詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

早矢仕典子『百年の鯨の下で』

2021-05-16 10:00:37 | 詩集

早矢仕典子『百年の鯨の下で』(空とぶキリン社、2021年05月20日発行)

 早矢仕典子『百年の鯨の下で』の「白色のアリア」は雪を描写している。
<blockquote>
水気をたっぷり含んだ雪片の
白 が地面の暗色をすべて覆い尽くそうとして

白は うす汚れた白の上に着地し消え去る前に次の白をもとめて
はやく 白を、白! と上空へ向かって叫ぶ
空は矢つぎ早に白をそそぎ 白は
狂おしく降り急ぎその羽のような軽さに焦れながら
地面の暗いしろに自身の白を重ね
白! 白! 白!
</blockquote>
 雪国の人なら、たぶんだれでも一度は見たことがある風景だと思う。「消え去る」「もとめる」「叫ぶ」「そそぐ」「急ぐ」「重ねる」その動詞のつなぎめに「焦れる」という動詞が入り込む。そのすべてが絡み合うとき、かつて見た風景が、目の前にあらわれる。しかも、それは風景ではなく、自身の肉体なのだ。その場に、「雪」だけではなく早矢仕の肉体そのものがあらわれる。肉体と風景がつながっている。
 とくに目新しいことが書いてあるわけではないが、何度も何度も動詞をかえながら書こうとしているところに、風景と肉体をつなげていくとこにろに、私は早矢仕の正直を思う。
 で、突然、こんなことを思い出した。
 以前、あるひとから詩集が届いた。やはり雪が描かれていた。雪のために転んだ、というようなことが書いてあった。でも、私は、その詩人が転んだとは思えなかった。だから、そういう感想を書いたと思う。すると「転んだのはほんとうだ」とその詩人が怒りだした。「誤読だ。誤読した上でネガティブキャンペーンをやるのは許せない」と言った上で、「谷内に詩集を送るのはやめよう。そうすれば谷内は詩の感想を書けなくなる。現代詩手帖の年鑑アンケートから締め出すことができる」というような運動を展開し始めた。その、数年前のことを、またネットで繰り返し発言しているらしい。詩は、新しい詩集の中にだけあるわけではないから、私は別に困らないし、現代詩手帖が詩のすべてではないから、それはどうでもいい。
 問題は、もとにもどって繰り返すが、書かれてることが「事実」かどうか、ではない。そこに「肉体の事実」が表現されているかどうかである。
 この早矢仕の詩でも、早矢仕がほんとうに雪を見ているかどうかは問題ではない。早矢仕の書いていることばを読むと、私には雪が見える、ということが大事。そして、雪が見える「理由」をことばのなかに探していくと、動詞のからみあいが雪を出現させていることがわかるということだ。そのとき、それはほんとうに雪なのか、それとも早矢仕が雪になってしまったから、ことばがそういう具合に動いたのか、わからない。わからないながらも、私は、後者だと思い、さらに感動する。雪が動いているのではなく、早矢仕の肉体が動いていると感じ、そのことに感動する。
 「事実」かどうかではなく、事実と感じられるかどうか、それが「表現」に求められているものだ。そこに詩があるのだ。「感じ」と、その「感じ」を引き起こす何かのなかに、この詩で言えば動詞のからみあいのなかに詩がある。雪が降っている。降り積もろうとしている。それを白を「重ねる」という動詞へ向かって動かしていく。そのときにだけ見えるものがある。動詞が動くから、どうしても肉体がそれを追いかけるようにして動き、にくたいとして出現してしまう。それが大切なのだ。
 こんな例は適切ではないと思うが、ふと思いついたので、思いついたままに書く。
 「ゴッドファーザー」にはいくつも殺しのシーンがある。そのひとつ、車の前の座席に座った男が後ろから首を絞められる。男は苦しくてフロントガラスを蹴る。フロントガラスにヒビが入る。そのヒビを見ながら、私は美しいと思う。それをもう一度みたいと思う。(そして、何度も、スクリーンでそれを見た。)このシーンをコーエン兄弟は「ノーランズエンド」のなかで別の形で展開した。やはり男が首を絞められる。男は苦しくて床を蹴る。すると床に蹴った靴あとが放射線状に広がる。まるで花が咲くみたいに美しい。それをもう一度みたいと思う。でも再映がないので、私はまだ見ていない。ひとが殺される(それが悪人であるとしても)のに、そのシーンを美しいと感じるとは、倫理的にはどうかしている。しかし、美しいと感じてしまう。それが「表現」というものなのだ。
 問題なのは、そこにあるものが「表現」に達しているかどうかである。「事実」かどうかではない。フロントガラスは蹴ったくらいでは割れない、とか、床を蹴ったときの靴の摩擦が花のように広がるはずがない、というのは別の問題である。
 「暗い絵画」には、そういうことに関係する何かが書かれている。ある詩を読みながら、眠ってしまう。その夢のなかで、早矢仕はプラドでゴヤの「暗い絵画」シリーズを見ている。そのなかの一枚に、父親が子どもを食っている絵がある。その「腿」にかぶりついているような感触を、夢のなかで味わう。
<blockquote>
う となり もうこれ以上は という満腹感まで
持ち帰ってしまった ところが 脚をもがれたからだの方
でも それはなかろう こんな中途半端はやめてくれ と
あちら側からうったえてくる もっと ほら食べておくれ
そうはいわれても もうあの食感は二度とごめんだ 一度
目が醒めてしまった以上 戻りたくもない ゴヤの満腹
ゴヤの嘔吐 いやわたしだって もうごめんだ
</blockquote>
 絵の中の世界(虚構)とゴヤと早矢仕が重なる。これだけでも詩であるが、それ以上のことが起きる。
<blockquote>
それはなかろう 最後まで食べておくれ食べつくしておくれ
こちらもじつは わたしの姿をしたゴヤなのだった 聴覚の
ない老いぼれたわたしは思い出そうとする いったい だれ
の どんな詩を喰らってこんなめにあっているのか その詩
こそがきっと 本物のゴヤなのだ ゴヤの満腹 ゴヤの嘔吐
最後まで食べておくれとうったえている
</blockquote>
 もう、だれがだれだかわからない。詩を書いた人は、早矢仕のこの詩を読み、そんなことは書いていない、誤読だ、と言うかもしれない。しかし、それはあくまで作者の言い分。早矢仕は、だれかと、ゴヤと、ゴヤの絵の中の食べられる子ども、さらに早矢仕自身を重ね合わせてしまって、もう分離できない。ただそれだけではなく、そのときの苦しみというか気持ち悪さをいやだいやだと思いながら、そのいやな部分へ踏み込んでいく。「いやなら書くな」というのは、たぶん詩を書かない人間(ことばを動かさない人間)の主張であって、書き始めたら(ことばが動き始めたら)、そのことばを行き着く先まで動き続けるしかない。いやなのに書いてしまう。この矛盾なのかに詩がある。あの絵は気持ち悪いという「事実」を通り越してことばが動く、その動きのなかにしかない「事実/真実」というものがある。それが人間を引きつけてしまう。
 詩は「対象」ではない。だから、美しかろうと醜かろうと、不幸だろうと、苦悩だろうと、詩は存在する。ことばが「事実」になるとき、それが詩である。「事実」を書いているかどうかではない。「事実」や「意味」というものは、各人がそれぞれもっている。それを他人と共有するためにことばがどう動いたかだけが問題である。ことばが「肉体」になったかどうかが問題なのである。

 

 


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