Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「感染防止徹底宣言」よりも、「世田谷モデル」の広域化を

2020-07-31 | Weblog
本日の新規感染者数、463人の、東京。
つい数分前のニュースの速報で、安倍首相は相変わらず「高い緊張感」を持っていると言いはするけれども現状を棚に上げたまま、「徹底検査を」「必要な対応を」やっていく、と、言ったという。
いや、それをやってこなかったから、今の状態があるんじゃないですか。

保坂展人世田谷区長は、児玉龍彦東大先端研名誉教授らと連携、ニューヨークの検査体制に学んで「誰でもいつでも何度でも」を合い言葉に、PCR検査のハードルを思い切り下げ、大量に検査を拡充する「世田谷モデル」の実現に向け動き出した。
世田谷区医師会が新型コロナウイルスの検査体制の拡充のため、1日当たり最大で1千件のPCR検査ができる検査機の導入を検討している。検査機が24時間稼働、最短3時間ほどで結果が出るようになるという。
感染者の急増で看護師・事務職員などの確保も課題というが、保坂区長は「いずれ1日数千件規模の検査ができる仕組みを構築し、感染リスクの高い保育士や介護スタッフらへの定期検査も実施したい」と話している。民間検査会社の活用も考えているという。
財源や宿泊療養施設についても、ふるさと納税等の活用も考えているらしいが、当然ながら都や国にも協力を求めていくという。

保坂区長は『天神さまのほそみち』のアフタートークに登壇してくださったときにも、その方向にあることは示唆していたが、本気で踏み出したのである。
実効力のある区長であると同時にユーモアのセンスも豊かな保坂さんは、そのアフタートークの最後に、ご自分の名前が「展人」で、子供の頃のアダ名の一つが音読みの「テンジン」であったことから、タイトルの「てんじんさま」との絡みで、「実はきょうは私に関係の深い題名だと思って来たのです」という締めのオチを披露してくださった。
演劇の街・下北沢が、世田谷区にあって、ほんとうによかった、と思う。

ところで東京都では、新型コロナウイルス感染症拡大防止策の一環として、「感染防止徹底宣言」を行い、チェックシートに入力した事業者に対してステッカーの発行を行っているという。
自己申告で、何らかの客観的な審査があるわけではない。
で、都民が安心して利用できる施設であることを告知するため、東京都のホームページ上で、「感染防止徹底宣言ステッカー」を掲示している施設の公表も行うことになったそうだ。
もの凄い数になるはずだが、何か意味があるのだろうか。

劇場・音楽堂のチェック項目は以下の通り。
https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/429/01.pdf

たいていの劇場・団体は、既にそのようにしていると思う。

都にも国にも、口先だけの「徹底検査」予告や、やってる感だけの「感染防止徹底宣言」よりも、「世田谷モデル」の広域化を考えて頂きたいものである。
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「夜の街」は、また午後10時までになるらしい

2020-07-30 | Weblog
日本経済新聞によると、東京都は、7月に急速に感染者が増加している新型コロナウイルスの感染防止策として、都内の飲食店とカラオケ店に、4月5月同様に、営業時間の短縮を要請する方向で調整しているという。
都内全域が対象で、営業時間は午後10時まで。
対象期間を8月3~31日として、要請に応じた店舗には20万円の協力金を出す方向で検討しているそうだ。
ほとんどの店がその額では損失を埋めることは出来ないだろう。

この措置は、映画館や劇場に波及するのだろうか。

「夜の街」短縮は、たぶん全国の他府県も追随するだろう。
昨日、全国で、初めて一日に千人以上の感染者が出たばかり。
こんな状態で、都内は外しているとはいえ、「Go To トラベル」キャンペーンは継続していることが、異常である。
そちらも早晩ブレーキがかかる。

共同通信によれば、政府が、介護施設などに30日から配布するとしていた「アベノマスク」約8千万枚の配布時期延期を検討していることが29日、厚生労働省への取材で分かったという。失策と認めたのだろう。

コロナ感染拡大に関連した解雇や雇い止めの人数が4万人を超えた。(もっと多いんじゃないの、と思うが)
大企業の損失も半端な額ではない。

そして、これだけの金のばらまきをしていて、近い将来に大型のインフレが来ないと、なぜ断言できるのか。

それでも安倍政権が安泰なのだとしたら、この国民はこの総理大臣と心中してもいいと思っているということだ。

⋯⋯と、言ってるそばから、本日7月30日の東京都コロナ感染者数は、過去最多の367人だと。
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生きる権利の大切さを訴える者に対して、「残念だ」と言うのか

2020-07-30 | Weblog
時事通信によれば、

日本維新の会の馬場伸幸幹事長は29日の記者会見で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の嘱託殺人事件を受け、政務調査会に尊厳死を考えるプロジェクトチーム(PT)を設置すると発表した。また、ALSを患うれいわ新選組の舩後靖彦参院議員が「生きる権利」の大切さを訴えるコメントを公表したことに関し、「議論の旗振り役になるべき方が議論を封じるようなコメントを出している。非常に残念だ」と語った。

という。

維新のひどさは今日に始まったことではないけれど、これは看過できない。
維新・馬場伸幸幹事長は辞任すべきだ。
維新という党じたいが存在を問われている。

生きる権利の大切さを訴える者に対して、「残念だ」と言うのである。

ALS患者が「自死「について「旗振り役」になるべきだと言っている。
維新のひどさは今日に始まったことではないけれど、これは看過できない。
優生思想を肯定し、人間の尊厳を踏みにじる差別発言であり、基本的人権を真っ向から否定している。

舩後発言で懸念されていた「当事者を生きづらくさせる社会的圧力」そのものである。

これは明らかに石原慎太郎の27日のツイッター投稿、ALSを“前世の悪行の報い”を意味する「業病」と言い、「武士道」「介錯の美徳」を言い立てる錯誤の、延長上である。

26日は相模原津久井やまゆり園殺傷事件から、ちょうど4年。
多くの人達があらためて、誰もが命を脅かされない社会を目指そうと、声をあげた。
そんな今、あまりにも理不尽な攻撃をする差別主義者たちの暴言が、蔓延している。

民主主義の最低限の常識が共有されていない。
これが現在の日本社会である。



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大阪では5人以上で呑んではいけないというルールができたそうだ

2020-07-29 | Weblog
大阪府は、新型コロナ感染防止のため、5人以上での宴会や飲み会を控えるよう府民に呼びかけたという。

なぜ5人。

4人ならいい、という根拠が見えない。。

吉村という府知事は、愛知県知事に対する卑劣な攻撃に加わっているのが嫌だが、意味がなくても何か目立ちそうなことを言ったりやったりするという点では、その辺の困った人達と著しく類似している。

愛するバーに単身入って、そのうち常連がどんどん来たら、どうなるのだ。
常連4人揃った段階で、来客お断りにしろということか。

わからん。


写真は、テキーラ。

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『相模原殺傷事件を忘れないZOOMでアピール行動 2020 in えどがわ』

2020-07-29 | Weblog
あれから4年。
「命の選別」を平然と語る者達を、許しません。


『相模原殺傷事件を忘れないZOOMでアピール行動 2020 in えどがわ』

2016年(平成28年)7月26日未明に神奈川県相模原市の県立の福祉施設「津久井やまゆり園」で発生した『相模原津久井やまゆり園殺傷事件』
入所者19人を殺害、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた当時戦後最悪の殺人事件。
しかし、事件の風化は加速度的に進んでおり、まだ4年しか経っていないにもかかわらず、この事件は人々の記憶から急速に消え去ろうとしています。 
加えて、今年の3月、加害者の死刑判決が確定。事件そのものが終息してしまったかのような空気すらあります。
 
『相模原殺傷事件を忘れないアピール行動 in えどがわ』実行委員会では、毎年、事件発生の7月26日を中心に、「命の重さに違いはない!」「無くなっていい命などない!」「やまゆり園事件を忘れない!」との思いを街頭で訴え続けてきました。
 
今年は、コロナウイルス感染拡大予防のために、開催の中止も検討される中、Zoom会議によるリモートでの開催にこぎつけることができました。
 
この動画は、そのほんの一部ですが、参加者ひとり一人の思いを受け止めて頂き、ご覧いただければ幸いです。



 拡散司令が来ましたので拡散します !!


**************


【主催者挨拶(要旨)】

本日は「相模原殺傷事件を忘れないアピール行動inえどがわ」にお集まりいただきありがとうございます。
実行委員のまるちゃんと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
あの悲しく悔しい事件から今日でまる4年となりました。
今年は、新型コロナの影響があり、例年どおり外で集まり皆さんと大きな声をあげることはできませんが、それでも「この事件を風化させてはいけない」「いらない命なんてない」という想いをみなさんと共有し、今できる形で社会に向けて発信していきたいと思い、リモート集会という形にさせていただきました。
みなさんと一緒に、想いをひとつにアピールしていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
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今日は劇団の倉庫作業

2020-07-29 | Weblog
今日は劇団の倉庫作業。
関東近県某所にお借りしている倉庫は昔の工場跡。
垂直面はガラスで採光する、鋸屋根である。
それ以前は大月に倉庫があったが十七年前に引っ越した。

整理する必要があるので片付け、不要と判断したものを4トントラックでゴミ捨てに行く。
過ぎし日々を振り返りつつ、今後のことを考える。
そんな日。
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「アベノマスク解散」はないの?

2020-07-28 | Weblog
466億円の予算を投じて全世帯に配布され、あれだけ評判の悪かった「アベノマスク」が、保育所や学童、介護施設などに、追加で8000万枚が配布されるという。
6月22日に発注していたのだという。

サージカルマスクは簡単に手に入るし、安くなっている。1月には五十枚で600円くらいだったが、なかなかそこまでは戻らないにせよ、先週、品川駅で五十枚900円台で売っていた。千円を切ったのだから、もう順当な値段に戻っていくだろう。

誰もが「いらない」と言うし、虫が入ったりカビたりしているモノを、立場の弱い人に押しつけてはいけない。
追加配布事業の予算は504億円。
税金である。
貴重な財源を、医療の現場や検査費にこそ、渡すべきだろう。
民意をまったく無視している。

日本人は怒ることを忘れている。

ふつうはここで「アベノマスク解散」だろう。

野党が怒らないのは、ここで解散されても、自分が困るからだろうし。

まあ、政府のやることに、あまりに現実味がなさ過ぎるわな。




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フィリピンの舞台芸術界へのコロナ対策・支援について

2020-07-28 | Weblog
フィリピンでは新型コロナウイルスの累計感染者数が同日時点で7万人を超えるなど、感染の再拡大が続いている。
フィリピンといえばドゥテルテ大統領の強権発動で知られるが、大統領は今月21日、外出時などに義務付けられるマスクの着用を拒否する者は逮捕すると表明、取り締まりが強化されている。

機会があって、フィリピンの舞台芸術界のコロナ対策・支援について聞いた。
欧米諸国や韓国の情報はよく入ってきているが、フィリピンのことはあまり聞かれないと思うので、紹介したい。

政府・公的機関の支援としては、NCCA(国家文化芸術委員会)が19の分野別分科会(舞台芸術、建築etc)に予算を均等分配している。
各分科会は分配された予算を施設・団体に使うか、個人に分配するか決定できるという。
https://www.facebook.com/NCCAOfficial/posts/10157676107505283

アーティストに対しての支援としては、第1フェーズとして4Mペソが分配済、第2フェーズとして63,8Mペソが確保され分配されているという。
上記の分配を受けた分科会は、資金の使い道を決定できるが、個人支援を優先しているようで、5,000ペソを上限として各分科会がアーティストに支援金を支給している。(約700人程が恩恵を受ける計算。)支援を受けるアーティストは分科会が決定しており、フリーランスは恩恵を受けられない可能性もあるという。

政府以外に、支援を行っている動きもないわけではない。
Charlie CoさんのOrange Projectによるオンラインでの作品販売とファンドライジング、Next Gen OBのMicah Pintoさんのグループによるファンドレイジング等。 

フィリピンでは現在も外出・移動が制限され、文化施設・組織は活動を再開できずにいる。
これまで日本の国際交流基金が応援してきたアーティストグループ・団体なども人員削減をせざるを得ない状況にあり、今後の見通しも立たない中でオンラインでの映像配信やウェビナー等を通して寄付を募っている状態だという。
しかしながら、そういった配信に関心を持ってくれるのはアートコミュニティ内部の人が多く、彼らも同じように生活に困っていることから寄付は集まりにくいそうだ。
有料のオンラインコンテンツに対するハードルの高さと、フィリピンのアートコミュニティ外の人を引き付けることの難しさがあるという。

フィリピン政府は新型コロナウイルスの水際対策で3月下旬から外国人の入国を拒否していたが、経済立て直しに向け外国人技術者などの入国を認める方針で、8月1日から長期滞在ビザ(査証)保有者の再入国を許可する。約1万5,000人の入国を想定しているという。


写真は、マニラのCCP(フィリピン文化センター)。二年前、燐光群アジア共同プロジェクトの、フィリピン・タイ・ツアーのさいに、撮影。
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別役実戯曲の影響を受けていたことを思い出す

2020-07-27 | Weblog
『天神さまのほそみち』上演を経て、一九八十年代前半頃、別役実戯曲の影響を強く受けていたことを、あらためて思い出す。
今は編集者の豊田勇二くんが、自分が出ていた劇の写真をデータ化して送ってくれた。一九八四年九月、吉祥寺バウスシアター屋上で上演した野外劇『オルレアンのうわさ』。この劇では、豊田君、二枚目である。狂気の、だが。
「擬制の家族」の三人が、「お茶の時間」を持とうと「努力」する場面だ。この場面が、劇中で一番、別役実影響下にあったはずだ。
猪熊恒和の舞台デビュー作でもある。いまやチンドンの玉三郎とも呼ばれるチンドン屋の大御所でありミュージシャンともなった吉野茂を舞台の道に引き込んでしまった公演でもある。私とバイト先で一緒になってしまったことが彼の運命を変えたのである。彼は逆モヒカンに頭を刈って出た。
野外劇で、最終日は大雨に降られて、一日順延した。
公演初日に、親交のあった舞台美術家・手塚俊一氏が亡くなった。お通夜にもお葬式にも行けなかった。翌年は燐光群の美術をやると約束してくれていたのだが。
この戯曲は梅ヶ丘のアトリエで、15年以上経って、劇団の若手が自主公演で再演してくれたのを憶えている(私は関わっていない)。
写真左から、河上真理、土田修二、豊田勇二。
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『天神さまのほそみち』、終了して一週間。

2020-07-26 | Weblog
『天神さまのほそみち』、終了して一週間。
数日東京を離れていたせいもあるが、時間感覚が妙な感じだ。

夏である、ここ数日、各所で花火が打ち上げられたらしい。観客の混雑を避けるため、打ち上げる場所は全て、非公開だったという。
「いきなり花火大会」というわけだ。
コロナ禍は、私たちの社会から「お祭り」を奪った。花火大会も、大道芸も、阿波踊りも、盆踊りも、なくなった。
「いきなり花火」は、この時代の人間たちの、ささやかな抵抗、というわけだ。

『天神さまのほそみち』は、お祭りについての劇だ。稽古をやっていて、「お祭りの場」がこの社会から奪われているんだということに、ふと気づいた瞬間がある。
いや、「お祭り」だけではない。コロナのせいにして、コロナをダシにして、存続可能かどうかギリギリだったいろいろなものが、今この瞬間に、失われようとしているのかもしれない。 

世の中は、コロナ禍が再盛していることについて、正面から向き合っているのだろうか。
演劇を取り巻く環境も、少しも良くならない。

それでも先に進むしかない。
共に前を向く仲間たちは、いるのだ。


撮影・古元道広
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「スタバの店員さんのメッセージにかなり時間経ってから気づく」

2020-07-26 | Weblog
じめじめとさえない気持ちでいたが、笑った写真を、挙げます。
笑って、少し楽になった。

三十年前頃に燐光群に出演していた土井聡さんの写真。
「スタバの店員さんのメッセージにかなり時間経ってから気づく」。
店員さんは黙っていられなかったのだろう。
土井くんが店内で気づいていたら、これを書いたのが誰かわかったかもしれない。
「おもしろいですね」と言われたシャツが、どんなTシャツかは、謎である。
彼は現在、塩を商っているので、そこの関連のシャツかもしれない。

健康応塩団・源気商会本店
(彼は自分ではFB公開にしていないので許可を得て掲載)
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感染者増のため、新たに決まる「中止」と「リモート化」の勢いが止まらない

2020-07-25 | Weblog
コロナ感染者増のため、新たに決まる「中止」と「リモート化」の勢いが、止まらない。

緊急事態宣言が解除された後、またこの勢いになるとは、思ってはいなかった。
いや、思いたくはなかった。
諸外国に比べて、日本は増加しない、という思い込みに縋ろうとしていた。

現実は、どんどん変わっていく。

来日ゲストのある予定だった晩秋の企画が、今日の打ち合わせで、Zoom開催の方向に大きく傾く。
海外ゲストの方と話してみるが、かの国も、たいへんそうだ。

夏の、秋の、来年のいろいろな公演の中止と延期の報が、続々と届く。

そして大学後期授業のリモート化が、正式決定らしい。私の授業は今年は後期だけだから、これからパソコンを使った講座のやり方の勉強をすることになる。やれやれ。

私の戯曲講座の研修科メンバー・宇吹萌さんの作品が最終選出された、文化庁の〈創作オペラ〉のワークショップも、稽古過程の一般公開や、ファシリテータによる講義を、「ZOOMで配信」するという。オペラなんだがー。

私は「リモート演劇」という言葉は悪い冗談にしか思えないが、通信システムの発達による合理化に、すべて反対するわけではない。じっさい、ここ連日、一日二時間以上、Zoom会議は、している。しかたがないのだ。ただ、種々の事情で画像はオフにさせていただく場合が多い。四日前など、駅の待合室で、イヤホンでZoom会議に参加した。ほぼ発言できない。

文句ではない。
わかっている。わかっては、いるのだ。
だが、夏になれば、少しはマシになると思っていた。
残念ながらそうならない現実がある。

感染者の数字に惑わされるな、という言い方もわかる。
だが、医療の現場が逼迫しかねない状況が近づいていることは、否定できない。

これでは、繰り返しではないか。
緊急事態宣言は、出してほしくはないが。
コロナ状況が好転したことを受けて書く心づもりだった原稿を書く手が、止まってしまった。
目の前のことを言うことはできるが、至近でなく「過去から未来へ」の繋がりに触れる表現が、難しくなっている。
そして、いま、何にリアリティがあるのか、という、思索の問題にも、なっているのだ。
耐えるしかない。


写真は、一ヶ月前の、稽古場。
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『パブリック 図書館の奇跡』 コロナ禍下最初の映画鑑賞

2020-07-25 | Weblog
何ヶ月ぶりかで、映画館で映画を観た。

『パブリック 図書館の奇跡』。
コロナ禍下、客席は両側一つずつ空いている。
ネットで調べると都内の映画館が軒並み完売で、新宿の映画館だけに空席があった。理由はわかりますね?

なぜ『パブリック 図書館の奇跡』を観ることにしたかというと、
この間、演劇・映画館・ライブハウスの皆さんと、超ジャンルでコロナ禍被害への援助を求める〈We Need Culture〉の活動に関わらせていただいていたことも関係している。
これまでは、ミニシアターやライブハウス/クラブが、行政に支援を求めた際、文化庁からは門前払いを食ってしまう、という現実があった。文化庁からすると、映画館やライブハウスは、あくまで事業体であり、経産症管轄だとする「区分け」があった。

しかし、ミニシアターでは世界各国の様々な映画を観ることができる。商業主義のシネコンや一般向けのテレビでは観られないものばかりだ。監督やテーマによる特集上映も成果を上げている。地域に溶け込んで、コミュニティの場として機能している映画館も多い。
ライブハウスからは、世界的に活躍する才能が多数生み出されている。音楽を愛する者たちが集い交流する場である。たんなる演奏の発表のための場所ではなく、文化芸術を根本から支え、新たな才能を産み出し育成するために教育的な場所、社会的インフラとして必要とされてきた存在である。

つまり、ミニシアターやライブハウスのプログラム選定や運営方針を決める人達は、キュ レーション的な機能を持っている。
図書館に通う人達が、いずれ作家や研究者として、あるいはそこで学んだことをもとに自身の専門分野で活躍することを支える「図書館の司書」という存在があるとしたら、、ミニシアターやライブハウスにも、そうした方々がいるのだ。もちろん、演劇の小劇場を運営する方々も、同様だ。
そういう話題をよく出した。
ミニシアターやライブハウス、演劇の小劇場にも、キュレーター的な存在がいる。「図書館の司書」と同じだ。「パブリック」なのだ、と。

なので、図書館の司書が活躍するという『パブリック 図書館の奇跡』を、コロナ禍下最初の鑑賞に、選んだのだ。(と、思う)

監督・脚本・主演は、エミリオ・エステベス。私と同い歳である。
こういう映画を撮るようになったのだ。
内容的には、ある程度、好意的に見ていられるのだが、じっさいは、突っ込みどころ満載である。
プロットは、主人公の行動の転換点が、明確に描けていない。同じことの繰り返しが多すぎる。
ぎりぎりな感じだが、差別的な要素も、微妙にある。
ぱっとしない感じに造形してある主人公が魅力的なふたりの女子に慕われるのも、おいおい、と言いたくなる。
終盤の展開も容易に予想がつく。バッドエンドではないのだが、そこはかとなく、暗い。気持ち的には、内向している。悲惨ではないが、達成感もない。そういう主人公である。それは、悪くない、と思う。
アメリカの民主主義について描いた映画なのだとしたら、私がよく思い出す『スミス都へ行く』や『アラバマ物語』のような、「正しいことのカタルシス」は、ない。だが、考えてみれば、その二本の映画も、「一筋縄ではいかない現実」を、その時々の価値観の中で、きちんと描いては、いた。映画の作り手が、そうした複層の要素を意識していないはずはないのだ。

舞台になっているのは、シンシナティー。
私は、二度、行ったことがある。二十世紀だ。
一度は、演劇の上演もした。『神々の国の首都』、1998年である。
ラフカディオ・ハーンが記者として働いていた街だ。シンシナティー滞在中のハーンを描いた『皮革製造所殺人事件』という劇を作ったこともある。

このように映画を観て、思い出を辿り、感想を語れるだけで、幸せなことである。




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安倍総理は「徹底検査」という言葉の意味がわかっていない

2020-07-24 | Weblog
今後の対応について安倍総理は、「まずは徹底検査。検査能力にはまだ余裕があるので、都道府県と連携して陽性者の早期発見、早期治療を進めていく」という。(ANNニュース)

よくわかってらっしゃる。
「感染防止には徹底検査」。
それをしない以上、緊急事態宣言を再び出すことはできませんね。決して。

でも現状は「徹底検査」していませんね。
全ての職種の人に「徹底検査」はできない。そこまでの余裕はない。
そうなのですね?
では、せめて、マスクを外して仕事をしなければならない人たちには、「無償での徹底検査」をするべきではありませんか。「まだ余裕がある検査能力」を、そこに向けていただけますか。

マスクをしているとはいっても、医療関係者は、緊急時には、予定外の危険にさらされます。その範囲を拡大すべきです。ただでさえ給与を減額されている彼らの職場や関連業種の方々にその費用で更なる負担をさせることは、間違っています。

そして、スポーツ選手と、実演する俳優・演奏家たちは、ある場面では、マスクを外して仕事をしなければならないのです。
そうですよね?

そうした職種の者たちに対する、即時の「無償での徹底検査」を求めます。

「自分のせいで公演中止・撮影中止・競技中止になることは避けたい」と思う人たちは、それに従うでしょう。
そのかわり、該当者たちのリスクに対するケア、保険も含めた対応をも、お願いします。

そうしたことが理解できないのであれば、安倍総理は「徹底検査」という言葉の意味がわかっていないということです。


写真は、ある街のセブンイレブン。先月前、ある会合で、「セブンイレブンのあるビルの地下」に来いと言われたのだが、なかなか見つけられなかった。その記録。
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実行しないとわからない

2020-07-24 | Weblog
実行しないとわからない。
やってみないとわからない。
食べてみないとわからない。

下北沢に通う間、一度だけラーメン屋に行ってしまった。
混雑していたら「密」を避けてやめるつもりだったが、なんと、超人気店のはずで行列もよく見かけたのに、私が入ったときには、他に客がいなかった。

前情報では、かなり特徴のあるラーメン、ということだった。
見た感じは、ふつうである。(写真)
ご近所在住の映画監督が推奨していたということもある。
ついに店に入ったのだ。

感想は、あえて記さない。
人間には、一度試してみたいと思ってしまったら、そうしてみないと気がすまないところがある。
気がすんだというか、どういうものか、わかった。
「特徴」については、あえて記さない。
体験してみないとわからないのである。
スープも、具材も、素晴らしかった。
信念があるのも、伝わってきた。
ただ、自分が食べたものがラーメンであったとは、ついに思えなかったのも、事実である。
私が味覚に対しては、保守的なのであろう。
でも、このラーメンに「はまる」という人がいるのも、事実だ。
これが好きだ、という人には、こたえられないはずである。
ひょっとしたら、私も、ある絶妙なタイミングと状態で出会っていたら、リピーターになっていたのかもしれない。
なんにしても、一度は食べてみないとわからない、のである。

というわけで、下北沢の新たな名物を、祝福したい。
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