<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

見殺しせず

2015年06月05日 18時18分38秒 | Weblog

午後からちょっと雨が止んでいましたので外に出ました。外に出るとするべきことが見付かります。それが終わるとまた次にするべきことが見付かります。

まずトマトの脇芽を摘んでまわりました。数日放っておいたら、すでに20cmくらいの茎に発達しています。これを一週間ほど水に浸けておくと茎の切り口から白い根がもやもやと生えて来ます。こうなるともう大丈夫で、土に戻してやります。これが分家となります。(ここまでは前日に書いていました)

それから支えるための長い棒(市販のもの。セルロイド製)をこれまでの短い棒と差し替えました。全部ではありません。それぞれの成長に合わせて行きます。そして紐で茎を結び付けていきます。なにせトマトの種を買ってきて種蒔きをして育てているから、本数がかなりたくさんです。これだけの株にそれぞれ豊かな実りがあったら、小家族では食べられません。無駄になります。でも、芽生えたトマトを植え替えないのは見殺しをすることになります。見殺しはできません。そういうわけでたくさんのトマト子持ちになっているのです。

それから黒豆を蒔いて回りました。これが育って育ってお盆ころには収獲になると思います。取れたての黒豆はおいしいのです。ここまでの作業で打ち止めしました。

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かぜわたるみゆ

2015年06月05日 12時05分50秒 | Weblog

朝から雨が降っています。気温が下がっています。寒いくらいです。上下とも長袖を着ています。外には出ていけません。家に籠もっているきりです。もうお昼です。

書きたいことがありません。読んでもらえるようなことが見付かりません。自分の主張というものがないのです。社会問題がいろいろ起こっていますから、そういうことに関心があれば、非難や批判や具体的な問題解決策が言えるでしょうが、それが言えるほどの広くて深い知識を持ち合わせていません。書いていると我が身の不勉強さがしみじみ知らされてくるばかりです。

くわんのんのしろきひたひに瓔珞のかげうごかしてかぜわたるみゆ    会津八一

夏の歌。だろうと思う。風が渡ってきている。観音さまは聖観音さまだろうか、宝冠を被っておられ、そこから瓔珞の金具が細く垂れている。それが風に揺れると瓔珞の小さな影が、観音さまの白い額に影差してくる。その揺れている影を、作者は見ている。よくよく近くへ寄っていなければ、額の白さも、白い額が映している細い影も見えてこない。それほどに観音さまに親しみを感じているのである。繊細で、涼感のある作品である。

 

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悲しみの感情

2015年06月05日 07時40分26秒 | Weblog

わあああん、わああああんと泣きたい。どうして今頃そんなふうなところへ追い詰められているのか、それは自分でもわからないが、口を大きく開けて声に力を込めて、わああん、わあああんと一人っきりで泣いたらよかろうと思う。

山と山の間に青い涼しい池が広がっていてそれを緑色した森が取り囲んでいる。そこへ行ってそうしていれば、池も森も、さぶろうの鳴き声に引き痙られるようにして声を絞って泣き出して来る。痙攣を起こしたようにしてぶるぶる震え出す。さぶろうは驚いてひとしきり泣き止む。

怺えて怺えているものが、誰にだってあるのだ。池にだって森にだってあるのだ。何かを引き金にしてその堤防が決壊してしまうのだ。悲しみの感情というのは湧き水のようにいつとはなしにちびりちびり湧きだして来ていて、それがいつのまにか水圧を作るまでに深くなって、瞼に押し寄せてくるのだ。

瞼は抵抗を諦める。わあああん、わああんと泣き出すと一声ごとに水圧が低くなって、最後の辺りではもうなんともなくなっていて平常心に戻ってくる。池にだって池の悲しみがあるし、森にだって森の悲しみがある。それでさぶろうが泣き出すと堰を切ったようにして同調をして来るのだ。

悲しみの感情は霧のように流れ流れて山々を漂っているのだ。里中へまで漂って来るのだ。ただしばらく泣き続ける。それで悲しみそのものがなくなったわけではなく、悲しみが発するガスのようなもの、悲しみの感情が上昇気流に乗って薄まって行く。悲しみは塩の岩のようなものだから、これは大地を去らない。

大地に生きているものは、すべての食べ物の味を作るようにして、これを舐め続け、この塩っぱさが貯えられて行く。わああん、わああああん、今朝は大空の瞼が、そこからどっと雨を垂らして泣きにやって来た。大空だってこうなのだ。指に濡らしてこれをて舐めると塩っぱい。

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