一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
純粋は大切です
私を導いてくれた方は天眼通をもっていていろいろな不思議な話をしてくれました。その中で火山の噴火によって流されたお寺に祀られていた仏様が博物館に損傷して焼け焦げたまま展示されているのを観たら、
「悲しい。こんな身体ではお役に立てたない」
としくしく泣いていたと教えてくれたことがありました。たまたまその博物館は自分の実家の近くだったので私はなんとかしなくてはと帰省した時にそこに向かったのです。
私は純粋な思いで自分がこのことを伝えなくてはと思っていました。
流されたお寺は再建されていて私が行った時には地域のご老人の方何人かが本堂におられました。その方々にお茶を御馳走になりいろいろとお話をさせてもらう中、私は話の途中でいまだと先生が話てくれたその仏様の話をさせてもらったのです。
もしかしたら修復してくれて仏様が喜んでくれるのではないかと・・・・。
しかし結果は
「それは私達とは違うえらい人の話だなー」
ぐらいで具体的なことはなく終わってしまいました。内心、奇跡でも起きるのではないかと思っていたのですが、少しがっかりした状態で帰路についたのです。
ただ今日、そんな話をこうして書いたのはなんだか無性に懐かしく思い出されたからです。
今の自分では絶対にしない行動です。文化財みたいになっているかもしれないその仏像を二十歳そこそこの少年の不思議なうったえなんて通るはずがないですから。
でも真っすぐな、綺麗な、穢れのないそのころの純粋な思いは今の自分がそのころの自分を褒めてあげたいです。
やはり純粋さはいつまでたっても大切だと思います。
「悲しい。こんな身体ではお役に立てたない」
としくしく泣いていたと教えてくれたことがありました。たまたまその博物館は自分の実家の近くだったので私はなんとかしなくてはと帰省した時にそこに向かったのです。
私は純粋な思いで自分がこのことを伝えなくてはと思っていました。
流されたお寺は再建されていて私が行った時には地域のご老人の方何人かが本堂におられました。その方々にお茶を御馳走になりいろいろとお話をさせてもらう中、私は話の途中でいまだと先生が話てくれたその仏様の話をさせてもらったのです。
もしかしたら修復してくれて仏様が喜んでくれるのではないかと・・・・。
しかし結果は
「それは私達とは違うえらい人の話だなー」
ぐらいで具体的なことはなく終わってしまいました。内心、奇跡でも起きるのではないかと思っていたのですが、少しがっかりした状態で帰路についたのです。
ただ今日、そんな話をこうして書いたのはなんだか無性に懐かしく思い出されたからです。
今の自分では絶対にしない行動です。文化財みたいになっているかもしれないその仏像を二十歳そこそこの少年の不思議なうったえなんて通るはずがないですから。
でも真っすぐな、綺麗な、穢れのないそのころの純粋な思いは今の自分がそのころの自分を褒めてあげたいです。
やはり純粋さはいつまでたっても大切だと思います。
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