<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

なんというたくさんのほとけさま

2015年06月14日 18時44分54秒 | Weblog

唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相    妙法蓮華経方便品第二より

ゆいぶつよぶつ ないのうぐうじん しょぼうじっそう

ただ仏と仏とのみ 乃ち能く 諸法の実相を 究め尽くせり

ほとけさまとわたしではなく/ほとけさまとほとけさまが/きわめつくしておられるので/ほとけのせかいが/きらきらきらきらきらめいている/これでいい/わたしはくわわることがなかったが/わたしはこれをみて/これをよろこんでいる/これでいい/なんというほとけさま/なんというたくさんのほとけさま/なんといううつくしいほとけさま/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分かち合う

2015年06月14日 18時37分35秒 | Weblog

倒れていたらしい。濃い紫のグラジオラスが手折られて届けられてきた。これを賛美する。生きている者だけで賛美するのに気が引けてきて、これを仏壇に供えてもらう。かってこの世を生きた者たちにも地上の美しさを分ける。すると彼らもまた、彼らが今生きている世界の美しさを分けてくる。雲の美しさだったり星の美しさだったりする。分かち合う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日の労苦が店じまいした

2015年06月14日 18時31分53秒 | Weblog

夕暮れが来ている。風もない。おだやかだ。蝉だろうか、鳴く虫だろうか、どこからかちちちちちちちちと聞こえてくる。ああ、一日の労苦が店じまいをしたんだ。地球が無事に一回転をしたんだ。それが思われて来る。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべてが正解だったんだ

2015年06月14日 17時42分50秒 | Weblog

われわれはどこから来たか。そしてどこへ行くか。

何処からも来ていないし、何処へも行かない。ここで完結する。そういう考え方だってある。ありうる。

われわれは此処にいる。これは否めない。確定している。何処から来て何処へ行くのかについての確かな答は出せないが。

では此処で何をしているか。仏教は人生は苦であるとしている。煩悩の火、欲望の火が燃え盛る。意のままにはならない。四苦八苦する。こうであって欲しいと思うことはこうならず、こうであって欲しくないと思うことが次々に襲ってきて、これに捕まえられる。生老病死が恐怖心を煽ってくる。われわれは苦しみから逃げ惑いながら、おのれの敗北を迎える。

苦しむことには、では、どんな意味があるのか。よろこび楽しみに至るためである。では、よろこび楽しむことにはどんな意味があるか。苦しみに舞い戻るためである。この振り子に振らされ続ける。

われわれは死ぬ最期まで悶える。死を拒否してもだえる。たたかう。根が尽きる。たたかいは終わる。たたかった成果は得られていないから、この時点ではあきらかに敗北である。

根が尽きたところで堅く握りしめていたあらゆる執着も、一気に手放すことになる。われわれは生きていたときの価値判断から自由になる。そうするとあんなに嫌がっていたことが、実はそんなに嫌がることでもなかったということに気がつく。新しい価値判断に衣替えしてみたら、わがこの位置もまんざらではなさそうである。少なくとも生きていた頃の制約は受けないで済んでいる。軽く自由だ。

生きていた頃の生老病死の四苦八苦が懐かしく思い出されてくる。なあんだ、そういうことだったのか。これでよかったんだ。やってきたことすべてが正解だったんだ。これまでのすべての道筋に目的があったのだ。すべてを経巡りしながら、このゴールに辿り着いた。われわれは達観をする。実に爽やかな勝利だ。そういう一種の悟りが見えてくる。我々は此処で仏に出会う。観念の仏ではなく、理屈で製作した仏ではなく、大きな智慧の仏がまぎれもなく出現していることを知る。

此処で見るもの聞くものすべてが有り難く尊く感じられて来る。ここまでずっと見守られてきたのか、導かれてきていたのか。この正しい位置に来るように計らわれていた。そういうことが分かってくる。しみじみと分かってくる。星々がきらめいている。星々と同じ大きさになっている自分がいて、かがやいている。不思議なことが起こるものだと思うが、その摩訶不思議を体現している。これが真如界なのか。

真如界へ来た者は大きな力を感じていることができる。自分をここまで導いてきたその大きな力を感じていることができる。彼は、己は仏陀になさしめられていることを実体験する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腰痛と痛風のダブル

2015年06月14日 17時34分08秒 | Weblog

やっと起き出してみた。トイレまで。通風と腰痛とダブルで来ている。通風の痛みは軽減してきた。といっても赤く腫れたままだ。熱は引いた。腰痛はしぶとい。体を起こすと腰に体重がかかる。痛風の左脚の親指の付け根も、体重がかかると途端に痛み出す。水分をたくさん摂取することに努めている。こうすると尿酸が体外に出て行くと、医学全書に書いてあった。食事は制限している。わずかしか食べていない。とにかく一日ずっと寝て過ごした。読書にも飽いた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする