非国民通信

ノーモア・コイズミ

恥の意識を失うとは?

2008-06-24 23:05:51 | ニュース

 

解放の中村さんに高村外相が「戒め」(朝日新聞)

 イラン南東部で誘拐され、14日に約8ヶ月ぶりに解放された横浜国立大生の中村聡志さんが23日、父親の淳貴さんと一緒に外務省を訪ね、高村外相と面談した。

 外務省によると、高村氏は早期解放のためにイラン政府に何度も働きかけたことを説明。小野寺五典外務副大臣が解決時を含めて計4回テヘラン入りしたことなどを念頭に「日本政府が多大な時間と費用をかけて対応したことを忘れないで欲しい」と伝えた。

 web上では掲載されていないみたいなんですが、6/24朝日新聞社会面、私の居住エリアだと38面の記事です。まぁ自民党のセンセエは相変わらずですね。

 前世紀に書かれた本なので時代は変わっているかも知れませんが、飛び込み自殺の話がありました。なんでも電車に飛び込んだ場合、都市部の路線では数百万の損害が発生するとか。「通常は世論を意識して損害賠償は請求されない、と訳知り顔に言う人もいる」らしいのですが、JRは目立たぬようにひっそりと損害賠償を請求するそうです。

 JR側にしても列車遅延には相応の損害を被るわけで、その損失を何とか穴埋めしたいもの、となると遺族に賠償を要求することになりますが、そのことをどう意識するかですね。遺族に請求することに、JR側はどういう意識を持っているのでしょうか? それが大々的に行われるのではなく、できるだけ目立たぬように行われるとすれば、JR側はその請求をできるだけ隠しておきたいと思っている、自慢できるようなものではないと思っていることを意味するはずです。

 そうでしょうね、いかに自社に損害を与えた相手といえど、同時に相手側にとっても不幸のはず、それを責め立てるような行為は外聞が良くない、そう判断するのであれば賠償請求は密やかに済ませたいものです。ホトケに鞭打つ様な真似をすれば世論から冷たい視線を浴びるだろう、そういう判断がここでは働いているわけです。

 時は変わって21世紀、海外で誘拐された被害者に向かって大臣閣下に曰く「日本政府が多大な時間と費用をかけて対応したことを忘れないで欲しい」だそうで。被害者への接し方も変わりましたね。被害者を責め立てるような真似をしては世間の聞こえが悪い、そういう意識が働いていた時期もあったようですが、我が国の重責を担う公方様にはそんな観念は通用しないようです。

 もちろんJRが被った損害の補償を求めるように、高村外相だって費やした時間や費用を恨めしく思うこともあるでしょう。誰だって聖人君子じゃありませんからね。しかし、そうした負の感情を表に出さないのが体面を重んじる大企業なり責任ある立場の人間の所作だったような気がします。聖人君子じゃないけれど、とりあえず人前では聖人君子のフリをして過ごす、こうした意識はどこに消えたのでしょうか? 相手が気に入らないからと、被害者相手に公然と恨み言を口に出す、こうした振る舞いは高村外相の人間性を疑わせるだけだと思うのですけれど。

 ところがまぁ、この手の振る舞いが非難を受けるどころか蔓延しているのが現状です。聞くところによると自民党の笹川氏は「救出に要した費用は本人の負担とすべき」との考えを示したとか。これに結構な賛意が寄せられてしまうのが現状なのです。他人を咎め立てして責任を迫る、こうした所業から後ろめたさが失われ、むしろ誇らしげに語られる、そんな有様です。よく人前で化粧をすることを云々とか言われますが、それ以前に人前で立場の弱い人を咎め立てする、こうした行為を恥ずかしく感じなくなったことの方が、モラルの低下云々を説くにはよほど説得力があるように思うのですがねぇ。

 

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18 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2008-06-24 23:11:39
テーマとして興味深いのは「被害者はいかなる状況で神さま扱いされ、いかなる状況でされないのか」ですね。ある種の被害者は絶対逆らってはいけない存在と見なされるわけでありますが、どういう被害者がそうなるのかは意外と分かりづらい気がします。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-24 23:48:47
>ノエルザブレイヴさん

 結局、周りの欲望に左右されるのでしょうか。被害者が何らかの「嫌われ者」を罰するための旗印として有用であれば担がれますし、そうでなければ無視される、むしろ被害者に責任が押しつけられるような気がします。基本的には上下意識、下から上に「反乱」を起こすような犯行の場合に被害者サイドが持ち上げられるケースが多いでしょうか。この辺も、どこかで考えてみる必要がありますね。
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Unknown (masa)
2008-06-25 08:49:52
請求したくなる気持ちも,
しないという世間を気にする気持ちも,
どちらも正しいんじゃないですか?
人間のやることなんですから。
だから,そこは責めるべき点ではないと思うんですよ。

ただ,高村外相の発言は政治家としてどうなの?有権者が無条件に賛同するとでも思っているのだとしたら,政治家の資質としてどうなんだろうとは思うけど。
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選挙 (Elekt_ra)
2008-06-25 14:26:02
まあ、どうしてもこの手の見せしめ的な記事を意識したら大臣といえども一介の政治家ですから「どう伝えたら、選挙民に喝采を受けるか」というのは、少しでも頭にはあったとは思いますね。父親同伴で外務省に向かったのは、本人の意思なのか呼び出されたのかはは分かりかねますが、いずれにしてもこの大学生親子は相当に呵責と重圧を感じていたのは関連ニュースを見る限り容易に想像つきますよね。有能な管理職なら「そんなに恐縮しないでいいよ」とか「体は大丈夫?本当に大変だったよね」とか激励に重きを置きながら、現場サイドの責任者が横でコッソリ「ああいってるけど、あの人始めみんな君のために汗をかいてくれたんだから、それだけは忘れないでくれよ」をサラッといって印象付けるものなんですが、大臣も大臣なら、フォローする官僚も官僚だな、と。
この中村さんが大学を訪問し謝罪ながら「早く復学したい」と発言したら、ヤフーみんなのコメントでずいぶんと叩かれてたのを見て悲しくも失笑。
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古き良き日本の伝統 (GX)
2008-06-25 17:30:20
 こっちのほうがモラルの崩壊だというようなことは多々ありますね。人種差別とか歴史修正だとか。ところが、今ではこれを進んでやることの方が「立派な愛国者」であり、反対する方が「反日」として罵られるようでして・・・。単純に考えてどちらが悪いことかわからないのでしょうか。

 あと、見せしめの死刑やら格差層の固定やらサービス残業で何時間も社員を縛り付けておくことやらフリーターや無職の人間を罵るということも、モラルの低下かと考えています。ただ前2つのような考え方は、「士農工商」や「残虐な刑罰」で昔からあったので「悪しき日本の伝統」といったところでしょうか。逆に後2つの方はそれほど責められていませんでした。金がなければその時だけ働いて、労働時間にあまり拘束されないというのが当たり前でした。しかし、前者の考えは今も引き継がれているのに対し、後者の考えは引き継がれていませんね。私は後者の方こそが「古き良き日本の伝統」だと思っているのですが、大半の人々は逆だと考えていらっしゃるのでしょうか。「古来日本人の悪い生活態度は引き継がれていないが、身分制度をきちんと組み、悪事を犯したものにふさわしい罰を与える良き習慣は引き継がれた。」と。ともかく、「良き日本の伝統」は引き継がれていないのに、「悪しき日本の伝統」はしっかりと引き継がれてしまっている。そのような気がします。
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Unknown (アメリカ留学)
2008-06-25 17:36:43
初めまして、僕は留学のブログを書いてる者ですが、今こうして他のジャンルのサイトをサーフィンしてみたら本当に新たな発見ばかりで驚いています。長々すみません。これからも楽しいブログをよろしくです^^;僕も自分のブログをレベルアップできるようにがんばります☆
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原因を担う国という存在 (単純な者)
2008-06-25 18:24:09
こんにちは。

読んでいて管理人さんの趣旨に同調すると同時に呆れてしまいますよ。

ホームは危険すぎると思いませんか?とくに大都会で、いつもよくこんな状態で混雑させているなぁと電鉄会社の危険意識の所在を疑っているのです。そういうように思うのは少数派なんでしょうかね。

そんな危険な過密化で収益を上げているのでしょう。どこで自殺しようがそんなの関係ねぇ!!とも言えないのですから少なくとも今までの飛び込み例を検証する責任、対策を講ずる責任はあきらかに電鉄会社にあるに決まっているように、その不出来さ加減の負担責任も電鉄会社にあると思いますよ。「儲け損なったから」というな!!「儲け損なうようなシステムや施設じゃあないような仕事をしろ」ということです。それを利用客の方が批判の矛先を電鉄会社に向けないで齟齬の下にある施設であるから飛び込む機会を発見しただけの死者や遺族に向けるなんて論理構造が理解不可能ですよね。

高村が金離れ悪いので評判が悪いという言説は別にして、海外の誘拐でも同じ論理です。多くは日本人だから日本だから日本の国がという認識で誘拐する場合が多いとすれば、日本という対象になった国が責任を担うのが自己存在の証ということになる。

そもそも国・政府・外務官僚たちの任務が国民を海外でも守るところに大きくウェートを置いている。基本的に国民は自由に海外に渡航していく権利がある。仕事をして苦労したから文句を言わせろ、仕事に金がかかったからどうにかしろなんて普段の贅沢しているのに輪をかけて彼らに云われる筋合いじゃあないのではありませんか。

もし国庫の負担が海外での国民の自由活動のもたらす豊かさと比較して重そうになったのだったら、遡及性はあるのですから、そう言う状況を判断して国会で議論して国のあり方からどうするのかを決めていけばいいというのが当たり前の話しでしょう。

最近仕事もろくに出来ないくせに自分だけは負担をエスケープして言い訳だけは確保して、下下下と降ろして来て一番最後の利用客や国民に負担をかけてくることだけを覚えてしまった会社や官僚がいる一端ということでしょうね。意外に思った以上に国や社会の劣化現象の進度は速いものですよ。

では。
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Unknown (カックエイ)
2008-06-25 19:14:48
自己責任論が流行りだしたのは
イラクのときぐらいからでしょうか。
これでなんでもかんでも自己責任という
風潮になるだろうと思いましたが
実際そうなってますね。

北朝鮮の拉致被害者の件も自己責任と
突き放すなら筋は通ってるかもしれませんが
拉致事件はなぜか別なんですよね。
また拉致被害者の家族が政府に口出しするのは
認められるわけですがイラクで誘拐された人の
家族は認められないで叩かれるんですよね。
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Unknown (ニュースコープ)
2008-06-25 21:15:44
その昔「人権とはまともな人間だけが持つものだ」と言い放ったのは、確か某ヨットスクールの校長だったかと思います。
結局、今も昔も日本人にはこう考える人があまりにも多いのでしょう。
犯罪を犯す(又はその疑いをかけられる)ような奴はまともではないから、人権はなくて当然だ。だが例え犯罪被害者であっても、我々が「まともではない」と見做した人間に対しては人権は認めない。被害に遭うのは自己責任である、と。

さて、彼らの考える「まともかそうでないか」の判断基準は果たして何処にあるのか?
――まぁ、大体想像がつくのですがね・・・。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-25 23:05:07
>masaさん

 それなので、「誰だって聖人君子じゃありませんから」と書いたのです。それでも聖人君子の建前があるかどうかを問いたいわけで、まぁ高村外相にはその資質以前に、聖人君子の建前意識もないのだろうな、と。

>Elekt_raさん

 規模は違いますが、イラク人質事件を思い起こさせる一件でもあります。今の世論なら聖人君子を装うよりも咎め立てする姿をアピールした方が支持を確保できるとの判断も働いたのでしょう。そう考える方も考える方なら、高村外相をしてそう考えさせる世論もまた……

>GXさん

 まぁ上手い具合に和洋の悪い部分を伝統として受け継いだと言いますか、少なくとも復古的な立場から伝統云々を語る輩は江戸以前の良き伝統は無視するばかりでもありますね。基準がどこにあるのか曖昧ではありますが、支配の道具、上から下を抑えつける論理として有用なものばかりが伝統として振りかざされているような気もします。

>単純な者さん

 そうですねぇ、日本人と言うことで標的にされたのであれば、それは日本政府が責任を負うべき点が大きいでしょうし、それを自己責任にすり替えようと言うところにまず欺瞞があります。なにやら得体の知れないものを「守る」ために海外派兵など繰り返しているならなおさらでしょうか。

>カックエイさん

 「利用価値」で差がつけられてしまうとも言えるでしょうか。結局のところ拉致被害者家族会の主張は今の自民党政府にとっては好都合、一方でイラクで誘拐された人々は政府の意に沿わない人ですから。してみると行為ではなく政府与党への姿勢によって裁かれるている?

>ニュースコープさん

 あ~、多そうですねぇ、そういう考え方の人。むしろそれが当然視されるようにすらなりつつあるでしょうか。結局のところ我々の社会が下しているのは諸々の刑事罰である以前に「人権剥奪」という罰なのかも知れません。極めて恣意的な基準に拠って!
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