詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Calros Ruiz Zafonと村上春樹

2024-05-19 21:54:10 | その他(音楽、小説etc)

 Calros Ruiz Zafonはスペインの作家(故人)。「La Sombra del Viento」は世界的なベストセラーになった。多くのひとが「おもしろい」というので、読み始めた。私のスペイン語は、NHKラジオ講座入門編のレベルなのだが、どうせなら分厚い本を読んでみようと思ったのだ。
 最初は辞書を引き引き読んでいたのだが、なんだか面倒くさくなった。辞書を引かなくても、おおよそのストーリーはわかるかもしれない、と思ったのである。
 たとえば33ページには、主人公ダニエルとクララという女性の会話があるのだが、そこで彼女は、こんなことを言う。

Nunca te fies de nadie, Daniel, especialmente de la gente a la que admiras.
(だれも信じちゃだめよ、ダニエル。特にあなたが崇拝しているひとを信じちゃだめよ。)

 で、この部分を読んだ瞬間、私は、あ、ダニエルはクララに裏切られるのだと思った。そして、そのとおりのことが後で起きた。そこから、私は辞書を引くのをやめた。この作家は、読者が想像する通りのことを書いている。そこには新しい人間は出てこない。なぜ、このひとはこんなことを考えるのか、こんなことを言うのか、という人間は出てこない。まるで村上春樹の小説だなあ、と思ってしまったのだ。「意味」が最初から最後まで、とてもわかりやすく「配置」されている。ストーリーが、すべて「意味」になっている。それも予想された通りの「意味」である。
 小説にかぎらないが、おもしろい作品というのは、その作品のなかで何かが起きたとき、なぜ、そんなことが起きるのか。なぜ、ひとはそんなことをするか。わからない。しかし、起きてしまった後、ああ、そうなんだなあと納得する。そうするしかないなあ、と気がつく。
 それが、この「風の影」にはない。
 私は、わからない部分(ほとんどだが)を読みとばしているから、その読みとばした部分にこの作家の「魅力」が隠れているのかもしれないが、どうも、そんな気がしない。細部がわからなくてもかまわない、という感じの小説なのである。

 私はときどき外国人に日本語を教えている。そのとき、村上春樹の小説は、とてもつかいやすい。外国人にとってわからない語彙があったとしても、その語彙はかならず別のことばで説明されている。そして、読んだことばを裏切らない形でのみ、小説のストーリーは展開する。なぜ、そういうことが起きるのか、という疑問が起きない展開になっている。(別なことばで言えば、伏線がていねいにていねいに張りめぐらされている。)その結果、途中で何かを読み落としたとしても、作品を読み通すのに、たいして問題にならないのである。あそこを読み落とすと、作品の展開(意味)がわからなくなるということはないのである。なんといっても伏線がていねいだから、ひとつふたつ見落としてもなんとなく読み進めることができるし、結末にも納得できる。
 なるほどなあ、瞬間的なベストセラーというものは、こういうものなんだなあ、と思う。
 まあ、読んだとは言えないような語学力で読んでいるので、間違っているかもしれないけれど。
 この「風の影」に比べると、Juan Rulfoの「ペドロ・パラモ」は刺戟的だった。私は辞書を引き引き二回読んだが、読み足りない。また、読みたい、と思っている。会話なんかは、非常にぶっきらぼうで、こんな会話に何か意味があるのかと思うような内容なのだが、その短いことばひとつひとつが、登場人物の「人格」そのものなので、活字を読んでいるというよりも、登場人物と向き合っている感じがする。言っていることは、クララと違って「無意味」なのに、その「意味」にならないところが逆に強烈なのである。「意味」を無視して、人間が動いてる、その動きそのものが見えてくる。
 先に引用したクララのことばは、「意味」だけが生き残って動いていくのであって、クララは動いていかない。いや、動いていくのだが、「意味」のままに動いていく。
 最後まで読めば違った感想になるかもしれないが、そんなことを考えた。

 

**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、googlemeetを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(googlemeetかskype使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
1回30分、1000円。(長い詩の場合は60分まで延長、2000円)
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。

お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「落下の解剖学」と「悪は存... | トップ | Estoy Loco por España(番外... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

その他(音楽、小説etc)」カテゴリの最新記事