非国民通信

ノーモア・コイズミ

アカデミズムが認められない社会ですから

2009-06-03 23:02:05 | ニュース

ポスドク:加速する頭脳流出 若手研究者、職なく41%が海外へ(毎日新聞)

 ◇倍増ポスドク 98~08年度調査

 10年間にポスドクが就職するまでの期間が平均6・4年と倍近くに増え、職が見つからない若手研究者の海外流出が加速していることが、大阪府立大の浅野雅子准教授(素粒子論)の調査で分かった。国が常勤職を確保しないままポスドクを増やした計画が背景にある。素粒子論分野のみの調査だが、海外在住の研究者を含めてほぼ全数を調査した例は珍しく、他分野でも同様の傾向があるとみられる。日本の将来の科学技術発展への影響が懸念されそうだ。

 ◇就職まで6.4年

 素粒子論研究者で作る学術団体(素粒子論サブグループ)の98~08年度までの名簿を基に調べた。

 それによると、全体の人数は700人前後で推移しているが、ポスドクの人数は107人から193人と1・8倍に増え、逆に博士課程に進学する人は85人から47人に減った。

 博士号取得後にポスドクを続けている期間は98年度の平均3・4年から08年度の平均6・4年と増加。海外流出したポスドクは98年度の3%弱から04年度28%、08年度41%と急増した。

 博士号を取得したけれど仕事にありつけない人、通称「ポスドク」が増加しているとの報道です。調査対象は素粒子分野のみということですが、他分野でも同様の傾向があるとみられるそうです。私も修士課程までは大学院に在籍していたものですから、当然諸先輩方の動向は見てきたわけですけれど、とりあえず専攻がロシア文学だったりすると就職は絶望的でした。文系ですと事態はなおさら深刻かも知れません。

 私の在学中、師事していたロシア文学の先生が定年を迎えました。その定年パーティの際に、非常勤講師だったある先生(確か、ロシアの民話を研究していた人だったと思います)が、ハレの席で恨み言を述べていたのが印象に残っています。「○○先生が定年で退職して、私も来期からは大学にいられなくなるわけですが~」と。

 まぁ大学ってのは学歴社会ではなく学閥社会ですから、コネが大事なのです。それこそ非常勤講師が仕事を確保するためには、教授のツテが欠かせません。しかるに庇護者である教授が定年で退職してしまうと、あっさり干されてしまう、研究者として生きていくのは厳しいわけです。実は同じ年にフランス文学の先生も定年を迎えたのですが、定年2名に対し教員の新規採用は1人だけでした。露文と仏文、どちらをリストラの対象にするか揉めていたそうで……

 そうでなくとも、大学教授、研究者としての椅子は減らされる一方です。椅子が減るのですから当然、あぶれる人は増える、文系に比べればまだしも就業面では希望のありそうな理系分野ですら、ポスドクが倍増しているわけです。せっかく人を育てたのに、次々と腐らせてしまうとはモッタイナイ。

 負の要因は、とりあえず2つばかり思いつきます。どちらも相通じるところはありますが、まずは学費の問題です。学費の自己負担分が高い、奨学金制度はあってもほとんどが貸与で返済の義務がある(もし返済が滞れば信用情報機関に通報され、金融機関のブラックリストに載せられてしまう)、そもそも奨学金の規模が小さく、学費は賄えても生活費を別途、捻出する必要に迫られる等々、よほどお金のある人、身内の支援を受けられる人ではないと勉強を続けにくい環境が整備されているわけです(海外ではこの辺がクリアされているケースも多々ありますので、そこへの「流出」も必然でしょう)。こうなると大学で研究に専念するよりも、速やかに学位を取得して職に就く――そんな方向にシフトせざるを得ません。しかるに椅子が足りないわけですから、ポスドクは増加するばかりです。

 もう一つは、学問の軽視、アカデミックな世界への蔑視ですね。これがために、企業への就職もまた阻まれがちです。「いつまでも学生気分でいられたら困る」と、働いている人であれば誰しも言われたことがあると思います。「社会人」の世界と「学生」の世界は相容れないものとして扱われるばかりか、「学生」的なるものは「卒業すべきもの」として扱われる、すなわち否定の対象として扱われるわけです。大学卒業を要求されることはあっても、大学で学んだものを求められることは少ない、それ以上に大学で学んだものを「捨て去る」ことを求められることの方が多いのでは?

 結局のところ大卒に求められているのは、「普通さ」であって、逆に博士号なんて取っていたら、「大学を出て就職する」という「当たり前のこと」が出来ない人間、そう評価されがちなのではないでしょうか。私は修士号までしか取っていませんが、それでも面接では必ず聞かれるわけです「何故(学部を出た後)就職しなかったのですか?」と。「悪いことですか?」と私は問い返したいですが、どのみち不採用です。

 学校で勉強したことなど、実社会では通用しない――そんな意識が日本社会に幅広く「常識」として浸透しているのではないでしょうか(英語教育に関しても、こうした思いこみは強いですね)。だから大学で研究を積み重ねた博士号取得者など、口先で「凄いね」と褒めそやされることはあっても、決して企業から重用されることなど無いわけです。むしろ大学に長くいるほど敬遠される、雇用主が評価したがるのは、せいぜい大卒までの色の付いていない段階で採用し、企業側が「実社会で」学ばせた人間でしょう。大学で学んだものは「役に立たない」ものとして否定されるわけですから。いつまでも学生気分でいられたら困るよ、と。アカデミックな世界の価値を、社会が正当に評価できるようにならない限り、小手先の対策では追いつきそうにありません……

 

 ←応援よろしくお願いします


コメント (12)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歴史修正主義者は現代をも歪... | トップ | Build up things they call \... »
最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
食い詰め博士達の悲哀 (不備)
2009-06-04 00:48:04
 実は自分も文系ポスドクの立場です。幸いなことに、三年間だけ研究員として某所より給金をもらえるので、その他大勢の文系人に比べれば恵まれています。しかし、給与額は低いですし、非常勤も安い額です。大学院を出て非常勤等で社会に出始めた研究者の所得は、年額5、60万円~多くて150万円程度でしょう。

 ご指摘の通り、現在の日本では非常にアカデミズムや学術的な論究は軽視されます。居ても報われないどころか、食べてもいけないので理系の優秀な頭脳は海外にどんどん流出し、文系は短い期間で金銭を稼げるもの意外は「無用の衒学」とばかりに忌避されるので、別のバイトで食いつなぐ研究者もいます。

 いわゆる、「高学歴ワーキングプア」と評されるような状態の人が研究者には多数おり、さらに今では非常勤講師・非常勤研究員の口も激しい競争に晒されています。
 人件費や研究費は減らされるのに、仕事量は増え、専任教員・非常勤教員問わず必要以上の仕事を課せられ、その一方で成果を求められ、精神を病む研究者が増えました。非常勤メインだと、悪く行けば病気などでそのままフェードアウトしてしまう人もいますし、実際、先輩・後輩の中で、行方知れずのようになっている人が私の身の回りにおります。

 小手先の対策ではどうにもならない状況に来ていること、まさに管理人さんの仰る通りです。国の間違った政策と、その後の無策の結果以外の何ものでもありません。
 ポストを急激に増やすのは、今の大学全入時代には確かに難しいでしょう。ですから、一般向けの講座含めて、学問の受容のあるところで働く非常勤の講師達に対して、待遇を良くするよう国が補助金なり指導なり指針なりを出す、厚生年金に加入できるようにする、等々の救済策がないと、ワーキングプア学者がこれからも量産されることになること間違いありません。

 それにしても、多額の入学金と授業料を払って大学に行くのに、大学でしか学べない機会と時間をこんなにも軽視する社会というのは、現代日本の非理知的な現状を象徴していて、黯然たる気持ちにならざるを得ません。
返信する
私も (Bill McCreary)
2009-06-04 02:04:42
今(働きながら)修士に通っていますが、当然ながらろくな話を聞いていませんね。私も可能なら博士号を取りたいのですが、まあ、仕事を辞めても平気な年齢にならないと無理でしょうか…。

>私も修士課程までは大学院に在籍していたものですから

本当は、管理人さんみたいな方こそ博士課程まで行って大学の教員になっていただきたいのですが、どーも現実は厳しいみたいで…。
返信する
Unknown (田中)
2009-06-04 09:29:20
アカデミズムがそんなにすごいなら、学内起業でもなんでもやればよいのでは。
返信する
Unknown (GX)
2009-06-04 17:15:55
 いや、学校体育がありますよ。号令とか整列とか…。まあ、それぐらいですね。

 あと、雇用側も博士号習得に限らず、待ってやれよとも思うのですが、労働讃美の世の中では、仕事をせずに好きなこと(勉強だろうと遊びだろうと)をしているとニートも同然。「甘え」なんでしょうか。よくて「仕事しながら」とか…。そういえば、フェンシングの太田雄貴選手も「ニート剣士」とか呼ばれていましたよね。最終的には就職しましたけど、メダリストでも仕事に就いていなければだめなんですね。というかオリンピックの功績がなければ、就職の可能性はおろか、周りの目も良いものではなかったかもしれません。この呼び名は本人が「ニート」だと言ったことから来たと言われるのですが、本人も自分の生き方には自信を持って…というのはさすがに難しいんでしょうかね。
返信する
Unknown (慎太郎の夢は終わった)
2009-06-04 22:17:53
僕の場合ですと面接では必ず「なぜ高校を中退したのですか?」 ときかれました。ある時などは面接官から「君の人生は高校を辞めたときから狂いはじめたね」とトンデモナイ言葉を吐かれたことがありました。実際、今でいうところのニートの状態が数年続いていたことがあり そのことを打ち明けたうえでの面接官からの心ない言葉だったので しばらくのあいだ人間不審になりました。 アカデミックから かけはなれてしまって申し訳ありません。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2009-06-04 23:38:28
>不備さん

 そうなんですよねぇ、私の先輩方もノーフューチャーな日々を送っていましたし、勉強を続けることには何かと覚悟が要りますね。学力低下だの云々と、子供のテストの点数には拘るクセに、一方で勉強を続けた人を置き去りにする、どうしようもありません。

>Bill McCrearyさん

 「人生を捨てて学問に奉仕する」ぐらいの覚悟があるならいざ知らず、有閑階級でもないと難しいところは多いですよね。私にはそれだけの覚悟も環境も(ついでに必須の語学力も)足りないですが、もうちょっと学問を「続ける」ことへのハードルを下げてくれないと、と常々思います。

>田中さん

( ´_ゝ`)フーン

>GXさん

 そうそう、大学で学んだことよりも「体育会系の部活に入っていたか」の方が問われるところがありますね。やれやれ。太田選手は成功できたからいいですが、周りを納得できるだけの「実績」を挙げられなかった人は、勉強にせよフェンシングその他にせよ「卒業」を求められてしまうわけですし。

>慎太郎の夢は終わったさん

 それはまたひどい面接官ですが、本人は「圧迫面接」のつもりで悦に浸っているのかも知れませんね「適正を試してやったんだ」とばかりに。結局のところ「普通さ」なんでしょうか、「高校/大学を出て就職する」という「当たり前のこと」から外れた人間は規格外として排除する、チャンスなど与えるつもりもなさそうです。人それぞれの才能を見つけて「活用する」のが雇用側の腕の見せ所だと思うのですが、実際の雇用主は「規格通りの」人間ばかりを待ち受けているようです。
返信する
Unknown (TK)
2009-06-05 04:17:12
私は法務博士という量産型博士です。(実は修士相当)
アカデミズムとは無縁な法律実務を学んできました。
ところが、こんな実学分野ですら就職はきわめて困難な状況です。
アカデミズムの軽視というより、院卒や既卒全般に対する凝り固まった偏見が原因なのかなと思います。
ちなみに、私も友達も牛丼チェーンや銭湯でバイトで生活しています。
法律と関係ないですね。はは。
返信する
Unknown (CJ)
2009-06-05 05:42:01
ちょっと訂正させていただきますが、ポスドク自体は給料をもらっているし、立派な職業です。問題にされているのはポスドクの後の受け皿がない、ということです。議論自体には同意します。
返信する
Unknown (くろん)
2009-06-05 07:57:28
大学と大学院では研究生活の質が違うということがあまり知られていないのが、アカデミズムに対する社会の評価が低い原因の一つなのかとも思います。
ほとんどの人は自分が大学の卒業研究でやったことを、卒業もせずにずっと続けてたのが博士だと思ってますから。

あと、個人的には、素粒子論は理系の中でも特にポスドク間の競争の激しいところだと思っています。他の分野はそれぞれ大変ではありますが、素粒子理論ほど大変ではないです。
返信する
絶望的 (Unknown)
2009-06-05 13:34:24
乱暴なようですが、解決策としては税金で研究所をつくって、そこで研究をさせて、その成果を官公庁や企業に買ってもらって運営するというくらいしか思いつきません(成功した姿を思い浮かべませんが)。大学のポストはもちろん絶望的ですし、一般企業の就職もほとんど可能性がなく以上、税金による支援くらいしか道はないと思います。

問題は、ポスドク問題を理屈としては理解しても、優先的に支援を差し伸べる対象とは思えない人が(実は私も気持的にそうですが)、おそらく圧倒的であろうということです。一流に企業に就職できる頭脳をもちながら、親からの学費で研究して、その後に就職ないから何としかしろと言われても、世論の共感をほとんど得られないでしょう。そして、世論の共感を得られない問題は、政策として俎上にのぼる可能性が低いと思われます。

派遣の問題でさえ、テレビで「甘ったれている」などと暴言を吐いて平然としている某著名司会者がいるわけですし・・・。考えれば考えるほど、これはほとんど絶望的だと思います。

そもそも問題は、大学院に行く人がどうしてこんなにも多かったのかということです。大学院拡充政策とは言っても、そして就職難があったとは言っても、やはり異常に多すぎです。そのなかには、一般社会では通用しない「ダメ人間」でも、超優秀な人でもない「普通の人」が結構いるはずなんですが、なんで大学院なんかにいって将来を間違えたのか・・・。これはどう解釈したらいいんでしょうか。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニュース」カテゴリの最新記事