放射能が列島を裂く〈リスク社会に生きる・プロローグ〉(朝日新聞)
放射能への不安が、列島を分断する。
東京電力福島第一原発から千キロの佐賀県武雄市役所。11月末、千件を超えるメール、電話が殺到した。
「安全な九州を守って」。被災地のがれきを受け入れるという市長の方針に向けられた抗議は、ほとんどが県外からだった。
「離れている方も声をあげて」。首都圏からネットで抗議を呼びかける人々もいた。匿名の脅迫もあり、市長は数日で方針を撤回した。被災地でボランティアを経験した市議は言う。「なんで部外者が口出しをするのか」
冒頭で例に挙げられている武雄市の件については既に取り上げました(参考)ので繰り返しませんが、これを枕に持ってくる朝日新聞の姿勢は随分と無責任だな、と思います。なぜこのような偏見に基づく排除が横行しているのか、記事には「放射能への不安が、列島を分断する」などと掲げられていますけれど、その不安を煽ったのは誰なのか、偏見が植え付けられてゆくのを指を咥えて眺めていたのは誰なのか、むしろ朝日新聞社(追記、2008年より朝日新聞出版でした。もちろん完全子会社です)から出ている週刊誌などは率先して妄想だらけの放射「能」情報を広めては、福島(及び被災地)に纏わる諸々が危険であるかのごとき誤解を広めてきたわけです。AERAの記事は全面的に誤りであったとして謝罪広告を掲載するとともにAERAを廃刊にするとか、そういう措置をとるでもなく「放射能への不安が~」などと他人事のように語り出す朝日新聞社の良識を疑います。
不安は家族をも分かつ。
原発から230キロの東京都目黒区。「夫を置いて西日本へ逃げたい」と4歳の男児の母親(28)は思う。
原発事故が生活を変えた。幼稚園に通う息子に常に二重のマスクをさせ、晴れていても雨がっぱを着せる。帰宅後はすぐにシャワーを浴びさせ、ペットボトルの水で全身を洗い流す。
「そんなことやめろ」と夫は言う。けんかはときに、3時間に及んだ。「どうせ分かってもらえない。夫にはもう何も言わない」
新興宗教にはまり込んでは、夫を置いて(娘を連れて)教団に駆け込んでしまった親戚の話も以前に書きましたが(参考)、まぁ家族にとっては迷惑きわまりない話です。率直に言って子供がかわいそうでもありますが、何かを盲信するようになった人には周りがとやかく言っても手遅れです。新興宗教であれ脱原発カルトであれ、そこにのめり込むまでに他の誰か(この場合は夫)が心の支えになってやれなかったと責めることはできますが、ともあれ巻き込まれた子供にとっては大迷惑、その子の一生に傷を負わせることにもなりかねません。状況によっては、母親の狂気から子供を守るべく周りが強制的な行動をとることもやむを得ないのではないでしょうか。報道されたような事例で専ら被害を被っているのは子供であり、状況によっては母親を子供から引き離す、母親が正常に子供の面倒を見られるようになるまで「母親を休ませる」など、児童虐待の場合と同様の対策が必要であるように思います。少なくとも、事故から9ヶ月以上経過してもなお東京で危険だと信じ込んでいるような人に対しては、もはや話し合いでどうにかなると悠長に構えるべきではないでしょう。
人々は福島を避ける。
原発から66キロの福島県須賀川市。安全な農作物の直販を売りにしてきた農業生産法人「ジェイラップ」は原発事故後、注文が半分に減った。
この秋収穫した米や野菜に含まれる放射性物質は、日本より厳しいウクライナの基準を大きく下回った。だが顧客はまだ戻らない。「福島産というだけでブレーキを踏まれる」。伊藤俊彦社長(54)は嘆く。
そしてこの辺も深刻な問題なのですが、「人々は福島を避ける」状況を作り出そうと先頭に立って旗を振ってきたのが朝日新聞社の週刊誌だったはずです。東京電力は心が広いのか責任感が強すぎるのか、それとも単に反論の機会を与えてもらえないのか他社が撒き散らした被害も黙って自社で受け止めてくれますけれど(でも結局は税金が回りますが)、AERAの発行元だって賠償の責任を負うべきではないでしょうかね。少なくとも良心の呵責ぐらい、朝日新聞社には持ってもらいたいところです。それはさておき朝日新聞本体だって十二分に今の状況を作り出すのに貢献してきたわけで、たとえば「日本より厳しいウクライナの基準~」みたいな書き方はどうでしょうか。こうした誤解を招く表現が積み重ねられたこともまた、福島が避けられる事態を招いているように思います。
つまり、国によって、あるいは原発事故から経過した時期によって、そして品目によって放射線の基準値は異なるのですけれど、そうしたバラバラの安全基準値の中には事故直後の日本の基準値よりも厳しいものもまた少なくありません。そうした(事故直後の)日本より厳しい基準値だけを選り抜いては、「日本の基準値は緩い、危険だ!」との誤った情報を広めようとする輩が相次いだわけです。言うまでもなく、日本の放射線量に関する基準値は国際的なそれと比べて特に甘いものではないのですが、どうにも間違った印象が広められてしまった、それを朝日新聞を含めたメディアも黙認しがちだったのではないでしょうか。引用記事で触れられているウクライナの基準だって一概に日本より厳しいと言えるのかどうか(少なくとも事故1年目の基準値はウクライナの方がずっと高い)、その辺を朝日新聞は何も考えていないようです。そして、あたかも日本の基準がウクライナ(及び世界標準)よりも緩いかのようなイメージを流布させ、結果的に消費者の不安を煽る、福島が避けられる状況を作り出してきたと言えます。
1954年、ビキニ水爆実験で「第五福竜丸」が被曝し、魚の放射能汚染に関心が集まった。「子どもを守りたい」と母たちは署名運動に打ち込み、原水禁運動として全国に広がった。
周囲の視線は、決して温かくはなかった。深夜まで署名の確認作業を続ける母を、父親は「バカなことをするな」と叱った。その姿が、悩み惑う今の母親たちとどこか、重なる。
今になってみると「魚の放射能汚染」とは心配するポイントが少しばかりずれているように思えますが、核実験への反対と反原発論を同列に語る記者もまた、核保有のために原発維持とか語っちゃう石破みたいな薄ら馬鹿と同レベルで、まぁ苦笑するほかありません。「悩み惑う今の母親たちとどこか、重なる」とのことですけれど、「今」の(一部の)母親がやっているのは児童虐待であって、誰かに迷惑をかけるわけでもない署名運動とは根本的に異なります。核実験への反対が盛り上がっても先軍主義者が苛立つだけで誰かが困窮するというものではないのに対し、上の方で紹介された男児の母親(28)は放っておけば子供を巻き込んで家庭を崩壊させる恐れがあるわけです。どちらも自分の信じる正義のための行動という点では重なるのかも知れませんが、周囲に被害を与えるかどうかという点では全く異なっています。まぁ、署名運動に打ち込むあまり、子供の面倒など見ないようになった、家に寄りつかないようになったというのなら「重なる」と言えますけれど。
何かにつれ今回の原発事故を過去の被曝事例と並べて論じ、あろう事か広島や長崎あるいはチェルノブイリと同等とかそれ以上であるかのごとく語る連中もいます。実際に起こった被害の規模から見れば全く比べものにならないことは言うまでもありませんが、悲劇の主人公気分でも味わいたいのでしょうか。自転車にぶつかって捻挫した人が、車にはねられて死んだ人と自分を重ね合わせているとしたら、いくらなんでもそれは自分に酔いすぎだと思うところです。今回の事故も十二分に深刻であることは間違いありませんけれど、残念ながら下には下がある、今回の事故よりも桁外れに悲惨なことも過去には起こってきたわけです。その過去と今回の事故を同列に並べている人を見ると、むしろ過去つまり広島や長崎、チェルノブイリの事例を軽く見ている、その犠牲者を冒涜しているように思われてなりません。広島や長崎、チェルノブイリはこんなものでは済まなかったのですから。今回の事故もまた等身大に評価されるべきであって、これを過大に評価することは過大な恐れを生む、世界の破滅ごっこを楽しむ前に、それが風評被害や差別にもつながっていることは意識してほしいものです。
偏見を植え付けてしまった挙句、最早他人の意見を聴き入れなくなってしまった人々を創り出してしまったため、今転換したら自分達が嘘つきと叩かれるか、御用新聞社に堕したと言われて売り上げが落ちてしまうのを全社が恐れているのではないでしょうか。
松本サリン事件の教訓を全く私達は学んでいなかったという事が、今回の一件で完全に証明された形になってしまいましたね。
いや、それとも悪い方に学んでしまい、「マスコミは信用できない、自分で見つけた(怪しいかどうかは問わず)情報こそが正しい」と思い込む人々が増えてしまったのでしょうか。
太陽、地面、ありとあらゆる物から
放射線は出て来ているので気にしだしたら
地球に住めなくなってしまいます、
日本人は本当にこういう事に弱いですね。
だからあんなに耳にタコができるほど
言っているのにいまだにおれおれ詐欺に
沢山の人が騙され続けているわけですね。。。
武田邦彦や早川由紀夫もそうですが、朝日新聞社の週刊誌も大概ですからね。その手の連中は自説の誤り(彼らが主張してきたことは「起こらなかった」わけで)を認めて訂正する、正しい情報を流すことよりも、嘘の上塗りで自己正当化に走ることを好むのでしょう。そして読者もしかり、メディア報道を鵜呑みにしない、疑ってかかるのは結構ですけれど、反動的に「自分で見つけた情報」を盲信するようになってしまうのですから、これでは自浄作用も何も期待できません。
>イチゴジャムさん
まぁ放射線以外にも電磁波だとか科学物質だとか、極論すれば危険因子となり得るものが我々の身の回りには渦巻いているんですよね。そうした微弱な因子をとんでもなく拡大解釈しては大騒ぎ、それを避けようとパニックを起こしているようでは、むしろ日常生活を破綻させてしまうのですが、まぁ踊らされる人は踊らされ続けるようです。
一方で第五福竜丸の乗組員は2~7シーベルトを短期間に被曝したのに半数近くが80歳前後まで生存し、現在も生存されているかたがおられることをもって「放射能は怖くない、むしろ有益」とぶち上げるブログもあります(大抵はネトウヨ系ですが)。
どうしてこれほど極端な意見に走るのでしょうね。
私は閾値論にもホルミシス論にも超直線論にも与する気はありませんが、不完全ながらも統計を取って危険性をそれなりに判断してきた科学者の努力を、自分のイデオロギーひとつで勝手にねじ曲げる人達には戸惑いを感じずにはいられません。
ルイセンコとかポル・ポトとか言った名前を思い出しますね。自身の政治イデオロギーに合わせて、現実(科学)の方を歪めてしまう、何とも愚かなことですが、自身の正しさを信じて疑わない人には、科学者が集めてきたデータなど意味を持たないのかも知れません。
その一例が原子力村であり、その共同体の空気を読まない共同体の一員はいじめられしいたげられイエスマンだけが選別されるわけですね。
非科学的なセンセーショナリズムに乗せられ、その不安定な対立論があること自体を否定する層が一定程度居る日本社会の情弱さや民度の脆弱性を表しているものと感じます。民主主義が勝ち取ったものではなく与えられたものだからかもしれませんね。
直接的に放射線被害を感じていない人は、自分や自分たちやその土地は潔癖でゼロ被爆、かたや彼らは汚れているという前提なのでしょう。村社会・共同体からして異質であり劣化した対象であると感じているようにすら見えます。そして自分たちがその立場に少しでも劣化したくないばかりにゼロリスクをゆずらない。もしそうなったら、次は自分たちが村八分の対象になることを恐れているようです。あまりに情弱だと感じますが、彼らには通用しません。
社会のごみはどこかで処理してほしいけど、じぶんとこじゃいやらしい。
自分のところで受け入れると、共同体から虐げられるだけの存在になるからだろう。
官僚組織をはじめとする公権力が絶対に間違いを認めないように、マスコミも自分たちの間違いを認められない構造であることこそが、日本なんでしょう。選民意識はまだ滅んでないばかりか、強化すらされているようです。自分たちこそが正しいと信じて疑わない、社会正義を担保しているのは俺たちだとおもっている鼻を折るのはどうしたものでしょう。マスコミそのものがある意味新興宗教的であり、オウム的ですらあるわけですね。
まぁ、マスコミも(質の悪い)読者がいて初めてサービス(苦笑)成り立ってますからね、難しいでしょう
発送電を分離する方向で政府内で話が進んでるようですがデメリットが全く考慮されていませんね。
トリクルダウン説と同じことを左派が主張して「いる辺り」醜いなと思います。
電力は私物ではないことを当然だと思うならなぜ期待論だけで動向が進んでいくことに対して疑問を覚えないのか、電力不足が起きたときに誰が責任をとるのかはっきりしてもらいたいですね。
原子力「村」や官僚組織に関して、それを盲目的に批判と言うより罵倒している人の物語を鵜呑みにする前に、そのような評価が正しいのかどうか検証された上で発言されているでしょうか? むしろサンドウさんの世界観もまた、マスコミ報道によって作られたものであるように思われます。
>やすさん
何度となく書いてきたことですが、マスコミも「お客様重視」と言うことで、読者や視聴者の機嫌を損ねないように、読者や視聴者の世界観を壊さないように随分と気を遣っているようですからね。そうやって発行部数や視聴率を維持してきた実績もあるのでしょう。
それはさておき発送電分離案も、何とも安易と言いますか「悪の権化」たる電力会社の従来のやり方を破壊してやれば万事解決だみたいな、そういう幼稚な勧善懲悪の世界観が背景にあるような気がします。それでうまく行くはずがないと思うのですが、そうなったらそうなったで陰謀論の世界、ナンチャラ村なり官僚なりが犯人としてあげつらわれるのでしょう。
感情だけで動いても物事は上手く運ばないのを見事に体現してしまったと思ったものです。
自然エネルギーも原発への反動から奇妙な持ち上げ方をされましたが、この辺への熱は割と早くに冷めましたね。孫正義だって、国や自治体から補助金をガッポリせしめないことには大損するだけだと気づいたのでしょうか。何ともまぁ、煽るだけ煽っておきながら、無責任なことです。