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日本の進路

2012-10-16 04:31:28 | Peace Cafe
中国や韓国との軋轢は、結局は経済的な位置関係の変化に由来している。問題を起こすきっかけが領土問題と言う事のようだ。日韓のたそがれた政治家2人による迷惑行為である。中国韓国が従来の日本との経済的な関係を変化させようとしている。軍事的な意味ではアメリカとの関係のようだ。アメリカの意図と言う事もある。アメリカの軍事力を背景として、中国や韓国の態度を正してもらおうという発想は、アメリカの本意を読み違えている。アメリカは想定内のことで、オスプレー配備と上手く適合する。竹島上陸もアメリカの依頼、あるいは合意はあるだろう。尖閣の購入も同様の可能性がある。日本政府にはアメリカに対する、盲信と言ってもいいような、依頼心が背景に感じられる。

もう少し領土問題の背景にある事を考えてみたい。中国人はとても幅が広い。日本人のように、日本人と言うレッテルで済むような民族ではない。日本に対して攻撃的に成っているような人も、本音においてはどうなの、と言うように複雑で戦略的な人もいる。しばらくすればまた違う顔も見せる。私が接した農家のおじさんたちは、信義に厚く、穏やかで、底抜けに心が広い人が沢山いた。こういう大人はもう日本には少なくなったなと感じた。中国や韓国の政府が、日本に対して行っているのは、経済成長による世界での位置の争いである。石油産出国が、石油を武器に外交交渉をする。同じことで中国の市場と言うものをちらつかせながら、日本の企業進出を促して来た。そして、もうそういう時代が終わりを告げているということだろう。日本が要らなくなったのである。要らないだけでなく、競争相手として邪魔に成ってきている。経済のことが軋轢の主要課題であり、歴史問題や、領土問題で、日本をいきり立たせることですでに半分目的を達している。日本人は簡単だと思っていることだろう。

2008年中国で生産された餃子に毒が入っていて、日本で食べた人が食中毒になった事件があった。日本側から見れば、明白な証拠から中国の工場か、あるいは輸出入の経路で起きた事件としか思えなかったが、中国政府は一切を認めようとはしなかった。日本で陰謀が行われているかのように報道された。確か、工場で回収した餃子を廃棄せず、横流ししたために中国国内でも食中毒事件が起きた。そして仕方が無いような形で、結局日本での報道の通りの犯人が逮捕され、単独犯と言う事になった。どうも解せないことも多く納得はいかない。しかし、犯人逮捕後の記者会見では、日本政府の判断を攻撃していた事に対する謝罪のようなものは全くなかった。中国政府のあり方が良く見えた事件である。日本政府もそのままで終わりにした。そうした日本政府の姿勢が甘くみられる原因である。どこの国であろうと、間違いは間違いとして謝罪はさせなければならない。曖昧にして置いた方が得になるかもしれないという、ずるい感じが日本政府の対応には感じられた。

日本は筋の通る身の丈に合った国に成ることである。アメリカの軍事力を頼りに、アジア諸国と張り合うなど、日本の未来を狭めるばかりである。中国も韓国も、外交的な手腕は歴史的に揉まれてきていて、実に巧みである。日本もアメリカの背景が無い状態で、どのような国に成ることが良いのか、本気で考えなければならない。日本のアメリカの軍事の傘が、アジアでの対立を生んでいる。日本の進路であった。日本の通貨は相変わらず、高い評価である。震災があり、人口の減少。国の財政も危機的な状況である。経済的な地位も徐々に後退している。それでも日本の評価は、まだまだ高い。日本人と言うものへの評価から、日本がやり直すだろうと見られている。当然やりなおせる。先日も、高校生の冷静なものの見方のコメントがあった。農の会でも、若い人が自給農業に向かっている。工業的経済の時代から、文化の時代への価値観の転換。円に対する高い評価は、経済を支えている人間への評価なのだろう。
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著作権について

2012-10-15 04:22:15 | Peace Cafe
何度も書いていることで今さらなのだが、私は著作権と言うものは文化の発展にとって障害だと考えている。私の絵でも、書いたものでも自由にどなたが使われても、全く構わない。10月から音楽や映画などを勝手にダウンロードすると刑事罰と言う法律が出来たらしい。これはあくまで商売の妨げになるということらしい。文化論的観点では議論が無い。ダウンロードを有料化すれば、その業界自体が衰退する。人間の創造する文化と言うものの発展を考えれば、自由にした方がいいはずである。歴史的に考えても、模写をするという所から、自分の芸術に入って行くと言うことは、当たり前のことだ。過去から学び、未来につなげて行く。それが誰にでも自由に出来ると言うことはとても大切なことだ。特にネットが生み出そうとしているものは、金銭に縛られたものものではないという事が大切である。

私は石涛の絵を学んだ。筆触ということはそこから来ている。ボナールやマチスでは当然ない。水彩画をやるということは、水彩画でしか出来ないことをやりたいと考えているからだ。それは色のある水墨のようなもので、まさに中国の伝統から学んだと言える。石涛だけでなく、清初期の画家の絵はとても参考になった。それは、大げさに言えば、雪舟が中国の絵から学んで、多分世界でも初めて、写生画として日本の風景を描いたような気分である。こういうあり方は、著作権的な枠から言えば、違反している場合もありうる。山の稜線の描き方と考えた場合、石涛の絵にはすごいものがある。このやり方を抜けられることはないと思う事もある。そして私の絵にそのやり方は当然現れる。そう言うことは、著作権に抵触する訳ではない。本質的には、それは石涛の発見であり、工夫である。それを真似て使っているのだから、危ないものである。しかし、石涛だって明時代の絵から徹底して学んだのだろう。構図など当たり前に同じ山水図がいくらでもある。

良く言われるのが、中国の遊園地を闊歩しているミッキーマウスである。あれを中国の偽物文化の象徴として、面白おかしく取り上げるが、何がいけないことなのだろう。ミッキーマウスが素晴らしいものならば、人類誰もが共有して楽しめばいいではないか。アメリカではミッキーマウス保護法と言うらしい。著作権の期間を徐々に伸ばしてきた。95年間も著作権を継続させるなど、無謀である。著作権を私的財産とする発想が文化を衰退させる。保護するとしても、せいぜい制作者が生きている間のことだ。デズニ―は素晴らしい人だと思うが、その著作権で生活して行こうと言う人たちは醜い。デズニ―を越えるものを作ればいいだけだろう。それが文化と言うものの良さではないか。中国が真似をしていた所で、誰が損をするものでもない。

じつはTPPの狙いは、この著作権利益が大きな目的らしい。アメリカは著作権で11兆円とかいう恐ろしい利益を上げているらしい。一見音楽の著作権保護政策が、良い音楽を作り出しているかに見える。しかしそれは、資本主義経済下の拝金主義的文化にすぎない。本来文化的創造物は、人類共有のものであり、個人の権利と考えることはいやしい考え方だ。アメリカは農産物の保護については、譲る可能性がある。農産物の輸出より、農産物の特許権の確立の方を考える。モンサントの目論見である。種苗の独占を目標にしている。具体的には、除草剤耐性の作物と除草剤のセット販売のようなやり方だ。いいものを作り出すのは素晴らしいことだが、それが金儲けだけを目的にしているために、自然環境全体のこととか、農地の永続性とかはないがしろにされている。ネットに全く制約が要らないとは思わないが、誰にも文化的な産物が、格安に手に入るということが、何かの突破口に成る気がしている。

昨日の自給作業:脱穀作業8時間 累計時間:28時間
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パソコンの遠隔操作

2012-10-14 04:11:39 | 暮らし
先日、パソコンが突然おかしくなった。インターネットがつながらなくなった。もう一台あるパソコンをつないでみると、インターネットと繋がるので、これはどうもパソコン自体がおかしくなったということらしかった。最初の発端は朝パソコンを立ち上げると、画面に見慣れないものが表示された。入れているセキュリティーソフトのノートンと書かれたもので、これから何とかかんとかだからやりますか。と言うように表示されていた。やるというボタンと、後で行う。と言うようなボタンがあったと思う。それで後でやるを押した。そうしたらその後おかしく成ってしまった。おかしく成ってしまったので、正確にはその時どういう表示だったかも思い出せなくなった。9時30分に成って富士通やら、ニフティーやら電話をかけたのだが、解消できない。そしてあった指示が、ノートンに電話して、一度ソフトを削除してもらう必要があると言う事になった。

ノートンの電話を調べてやっとに電話する頃には、午後に成っていた。話しかたが、アジア系の外国人と思われる人が対応してくれた。名前もそんな感じだったが、聞き取れなかった。とても分かりやすく、親切な対応である。そして、しどろもどろに、状況を説明し、一度ノートンを削除したいので、と話すと削除の手順を電話で、わたしにもわかるように進めてくれた。そして、再度ニフティーにかけて、直し方を教えてもらった。あっさりと治った。ネットが通じた時には正直びっくりした。手品のようで、何が何やらわからないだけである。そして、再度ノートンに電話して、治ったので、再インストールしてほしいとお願いした。そこで、遠隔操作が出た。もしよければ、こちらであなたのパソコンを操作してインストールしてあげる。と言われる。お願いしますと言うと、電話で、もうあなたのパソコン画面は、私の前に表示されていると言う。今矢印を動かします。くるくる白い矢印が回るのだ。

それで画面をボー然と見ている前で、ノートンをインストールしてくれた。そして最後にご迷惑をかけたので、2週間分期間を延長します。そしてこれで遠隔操作を終わりますので、今後遠隔操作が私に出来ることはないので、ご安心ください。こういうことだった。私のパソコンに、大切な情報が入っている訳でもないので、大丈夫だと思うのだが、ともかく何が起きたのかその時には分からなかった。今度、関西方面で、他人のパソコンから無差別殺人の予告を流した事件が起きた。いかにもと言う、インターネットに不案内の検察の現状が、冤罪事件を引き起こした。こんな冤罪で1カ月も拘留されて、厳しい尋問にあったというのだから、怖ろしいことになったものだ。この事から類推すれば、権力が市民に対し、冤罪事件を作り上げることなど、当たり前に出来ると言う事に成る。今回の事件が意図的でないとしても、過去こうした冤罪事件が無かったとは言い切れない状況である。偶然次の事件が発覚しなけえば、犯罪者である。

どうもこの真犯人は幾つもの国やパソコンを経由している。たどり着くことが極めて困難と言われている。しかもこの他人のパソコンに入り込む、ウイルスは新しいもので、セキュリティーソフトでも通過したらしい。そのために警察にはウイルスの導入されたことが、見つけられなかったという。何を目的にしているのか分からないが、多分世間が騒げば、目的を達したということなのだろう。対策は、1、セキュリティーソフトの導入 2、無料ソフトを入れない。3、パソコンはできるだけ電源を落として置く。4、盗まれて困るような情報は、パソコンに入れない。5、新しいバージョンにして置く。と言うことらしい。しかし、新しい基本ソフトは、遠隔操作が簡単に出来るようにすでになっているらしい。遠隔操作が出来る材料は、私が電話で説明したことだけだから、何だったのか。これも私にはよく分からない。

昨日の自給作業:脱穀4時間 累計時間:20時間
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ノーベル文学賞は中国人作家

2012-10-13 04:17:45 | 身辺雑記
日本では村上春樹氏が受賞すると言う事で、期待と言うか騒ぎに成っていたので、気の抜けた空気。中国人文学者が受賞したという事で、報道では少しがっかりした感じだ。こういう姿でも日本と言う国が井の中の蛙であるという事が見える。日本の存在と言うものは、世界においては日本人が考えているようなものではない。中国の方が今は重視すべき国である。ノーベル賞が注目されると言う辺りに、選考委員の関心はあるのかもしれない。川端康成氏が受賞した時に、全く驚いた。ノーベル賞を頂くような文学とは、こういうものを指すのかとまあがっかりした。国際ペンクラブとか、日本と言う伝統ある文学の国をいつまでも無視できないとか、色々言われた。正直村上春樹氏の文学も私には、もう一つ理解が出来ない。イスラエル文学賞の時の受賞記念講演が素晴らしいとは思った。同時に、ああした政治的な発言が受賞を逃す事に成っているのかもしれないとも思った。ようするに世界の文学者の中からどの人が一番すごいなど、言えるものではない。

そもそも、平和賞と文学賞は、その選考基準の意味が分からない。さらに、美術賞と言うのが無いというのも不自然である。文学だけ特別扱いと言う意味はどこにあるのだろう。絵画や音楽は芸術で、文学はどこか違う。大学でも文学だけは、かなりの大学に文学部と言う学部がある。国文科と言うものとは別に、英文科、仏文科とか、独文科、露文科と言うものまであって、結構研究されているらしい。絵画や音楽は芸術大学と言う、特殊な大学にあるだけである。芸術分野の中でのこの違いはなんなのだろうかと思う。ある程度分かる美術界での賞でいえば、美術での受賞はその作家が美術界で傑出しているからということはない。ある観点で見れば優れているという事にすぎない。大きな枠から見れば、経済と繋がっている。高く売れる美術が良い美術と言う、芸術商品化時代である。

今年も平和賞が選ばれた。今年の平和賞はEUであった。たしかにEUは平和賞に値する。国家と言うものをどう越えて行けるかは、人類が試されている。EUをこの時点で選択する姿勢に、何か一貫したものを感ずる。いまEUを励まさなければならない状況があるということ。東アジア共同体と言うようなことが将来あるのだろうか。平和賞は日本人では佐藤栄作氏ただ一人である。平和憲法を作ったとか、非核原則を順守したとか、そう言う事ではない。むしろ、日本の再軍備を進めた総理大臣である。沖縄への核持ち込みも容認していた。一応、受賞理由は外交交渉で沖縄返還を実現した事、そして日本の非核三原則政策を打ち立てた事となっている。佐藤栄作氏は本質的には、核武装論者であった。その相棒ともいえるアメリカのキッシンジャー氏が平和賞をもらったぐらいだから、ノーベル平和賞の意味は、佐藤氏も講演で反核を発言するつもりだったらしい。日本の平和憲法や、非核3原則の意味を後押ししようということだろう。

科学者がもらうノーベル賞は分かりやすくて良い。それに付随したようにある分かりにくい選考の、文学賞と平和賞はむしろ世界への影響力が大きい。ソルジェニツィンの文学賞受賞など、ロシアの変化に多大な影響を与えた。受賞して発言が注目され、結局国外追放に成り、その後民主化するロシアに帰国する。学生時代に読んで衝撃を受けた。ドフトエフスキーのようなロシアの文学的伝統も感じたし、現政権に対する抗議の姿勢もすざましいと思った。文学賞の御蔭で知った南米の作家もすごい。コロンビアのガルシア·マルケス氏、ペルーのバルガス・リョサ氏、独特の未知の世界の感触がある。ちょっと衝撃的であった。申し訳ないが、村上春樹氏より世界観が深い。読んだことも無いから、何とも判断は出来ないが、今回の中国の作家莫言氏「赤いコウリャン」は映画化されたので名前は知っている。民主化の後押しと言う事もあるのかもしれない。
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JAの脱原発路線

2012-10-12 04:16:40 | Peace Cafe
全農が脱原発路線を宣言した。JA全国大会 において“脱原発を”決議採択した。いままで、自民党と同じ路線を進んで来た、JAがついに、独自路線を進む画期的方針転換である。TPP反対もそうなのだが、政府の方針に従う訳にはいかないのが、農業分野に成っている。脱原発を決めることで、農業を再生できる可能性が出てきたという気持ちに成る。農業は原発事故による放射能汚染でもっとも打撃を受けた産業の一つである。にもかかわらず、今までのところ東電に対する賠償請求などで、及び腰を感じていた。原子力発電と、1次産業は相容れないものである。一次産業は自然を尊重し、自然に従う産業である。無理やり自然のあり方を改変するような、原子力エネルギーは相容れない性格を持つ。放射性廃棄物の処理も現状では出来ない。どこかへ永久保存しなければならない。引き受けた地域は必ず、汚染の不安から来る、風評被害を受けることに成る。

放射性廃棄物の地下300メートルの埋設処理は、技術的には解決している。と言うような論表を読んだが、全くのその科学的根拠は示されていない。地中奥深くその人は300メートルと言われていた、完璧な施設を作りに埋めてしまえば放射性廃棄物処理は、科学的には問題が無いと言われていた。私もその通りだと思う。しかし、何万年の間科学的に問題が起きないと保証できるほど、しっかりした施設など、コスト的に無理だと思う。原子力の生み出す電力は、安いと言う所で各電力会社が執着しているに過ぎない。その安いの原因は、核廃棄物の処理費用は全く入っていないからである。あるいは、その分は再処理と言う国の負担に成っていて、電力会社はコストに入れていない。だから、全国の原子力発電所の格納容器の上に使用済み核燃料のプールがあり、ぎりぎりまで置かれていて、すでに満杯状態なのだ。

安全対策も今後厳しく成る。あの津波に対する、巨大な防波堤だって、原子力発電の電力コストのはずだ。現状では発電とは関係のない、六ヶ所村の再処理工場の莫大な支出だって、本来電力コストと考えなくてはならない。そう言うもろもろを税金から支出し、原子力発電は安いという虚構を作り上げてきた。従来こういう虚構の上に全農も存在した。日本のコメ価格の算出は、原子力の電力コストと同じで、どこに本当の価格が存在するのか見えなくなっている。例えば小麦の価格では集落営農で補助金が出て、転作でも補助金がでる。農家の戸別保障の対象に成る可能性もある。新規参入者が作ればそう言う補助金もある。つまり、一切補助金をもらわない人の生産価格と、どう比較するかである。それはアメリカはさらに大きな補助金が農業に存在するらしい。世界全体の農業生産物の価格をどう考えればいいかは単純には行かない。これをTPPのように単純化しようとすれば、どこかの国の、農業が淘汰されることに成る。

JAが脱原発を打ち出したことは、当然である。しかし、当然でありながらも、困難な選択であったと思う。沢山の補助金の中に存在する分野である。政府に反対すれば、補助金が減額されるかもしれない。それでもさすがに、放射能の被害は、風評被害も含めは痛手だった。気持ちの上でまだ立ち直れない人がたくさんいると思う。大抵のことなら、1年半もすれば忘れることが出来る。しかし、今回の放射能に関しては、忘れる訳にはいかない。現在お米の収穫が始まっている。福島のお米はコンベアー方式とはいえ全量検査をしている。この測定が曖昧なものであるとしても、100ベクレルを越えたという事が今のところ無い。とすれば小田原のお米も昨年と比べれば、かなり低く成っていることも期待できる。JAは今後放射能被害の賠償の先頭に立って欲しい。個人の農家では賠償請求に対して対応が困難である。
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本が売れている

2012-10-11 04:08:49 | 暮らし
本は売れていると思う。根拠はないのだが、ブックオフが増えているからだ。ブックオフは安売り古書店である。古本の価格を安くした。古本をネットで買うと言う事もあるのだが、これもかなり安い。以前ネットで文庫本の古本を2冊買った。片方はその古本屋さんは高かったのだが、あえて同じ所に2冊頼めば、送料は安く成るだろうと思って頼んだのだが、何と同封で来たのに、それぞれの送料分が取られた。それなら、最安値のところで買えばよかったとがっかりしたことがある。そう古本屋さんと書いたが、古本屋さんなのだかどうかは分からない。個人のような感じも受ける。以前聞いた話では、売れている書物が何かを調べ、その古本が相場より安く売られているのを買いとって、転売する人がいるそうだ。その売買益で暮らしていると言われていた。それくらい古本の価格は開きがある。びっくりするような本が売られている。祖父の大正時代の和歌の本がネットを探したら出てきた位である。

ブックオフが古本価格を下げたという事だった。私は、電車の中では本を読んでいないと我慢が出来ない。そういう本は大体読めば捨ててしまうような本だ。そう言う意味では、ネットブックでもいいのだと思うが、慣れと言う事もある。まだ紙媒体の方が好みである。ブックオフでは100円で本が買える。村上春樹さんの文庫本も大体のところ100円で買って読んだ。ブックオフの御蔭である。捨てられてしまう本も少しは減っただろう。古本相場全体の価格を下げたと思う。感触では半額になったような気がする。とすると、本は読まれているという事に成る。市場規模はそれほど減少していないのだから、本は倍読まれていることになる。活字離れと言うのは週刊誌が売れなくなったということだろう。週刊誌が最初にネットの影響を受けるのは当たり前だ。週刊誌と言うものを30年は読んだことが無いので、内容を書くことは出来ないが、売れるのはスキャンダル的記事だろう。これは無責任なネットにはかなわない。大相撲の八百長疑惑で、4000万円の賠償が裁判所から出た記憶がある。結局八百長はあったと言う事になったのだが、返還したのだろうか。

週刊誌はあること無いことすれすれを記事にして、部数競争をしていた。これが出版業界の経営を支えていると言われていたが、どうも嘘くさい。もう一つに漫画週刊誌と言うものも、衰退しただろう。次にネットに移行する分野である。そうすると、いわゆる書物は読者を増やしているのではないのだろうか。読書の秋なので、急にこんなことを思った。本を読みたくなるのは、波がある。読みだすと止まらなくなる。今後、ネットで読めばいい本と、手にとって読みたい本とがあるのだろう。良く出来た詩集などは、美術作品でもある。活字を楽しむということだってある。絵をネットで見れば済むとは思えないので、かえって良質な本の意味は増してゆくはずだ。もう少し暇になれば、じっくりと読みたいと思って買ってある本が、本棚にある。井伏鱒二全集である。それだけで気持ちがいい。書きうつしたい位文章が好きだ。

読書人口はこれから増える。団塊の世代に時間が出来れば、本を読む。漫画や週刊誌は売れなくなるだろうが、年寄り向きの本はますます読まれるだろう。しかし、この良い本が私が中学生の頃と、あまり変わらないという自分に驚く。滋賀直哉や柳田國男を読んだのだが、私にとってはあの頃読んだ本をもう一度読みたいだけで、頭の中は変わらない。バスの待ち時間に、小田原駅の駅ビルの本屋さんを覗いた。結局今生きて書いている人の本に手が伸びなかった。歳をとったということなのか。店は、レジが行列の出来るほど混んでいた。若い人たちがほとんどである。きっと現代の本の世界が広がっているのだろう。2011年のベストセラー100を見ても、読んだものは1冊も無い。驚いたことに、買いたくなったのは羽生善治氏の本だけだった。時代から離れてきているらしいことと、本と言うのは本当に膨大にあるということだ。

昨日の自給作業:ハト麦の収穫など1時間 累計時間:16時間
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稲刈り3日15時間

2012-10-10 04:03:14 | 稲作

ハザ掛け

欠ノ上田んぼの稲刈りは、3日間15時間かかった。おおよそ10人平均で行われた。2日目の午前中が雨でつぶれたことが、作業の進行に大きく影響した。3日目の午前中にまで伸びた。それでも全体で2日間かかる作業と考えるべきなようだ。今までやった田んぼでは、1日で終わっていたので、15時間かかるということは、少し時間がかかり過ぎである。何が良くないかと言えば、手刈り部分が多い。10枚に分かれているから、角を刈るだけでも大変であった。少し倒れていたことと、ぬかるんでいたために、手刈り部分が増えてしまった。田んぼに戻して、3年目に成る。土は粘土分としては十分なのだが、どうも生き生きした土壌と言う感じがまだしない。結局後半に成って、粒張りが足りない感じになった。秋落ちと言うほどではないのだが、どうも最後の粘りに欠けた。稲の終わり方が、どうも気に入らなかった。穂に病気が来たこともある。

バインダーは一条刈り一台で行った。ある意味どこも狭い田んぼなので、この方がいいのかもしれない。2台でやれば早かったかもしれないが、雑になった可能性は高い。2台で手分けして出来るためにはもう少し慣れてからだろう。欠ノ上田んぼグループの管理範囲は、全体で4反位に成る。その内、1反が柿と栗の果樹に成っている。田んぼは2反5畝と言われているが、感じとしてもう少し広いだろう。測量したものをもう一度調べたい。湧水池として、3畝位あるのだろう。池はことし役に立ったのかどうか、もう少し分析の必要がある。いずれにしろ、10枚に分かれているのだから、稲刈りは手間がかかるということだ。田植えは一日で出来ても稲刈りは2日に成るたんぼということなのかもしれない。。

一年管理してみて、欠ノ上田んぼの事が少しわかってきた。一番驚いたのは、10枚の土の状態が違う。所有者が3軒の方の所に分かれているのだから、田んぼの歴史が違うのだろう。長く田んぼとして使っていなかったという事も、影響しているのだろう。樹に覆われていて日陰の田んぼと言うのも土壌に影響している感じがした。水の入り方も大きく違った。水が湧く田んぼが多い。この対策はしなければならない。地形的に湧いてくる田んぼもあるのだが、水路の問題で、湧いてくる所もある。稲刈りまで乾かないと言う状態は改善したい。もう一つは川沿いの田んぼ2枚が、遅れることである。本来であれば、最低でも1週間はずらしたい状態であった。川向うの樹の枝を少しだけでも切りたい。それだけでだいぶ違うはずだ。池の管理は良く分からなかったが、来年は全体を何とか耕して、クワイ畑として管理してみたい。




今年初めての試みで、草取りは担当制にした。これはみんながそこそこやってくれたので、来年も継続したいが、来年は場所の入れ替えを行うべきだろう。稲刈りが済んだら、脱穀、籾すり、藁堆肥づくり、もみ殻クン炭づくり、と続いて行く。案外この後の作業が長い。特に藁堆肥を作るのは大切だと考えるようになった。写真は舟原田んぼの藁堆肥を積んだ場所だ。濃く成っている所が丸くある。稲もこんもりと高く成っている。分ゲツもいいし、ともかく稲ががっしりしている。こんな立派な稲が田んぼ全体に成って欲しいものだ。その為には藁堆肥をたくさん入れることだ。藁を入れるとどうも草が増える気がしている。藁の分解が遅れて、土壌の状態に影響しているのではないか。藁堆肥ならそう言う事が無い気がする。
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公的教育支出

2012-10-09 04:48:58 | 暮らし
日本の公教育支出は、先進国として普通のレベルである。産経新聞にOECD加盟国で3年連続で最下位と書かれていた。よく分からないが、情報の一部だけを出しているのだと思う。子供の人口比率は比較したのだろうか。2009年のデーターだから、高校無償化が入っていない。これは社会保障と、税負担の全体を見なければならない。経済成長が終わりを示している中、社会がどこにバランスを置けば、安定するかである。それは、老齢化社会の問題でもある。生活保護費の問題でも書いたことだが、困っているから単純に補助すると言う事が出来ない社会が始まっている。支出するということは、どこかを削減することに成る社会。大学に進学した人が、貧困の為に中途で学業を断念する。これはいかにも無残なことである。しかし、当たり前のことでもある。私は大学は稼ぎながら行った。別段珍しいことでは無かった。

確かに学びたいものが、学びたいだけ学べる環境は素晴らしい。医療の無償化と言う事も同じだ。、むかし、病気になりそうなら、北の方で病気に成れ、とヨーロッパのバックパッカー達は話していた。どこまで可能になるかである。当然ながら限界はある。公教育の支出の背景にあるものは、近代的産業の要員としての教育である。だから、自給の技術など教えない。工場労働者に成る大量の人員が必要な社会だった。しかし、給与が高くなれば、今度は単純労働から、高度化した技術者への教育の変貌。さらに、先端技術の開発要員。公教育は産業の要請にこたえる形で充実されてきた。特に競争が激化する成長社会では、教育は競争に勝ち抜くための条件として位置づけられる。国内にそうしたキャリアに値する教育機関が無ければ、海外に留学しても競争に打ち勝とうと言う事に成る。こうして、教育によってますます格差が拡大して行く社会。そうした大学教育に税金が支出される意味はあるのだろうか。

もう一度教育の意味を考え直す事ではないか。職業による経済格差のない社会が実現していれば、人間として、やりたい事を発見して、その実現を目指して生きてゆくことに成る。もし農業の中にやりたいことがあるなら、現在の大学へ行くことは殆ど意味が無い。まず農作業をしてみることからだろう。そして、必要な学問があれば、それから学べばいい。小中学校の公教育が目的とすべきことは、何が好きなのかを発見する教育である。「子供の仕事は好きなことを見つけることだ。」好きなことも無いのに本当の努力は出来ない。無味乾燥な受験の為の学習を行うことは、忍耐力は付けるかもしれないが、好きなことをやり尽くすという人間の素晴らしさから離れてゆく。好きなこととは、実は難しい。そのことも好きなことをやり尽くして見ている内に分かってくる。私は絵を描くことが好きなのだが、63歳まで描いてきて、やっぱり好きなんだなあー、と言う事を知ったぐらいだ。

公教育が高校までの無償化を実現した。もう十分である。大学は奨学金制度で行けばいい。その方が、好きなことが見つかる。就職の為の大学であるなら、公的負担の必要などまったくない。現在公教育においてイジメ問題が深刻化している。まさに、教育の意味が見つからなくなっているからだ。格差社会の中で、競争に勝ち抜くための教育。ホリエモンドリームを勝ち取るための教育。これでは、ストレスが増加するのは当たり前のことだ。農業においても、世界の農産物市場で勝ち抜くための生産と言う事が、当然のごとく言われる。そしてそういう方向に補助金が集中し、今までの普通の農家の経営はコスト的に対抗できなくなる。果たして子供たちが、農作物に愛情を注いで暮らしてゆくような、農業の夢を持てるだろうか。教育は夢を育てる人間を育てているだろうか。

昨日の自給作業:稲刈り4時間 累計時間:15時間 
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金子哲夫さんの事

2012-10-08 04:10:49 | 身辺雑記
金子哲夫さんが亡くなられた。41歳と言うから驚きである。勝手に仲間意識を持っていたので、残念である。その人間の素晴らしさが、参列者に配られた手紙にじみ出ていて、素晴らしいものなので、全文を掲載させていただき。記憶しておきたい。


このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません。

 もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。

 今回、ご縁がありまして東京タワーの足元、心光院さまが次の拠点となりました。「何か、面白いネタがないかな?」と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出していただけましたら幸いです。

 このたび、葬儀を執り行うにあたりまして葬儀社のセレモニーみやざき 宮崎美津子さまには生前より真摯(しんし)に相談にのって頂きました。また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終(つい)の住処とすることをお許しいただきました、浄土宗 心光院 御住職 戸松 義晴先生には公私にわたり、死生観などのアドバイスをちょうだいしました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

 最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。

 急ぎ、書面にて御礼まで。

 平成24年10月1日

流通ジャーナリスト 金子哲雄


この人はとても硬質な経済評論家であった。おちゃらかしでふざけてばかりいる表面の背景に、とても大切なことを伝えようとしていた。日本を立て直そうと考えている人だと思っていた。今年の夏のお中元は何がいいか。この話が私が聴いた最後のものになったが、今年は果物などがいいのではないかと言われていた。とても暑い日が続くし、省エネで冷房を控えめ。こういうときは冷たい果物が喜ばれる。しかも、この気候なら果物も糖度が乗っておいしいだろう。デパートの売り場を回ってみても価格も3000円前後のものが値ごろ感がある。ドンと大玉のスイカなどもいいし、メロン2つなども良い。食べごろ日に冷蔵配達も指定できる。今でもあの陽気な声が思い出される。もうあの時には、覚悟されていたと思うと、すごい粋な人だ。激痩せした事をダイエットしたと話し、ブサイクは痩せても変わらないとちゃかしたそうだ。自分がお薦めしたお中元が届く頃に自分は。そう思っていたのかと思うと、本当にすごい人だ。学びたい。

何故金子氏に注目していたかと言うと、スーパーやコンビニの商品の価格に経済が表れているという視点である。庶民の目線で世界経済のこれから起こる危機を見ようとしていた。その姿勢からはずいぶん教えてもらった。私が農作業から、世界を見ているのは、そうした姿勢から学んだことだ。金子氏は軽さの根底に、日本を何とかしたいという気持ちを秘めていた。経済の下降線が、生活に現われて来る危機。そして庶民はどうやって生活を守ればいいのか。買い物をするという、暮らしと世間の接点に着目し、その実態から主張していた。経済の仕組みも日銀の経済政策など暮らしから遠い。インフレ1%目標などと言われても、実現できないと言われていた通りに終わった。ごまかされているとしか思えない。金子さんの言われている生活防衛術は、庶民の経済学である。生活と世界経済の連動を見据えている所が、大切な方角だと思っていた。

暮らしに、日々の買い物に、経済の矛盾は集約的にあらわれる。消費税を上げると言うことは、そう言うことになる。これは世界経済に繋がる問題でもあるし、日常のことだ。金子氏は上げる問題より、2段階の変化を問題にしていた。消費税変化が流通コスト負担を生む問題。一辺に上げるべきと主張していた。私が消費税に賛成なのは、消費は美徳ではない。節約こそ美徳。消費の歯止めの為に、国は消費税をかける。金子氏はこんな無粋なことは言わなかったが。スーパーでの買い物の場合、何曜日がいいとか、何時頃行けばいいものが安いとか。スーパーのビラの本当の読み方とか。農産物の流通から、お店の店頭に来るまでを説明していた。騙されない消費者を指南していた。そしていつも弱者の側に立って考えてくれていた。これからもチャンネルを東京タワー方面に合わせて、金子さんの事を時々思い出します。

昨日の自給作業:稲刈り4時間 累計時間:11時間
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生活保護見直しについて

2012-10-07 04:12:50 | Peace Cafe
生活保護の見直しが政府からも言われ始めている。確かにこのままでは財政破たんする状況である。生活保護の受給者は、ことし6月には211万人を超えた。今年度の生活保護費の総額は3兆7000億円を超える。しかし、論点が少しおかしい所もあり気に成る。生活保護制度は憲法上保障された人権の問題である。例えば、三井厚生労働大臣は「生活保護費の半分が医療費の扶助となっており、非常に大きい。公平な立場で見れば、ある程度メスを入れないといけないのではないかと思う。全部が無料ということはありえず。」一度はこう発言し、朝令暮改で夜に成って、この発言を否定した。何も知らない人が大臣に成っているようだ。生活保護者が医療費がなく受診を控えるようになるのでは困る。生活保護制度の見直しでは、厚生労働省が国家戦略会議に提出している。「(受給者の)自立の助長をより一層図るとともに、国・地方自治体の調査権限の強化などの不正受給対策を徹底する観点から、生活保護法改正も含めて検討する」となっている。

自民党の「生活保護制度」見直しの具体策
1. 生活保護給付水準の10%引き下げ
2. 医療費扶助を大幅に抑制
3. 現金給付から現物給付へ
4. 働ける層(稼働層)の自立支援、公的機関での採用等の就労支援
5. ケースワーカー業務の改善、調査権限の強化で不正受給を防止
6. 中期的な取り組み(就労可能者の区分対応と貧困の連鎖の防止)

自民党の案に大枠で賛成である。賛成ではあるが、その一方で生活保護でやっと救われている211万人が大丈夫なのかという不安が起こる。不正受給のような極端な事例から、全体を考えることは危険だ。むしろ、受けるべき状態で受けていない人の数の方が多いいはずだ。医療費の問題など、緊急かつ深刻な場合が良くある。抑制だけではむしろ問題は深刻化するだろう。年金だけでは暮らしが不可能で、生活保護を受けると言うような、歪んだ貧困が起きている。先進諸国の社会では生産効率の向上が頭打ちになった。余裕が失われ始めたのである。経済成長はどこかで終わる。この時社会は生活困窮者の対応が出来るかである。まずおこなわなければならないことは、格差社会の解消である。努力したから、能力が高いからといって、必要以上の富裕層が生まれるような社会の仕組みは、良い社会ではない。普通に働けば普通に暮らせる社会。この点が危うくなってきている。何かでつまずいても、立ち直りが何時でも可能な社会が必要である。年金制度の補完的役割が、生活保護制度に成っている点も見直しが必要だ。

自立支援が中心課題。農地は余っている。放棄されている農地がいくらでもある。生活保護者が農業をしながら生きる。若者が肉体労働を嫌う傾向がある。生きると言う事を楽に要領よく、金儲けをするという風潮がある。格差社会の悪い影響である。子供の頃の育ちの環境が良くない。頭を使う事が優先されている。子供時代から身体を使い働いて育った人間でなければ、肉体労働に耐えられない。子供を甘やかす事と大切にするとは違いがある。先進国では児童労働が問題になるが、私の祖父は明らかに違反していた。それを躾けと考えていたのだと思う。生活保護制度の背景に、自立支援が充実していなければならない。再出発できる社会。その受け皿が用意された社会。農業分野では仕事が用意できる。収入は当てにならないが仕事はある。農業法人でも最低賃金が問題に成る。自立支援の手法として、4人に一人くらいはある程度は働けるだろう。50万人位は農業分野で働いてもらえばいい。生活保護費分と思えば、農業側にとっては無料の労働力である。

昨日の自給作業:稲の脱穀 7時間 累計時間:7時間
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原子力規制委員会に注目!

2012-10-06 04:10:56 | 環境関連
原子力規制委員会は野田氏の国会の承認なしの、無理やりな任命でスタートした。委員長が原子力ムラ出身の人だったことが原因する。野田氏の浅知恵がここでも、問題を複雑化した。本来推進したいと考えるなら、規制に関しては中立的人材を登用し、客観性を持たせるはずである。そうでなければ、過去の大失敗を繰り返す不安が増幅される。それが福島原発事故を経験したものすべての願いでもあるはずだ。原発を必要と考えるものであればあるほど、規制は厳しくする。即時原発廃止で進めるなら、規制委員会などそれほどの問題ではない。廃炉の経過を見守ればいい。野田氏のように推進を模索しながら、原発0をごまかしで発言しているから、規制を甘くすると言う事に成る。国民は、すべからく原子力規制委員会が実際にどういう行動をするか、注視しなければならない。

田中委員長は就任反対の声に対して、「規制していく姿を見てもらいたい。結果で判断してもらいたい。」と発言している。それなら結果はどうか、赤旗の記者会見排除から始まった。報道を事業にするものだけに公開すると言う趣旨だそうだ。実に分かりやすい偏見。原発反対という主義主張のある政党の機関紙だから、記者会見から排除したとしか思えない。政治からの独立という考え方は、政党機関紙の排除とは違う。このやり方は規制ではなく、推進委員会とでも言う内実を表している。本当の規制の為の委員会で、独立性に自信があるのならば、すべてを誰にでも公開するのが原則。規制員会の守備範囲を狭くしようとしている。原発の稼働するかどうかについては関与しないとの発言。政府は政府で稼働は規制委員会の判断と主張。どちらも責任をとりたくないことが、今から見えている。

大間原発についての規制委員会の発言もあった。「安全性の確認は完成してから、新しい安全基準で規制委員会が行うが、前の基準のまま着工するかどうかは事業者の判断である。」不自然ではなかろうか。規制員会の新安全判断基準まで工事再開は待てと言うのが正常な考え方である。もちろん法的な筋道では、間違っている訳ではない。しかし、大事故を起こし30年代には止めることに成っている原発である。それを今更建設するということは、作ったけれど使用できないという可能性の方が大きいはずだ。事業者の建設再開自体が、政府の原発0政策を無視した行為だ。自民党政権になれば、建設推進に成るに決まっていると踏んでいるのだろう。この無駄な費用も電気料金に成る。大間原発の特性は、プルトニュームを燃料に出来る。その為無理やりの建設を目指していると考えられる。核廃棄物処理施設と言う事に成る。プルトニュームを貯め過ぎて、核兵器を作る脅威を近隣諸国に与え過ぎている訳だ。外国に預けてある分も大量にあるうえに、今後のめども無い。

昨日に成って、田中委員長は下北半島大間の地層調査を行う可能性を発言した。これはすでに保安院が指示していたことだ。だから枝野氏が建設再開を決めた時に、即座にに地層調査を待つように発言するのが、規制員会の正しい役割である。遅ればせながら、世論に押されて腰を上げたという感じである。再開し電気が余っているのに、稼働している大飯原発についても、地質調査はすると発言しているが、稼働停止は指示していない。まず本当の規制を考えるなら、疑わしきは黒としてもらわなくては安全は確保できない。疑いだけなら稼働して構わないという考えでは、事故前の保安院となんら変わらない。40年廃炉問題でも、40年経った原発が、新安全基準をクリアーするとは考えられないと発言した。そこまで厳しく考えているなら、今稼働している大飯原発が、暫定的な安全対策すら行わないまま、稼働していることに対して何故、稼働停止を発言しないのだろうか。
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水彩人展終わる

2012-10-05 04:02:46 | 水彩画


都美術館での公募展となった「水彩人14回展」が終わった。何から何まで初めてのことであったので、ご迷惑をおかけしたこともあっただろう。何か感謝の気持ちでいっぱいである。様々お許しいただきたい気持ちである。スタートの搬入でまず、最初のトラブルが起きた。小さい水彩画なので、搬入する人が持参される方が多かった。公募展に出品すること自体が初めてであった人も多かったのだと思う。絵を持って正面玄関から都美術館に入った。そして、受付で水彩人の搬入場所をはどこかと尋ねた。これが、都美術館の事務所の方の逆鱗に触れた。「搬入は裏口だ。」「水彩人はそんなことも指示していないのか。」これに始まり、数々怒られることになった。都美術館の使用方法は、普通の画廊のようなことは通用しないようだ。搬入者は109名。入選が77名。が一般公募の結果である。そして入場者数が5500名少し。以前は1万人を越えたこともあったから、今回場所が変わり減少したという事に成る。来年の応募要項が欲しいと言う人が新たに、40名ほどおられた。

会期中行ったことは、ワークショップを2日間開催したこと。最終日に全作品の講評会を行った。いずれもなかなかの好評で、大勢の方が参加されることになった。水彩を描いていると言う人がいかに多いかと言う事だろう。水彩人は小さい8号くらいの作品でも、良い作品を見やすく展示した。この事は長年の願いであった。成功したと思う。普通の公募展では、作品は2段がけ、3段がけに成っている所が多い。水彩画の場合上の方に展示した作品はガラスが反射してしまいほとんど見えない。これでは絵を鑑賞していただくと言うより、展示した。さあ見ろ。こういう事になる。見ていただく人にとても失礼なことだと思う。それに絵が可哀想である。展示するということは、どの絵もできる限り良い条件で見てもらいたいと考える。課題は水彩人が考える水彩の絵で、小さい質の高いものが、どれだけ集まるかであった。実際の展示であの大きな穴あきボードに邪魔されないように展示できるかであった。これは成功したと思う。

会場には水彩画と言うものの素晴らしさがあふれていた。見ている人の心に直接的に響いて行くのが水彩だと言う事を再確認した。絵画が絵描きのものでなくなっている。絵を売リ生計を立てる画家。水彩画はこういう絵描きのものでなくなっている。絵を描くと言う事自体が、自分の生き方を探る上で、とても重要な思索法に成っている。絵を描く修行と言うか、修行と言うと堅苦しいが、自分らしく生きる上で絵を描くことが欠かせない。誰かに自慢するためでもない。生計の足しにしようと言うのでもない。純粋に絵を描くことが面白い、その面白さの中に自分と言うものと向かい合うようなものがある。真剣に生きる手段として、水彩画を描くことがある。この手を動かし、目を開いて、思索する時間を貴重な物として暮らしている。その時水彩画と言うものが、とてもすんなりと心に入り込む人がいる。その個々人の絵画を素直に並べて見ようと言う展覧会である。

水彩人は水彩画の研究会である。公募展に成るとこうした趣旨を知らないまま応募してくる人もいる。巧みに作られていて、普通の公募展であれば、受賞作品ではないかと言うものでも、落選する場合がある。まるで素人が趣味で描いたように見えるものでも評価されている。水彩絵の具でしか描けない絵が評価される。研究会だからである。一般に細密描写のような傾向は、評価が低い。同人にそう言う人はいない。つまり、同人18名の絵が、水彩人の目指している方角と考えて貰えばいい。もちろん、同人も模索の中にいる。研究をしている所である。絵は個人のものである。坊さんの修行も個人の問題である。しかし、共に道を模索するということは、精神的にとても大切なことに成る。個人の存在をかけがえのないものとして、信頼を結びながら、厳しく磨き合う。「外」に向かってでなく「内」に無かっての探求である。14年前水彩人はこう宣言したのだ。
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尖閣問題は何故エスカレートしたか。

2012-10-04 04:56:03 | Peace Cafe
中国は何故ここまで尖閣問題をエスカレートさせたか。一つは石原都知事や安倍自民党総裁を代表とする、日本の覇権主義に対し、危機感を抱いたという事ではないか。尖閣問題で圧力をかけ、日本で目立ち始めているナショナリズムに警告している。中国の国内的には、経済格差と共産国家主義のほころびが起きている。経団連から尖閣の国際司法裁判所への提訴とも受け止められる発言が出てきている。私と同じ考えがだが意味が違う。当然のことであるが、尖閣だけでは解決できない日中間の歴史的問題が存在する。これは日本の問題と言うより、欧米による、アジア植民地支配と言う帝国主義の残した問題と考えた方がいい。中国と言う歴史的に中華を名乗るような大国が、近代化から取り残され、遅れた国家として屈辱の扱いを受ける。誇り高い中国人には耐え難い状況の近代の歴史である。それが、大量の安価な労働力と、国家統制による経済至上主義によって、世界第2の経済大国にのし上がる。

いま起きていることは、中国の歴史的誇りの回復である。ベンツに乗った若い成功者が、日本大使の車を襲い、日本国旗を奪う。これが中国の現実である。だからこそ中国の飛躍的な経済発展が起きた。中国人は多様である。経済格差が象徴するように、路頭に迷う膨大な人間と、1割くらいの優秀かつ勤勉な人々である。これを国家が強制力を持って操作し、経済至上主義で突き進んでいる。農業で考えれば、個々の農家の考えをコントロールして、一定地域を方向を定めた農業転換を行う。日本の農業が行き詰まる主たる原因となっている、財産としての農地という問題がほぼ無い。中国の農業生産を左右する水の問題も、巨大なダムを強制的に作るような政策が実行できる。これは道路でも、農地の統廃合でも、同じような強制力をもって行われているともいえる。もちろんここが中国の賢明な所で、この強制力が複雑に柔軟に行われている。

経済大国化して、世界が中国を重視しざる得ない状況になれば、中国は近代の歴史の中で踏みにじられた誇りの回復は当然起こるだろう。その矢面に立つのは日本である。本質的にはその責任のかなりの部分が欧米の植民地政策にあるのだが、怒りの矛先が同じ東洋人に向かうのは、やむ負えない人間の心理でもある。つまり、本来であれば同じ条件にあったはずの日本がいち早く帝国主義化し、中国に進出してきたのである。中華思想からすれば、耐え難い屈辱であったのだろう。しかし、中国は近代化の中で、日中国交回復後の40年間我慢をしてきた。背に腹は代えられなかったということだろう。そしてついに、日中の経済の世界での位置が逆転した。もう日本などに世話に成るか。食い物にされてたまるか。こういう思いが爆発して来る要因である。確かに、中国は日本が役に立つことはもう無い。と考えるにいたったのだろう。

同時に国内的な経済格差が、危険水域にある。いつ暴動や天安門事件のようなことが起こっても不思議が無いような、状況がある。経済の停滞が起これば、極めて危険な状況である。そしてその経済危機は遠からず起こる。多分中国の指導部ではそのことで精一杯のはずである。政治的にも想像しがたい権力闘争が内在するはずだ。指導部の腐敗と言う事も無いはずがない。こうしたことが総合的に、尖閣の問題に集約されたと思われる。もしこの分析が間違っていないとすれば、尖閣問題は根が深いということである。日中の関係も当分の間、改善の見通しはたたない。日本では国際司法裁判所に提訴すれば、簡単に日本が勝つと考えている向きがあるが。井の中の蛙である。世界は日本に対してそれほど優しくはないはずである。歴史判断では、意見は必ず分かれる。その分かれ方は、進出した日本が悪者に成る見方を想像して置かなければならない。
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経済衰退の原因

2012-10-03 03:59:49 | 身辺雑記
自民党の総裁候補の主張では、日本の経済が競争力を失われた原因は民主党の経済政策の失敗にあると言う主張のようだ。本気でそう考えているとしたら、自民党には間違っても経済政策は任せられない。日本経済が競争に後れをとったのではない。世界全体の経済停滞の影響が主原因だ。民主党をそんな所で攻めた所で、自分の経済分析の甘さを主張しているようなものだ。基本はどこの国でも、平等に競争すれば、同じような経済レベルになる。日本だけがずば抜けているという考えがおかしい。日本が一番でなければならないという間違いを自覚すべきだ。それが分からないようでは、経済政策は無理だ。むしろ、安倍新総裁の保守主義は歴史認識で、世界から袋叩きにあう。前回慰安婦問題で欧州議会から、批判を浴びたことを忘れたのだろうか。私にはそれで体調を壊したように見えたのだが。

先日、東京からの帰り、辻堂駅で電車が止まってしまった。車内放送ではこの先の信号機の故障だとか言っている。30分ほどしたらやっと出発になったと思いきや、急停車である。「緊急停止があります。という車内放送の方が先にあって、ドドット止まった。それでも立っていた人は勢いで倒れかかった。今度は信号に人が入ったと言う。10分ほどして、点検が終わりましたので、発車と言う事で出たかと思いきや、再度急停止する。今度は茅ヶ崎駅で人がホームから落ちたと言う。その救出を行うので、と言う事で現場検証まで終わるのに30分。東京に出掛けているが、毎日どこかで事故や故障である。昔はこんなことはなかった。現代日本人に特別な資質がある訳でもない。労賃は高い。資源はない。日本人の暮らしかたを、創造力の発揮できるように変えなくては駄目だ。

海外に工場を進出して、そこから海外に販売する。果たしてそういう会社は日本の企業なのだろうか。韓国のサムスンは韓国企業とは言い切れない。経済の側面から見れば、韓国を食い破って世界企業として飛び立っている。税金が有利な地域や国がある。テニスのボルグ選手は出身国スエーデンの税金が高いと言うのでモナコ国籍に成ったことがある。若く引退してしまいその後、どうしたことか分からなくなった。そう言うその場の都合を選択する人は長くは成功しない。企業と国家と言うものを考えると。経団連では、原発再開を力説している。ところが、尖閣問題では国際司法裁判所に判断してもらうと言う意味のことを発言している。ここでは私と同じ考えだ。経団連は公正とか、安全を考えている訳ではない。自分達の企業がどうすれば儲かるかだけを考えている。そんな節操のない人たちが世界の競争に勝てる訳が無い。儲かると思えば何でもやる日本人と見られていることに気づくべきだ。

そんな利己的なことでは成り立たないということは、田んぼをやっている人には当たり前に分かる。日本の経済が衰退してきたのは稲作から離れて時間が経過したということである。企業であろうと、国であろうと、利己的な行動ばかりすれば、見捨てられる。稲作はそういう人間の暮らしを学ぶ場である。日本人は田んぼと言う、先祖伝来の場所で、地域全体の融和と近隣地域との調整の中でしか、存在することが出来なかった。敵に勝っても意味が無い。与えられた条件の中で、観察を行い、工夫をして、その技術を洗練させた。それは個人のものでなく、全体のものになった。そして世界最高水準の農業生産性の高い、循環する農法を確立した。その人間の資質が先進諸国に一気に追いつくことが出来た主たる原因である。武士道精神など関係が無い。技術教育もそうした、豊かな感性を携えた人間を対象に行ったから効果があった。教育だけを先鋭化した所で、危うい人材だけが増加することに成る。
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安倍自民党総裁の保守主義

2012-10-02 04:00:21 | Peace Cafe
今回の自民党の総裁候補5名はこぞって、以前より保守的な発言をしていた。民主党が一応リベラル派と言う事に成っているから、それに対抗するには、保守色を鮮明にしなければならないという事なのであろう。特に尖閣問題でナショナリストが増加したこともあるだろう。石原都知事が党利党略で最悪の時期に、手を付けた戦略である。それは立ちあがれ党有利のつもりであったのだろう。しかし、立ち上がれ党もびっくりのような、自民党の右傾化を起こした。領土問題をてこにナショナリズムを焚きつければ、選挙で目立つと考えたに違いない。問題はすでにそんな所を通り越し、一気に深刻な所まで進んだ。中国に起きている事を読み違えた。日本のナショナリズムは、経済には弱い。自分の会社の利益の為なら、領土などどうでもいいという本音がある。経済の前にナショナリズムはいつの間にか後退することに成る。

自民党は保守主義と言う判断ミスから、政権を奪回できないことに成る。本来のナショナリズムと企業の国際化とは、相反することだからである。尖閣の実効支配の強化や靖国参拝。村山談話や河野談話の撤回など、世界情勢が分かる人間にはできる訳が無い。多分安倍氏の総裁選の発言も、次の総選挙では忽ちに曖昧なことに成るだろう。自民党の原子力政策を見てみると良い。何が何やら全く理解できない事が書いてある。野党になった自民党は何も学んでいない。尖閣に港を作るなど主張する安倍氏はどうせ今だけである。前回だって安倍氏は世界から顰蹙をかい、歴史認識を曲げた。安倍氏が慰安婦に対する強制性を否定する発言をしたことが、米下院や欧州議会からの日本政府に対する謝罪要求決議になり、日本政府は行き詰ったのをもう忘れたのだろうか。河野談話や村山談話は、基本的な歴史認識を表明した国際的な謝罪なのである。これによって、何とか進路を訂正しながら、日本の外交の基盤をかたちづくってきた文章だ。

アジア各国の目から見れば、日本の戦争責任の回避は、ナチスを再評価する事と同じ事に成る。これを自民党が「見直す」などと言い出すことには、深刻な方向転換である。経団連をはじめ自民党を支える組織はどう考えるのだろうか。日本は世界の孤児に成る覚悟があるのかである。日本経済の失速はさらに深刻なことに成る。民主党どころでない、経済の停滞を招くことは明らかである。経済はナショナルを捨てている。尖閣も、竹島も、北方4島すら失いかねない。それでも保守主義を貫くと言うほど安倍氏の保守主義は、根性の入ったものとは思われない。前回靖国参拝をしなかったことを悔しがって発言していた。今度こそ参拝すると発言している。もし本気だとすれば、中国がどう出るかを分かっての発言か。中国と国交を断絶しても構わない覚悟が自民党の保守主義にはあるのだろうか。

「地場・旬・自給」を目指している。これこそ地域主義である。ナショナリズムと言う考えは全くないが、今いるその場で生きようと言う事を考えているのだ。鎖国をしろと言っている訳ではないが、それでも日本列島と言う土地で、人間は充分に生きていけると主張している。経済の為に日本の方角を誤るなと言いたい。その意味で、福島と言う故郷を捨てさせられたことは、国家の方針が地域の暮らしを崩壊させた犯罪である。自民党はこの方針を計画し、推進してきた責任がある。本来なら、その責任について国民に謝罪する義務がある。本当の保守主義者なら、国土を汚した責任を感じているはずだ。安倍氏は日本と言うものが、人間が生活する土地であるという意味を自覚していない。根のない国家主義者だ。これは帝国主義に連なりかねない危険をはらんでいる。自民党の総裁選の御蔭で、民主党が無様であるとはいえ、自民党よりは大分良かったという事を思い出した。
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