<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

迷妄が破られる日

2015年06月06日 10時48分23秒 | Weblog

迷妄が破られる日がやってきます。いつまでもいつまでも迷妄に浸ってはいられないからです。迷妄が破られる日にはわたしの肉体の身が滅して行きます。ここまで来るともう死を厭わなくて済むようになっています。いまはわたしたちは迷妄のときを過ごしています。でもこれも極めて重要なことです。迷妄は転じる台です。蓮の臺です。この堅い台がなければ反転もできません。迷妄していままで見えてこなかった真実界が、静かにはっきりと見えてくるようになった日、その日のわたしを創造するだけで胸が躍ります。

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完全な涅槃に入って肉体の身を滅して行く

2015年06月06日 10時17分33秒 | Weblog

「般涅槃(はつねはん)」ということを考えてみます。涅槃は梵語のニルバーナに相当します。ニルバーナは火が消えた静かな状態を指します。寂滅とも訳されます。人も死ぬと煩悩の火が消えて静かな安らぎに進みます。死を涅槃と呼んだりもします。特にお釈迦様の場合に「般涅槃」或いは「大般涅槃」と言います。お釈迦様の場合はそこから永遠の仏陀になって行かれます。ですから、にんげんとしての死は仮の死、かりそめの死ということになります。

当(まさ)に知るべし。是の處は則ち是(これ)道場なり。諸仏も此に於いてアノクタラサンミャクサンボダイを得べし。諸仏も此に於いて般涅槃(はつねはん)しまもうなり。        法華経「以要言之(いようごんし)」より

此処があなたの道場です。あなたを錬磨する道場です。これまで仏に成られた数多くの仏たちもまたここで無上正等正覚(最高最上の悟り)を得て来られましたし、此処に置いて完全な涅槃に入られて、肉体の身を滅せられたのです。

死がすべてを集約します。この場合の集約は涅槃への集約です。人は煩悩の火を消して詰まるところ涅槃の海に合流していきます。煩悩の火が燃え盛っている間が道場です。煩悩の火が人を錬磨します。それがあるお陰で無上正等正覚へ突き進んで行けます。そしてそれと引き替えに肉体の身を滅していきます。

肉体の身が滅していくとはそういうことだったのですが、わたしたちはそうとも知らず死を恐怖します。肉体の死と引き替えに、しかし、最高最上の悟りを与えられて、諸仏の涅槃に入るのですから、海老で鯛を釣るのに似ています。そういう此処にわたしたちは暮らしをしています。

此処はだから諸仏の此処です。お釈迦様の入滅されたまさしくその此処です。此処にいるのですから、わたしたちもまた諸仏涅槃の海に迎えられて行くのは間違いのないことです。

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たましいの高潔

2015年06月06日 10時05分04秒 | Weblog

さぶろうの詩はちっとも売れない。お金になれない。つまんない。お金になれない詩をどれだけ書いても貧乏なままだ。そこでこう言う。お金になれるような詩は詩とは呼べないのだ、と。嘘っぱち。

お金になってしかもちゃんと人目を引くいい詩が世界中いっぱいあるので、さぶろうもまたこれまでお金になった有名詩集をたくさん読んでこれたのに。

さぶろうは、詩は捧げるものだ、とも言いだした。捧げるものにはお金はとらない。そうだろう、と言う。捧げるって、えっ、誰に? 決まっているだろう。自分の高潔なたましいにさ。お金がほしいといっているたましいが、高潔だとはとても思えないのだが。

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うつくしい珠子を

2015年06月06日 09時25分45秒 | Weblog

画家のさぶろうは/うつくしい珠子を/どんどんうつくしくしていく/見ない間に/どんどんうつくしくしていく/もうほんものの珠子は/追いつけない/

珠子の引き締まった脛も/珠子のやわらかい二の腕も/白い額も/ついにキャンバスを飛び出してきて/それぞれが蝶を舞うようだ/

今朝は/珠子のからだの/それぞれから飛び立った蝶が/うつりかわりして/しかもどれもが妙に落ち着き払って/さぶろうの肩にとまる/残りの99匹の蝶が/肩に止まるのをねだる/青空が広がって夏が来ている/

画家のさぶろうは/こうやって/にんげんを/どんどんうつくしく描いていくのが仕事だ/ほんもののにんげんは/もう追いつけない/

珠子なんて/はじめっから/存在していなかったのではないか/まわりの人は疑ってかかる/アンドロイドの珠子になんて/しかし/彼は/うつくしさを見いだせるだろうか/こんなにもうつくしいうつくしさを/

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湖に映る大空の青さ

2015年06月06日 09時06分29秒 | Weblog

病気の弟のそれと比べたら兄の悲しみは浅い悲しみです。弟のそれと比べたら兄のこころの湖の青さはずいぶん希薄です。湖に映る大空の青さが違っています。

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青虫応援席

2015年06月06日 08時57分58秒 | Weblog

でっかい青虫が鳳仙花をよじ登っています。揚羽蝶になる虫です。葉っぱを食い尽くして羽化に備えています。どうしてでしょう。今朝のさぶろうは食い尽くされる鳳仙花よりも青虫に味方しています。青虫応援席に座っています。鳳仙花は真っ赤な花弁を落とし始めました。やがて実を結ぶことになります。

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大岩の高さは学びの高さだ

2015年06月06日 08時14分37秒 | Weblog

おはようございます。4才離れた弟が重篤な病気になってしまいました。検査で見付かったようです。すぐに入院して手術することになっています。それまでに手術前のさまざまな検査が続いているようです。助かる率が少ないとされている部位です。電話をしてきてそれをわたしに説明をしている弟は、長く生きたからもうし残していることはないと言っていますが、悲嘆のどん底にいるのは明らかです。弟は定年後に仏教学の勉強をしに正式に大学へ行き、そこで僧侶の資格も取っています。仏教への造詣が深いです。在家のまま親鸞の教えに随順した生活に入っています。念仏を唱える生活をしています。40才のころに大腸(S字結腸の一部)を切除しました。その後もポリープが見付かる度に入院加療をして来ました。最近はC型肝炎と糖尿の治療に専念してきました。常に、観念ではなく迫り来る生死を目の当たりにしています。その分毎日が真剣です。仏陀との対話を重ねて来ています。幾度も幾度も乗り越えて来ました。否応なく探求心が深められます。死と向き合うのが長期に亘っています。生半可な観念の仏教学ではなく我が身の病という真剣な事実でもって向き合う実地の勉強です。彼の探究心はますます真剣になっています。多くの実りを得ているはずです。頑丈になった太い意思でもって、立ちはだかる大岩を幾度も幾度も乗り越えて来ました。更に大きな高い岩が前途に立ちはだかっているようですが、彼は此処をも乗り越えていくでしょう。大岩の高さは彼の今生での学びの高さをあらわしています。彼は此処を乗り越える力があるので前途にこの大岩を据えています。兄のわたしはただただ祈るしか方法がありません。雄々しく羽ばたいて元気回復して来るのを祈っているしかありません。

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