<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

お前の一生はいい一生だったのか?」

2024年03月19日 12時22分05秒 | Weblog

「お前は死んだ」「お前の一生はいい一生だったのか?」

閻魔法王が問い質す。単純な問いだ。

イエスの青い札とノーの赤い札のどちらかを上げることになっている。

否定か肯定かしかない。

それ以外の答え方はない。

おれはイエスの青い札を上げる。

それで尋問は終わりだ。

次の世の扉が開く。

「次へ進め」になる。

いいことをしたか、よくないことをしたか、それは問われていない。

生きて来た自分の人生を肯定するか否定するか、生きた当事者の自分が肯定するか否定するか、それだけだ。

閻魔法王は上げた青い札を見てそこでにっこりする。「いい人生を生きられてよかった。嬉しいよ」と言って、引き寄せて、ハグをする。

ハグが熱を持っている。凄まじい熱だ。1000度はありそうだ。いっきに熔けてしまいそうになる。

此処で仏陀が登場する。1000度になったおれの体を引き寄せて、またハグをする。

おれは10000度に到達してしまう。熔けてしまう。

***

「ふふふ、ふふふ、そんなドラマがこれからお前を持ち受けているかもしれないぞ」の呟きが聞こえた。おれは飛び起きた。

おれは、こんな夢を見て飛び起きた。午前4時を少し過ぎていた。

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この繰り返しだ。

2024年03月19日 12時08分06秒 | Weblog

今日はN新聞読者文芸の発表日だった。お爺さんは落選だった。がっかりした。がっかりすると、その分は元気が失せる。

入選の確率は極めて極めて小さい。だから99・999%は最初から見込みがない。なのに残りの0/001%を期待する。

人様の入選作を読む。なるほどこんな作品にしあげなければならなかったのか、と思う。そう思っても、真似ができることでもない。お爺さんはお爺さん流儀にしかならない。

次の回の作品作りに精を出す。何時間もこれに費やす。そして今度こそいい作品に仕上がったと確信する。そしてまた落選をする。

この繰り返しだ。このお爺さんは忍耐をする。忍耐の上に忍耐を積み上げて行く。月に2度の発表がある。2度の忍耐を積み上げる。

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0.001ミリグラムの楽しみでも、それも楽しみ。

2024年03月19日 11時51分47秒 | Weblog

赤芋の里芋を数個、外の洗い場で洗っておいた。数日前に北の畑から掘り上げてきた芋だ。かなりでかい。まるまる太っている。健康だ。はち切れている。

台所に運んできた。包丁で皮剥きをする。ヘンなお爺さんである。里芋やジャガ芋などの皮剥きが好きなのである。丁寧にする。皮剥きをしておくと、我が家のコックさんが料理をしてくれる。

なんだ、おれは生きている楽しみを、こんなことにしか見出せないのか、と自問する。なんだか小さすぎる気もする。いかにも小人物に見える。しばらく考えている。そしてそれを覆す。いいんだいいんだ、と思う。

こんな小さすぎることにでも、楽しみを見出せるというのも立派な才能じゃないか。開き直る。0・001ミリグラムの楽しみでも、それでもそれは楽しみである。楽しめたら、それは楽しみである。胸を張っていいことなんじゃないか。

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ほどほど健全な楽しみ、というべきか。

2024年03月19日 11時28分03秒 | Weblog

お財布の中が軽いのに、買ってしまう。これって、衝動買いなんだよね。困ったお爺さんだ。年金が下りてくるのはまだ一月も先である。

外出したが行くところがない。(これはいつものことだ)

ぶらりとしてコメリで車を降りる。(ここなら拒否を受けないで済む)当てがあってのことじゃない。4月5月に咲く草花をゆっくり見て回る。

そこに鉢植えの牡丹を見つけた。小さな蕾をつけている。見る人の買う気を誘って、写真がぶら下がっている。いろいろな色がある。どれも美しい。我が家の庭にない色の牡丹を見つけた。買いたくなった。買ってしまった。

帰宅後、さっそくより大きな深めの、陶器の鉢に植え替えて遣った。最後にたっぷりと水を注ぐ。これでよし。咲くまでにしばらく掛かりそうだ。それまで待つ。待つという楽しみがある。

人に迷惑が及ばない種類の楽しみごとである。ほどほど健全な楽しみと言うべきか。

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あとは元気回復するだけだ。

2024年03月19日 11時14分43秒 | Weblog

畑に出て、畝を作って、メークイン馬鈴薯を植え付け終わったら、風が吹いて雨が降り出してきた。小雨だけど。でも、寒い。気温13℃で、寒い。シャツ一枚だったからだろう。慌ててジャンパーを着込んだ。他の作業もする予定だったが、中止した。お天気が回復したら、また午後にでも畑に降りよう。

痩せっぽジャガ芋さんは、ともかくこれで土の中に住まいを得た。肥料もしておいた。あとは元気回復するだけだ。安堵した彼らは、ほっと一息ついていることだろう。

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この年になってもまだおっとうおっかあの名を呼んでいたくなる。

2024年03月19日 09時04分15秒 | Weblog

おっとうもおっかあも、死んじまっていて、呼んでも答えが来ない。おっとうと呼んでも、おっかあと呼んでも。でも呼びたい。答えが返ってこなくとも、呼んでいたい。なぜだろうなあ、なぜ呼びたくなるんだろうなあ。

そりゃ、親子だからだろうね、きっと。生んでもらったんだもんね、育ててもらったんだものね、愛情をかけてもらったんだものね。死んだら、そのおっとうの愛情、おっかあの愛情は消えてしまっているだろうか。

消えてしまってなんぞいないような気もする。おれが呼んでいる以上に、おれを呼んでいてくれそうな気がする。

実証があるわけではない。だからこれはただの願望なのかもしれないが。でも、まだまだ変わらずにおっとうおっかあをしてくれているはずだ。答えは返せないけど、祈っていてくれていそうな気もする。

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よろこぶだろうなあ。

2024年03月19日 08時51分02秒 | Weblog

ジャガ芋の植え付け時期は終わっている。

昨日、コメリに立ち寄ったら、売れ残りのジャガ芋の種芋が目についた。痩せ細って皺だらけになっていたが、発芽する芽をたくさんつけていた。でも、おっそろしく元気がなかった。消えて行く運命を感じているのだろう、と判断した。

で、売り場を行きつ戻りつした。土に戻してあげたいと思った。そうすればわたしはジャガ芋の種芋の救世主である。半額の値札になっていた。買うことにした。1袋15個ほど入って178円だった。

今日はそれを土に戻して上げようと思う。よろこぶだろうなあ。土の中に隠れた種芋が、手を合わせてありがとうありがとうを呟くだろうなあ。

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太陽である、人も。

2024年03月19日 08時43分27秒 | Weblog

太陽である、人も。人を温かくすることができる。己の内に熱を孕んでいれば、熱は他者に伝わって行く。光を受けてその後にそれを放って輝いていれば、光はまわりを明るくすることが出来る。だから太陽である、人も。小さい小さい存在だけれど、太陽である。10000000000000億分の1ほどだけど、太陽としてのハタラキを持っている。

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