっている。「透明」は「わかる」、「不透明」は「わからない」である。そして、その「わからない/不透明」の原因は、ことばが結論へ向かって動いていかないことにある。
 「結論」を目指さない「論理」がある。それを吉田は「終わりも始まりもない」呼ぶのだが、もっと簡単にあらわすことばがある。

同じ

 このことばは「ほとんど奔ることが止ることと同じように遅れつづけながら」と「沼津であっても三島であってもきっと同じだ」と二回つかわれている。さらに、「同じ」ということばではなく「まひる=真闇」という具合に、記号としてあらわれることもある。
 で。
 「記号」であらわされた「同じ」、つまり



こそが吉田の「論理」のすべてである。そこには「過程」がない。「過程」をつみあげることで結論を目指すということがおこなわれていない。結論とはじめは同じものだからである。「過程」を消すことで「同じ=」を発見し、その「等式」をことばでつくりあげることが吉田にとっての「論理」なのである。
 「結論」は「過程」と同じである、と考えるひとがいるかもしれない。たしかに「1+2=3」という算数を考え、「1+2」を過程、「3」を結論と呼べば、結論は過程のあとに生まれてくるが、文学(詩)というか、人間の行動では、「3」はやっぱり過程にすぎなくて、その「3」を超える何かが現れたとき、はじめて「結論」になる。「3」を破るものが出現し、それが「等式」そのものを破壊し、新しい「数式」を考えろとせまってくるとき、それがはじめて「結論」になる。つまり、ものごとが新しくなった、ということになる。吉田は、そういうことをしない。
 だからこそ、「不透明」にみえる。言い換えると「カタルシス」がない。たとえばギリシャ悲劇では、思わぬ展開で破局がおとずれ、その破局によって、私たちは異次元につれていかれる。吉田は、そういう運動をことばに託しているわけではない。「運動」しないのだ。運動しても、常に、それを否定するのだ。

奔ることが止ることと同じ

 と言ってしまうのだ。そして、この「同じ」は、この詩集で一回だけつかわれている「=」という記号になったとき、「全体的透明」を獲得するのである。
 こう書き直すと、さらにはっきりする。

奔ること=止ること

 「同じ」には、まだ「同じと考える/同じだと断定する(決定する)」のような意思(肉体/動詞)のかかわりがあるが、「=」は動詞が抽象化され(動詞が排除され)、「思考されたもの/思考的存在(?)」として、すべてが「記号」になってしまう。「奔る(こと)」も「止まる(こと)」も「記号」なのである。
 「まひる=真闇」ということは、「まひる」も「真闇」も「記号」だから成り立つのである。すべてを「記号」にしてしまい、そのなかで「=」を発見し続け、その結果としてあらゆる存在を「=」でつないでしまう。すべてが「=」ならば、それはつながりではないかもしれない。異質なものだからこそ、「つながり」によって「ひとつ」になる。すべてが「=」ならば、存在(世界)が「ひとつ」なのである。
 だから、その「等式」では「過程」は進展ではない。「過程」はむしろ解体されるものになる。
 吉田は、こんなふうに書いている。53ページ、54ページにつづくことばの運動。

 「真景」-実際の、実在の、あるいは零地点の風景。それは「帰還」に始まり「生まれる場所」で終わる。まるで逆向きのネガプリントのように遡行してゆき、最後に生まれる場所に還ってゆく。あるいはすでに死も生も等置となるような、あるいは死から始まりもう半分の生で終わるような地皮にすでに現在の私たちはいるのだ、と。

 「逆向き」「還ってゆく」、その結果、すべてが「零」という形で「=」になる。「等置」と「等値」がどう違うのかわからないが、「置く」というのは吉田が行為としてかかわるということだろう。「値」にもかかわることができるが、それは他人が決めることもできる。しかし「置く」ならば自己決定できる。
 そして、「置」という動詞をつかって言い直せば、それは「併置」である。「並置」と「造語」にした方がいいかもしれない。ならべて置く。逆にしても同じ。左項と右項はいつでも入れ替え可能。この記号の論理の絶対透明を、吉田の散文(のことば)は動いている。






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「共感」とは何か(読売新聞の嘘)

2020-08-30 09:11:50 | 自民党憲法改正草案を読む
「共感」とは何か(読売新聞の嘘)
   自民党憲法改正草案を読む/番外382(情報の読み方)

 2020年08月30日の読売新聞(西部版14版)。1面に「総括 安倍政権」というカットつきで編集局次長・矢田俊彦がコラムを書いている。見出しは「脱デフレへ強い決意」。アベノミクスによって、株価は2倍に上がり、雇用率も改善し(失業率は2%台)、日本企業の利益は2期連続(いつかは明記していない)で過去最高を更新したと、安倍の宣伝をそのまま繰り返している。
 そのあと、「伸び悩む賃金や格差拡大もあり、景気回復の恩恵を感じないとも言われ続けた」と書き、アベノミクス批判も認識しているように装っている。
 そして、ここから「大嘘」が始まる。
 まずアダム・スミス「道徳感情論」を引用する。「自由競争の前提として、自己の利益だけでない『共感』を求めていた。人間には、他人の幸福を見ることを快いと感じさせる何かがあると」。
 さらに一橋大名誉教授の野中郁次の「共感経営」を引用する。「共感の力がドライブや推進力とッて、分析だけでは描くことのできないゴールに到達する」。
 念押しは、矢田のことば。

 政策も、享受する国民と響き合ってこそ効果が発揮される。アベノミクスには「共感力」が足りなかった。

 「共感」(アダム・スミス)が「共感の力」(野田郁次)をへて「共感力」と言い直されている。途中に「政策」と国民の関係を「響き合う」というあいまいなことばで表現し、論理を「叙情的」にごまかしている。そのあとで、アベノミクスには「共感力」が足りなかったと批判するのだが、いったい「共感(力)」って何? 政策における「共感(力)」って何?
 好意的に解釈すれば、国民が感じている苦しみや怒りに「共感」し、それを政策に反映させる力ということになるのだろうが、このことばのつかい方には問題がある。
 こういうときは「政権に共感力がない」ではなく、安倍には国民の苦しみ、怒りを「理解する力」がなかった、というべきなのだ。「理解力」がないのだ。「感じない」どころか、「理解できない」のだ。それはたとえば「夫の月収が50万円で、妻がパートで月25万円稼げば……」というような国会答弁に現れていた。「共感」の前に「理解する力」がなかったのだ。言い直すと、国民の現実を無視していたのだ。
 これは、こう言い直すことができる。
 政策によって実現できるものがあるとすれば、「共感」ではない。「平等」である。だれが何を感じているかではなく、具体的な「平等」である。税そのものが所得の再配分という「平等」を意識したものである。その「所得再配分」を「平等」に近づけていくためには、低所得者の税軽減、高所得者の税負担を重くする、好業績の企業に法人税をしっかり払わせる、などの方法がある。さらには、同一労働同一賃金も「平等」につながる。しかし実際はどうか。親会社と子会社の「賃金格差」、正規社員と非正規社員の「賃金格差」、日本人労働者と外国人労働者の「賃金格差」。あるいは、男女間の「賃金格差/待遇格差」など、「経済問題」だけに限って言っても、多くの「平等」が実現されていない。「格差拡大(平等の否定)」をつづけてきたのがアベノミクスなのだ。
 安倍の実現した「経済的平等」は「消費税増税」だけである。高額所得者も低額所得者も、ものを買えばものの値段にあわせて「消費税」を「平等」に負担する。
 アベノミクスは、本来の「平等」のための政策は何も実行せず、「平等」を獲得できないのは「自己責任」だと国民の間に格差を広げた。「大企業の正規社員」になれないのは、その人が「一流大学」を卒業するための努力をしなかったせいだ。努力をしてこなかった人間が「所得の再配分」を求めるのはおかしい。さらには、税金をおさめてもいない人間が平等を要求するのはおかしい、という主張を後押しした。社会には、差別が横行している。それをアベノミクスは推進した。言い直すと「共感力」を育てるのではなく、差別意識を正当化したのである。権力側が何度も何度も「自己責任」ということばを発していることが、その証拠である。

 問題なのは、「共感力」ということばのつかい方だ。
 矢田は、アベノミクスには共感力が足りなかったと、一応、安倍を批判する形でつかっているが、共感とはもともと権力(政権)と非権力者(国民)が共有するものではない。国民は政権を支持するか、支持しないかであり、それは「共感」ではない。ましてや権力が国民に「共感」するということなどあり得ない。「民意にしたがう」といいながら「民意を無視する」のが政権(権力)の姿であることは、沖縄の基地問題を見るだけでも明らかだ。
 アダム・スミスを私は読んだことがないから「誤読」かもしれないが、アダム・スミスの言っているのは自由競争をする企業の「心構え」のことである。企業は資本の利益にだけ集中してはならない、労働者、国民の利益にも配慮しないといけない。労働者も自己の利益だけではなく、社会の利益を考え、社会と「共感」するためのことをしないとけいないという意味だろう。
 「共感」とは、働くもの同士(国民同士)が共有するものなのだ。

 そして、このことは、もう一つの問題を明るみに出す。矢田が読売新聞の読者に要求しているのは、安倍への「共感」なのである。病気なのに一生懸命働いてきた。批判してはいけない。ここからさらには、国民はみんな一生懸命働いている。批判し合うのではなく、一致団結して安倍のめざしている社会のために努力しよう。そうすれば経済復興ができる、ということなのだ。言い直すと、安倍批判をしているときではない、というのが矢田の主張なのだ。政策への「共感」が国民に足りなかったとは矢田は書かないが、「共感」ということばをつかうかぎりは、そこにそういうものが動いている。
 権力への「追従」が矢田のことばを動かしている。読者を権力批判ではなく、賢慮苦にす追従するように誘導するための「大嘘」が巧みに隠されている。

 それにしても、矢田の要約しているアダム・スミスのことばはおもしろい。「人間には、他人の幸福を見ることを快いと感じさせる何かがある」の「人間」を「安倍」に「他人」を「安倍のお友達」にかえると、こういう文章になる。

安倍には、安倍のお友達の幸福を見ることを快いと感じさせる何かがあると

 安倍は自分の快感だけを求めていたのである。お友達が幸福になる。それは「快い」。なぜか、お友達が安倍を讃えてくれるからである。お友達に与えた幸福が、自分に跳ね返ってくる。
 これは「自己責任」ではなく「自己満足」である。
 安倍は、国民には「自己責任」を押しつけ、「自己満足」を追い求めただけなのだ。だから、批判されるとがまんができずに、「ぼくちゃん、もう辞めた」と責任を放り出す。だが辞職をすれば「責任」がなくなるわけではない。「責任追及」から逃れられるわけではない。
 「平等」を基本とした民主主義を破壊し、お友達優遇の様々な政策を実行し、政策を点検するための資料である文書を次々に廃棄した「責任」を安倍は負わないといけない。ジャーナリズムは安倍を追及しないといけない。その「出発点」といういうときに、「共感力」などというあいまいなことばを持ちだしてくる読売新聞の論調が、ころからどう展開するのか、見つめ続けたい。










*

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読売新聞の忖度

2020-08-30 07:56:53 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の忖度
   自民党憲法改正草案を読む/番外383(情報の読み方)

 2020年08月30日の読売新聞(西部版14版)。1面に

適地攻撃 施設に限定/政府検討 移動式発射台 除外

 という見出し。
 安倍が辞任会見で「迎撃態勢をととのえるだけでは不十分だ」というようなことを言った。そして、そういう認識を共有できたので辞任する、と、北朝鮮を引き合いに出して語ったと記憶している。
 その辞任会見での安倍の「遺言」を追認する記事である。こう書いてある。

 新たなミサイル防衛での「敵基地攻撃能力」の保有を巡り、政府が、攻撃対象を敵国領域内のミサイルに関連する固定施設に絞る方向で検討していることがわかった。複数の政府関係者が明らかにした。

 しかし、「敵基地攻撃」がなぜ「防衛」なのか。「迎撃では不十分」という安倍の会見でのことばにしたがって解釈すれば、これはどうしたって「先制攻撃」だろう。「防衛」を逸脱しているだろう。

政府は固定目標への攻撃について、「敵の誘導弾等の基地をたたくことも憲法が認める自衛の範囲に含まれ可能」としてきた従来の政府見解の範囲内だとしている。

 読売新聞は、簡単に「従来の政府見解」だからと追認している。これでいいのか。新聞の役割を果たしているといえるのか。これでは政府の宣伝紙だろう。
 さらに、これだけでは、「移動式」を除外する理由がわからない。だいたい「敵国」が日本攻撃のための軍備を「基地」に固定するとは限らないだろう。日本が「固定施設」しか狙わないのだとしたら、すべてを「移動式」にしてしまうだけだろう。そういう疑問を、この記事を書いた記者はもたなかったのか。

 いったい、これは、どういうニュースなのだ?

 読売新聞は、とてもおもしろい解説を書いている。(番号は、私がつけた。)

①敵基地攻撃を巡っては、人工衛星や偵察機による目標探知、電子戦機による相手レーダーの妨害などの装備体系を整えなければならないとの指摘がある。特に、TEL(移動式ミサイル発射台)の位置把握には、新たな衛星や無人偵察機など、より能力の高い装備品が必要となるとみられていた。
②政府は、敵基地攻撃に必要なこれらの装備品全てを独自に保有することはせず、限定的な攻撃能力の保有にとどめる方針だ。日米同盟内での連携を重視し、主要な打撃力を米国に依存する役割分担も維持する。
③こうした方針により、敵基地攻撃能力に慎重な公明党の理解を得やすくする狙いがあるとみられる。首相は辞意を示した28日の記者会見で、「今後速やかに与党調整に入り、その具体化を進める」と述べ、改めて実現に意欲を示した。

 ①は「移動式施設」は攻撃がしにくい。②もし、それを実現しようとすると金がかかるので、アメリカにまかせる。そして③大半はアメリカにまかせるということを明確にすることで公明党の「理解を得る」。
 なんだか、「ご都合主義」というか、この論理でアメリカも公明党も納得するのか。アメリカは武器さえ売れれば、それで満足だろうけれど。
 おそらく「政府関係者」が「リーク」したままに、そっくり一字一句「コピー」しているのだろう。
 批判の視点が完全に欠如しているから、コピーでおわっても気にならないのだ。
 なぜか。
 「日本の防衛」を安倍の「レガシー」にしたいからである。安倍は「戦争法案」によって平和憲法を踏みにじったのだが、読売新聞はそれを逆に言おうとしている。安倍は日本の安全を考えていた。そういいたいのだ。
 そのために、わざわざ「安倍の意欲」を強調している。辞任を伝える新聞では、そのことを書いていなかったにもかかわらず、である。
 「防衛」「憲法」に関する「負の問題」を点検せず、安倍がやろうとしていたことだけを今後の方針として提出する形で、安倍を評価する。読売新聞の「安倍忖度」は、こういう形で引き継がれ、次期政権でも「忖度記事」を書き続けるのだろう。
 (他紙を見ていないのでわからないのだが、おそらく読売新聞の「特ダネ」だろう。そして、「特ダネ」というのは、たいていが「リーク」なのだ、ということがとてもよくわかる記事だといえる。「特ダネ」は政府宣伝であり、政府に協力することで次の「見せ掛けの特ダネ/リーク記事」を「おねだり」しているのだろう。)











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安倍はなぜやめたか

2020-08-29 11:39:26 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍はなぜやめたか
   自民党憲法改正草案を読む/番外382(情報の読み方)

 2020年08月29日の読売新聞(西部版14版)。1面。

安倍首相辞任表明/コロナ下 持病悪化

 私は、この「見出し」を鵜呑みにはできない。
 私の見るところ、安倍のいちばんの欠点は批判に耐えられないことである。国会答弁などでも批判されるとムキになる。
 安倍がいちばん批判されたくないことは何か。
 「病気」ではないだろう。「病気」はみんなが同情してくれる。今回の辞任前後の動きを見ても、みんなが同情している。麻生、甘利の訴えは異常なくらいである。

 何がいちばん原因なのか。
 いま起きている「コロナ」で何がいちばん問題なのかは、私から見れば「感染の拡大」である。しかし、安倍(政権)はそうは考えていない。それは、28日に発表されたコロナ対策の「政策パッケージ」を見れば明らかである。(安倍は、会見でいちばん最初に、政策パッケージのことを語った。)
 この政策のいちばんのポイントは、(読売新聞が2面で掲載している「ポイント」の最初に書かれているのは、

軽症者・無症状者は宿泊療養を徹底し、医療資源を重症者に重点化

 このまま読めば、特におかしい点はないのだが、なぜ軽症者・無症状者は「入院」ではなく、「宿泊療養」なのか。「入院」だと何が困るのか。病床が足りなくなる、ということが考えられるが、これは中国がやったように病棟を建設すればすむ。それができないのはなぜ?
 簡単に言えば、金がないのだ。
 軽症者・無症状者が入院しては、病院ももうからない。「医療資源を重症者に重点化」というのは聞こえはいいが、「重症者」は病院で受け入れるしかないが、その他は経営圧迫に拍車がかかるので入院してもらっては困る、ということだ。
 これはコロナが発生したときから、「医療崩壊が起きる」ということばで間接的に語られたことである。コロナは金儲けにならない。実際、コロナ患者を受け入れたために、経営が悪化したという病院が続出した。
 でも、国民の健康が第一ではないのか。税金を医療に投入するときではないのか、と私は思うのだが。

 ここで思い出したいのが、アベノミクスということばでアピールし続けてきた「景気拡大」の嘘。
 安倍は、安倍政権になって以来、景気はよくなったと言い続けた。一時は、戦後最大の景気拡大期間が盛んにいわれた。ところが、コロナ拡大の真っ最中の7月に、内閣府の「景気動向指数研究会」が、実際には18年10月に景気は景気後退に転じていたとの判断を下した。アベノミクスによる「戦後最長景気」は、嘘だった。
 コロナが始まる前から景気は後退している。その後退期間は、もうすぐ「2年」になる。今年の10月には「後退期間2年」になってしまう。しかも、コロナの影響で、その「後退幅」は拡大している。
 金(税収)をどうするんだ。
 この問題が、これから大きくなってくる。それは言い直せば、アベノミクスとは一体なんだったのだ。ことばだけの嘘だったのではないか、ということが検証されるということだ。
 安倍は、この追及(批判)に耐えられないのだ。自分でつくりだした「アベノミクス」が批判されることに我慢できない。
 森友学園、加計学園、桜を見る会。一連の文書改竄、文書廃棄。こういう問題は、「ぼくちゃん知らない。ぼくちゃん何もしないない。官僚が勝手にやったこと」と言い逃れることができる。実際、「文書」がないので、追及できない。
 ところが「景気(税収)」は、「記録」が残っている。すでに「戦後最長の経済拡大期」が嘘だとわかってしまった。これから、つぎつぎにアベノミクスの嘘が発覚する。
 金を投入できないから、嘘がばれてしまう。

 このことを裏付けるように、コロナのさなかだというのに「GOTOキャンペーンをしないと経済が回らない」とか「消費税を上げる必要がある」という議論が出ている。
 金が、ほんとうに、ないのだ。
 金がないだけではなく、どうやって金を工面すべきか、安倍には考えられないのだ。
 私は、簡単に、防衛費をゼロにして、それを全部医療にまわせと言ってしまうが、そんなことをすれば、アメリカから「武器購入の約束はどうした」と批判される。アメリカからの批判に安倍は耐えられない。金をばらまかなければ、アメリカから批判される。
 これが、安倍には耐えられない。
だからこそ、辞任会見でも「安全保障」について、北朝鮮の驚異を引き合いに出して、これからは「迎撃防衛ではダメだ」と主張している。それを次期政権に引き継ぐと言っている。これは「先制攻撃のための武器をアメリカから買う」ということだ。そうすることでアメリカの歓心を買うということだ。辞任したあとも、安倍はアメリカから評価されることを期待しているのだ。

 前回の突然の「病気理由辞任」のときも、実はアメリカとの「交渉(約束)」が期限までに国会を通らないことが原因、と一説でいわれた。(そういうような記事を読んだ記憶がある。具体的に「交渉ごと」が何だったか記憶していない。)そのときも、安倍はアメリカからの批判に耐えられず、後任に「丸投げした」といわれた。
 安倍は、金ですべてを解決してきた人間なのだろう。だから、金が工面できないのはおまえのせいだ、と批判されると、どうしていいかわからなくなるのだろう。
 安倍の「持病」はストレスが要因ともいう。経済後退が18年10月に始まっていたという指摘(批判)こそが、安倍を窮地に追い込んだのではないか、と私は思っている。経済の落ち込みがコロナだけによるものなら、きっと安倍はアベノミクスは批判されないし、「GOTOキャンペーン」も「成果があった」と言えただろう。たぶん、「GOTOキャンペーン」にいちばん期待したのは観光業者ではなく、安倍自身だったのだ。でも、成果がなかった。安倍の経済政策はことごとく失敗し、国に金がなくなっている。
 これが原因なのだ。

 だから。
 これから、ほんとうにたいへんなことが起きる。
 安倍は「働きながら、コロナ対策をする」という政策を、次期政権に引き渡したのだ。あとは「ぼくちゃん病気だから治療に専念する。次のひと、よろしくね」と逃げたのだ。時期首相の「候補」から麻生がさっさと身を引いているのも「しもじもの貧乏人のことなんかめんどう見ていられるか」ということだろう。「財政通」であるはずなのに、今後の金の問題なんか、知らない、と逃げているのだ。安倍と二人三脚で逃げ出したのだ。
 インフルエンザかコロナ感染か、あるいはふつうの風邪(?)なのかわからないまま、国民は日々の生活を守るために働き続けるしかない。国は金持ちの面倒しか見ない、という時代が始まる。










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山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編(2)

2020-08-29 09:55:47 | 詩(雑誌・同人誌)
山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編(2)(「博物誌」48、2020年08月20日発行)

 山本育夫のことばは「濁っている」。これは、きのう読んだ吉田広行との「比較」でそういうだけであって、「絶対的な基準」ではない。
 何語か知らないが、「日本語以外のことば」が出てくる作品を見ると、その違いがよくわかる。

03あふれだしている

詩はかくあるべしと
延々とつぶやいている
Bot がある
それを読んでいると
不思議な気持ちになる
つまり
詩はかくあるべきではないと
激しく思っているということだよね
Bot くん
そのことがよくわかった午後の

豪雨のしぶきだしぶき
詩は轟々(ごうごう)と
下水からあふれだしている

 「Bot 」が何か、私は知らない。知らないことばは知らないままにしておく。それが私の流儀だが、日本語ではないということだけはわかる。アルファベットで書かれているからね。
 で、の「Bot 」だが、二度目に登場するときは「Bot くん」と敬称がついている。敬称というのは、ほんとうは他人と距離をおくためのものだが、日常では他人との距離を縮めるためにもつかわれる。「くん」とか「ちゃん」が、とくにそういう働きをする。山本は、ここでは「Bot 」を日常をととのえるにしても、「外国語」の力を借りるためではない。むしろ「外国語(知らない何か)」を日常に引き寄せるためである。私は危険なことをしないよ、近づいておいで、というときの「くん」なのである。「こころを開いているよ、安心して」という証拠の「しぐさ(肉体)」が「くん」なのである。
 もし山本が「外国語」をつかってことばを「二重」するとしても、それは日常を引き剥がすためではなく、つまり日常を「外形化」する、虚構化することで日常を「わかりやすく」するのではなく、逆に日常の「内部」を複雑に、見えにくくするためである。
 なぜ「Bot 」を「くん」までつけて、自分の内部に取り込むのか。なんらかの「魂胆」のようなものがあるのだ。そして、山本のやっているのは、論理的なことばの運動をどこまでも明確に追うという仕事ではなく、「魂胆」というもの、ことばにするのがはばかられるようなものが人間を結びつけているということを明らかにすることなのだ。
 で、ここで山本が「Bot くん」と呼びかける姿勢を前面に打ち出し、山本がこころをひらく優しい人間であるとどうしても読者に伝えたいのは、なぜか。「詩はかくあるべきではないと/激しく思っている」の「主語」がだれなのかを考えるとわかる。「主語」は山本である。「激しく思っている」ことを前面に出す。主張する、とそういうひとはときに反感を買う。その反感をさけるために「Bot くん」のよう猫なで声で、「私はあやしいものではありせん、かわいいこどもに『くん』をつけて近づくやさしい人間なんです。こうアピールしているのである。このアピールの仕方を、私は「魂胆」と呼んでいる。
 「魂胆」なんて知ってしまうと、ひととの関係は、とっても面倒くさくなる。否定するにしろ、加担するにしろ、そこで動くのは「透明な論理」(誰にでも共有できるもの)ではなくて、ふたりで、つまり「一対一」で共有する「セックス」のような関係が始まってしまうのだ。そこでは、私はこういう人間ですという「見せかけ(愛しています)」と「本心(早く性交したい)」が交錯している。「論理/見せかけ」は他人に見せてもかまわない。けれど「魂胆の本心(セックスしたい)」は、他人に見せるとみっともない。実際のセックス自体、何でそんなかっこうしているといいたくなるような変なものになってしまうのだ。当人が気持ち良ければ気持ち良いほど、そんなものは「他人(第三者)」にとってはどうでもいいことだ。
 その、どうでもいいこと、その「経過」を山本はことばにする。
 「詩はかくあるべし」「詩はかくあるべきではない」。これは「論理」としては正反対のことだが、「気持ち」としては同じものだ。「気持ち」は「詩」に集中している。それは、なんといえばいいのか……。「ここは気持ちいいはずだ、ほら気持ちいいだろう」「違う、そこじゃない、そこは気持ち良くない」というセックスの対話のようなものだ。そんなことは、よほどのことがないかぎりいちいち「ことば」にせずに肉体を動かすことで「一対一」のなかで確かめるものだが。そんなあれこれが、「Bot くん」という猫なで声(しぐさ/肉体)をとおして展開する。
 だからこそ、

激しく思っているということだよね

 この一行で大事なのは、何を思うかではなく「激しく」思うこと。何かはどうでもいい。「詩はかくあるべき」「詩はかくあるべきではない」の「区別(境界、限界)」を叩き壊して、詩そのものを「激しく」思う。「そこ」「ここ」ではなく、まだ「出現」していない「場(エクスタシー)」を「激しく」思い、その存在しないものへ向けて動いていくこと。
 もし山本に「透明性」があるとすれば、それは「論理」ではなく、肉体の「激しさ」としての透明性なのだ。猫なで声(しぐさ)の背後に欲望が透けて見えるという透明性なのだ。それは、限界を超えてしまうしかない、射精してしまうしかない、という欲望の「透明性」なのである。
 人間には共通する欲望、共有できる欲望というものがあるかもしれないが、「論理」のように複数で共有できると考えない方がいい。論理のように、社会をととのえる形で共有できると考えない方がいいだろう。
 「一対一」になって、そこで完結させれば、それで充分である。この「一対一」の「日常(セックスというのは日常の基本)」のなかで、「よくわかった」という境地に達することがすべてなのだ。「よくわかった」あとは、どんな世界でも、それはとても美しい。

豪雨のしぶきだしぶき
詩は轟々(ごうごう)と
下水からあふれだしている

 豪雨のさなか、下水があふれだす。その「轟々」という勢い(激しさ)。それが詩のように美しい。限界を超えて、あふれだすものは、すべて美しい。それを共有できるのは、「ととのえる」ための「論理」を無視するときである。「しぐさ」のなかにどっぷりつかり、「肉体」そのもので「論理」をけとばしたものだけが、それを共有できる。
 山本の詩から、「論理」を引き出し、それを進展させ、「結論」に仕立てても、何もおもしろくない。「論理」が「そこじゃない、ここ」というのを無視して、「そこ」でも「ここ」でもない「あっち」へ行ってしまう「勝ち」なのだ。
 よね、
 山本くん。

 ほら、この「よね」にも「濁った思想/しぐさ」があるのが、わかるでしょ? こういう「よね」をつかうでしょ?




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破棄された詩のための注釈15

2020-08-29 00:05:20 | 破棄された詩のための注釈
破棄された詩のための注釈15
             谷内修三2020年08月28日

 鏡には前に覗いた人の顔が残っている。別の生き方ができたはずなのに、記憶にとらわれてしまった兄は精神科病院に入った。雪が降った。夜になっても止まず、静けさが音になって積もっていった。
 「そんなはずはない」ということばは二度書かれて、二度消された。しかし、消したあとも、断固として残っていた。

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安倍辞任会見のお粗末さ

2020-08-28 18:24:57 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍辞任会見をNHKのネット配信で見た。

記者との質疑応答(記者の連携のなさ)にちょっとあきれかえったが。
安倍の「最後の主張」で聞き捨てならない点が2点あった。
その問題にしていないことも驚くばかりである。
①コロナ対策について、安倍は感染症の分類を見直す旨の発言をしている。いままでの「2類」指定を見直すことで、インフルエンザ治療と共存させる。つまり、コロナ感染者も「自宅治療」になる、というようなことを言った。(正確にはわからない。あす新聞で確かめる)
これはむちゃくちゃ。市中感染がどこまでも拡大する。
②国家安全対策について、安倍は「迎撃態勢をととのえるだけでは不十分だ。次期政権に引き継ぐ」というようなことを言った。(これも正確にはわからないが。)
これは「専守防衛」という憲法の規定を踏み外し、「先制攻撃」を想定するということである。北朝鮮の名前を出しながら明言している。
この2点をとりあげ、問題視しなかったのは、あまりにもおそまつ。
「安倍病気辞任」にふりまわされている。
辞任説はすでにでまわっていたのに、「辞任会見」でどういうことが語られるか、記者団はだれもその「内容」を想定していなかったということだろう。
記者の準備不足が目立つ「会見」だった。

上に書いた2点を質問しなかったのは、なぜだかわからないが、きっと事前に質問することを決めて、会見に臨んでいるからだろう。
「聞きたいこと」を安倍がどういうか、それしか考えていないから、その場での反応ができないのだ。
そんななかで、「事前に準備していたまともな質問」は東京新聞の清水、西日本新聞の川口のふたり。
「負の遺産」を追及したのがふたりだけとは情けない。
森友、加計、桜を見る会。
これに付随する公文書廃棄。
安倍は「政権の私物化はない」と決まりきったことばで逃げた。
それぞれが聞きたいことがあるのだろうけれど、連携が取れないのかといつも疑問に思う。
もうひとり、だれだったか、メディア対策(会見質問の事前提出)の問題を追及したが、追加質問が封じられているので、迫力に欠ける。
ジャーナリストも連携を模索する必要があると感じさせる会見だった。
フリーの江川昭子はひっかけて「IT政策の遅れ」を問題にしていたが、いま聞くべきことからは外れているなあ。

(明日の新聞で、どう会見が「要約」されているか。それが楽しみだ。)

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吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』

2020-08-28 10:49:45 | 詩集
吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』(七月堂、2017年09月01日発行)

 有働薫の『露草ハウス』を読んで、ふと吉田広行のことばを思い出した。ことばが「透明」なところに共通点がある。「透明なことば」の詩人はたくさんいるから、こんなおおざっぱな言い方では何も語ったことにならないのだが……。
 吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』は2019年発行だが、最近読んだ。その「記憶する生」の「二」の部分の書き出し。

生の始まりは暗く
Big bangとBig dataの
あいだに挟まれて
もうすぐこの世の謎も解ける?

 ここには日本語と英語が混在している。ことばが異質なものと向き合いながら動くとき、そこには自然と「自己制御」のようなものが動いている。知らず知らず、「日本語(詩の基本語)」が異質なものによってととのえられ、暮らし(肉体)そのものから切り離される。肉体とは別の次元の運動になる。言い直すと肉体が抱え込む不透明なもの、どこがつなぎ目でどこが切れ目なのかわからないものから離れて、いったん、「頭」を経由して動く。その「頭」を経由することで生まれる「透明感」がある。
 「Big bang」「Big data」は英語というほどのものではないかもしれない。これも大事な要素である。「頭」を経由するのだけれど、借りてきた頭ではない。すでに「日常」に近くなった「頭」である。習慣化した「頭」と言ってもいい。「ビッグバン」や「ビッグデータ」ということばを聞いたことがないひとは少ないだろう。だれもが知っている。だれもが知っているが、それは自分の肉体でたしかめたことばなく、「他人経由」で入ってきた「知識」のことばだ。
 私がとりあえず「英語」と読んだものは、「他人経由のことば/頭経由のことば」である。広田の詩にも有働の詩にも、そういうものが「透明化」の作用として強く現れている。広田は、たまたまここでは「日常」に近い「英語」をつかっているが、「頭経由のことば」の基本は、「英語」ではなくほかの外国語かもしれない。「フランス語」が多いとすれば、有働の「ことばの透明化」ともっと重なるかもしれない。

 外国語(頭経由の、暮らしとは異質のことば)を鏡のようにつかいながら、日本語(日常のことば)をととのえなおす。そのとき「鏡像」と「実像」という「二重化」が起きる。「二重化」のなかで、ことばの運動を「認識」のあり方として見つめなおし、その「認識」そのものを「詩」と呼んで、提示する。
 これが広田の「肉体/思想/方法」のように私には感じられる。

ひとは不滅のヒトとなって生き続ける
細胞は細胞をつなぎ円環をむすぶ

 ここでは「英語(頭経由のことば)」のかわりに、「学術用語」のようなものがつかわれている。「ヒト」ということばが、日常の「ひと」とは別の形でつかわれている。「ひと」は生まれて死んでいくが生物学(?)上の「ヒト」という「概念」と生き続ける。そして、その概念のなかでは「ひと」は「細胞のつながり」としてとらえなおされている。
 「細胞」ということばは「Big bang」「Big data」と同じように、現代では「日常語」のようになじんでいるが、そしてそのために「頭経由のことば」とは考えられていないと思うが、それを実際に目で見るひとは少ない。ほとんどのひとは肉眼と実際の細胞をむきあわせていない。顕微鏡をつかって細胞を確認したひとは少ないし、それを日々確認しているひとはもっと少ない。つまり、多くは写真とむきあわせて認識しているだけである。「認識」しか、そこには存在しないのだ。「認識の仕方」しか、私たちの多くは体験してきていない。
 しかし、この「認識の仕方」を利用して、広田はことばを動かし、その結果、ことばは「日常」の面倒くささをふりはらって、「認識」そのものの「透明さ」を生きるのである。

もう誰も死なない
誰もどこへも行こうとしない

巨大な彗星の尾が落ちてくる
この真昼
死の饗宴だけが満ちて

 これは「日常」ではなく、「認識」の世界である。広田が世界をどう「認識」したか、その「方法」を「文体」にしているのである。
 それが証拠に。
 たとえばきょうの読売新聞(西部版・14版)によれば、新型コロナのために、27日には全国で11人が死亡している。死んだひとがどこへ行くのか知らないが、「誰も死なない」ということはない。「饗宴」があるだけではなく死そのものがある。

 こういう批評は無意味だ、という指摘があるだろう。

 そうなのである。私は「無意味」を承知で書いているのである。つまり、コロナのために何人が死んだというような「日常」の感覚のまま、(あるいは日常語の間隔/距離感のまま)、広田のことばを読んだのでは、広田の詩を読んだことにならないのだ。広田のことばは「日常語」とは別の動きをしているのだ。
 広田は「日常語」を「頭経由のことば」でととのえることで、日常とは違う運動へと導く。そこで、「広田論理」を繰り広げる。そのとき広田が「頼り」にしているのが「論理の透明性」なのである。
 こういうことは、これ以上書いてもごちゃごちゃするだけだから、ここで保留しておく。
 あすは(たぶん)ここから、山本育夫の世界へもう一度引き返してみる。
 そのあと、もう一度、広田の「九千の日と夜」に戻ってくるかもしれない。




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破棄された詩のための注釈14

2020-08-27 15:20:16 | 破棄された詩のための注釈

破棄された詩のための注釈14
             谷内修三2020年08月27日

 何も期待することがない、ということばのなかには、まだ「期待」が残されている。
 鏡のように向き合っているビルの窓から、見つめられているのを感じたが、見つめられるままにしているときのように。
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有働薫『露草ハウス』

2020-08-27 10:39:45 | 詩集


有働薫『露草ハウス』(思潮社、2020年08月08日発行)

 有働薫『露草ハウス』の「露草ハウス」は非常に美しい。特に、

あかざ、ひるがお、かきどおし、かたばみ、おおばこ
藜、 旋花、 垣通し、 酢漿、 車前草

 この二行で息をのむ。私は無知だ。だから知らずにテキトウなことを書くのだが、「藜、 旋花、 垣通し、 酢漿、 車前草」は「あかざ、ひるがお、かきどおし、かたばみ、おおばこ」と読むのだろう。あるいは「あかざ、ひるがお、かきどおし、かたばみ、おおばこ」は「藜、 旋花、 垣通し、 酢漿、 車前草」のだろう。「かきどおし/垣通し」を手がかりに推量しているだけなのだが。
 同じものが、ふたつの顔を持つ。
 この二行の後で、その「ふたつの顔」を有働は、こう言い直している。

記憶はやがて物語に変る
囀りながら天頂へかけのぼる
ウォルフガングス 走る狼

 「記憶」と「物語」。先の二行は、どちらが記憶で、どちらが物語か。そういうことは区別しなくていい。それはただ相互に交代しうるものなのだ。
 そして、この記憶と物語ということばが、相互交代が可能なように、詩のことばを先へすすめると同時に、前に引き戻す。
 二行の前には、こう書かれていた。

母の死の日 東の空に虹がかかった
不意に枯れた楓の若木

 何が記憶か。何が物語か。虹も枯れる若木も「物語」になることで「記憶」に定着する。
 そして、こう書けば、有働の詩が「物語」を要求している理由もよくわかる。有働は詩のなかに「物語」を持ち込むことで、それを「記憶」に変えるのだ。有働の詩は「記憶」をより鮮明にするために「物語」を借りて、ことばをととのえる。
 だから、いつでも有働の詩には「二重構造」のようなものがある。その「二重構造」を明確にしているのが、最初に引いた二行なのである。
 この「露草ハウス」については多くのひとが書くだろうから(すでに書いているかもしれないが)、別の作品について書いてみる。
 「梅雨明け」には「大石裕之氏に」というサブタイトルがついている。大石裕之がだれなのか知らないが、詩を読むと画家を連想させる。

青い蜥蜴が道端の草むらに走り込む
長い尻尾を一瞬鉄色にきらめかせて
街路樹のサルスベリがもう茜色に花ざかり

 この一連目の色彩の氾濫が「画家」を思い起こさせる。その画家の世界が一方にあり、もう一方に有働のことばの世界がある。絵画の世界(記憶)が有働のことばによって物語へと変わっていく、というのがこの作品である。
 「物語(ことば)」は美術展の帰り、「漆黒の羽」を拾うことをきっかけにしている。その瞬間を、有働はこう書いている。

私は足元に黒々とした大きな羽をみつける
家に持ち帰って羽元を削り
久しぶりに青インクでことばを書こうか
歩道にかがんで不吉なペンのような漆黒の羽を拾う

 羽ペンをつくり、青いインクで「物語」を書くのである。有働は「言葉を書こう」と書いているが、それは「物語」である。
 「物語」は「記憶」をゆさぶりながら、どんどん拡大していく。
 そして、それは有働にまで影響してくる。

そして散歩のあいだじゅう
幾枚もの羽を行く先々で拾い続けた私は
自分がどこかに導かれている気がして身震いし
この見えない力をはやく脱したいと思う

 「物語」が「記憶」を呼び覚まし、有働が意識していなかった「深層」へ進んでいく。このままでは、「物語の記憶」(記憶の深層/無意識)に閉じこめられてしまう。ことばには、作者の意図を超えて動いていくものがある。
 これを私は「ことばの肉体(の力)」と呼んでいるが、それを書き始めると長くなるので、ここでは省略。
 それに気づいて、

この見えない力をはやく脱したいと思う

 と有働は書く。
 この「はやく脱したい」は臆病というか、弱虫というか、その力を利用して、見えない力の向こうまで行ってしまえば、絶対的な詩(傑作)が生まれるのに、とことばで言うのは簡単だが、それはなかなかむずかしい。
 私は、ここでは、有働はその力に「気づいた」ということだけを指摘しておきたい。「はやく脱したい」と思わず書かずにはいられない瞬間だったのだろう。
 有働のことばが「二重の世界」で動いていることが、とてもよくわかる詩である。








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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(98)

2020-08-27 09:00:33 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (何も見ているわけではない)

ただ遠くのざわめきに耳を傾けているのだ
やがてそれも静まるだろう

 見ているのは「遠くのざわめき」。それは「耳を傾ける」ような性質のものではないだろう。ふつうは、ぼんやりと聞く。そして、ぼんやりと聞くから、「音」(声)は聞き取れず、ただひとの動きが見えるものだろう。
 このちぐはぐなことばの展開は、「やがてそれも静まるだろう」につづいていく。「静まる」ことを期待しているのか、「静まる」ことを残念に思っているのか。どちらでもいい、という感じしか伝わって来ない。

ぼくにはまだ関わりのないことだから

 と、この詩は閉じられるが、「まだ」ということばに、この詩の嫌な感じが凝縮している。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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