非国民通信

ノーモア・コイズミ

Build up things they call "protective"

2009-06-04 22:59:30 | ニュース

自分で身を守る力を、付属池田小で全国初「安全科」授業(読売新聞)

 2001年6月に児童殺傷事件が起きた大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)が今年度から、防犯や防災、交通安全などを幅広く学ぶ授業「安全科」を全学年で始めた。

 教科として安全教育を行うのは、全国で初めて。事件後、「子供をいかに守るか」を模索してきた同校教員らが「自分で身を守る力の育成が欠かせない」と考えをまとめ、全校で取り組むことを決めた。

 授業の内容から今年度中に冊子などを作り、全国にノウハウを発信する。

 同校では事件後しばらくは、児童らが惨劇の記憶におびえ、「知らない人についていかない」といった言葉さえかけられなかったという。04年4月に改築された校舎に入ってから、ようやく総合学習の時間などに、地域の安全マップ作りやいざというとき駆け込める「110番の家」を学ぶといった防犯教育に少しずつ取り組んできた。

 「子供たちもいつかは自分で身を守らなければいけなくなる。その力を身につけさせたい」という意見が教員の間で強くなったのは、事件当時に在籍していた児童の大半が卒業した06年頃。08年12月には事件後初めて、児童と一緒に不審者侵入を想定した避難訓練を行い、今年2月、教育課程特例校の文部科学相指定を受け、4月から週1時間の安全科の授業が始まった。

 中には防災、交通安全も含まれていて、まぁその辺はどこの学校でもやることのような気がしますが、いの一番に掲げられているのは「防犯」のようです。なんでも「子供たちもいつかは自分で身を守らなければいけなくなる。その力を身につけさせたい」だそうで。

 しかしまぁ常々思うわけですが、本当に有効な「対策」というものは正しい現状認識があって初めて可能になるものです。現状を取り違えていては、かえって事態を悪化させるだけです。患者の症状を正しく把握できないどころか、誤った診断結果に基づいて投薬、あるいは施術してしまったら、それこそとんでもないことになるでしょう?

 で、この「防犯教育」の動機になっているのが2001年に起った児童殺傷事件なのですが、これって日本では想定が成り立つような前例のない事件であり、その後も発生していないレアな事件でもあります。そりゃ、絶対に起こりえないとは言い切れないのかも知れませんが、可能性としては果てしなく0に近い、同種の事件に巻き込まれるより、もっと他の「危険」に晒される可能性の方が遥かに高いわけです。世界屈指の治安を誇り、凶悪犯罪の増加傾向が見られるわけでもないこの日本で暮らしているのなら、傷害や強盗といった「不法行為」よりも、労働基準法違反や各種水際作戦とかの「不法行為」を心配した方が現実的のはずですよね。

参考、安心よりも不安を煽る国

 上記リンク先は2007年のデータに基づいて書かれたものですが、この年、殺人件数が戦後最低を記録しました。日本はますます、安全になっているわけです。その一方で、死刑判決と死刑執行は戦後最多を更新しました。公務員削減が政府目標を上回るペースで進められる中、治安部門は徴税部門と並んで予算増となった年でもあります。喩えて言うなら、症状が改善しつつある患者に対して投薬の量を増やしたようなものでしょうか。

 そうなると、患者はこう考えるのかも知れません。処方される薬の量が増えたからには、きっと症状は深刻化しているのだろう、と。凶悪犯罪の減少を無視して厳罰化は進む、そして国民は「治安が悪化している」と信じ、見えない脅威に怯えている、そんなところかもしれません。

 何しろ6年しか在籍できない小学校ですから、8年も経てば生徒は全員入れ替わる、事件発生当時にはまだ生まれていなかった子供もいるわけです。学校ですから当然、生徒間での暴行や窃盗、恐喝は日常茶飯事かも知れませんが、「外からの」犯罪の脅威など誰も感じてはいないでしょう。「防犯」などと言われてもピンと来ない子が普通ではないかと思います。学校教師は「自分で身を守らなければいけなくなる」と説きますが、いったい「何から」守るつもりなのでしょう。

 「守る」ことを教えることによって、逆に「脅威」の存在にリアリティを与えることができます。そもそも「脅威」がなければ「守る」必要性も感じないわけで、防衛の名の下に軍備を優先させたい先軍主義者は脅威を煽ることに熱心だったりするものです。しかるに逆のアプローチもある、「守る」ことの必要性を強調することで、あたかも自身(or日本)が「自己防衛を必要としている」→「脅威に晒されている」かのような錯覚を与えることも出来るわけです。実際にそうした錯覚に嵌り込んでいる自称「護憲派」のおばさんなんかも思い浮かぶわけですが……まぁそれはいいや。

 ともあれ、児童に「自分で身を守らなければいけない」と吹き込み続ければ、その当然の帰結として「自分を脅かす何か」の存在を強く信じるようになるのではないでしょうか。誰かが「攻めてくる」からこそ「守らなければならない」わけですから、「守らなければならない」必要があると言うことは、きっと「攻めてくる」相手がいるのだろう、と。子供達に防衛の必要性を刷り込んでおけば、「自分達は脅かされているのだ(だから「守る」必要がある)」と考えるようになる、それは社会から望まれていることなのかも知れませんが。

 出かけるとき家に鍵をかけるという習慣がカナダにはない、とマイケル・ムーアの映画で伝えられていました。その辺は地域差もあると思いますが、一方で国境を隔てたアメリカでは国民が個人単位で「防衛」に熱心です。自衛のためと称して銃を持つ権利が保障され、しょっちゅう銃乱射事件が起っては池田小の事件よりも大量の血が流されてきたわけでもあります。日本の学校でも「護身のため」持ち歩いていたというナイフで生徒が生徒を刺し殺すなんてことは偶にありますが、何でしょうね、学校内部の事件と「外からの」脅威とでは扱いが違うのでしょうか。どのみち自衛だの防衛だの口にする連中の考えつく先は、ロクなものじゃなさそうです。「守る」必要性を信じるということは、「攻めてくる」何かの存在を信じ込むことですから。

 

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14 コメント

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私が (Bill McCreary)
2009-06-05 08:03:33
何度も指摘しています通り(誰だって指摘できます)、例の宅間の事件は、日本の学校制度始まって以来と考えられる事態ですから、あんな目にあう可能性は宝くじに当たる確率以下です。

学校で防犯関係のことをするなら、いじめやかつあげにあった場合の対応法を詳細に教え親にも協力を求めるほうがよっぽど実際的なんですが、そういうことはしっかりやっているんですかね?

>「守る」必要性を信じるということは、「攻めてくる」何かの存在を信じ込むことですから。

北朝鮮が攻めてくると10年(それ以上)1日でわめいている人もいますしね…。
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用心するにこしたことはない (kuroneko)
2009-06-05 11:27:19
たとえば、建築工事現場の前を通る時は、上を見たい、反対側に渡ったりするんですけどね。
犯罪への注意って、家の戸締りとか以外はそんなに考えないけど。
交差点で待っていたら自動車の衝突事故の側杖で亡くなられた方がいるけど、避けようがないですね。

小さい子に、「知らない人について言ってはいけない」と教えるのはあり得るけど、通り魔への注意って無理じゃないかなあ。

なんか、事故より犯罪被害のほうを大きく言いがちな気がします。
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この人達の言う (いるか缶)
2009-06-05 16:03:52
「自分で身を守る力」とやらを身につけていて、あの児童殺傷事件を児童たちが免れることができたとでもいうのでしょうか。実際には大人が彼のような人が「暴走」するのを避けるためにそれこそ労働や福祉などでの「不法行為」防ぎを全力をするべきでしょう。このような安全講座は大人の免罪符or自己満足に過ぎないと思います。性犯罪被害の時の一連のセカンドレイプと根は変わらないかと思います。
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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2009-06-05 20:38:44
まああれだけのショッキングなことをなかったことにするのはそれこそ「歴史修正」なのでしょうが…それでも「事件を忘れず、かつ怖がりすぎの弊害を防ぐ」というバランスがとれれば良いのですがね。
ただ、私の小学校のころも学期末には生徒が町毎に集められて「知らない人についていくな、危ない場所で遊ぶな」と言われてはいましたが。
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Unknown (こねこ)
2009-06-05 20:40:54
なぜだか、この国の大多数のひとたち根底にあるのは常に被害者意識ですから、「自衛」のために子どもを「兵士」化するのも、核で武装するのも当然、という結論に陥るのは当然かもしれませんね。

「昔のことをいつまでも」と、中国や朝鮮半島の人々をののしった人が、返す刀で「時効の撤廃」を叫んでみたり、「疑わしきは死刑だ」と言わんばかりの厳罰主義者が、かつて大陸で日本軍が犯したと疑われる多くの犯罪について「捏造だ」などと、断じてみたり…。いざ自分たちの加害の事実を突きつけられたとき、「被害者の気持ちを考えろ!」といつだって叫んでいたとひとたちとは思えない暴言を被害者に浴びせたりできるのも、「自分たちは常に無辜の被害者であらねばならない」という強迫的な思い込みでもあるのかもしれません。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-06-05 23:19:30
>Bill McCrearyさん

 ところが珍しければ珍しいほど、扱いが過剰になって、その一方で「よくあること」が蔑ろにされちゃうんですよね。あるいは、自身の好き嫌いと言いますか、気に入らないものを敵に見立てるために、「守る」ことが強調されたり……

>kuronekoさん

 自分で出来る注意と出来ない注意、あるいはマイナス面の方が大きい「注意」もあるでしょうか。いつも通り魔に襲われることを想定して行動している人って、ちょっと危ない人ですよね。それで「身を守れる」可能性も万に一つくらいはあるかも知れませんが、大抵は役に立たない。沖縄に住んでいるのに「豪雪被害」のための保険に入るような「注意」なのかもと思います。

>いるか缶さん

 付け焼き刃の訓練で子供達に警戒心を植え付けたところで、ああいう事件に有効かどうかは疑わしいですよね。子供達の「対処」よりも加害者側の暴走を防ぐための「予防」の方が大事なのでしょうけれど、まぁそういうやり方は好まれないようです。

>ノエルザブレイヴさん

 「知らない人に~」辺りは、まぁ誰でも言われてきたものだと思います。この池田小の場合はそのレベルで止まってくれればいいのですが、実態はどんなものなのでしょうね。昨今では「脅威」を煽って無理を押し通そうとする動きばかりが目立ちますから。

>こねこさん

 ありますね、そういう被害者意識。戦後問題にしても、ほとんどの国民は「悲惨な戦争の被害者」としての日本ばかりを見て、加害の側面に目を向けてこなかった。国内だけを考えるならそれは正しいにしても、「外から」日本を見た場合にどうなっているのか、そこから目を背けてきたような気がします。自分達が何を言っているのか、自覚できないまま時代が流れているのかも知れません。
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不安を煽ると (さら)
2009-06-06 01:02:04
現在、安全・安心というキーワードはいたるところで見ることができ、特に主観に係る国民の安心感は、不安感を煽るほど商業的においしいマスコミの事件報道のせいなのか、不安感を煽って政策実現の支持を得たい(若しくはマイナスイメージから目を反らせたい)政府のプロパガンダが効を奏しているのか分かりませんが、改善されていると感じられなくなってしまった様ですね。

池田小学校の事件では、犯人が現行犯逮捕されその行為の結果になんらの反省をしなかった結果、マスコミを中心とした責任追及の矛先が学校関係者に向けられて、お決まりのバッシングの嵐となったことから、異常で且つ特異な犯罪に対する対応だけが突出する結果になってしまった様に思います。

犯罪に限らず世間が注目する出来事があると、およそ冷静さを失って出来事の一面だけをとらえ、誰かの責任という形で帰結させないと世間(被害者を含む)の気が済まない風潮は、行政活動にも表れており、刑事訴追・捜査中心でないと事実関係と事後対応に繋がらないと感じ、行政調査という概念が一向に発展しない背景となっています。

地震が起きて屋根が重たい瓦屋根の家が倒壊していれば、その危険性を煽りますが台風対策で飛ばされないように重い屋根を取り入れていた背景はすっかり忘れてしまう。一つの出来事にとらわれて過去の経緯、相反する結果などがどこかに行ってしまうのは、まさしく3歩歩けば忘れてしまう鳥頭の様なもので、これまでも色んな場面で繰り返してきた事でしょう。

この事件から被害者、保護者を含め池田小学校で主張された事は、要するに学校の要塞化だったと記憶しています。警備員を配置し、警備カメラを取り付け、構内に刺又等の器具を配備し、教員は不審者に立ち向かう訓練をする等々。

一つひとつは全て理由があり、事件の直後だと説得力を有していたのでしょう。けれどもいわゆるエリート校に例えられていた国立の付属小学校という点を差し引いても、行政が持つ限られたリソースの配分結果として適正であるのかどうかは疑問に感じて仕方がありません。

リスクは、結果の重大性と一般的な生活から発生頻度が考えられる蓋然性の両面を考慮すべきだと思います。そして行動に伴うリスクは常に伴う事を少しは認識(覚悟)しないと、行政の無謬性に頼りきって期待を裏切られる度に安心感が揺らぐような脆弱な国民性だと、それこそ今後の日本の行方に不安感ばかりが増すことになりかねないと思います。

歩道に乗り上げて駐車している車両から推測できる危険性だそうですが、VIPを警護するSPの養成講座みたいに感じました。そのうち某漫画の主人公のように背後に人が立った時の危険性とかも教えるんでしょうか。

程度や塩梅が冷静に考察できない状況で不安感だけが先走る国民、またそれを煽る諸氏は是非とも普段から武器の携帯等によって何者かの襲撃に備え、どんな災害やミサイル攻撃にも耐える家に住み、やられる前に攻撃する軍隊を支持し、つまずく石ひとつない道を歩んでいってもらいたいものです。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-06-06 14:08:34
>さらさん

 安心、安全、それ自体は好ましいことですが、その名の下で行われていることを鑑みると、何とも憂鬱になりますね。そして「安全」であっても「安心」はしない人々は、微々たる危機にも過剰な反応を示すのでしょうか。本当、「普通の人」までが「後ろに人が立っていないか」警戒するようになったら、それこそ病的と呼ばれるべきものだと思いますが、そういう方向に進んでいるようです。
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Unknown (Green Monster)
2009-06-06 21:37:54
カイシャから身を守る術も教えて下さいよ...。いやホント、こちらのほうが有用だと思いますが。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-06-06 22:45:49
>Green Monsterさん

 そっちの方が重要なのですが、それを教えてしまうと「自立した社会人(=会社人間)」「社会(=会社)に役立つ人間」からは遠ざかってしまう、教育者達はそう判断しているのでしょうね。
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