非国民通信

ノーモア・コイズミ

権力に与えられるべきは自由ではなく監視

2009-06-21 22:51:52 | 編集雑記・小ネタ

 こちらでも取り上げた、例の郵便不正事件ですが、色々と余波もあるようです。なんでも不正利用の発覚を受けて、制度利用の審査が厳格化されているとか。おかげで真っ当な障害者団体でも制度が利用できなくなっているそうです。

参考、大脇道場 NO.1213 障害者団体向け郵便割引制度は 障害者支援の立場で継続、条件緩和を。

 こうした運用は、生活保護行政では当たり前のように行われてきたことでもあります。不正の存在を口実として現場の認定基準を不法に引き上げ、受給資格のある人をも制度から閉め出そうとする、それが生活保護行政の実態です。やっていることは単なる福祉の破壊ですが、これが「不正を根絶する~」とばかりに「正義」を掲げて行われているのだとしたら、なおさらタチが悪いですよね。

 まぁ不正利用そのものは好ましくないのでしょうけれど、不正利用の阻止を口実(これを理由と呼んではいけないと思います)とした制度の「適正化」は、しばしば不正そのものとは比較にならないほど甚大な悪影響を及ぼすものです。軽い症状のために過剰な措置を施せば、当然のことながら副作用の方が大きくなるものですから。

 ……で、不正利用はさておき、それが可能になった背景は大いに問題です。なんでも政治家の名前が出されるや否や、実態の疑わしい団体に障害者団体としての認可を与えてしまったとか。報道によって用語は色々――政治案件、議員案件、行政案件――ありますが、ともあれ議員の圧力があれば簡単に制度が歪められることを、今回の事件は示しています。

 もとより日本では「三権分立」が危うい、言葉だけの一極集中化が甚だしいわけです。自民にせよ民主にせよ、日本が見本にしたがっているというイギリスでもそうですが、まずは内閣と国会、行政と立法機関の分立が疑わしいという点があります。それはもう、国会の多数派の代表者=内閣みたいなものですから、しばしば両者は一致するものなのでしょう。現行の制度をちょっとやそっと修正する程度では、内閣と国会だけで「分立」を機能させることは難しそうです。

 では三権分立の三権を構成する残りの一つである司法/裁判所はどうでしょうか? これも日本では微妙ですね。海外では政府の決定に対して裁判所が違憲判決を下すなど、分立が機能していることを示す事例が少なからずあるわけですが、日本では逆です。政治的な問題には判断を示さない、行政の決定には介入しない、憲法判断には踏み込まない等々、自ら三権分立を放棄し、行政の下部組織であることを宣言するかのごとき判決が相継いできたのですから。司法は「政治案件」には逆らいません、と。

 もし日本の最高裁が、何を思ったか政府の決定を覆すような判決を下したらどうなるのでしょうか? その時はこう言われるのかも知れませんね、「司法を国民(の支持を集めた我ら政権与党)の手に取り戻せ!」とか。ことによると裁判員制度導入にも、そういう思惑があるのかも知れません。ともあれ立法も司法も、日本では行政の軍門に下っているのが現状です。そしてもう一つ、同様に行政の軍門に下っているのが官僚機構でもあります。政治家の指示とあらば、不正の片棒を担ぐことに躊躇いのない――

 時の権力者が聖人君子であるならば、その人(及び、その人が率いる政党)の決定を妨げない環境を作った方が好ましいのかも知れません。しかし聖人君子でないのならば権力の分立が――すなわち、権力の暴走を抑える仕組みが必須となってきます。国民の絶大な支持を集めた誰かさんが構造改革などと称して国民の生活を破壊しようとした時に、それを押し止める役割を担う機関が必要なのです。思うがままに権力を揮いたい暴君は、そのブレーキ役を「抵抗勢力」と呼んで攻撃するかも知れませんが、国民から敵視されようとも怯むことはありません!

 そもそも法律は誰かを罰するためである以前に、権力に対して制限をかけるためのものでもあるはずです。権力=行政の決定を忠実に履行する機関であるべきとするのが昨今で主流の官僚観ではありますが、そうではなく行政の監視役としての役目もまた、官僚組織に求められてしかるべきなのではないでしょうか。民主党、とりわけ鳩山兄の強く主張する猟官制(民主党に従わない官僚はクビ、民主独裁? 参考)などは、こうした監視役としての機能を葬り去ろうとするものですが、どうなんでしょう、実際のところは今回の郵便不正問題でも明らかなように、官僚が政治家のブレーキ役にならないどころか、政治家に言われるがままに不正に荷担してしまう、そういう力関係なのです。むしろ民意を背景にした行政に対し、「法(憲法)」を基準とする司法と各種専門性を基準とする官僚組織が相互に牽制し合うことで三権分立を実現すること、そういう方向性が探られてもいいような気がします。

 

 ←応援よろしくお願いします


コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秘密は公開されるためにある | トップ | 安倍晋三の真似なんてよしなさい »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三権分立 (さら)
2009-06-22 06:12:32
国レベルにおける政治制度の適正化を担保するのは三権分立による相互監視ですが、ここ最近新自由主義者を中心に流行っている傾向として道州制に代表される地方分権論を抜きに語ることはできないと思っています。

そこでは国の役割を最小化し、地方の意思を通りやすくするといった外観を装っていますが、地方政治の場においては、大統領制に例えられるように国とは比較にならないほど集権的であり、為政者の意思がダイレクトに反映されるシステムとなっています。

現行では条例等を除く立法システム、取締りと裁判を行う司法システムは基本的に有していないことになっているものの、行政行為の公定力など強い作用を有していることと住民に直説作用する事柄が多いことなど影響力は国と比較しても相当大きいといえます。更に時の権力者が聖人君子でなかった場合の悪影響もそのまま住民に降りかかってくるといっても過言ではないでしょう。

地方分権化は一見民意を反映させるシステムのように感じますが、それを主張する某知事に代表されるように、管轄下の市町村や配下の公務員に対しては、国とは比較にならないくらい直接的な集権構造との親和性を呈していますし、道州制を主張するなかで、自らの権力を抑制システムについて発言しているところを見たことがありません。

民意の名の下に、違法な指示すら信念と称してごり押すことを厭わない面々が目白押しですから、マスコミによる権力監視も形骸化している現状では、地方の独裁者が登場するのも現実的な危機感をもって捉えるべきでしょう。

小さな政府論と抑制されない権力の集中構造、そこに自己責任論に基づく為政者の責任回避がセットされた結果は。個人的には御免こうむりたいところですが、某知事や某市長を熱狂的に支持する層からすれば、そういう考え自体が「改革」に反する「抵抗勢力」なのかもしれません。
返信する
うーん (あさ)
2009-06-22 06:36:15
官僚より自治労の監督の方が・・・。

闇専従、農水省・厚生労働省
自治労の一般職員のほうが悪質。税金を食い荒らす寄生虫です。政治家も腐っているけどね。民主党は支持団体の自治労を厳しく管理・監督できるの?
返信する
逆命利君 (貝枝五郎)
2009-06-22 19:32:32
>国民から敵視されようとも怯むことはありません!

『逆命利君』(佐高信・講談社文庫)という本もある様に、君主の命令に逆行しても、その逆行が最終的に君主の利益になるのであればよいわけで、現代における君主は庶民なので、民意を無視してでも最終的に庶民の利益になることをおこなうべきでしょう。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2009-06-22 23:04:53
>さらさん

 確かに道州制となると、事態はより深刻化しそうですね。組織が小さいほど、その中でのトップの権力は強くなりやすいですから。地方の自治権が強まるほど「(自分は)有権者の支持を得ている」と称した首長によるごり押しを止められる人がいなくなる、まるで独立国の「王」のように振る舞う人も出てきそうです。

>あささん

 ふ~ん、まぁせいぜい、脳内妄想に励んでいらっしゃい。

>貝枝五郎さん

 民意を無視することには一定のリスクも伴いますが、昨今では民意を後ろ盾にした横暴による「害」の方が比較にならないほど顕著ですからね。何でも子供のやりたいようにやらせてやればいいってもんでもないですから。
返信する
国権の最高機関とは言うけれど… (いるか缶)
2009-06-23 02:09:53
「選挙で選ばれた人による独裁」を求めているような空気を少し感じてしまいます。それはもはや民主主義なのか?という感じはしますが。もし首相公選制になれば、この風潮は激しく進むでしょう。
返信する
縛られるのが好き…。もしや日本国民はマz(ry (GX)
2009-06-23 16:10:38
 ええ、私は昔から内閣と国会の違いがわかりません。いえ、内閣は行政機関、国会は立法機関なのは理解しているのですが、どうも実質同じ機関にしか思えなくて…。その中では裁判所は頑張っている方だと思うのですが、こちらもまだあやしいですよね。

 あと、
>「司法を国民(の支持を集めた我ら政権与党)の手に取り戻せ!」
国民のためと言いながら、結局はそれを言った人のためになるんですよね。その結果、その人によって、自分たちが縛られる社会がつくられたように見えます。言うならば、「(自分たちも含まれているとは知らず)何でもやりたいようにできなくするために、何でもやりたいようにやってきた」というような、少々変な表現ですが、そう見えて仕方ありません。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2009-06-23 23:18:14
>いるか缶さん

 今日のエントリでも書いたのですが、議会制民主主義の原則が忘れられ、直接民主主義的な発想を有権者が持つようになっている気がしますね。そしてたった一人の首長だけが「民意」の代行者として権力を与えられているような……

>GXさん

 実際、国会と内閣の少なからぬ部分が重なっていますからこの2つの権力の分立は現行の制度では無理でしょうね。そして司法も微妙なところです。そして「○○を国民の手に取り戻せ!」とのスローガンですが、仰るように国民と言うより発言者の手に渡るのがオチですよね。その辺、「国民」にも考えて欲しいところなのですが。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

編集雑記・小ネタ」カテゴリの最新記事