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時代の永遠性

今日は家でゆっくりしています。少し体調がいまいちです。多分明日には治っていると思います。

私がふと目を閉じて考えるのは必ず昭和から平成のはじめにかけての時代です。どうもこの頃が私にとって一番熱い時代であったらしく、今とくらべて便利さにかけるかもしれませんがとても懐かしく思えます。

時代はあっという間に10年20年と経過してしまいます。10年ひと昔といいますがあっという間に変化していくのでしょう。それでも変わらないもの、そんなものが生きていく上では必要です。
私は多分、懐かしいその時代に今にも通じる何かをもとめているのだと思います。

まだ父をはじめ旅だっってしまった人らが元気だった時代。私はそんな中で生き生きと夢を追って悪戦苦闘しながら必死にもがいている。でも帰る場所があったような安心感。戻れる場所があったのだと思います。どこかで誰かに依存して守られていたのでしょう。

今現在、そんなことばかりを求めてもしょうがないと思います。もう時代が経過してこんどは自分が若い人らを守ってあげる立場なのでしょうから。
ただ私がどんな時でもニコリと微笑んでくれるあの笑顔はどうしても忘れることはできないし、これからもその思いでを胸に秘めて生きていこうと思います。

時代が変わってもかわらないもの。それは人が生きたというその営みそのものだと思います。肉体をこうして動かしているのが私達の魂のように、時代もそこに生きる人の息吹があるからこそ輝き、活性化されるのです。

どんな時代でも生かすのは私達魂です。そう考えると魂が永遠であるかぎりどんな時代も永遠なのかもしれません。
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