■Reincken ラインケンの Hortus Musicus(音楽の花園)は、Bachの源流の一つ■
~ラインケンを編曲したBachは、そこでも縦横に禁則を破り傑作を創る~
2016.12.11 中村洋子
★冬至が近づき、寒い寒い毎日です。
朝はベッドから離れるのもつらいのですが、
≪ベートーヴェン「音楽ノート」岩波文庫≫にあります、
ベートーヴェンの言葉を思い起こします。
★『毎日5時半から朝食まで勉強すること』 P38
『ヘンデル、バッハ、グルック、モーツァルト、ハイドンの肖像画が
私の部屋にある。-それらは、私が求める忍耐力を得るのに助けと
なるだろう』 P37
★ベートーヴェンは、過去のマエストロが日々積み重ねていた努力を、
我がものとするため、肖像画に励まされていたのですね。
★私も、仕事部屋に「Wilhelm Backhausバックハウス(1884-1969)
Wilhelm Kempff ケンプ(1895-1991)、
Artur Schnabel シュナーベル(1882-1951)」の肖像写真が掲載された
来年のカレンダーを飾りました。
★今朝は、NHKラジオ第1放送「音楽の泉」で、
Beethoven のピアノソナタ「告別」と「熱情」を放送していました。
★「告別」Es-Dur Op.81a は、 Wilhelm Kempff ケンプ、
「熱情」f-Moll Op.57 は、Emil Gilels、エミール・ギレリス(1916-1985)
の演奏でした。
★久しぶりに Kempffの演奏を聴きました。
このソナタが完璧に分析され、そのうえに、各々のmotif モティーフが
全く異なる色彩で歌われ、「何とカラフルな演奏か」と、驚きました。
Kempff という指揮者により、motifが百花繚乱、立体的に配置されます。
★Gilelsギレリスの演奏は、 Kempff とは違うアプローチでした。
確かに驚くばかりの技巧ですが、もしそれに対して「ブラボー」を叫びましても、
イタリアオペラのAriaへの大声の「ブラボー」にも似ているような思いです。
★それは、Beethovenの作曲の方法に対し、それを演奏によって解釈し、
再構築する、という演奏行為とは少し異なるようです。
あまり、楽しめませんでした。
★しかしながら逆に、対照的な二人のピアニストのBeethovenを
聴き比べることにより、より鮮明に、Beethovenのソナタの本質を理解する
手掛かりにもなりそうです。
★Beethovenが過去の大作曲家を尊敬し、創作の源泉としていたように、
Bachも当然のことですが、先輩の大作曲家から深く学んでいました。
★その一人が Johann Adam Reincken ラインケン(1643-1722)です。
ラインケンはハンブルグの聖カタリーナ教会を拠点にして活躍した、
作曲家であり、オルガンやチェンバロなど鍵盤音楽の大家でした。
Dieterich (Dietrich) Buxtehude ディートリヒ・ブクステフーデ
(1637頃-1707)
とともに、北ドイツでのオルガン音楽の隆盛を支えた人でした。
聖カタリーナ教会には、当時最も有名な素晴らしいオルガンが
据えられていました。
★15歳だったBachは、ラインケンのオルガンを聴くため、
当時住んでいましたリューネブルクから、ハンブルグまで
何度も、歩いて行ったほどです。
約50キロの道のりをものともせず、歩いて聴きに行く少年Bachの熱意。
それだけ、ラインケンの音楽と演奏が、天才少年Bachを魅したのでしょう。
帰る途中、お金が無くなり空腹でフラフラとなって歩いているBach少年に、
貴族が金貨を恵んだという逸話もあるそうです。
★Bachは後年1722年(平均律第1巻が完成した年)にも、
ハンブルグに赴き、Reincken ラインケンや名士の前で、
オルガン演奏を披露しています。
コラール「An Wasserflüssen Babylon バビロンの流れのほとりで」を基に、
要望に応え、30分以上も即興演奏を続けたそうです。
自身が即興演奏の名人であったラインケンは、
「この技はもう死んでしまったものと思っていたが、あなたの中に
それがまだ生きていることが分かります」と、絶賛したそうです。
嫉妬するタイプの人であったラインケンが賛辞を評したことは、
予想外のことと周囲は受け止めました。
さぞ感動的な演奏だったのでしょう。
★Bachは、Reincken ラインケンのトリオソナタ集
https://www.academia-music.com/academia/s.php?mode=list&author=Reincken%2CJ.A.&gname=%BC%BC%C6%E2%B3%DA
<Hortus Musicus 音楽の花園 1687年>を、
独奏チェンバロ作品に編曲しています。
楽譜は<Klavierbeabeitungen fremder WerkeⅢ
バッハ以外の作曲家の作品に基づく鍵盤編曲作品第3巻
ベーレンライター BA5223>
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501275041
★Sonata a-Moll BWV965 は、Hortus MusicusⅠをほぼ全曲編曲
Sonata C-Dur BWV966 は、Hortus MusicusⅢの
Prelude、 Fuga、Adagio、Allemandeを編曲
Fuga B-Dur BWV954 は、Hortus MusicusⅡのAllegroを編曲
★Reincken ラインケンは、17世紀ドイツの最高の作曲家の一人です。
このヴァイオリンⅠ、Ⅱ+ヴィオラ・ダ・ガンバ+通奏低音のソナタも、
とても美しい曲で、Bachの先駆的作曲家としての位置付けだけで
とらえるのは、誤りです。
★Beethovenが室内に Händel、Bachの肖像画を
掲げていましたのと同様に、
Bachの心の中に、Reincken ラインケンの肖像が大きく
掲げられていたのは、間違いありません。
★そして、Reincken ラインケンの<Hortus Musicus 音楽の花園>と、
Bachの編曲作品は、各々独立したマスターピースとして、
扱われるべきでしょう。
★Reincken ラインケンへの入門として、格好のCDは、
<バッハ以前のドイツ室内楽集 ムジカ・アンティクヮ・ケルン>
(PROC 1103/5)です。
このCDには、ムジカ・アンティクヮ・ケルンの演奏による、
ラインケンの<Hortus Musicus Ⅰ 音楽の花園>Sonata a-Moll
ソナタ イ短調と、それをBachが編曲した Sonata a-Moll BWV965 が、
並べて収録され、原曲と編曲作品とを聴き比べることができます。
★<Hortus Musicus Ⅰ 音楽の花園>Sonata a-Moll の、
冒頭1小節目は、ヴァイオリンⅠ、Ⅱとヴィオラ・ダ・ガンバ及び通奏低音で
このように開始されます。
★このAdagioは、ノーブルにして緻密な構成、
憂愁に閉ざされた花園のような、とても美しい曲です。
Bachは、これを独奏鍵盤楽器(おそらくチェンバロ)のために、
このように編曲しました。
第1楽章です。
★Reincken ラインケンの19小節のシンプルなAdagioを、
Bachは技巧を凝らし、華やかに華やかに、装飾しています。
ラインケンの第1小節目は、a-Moll の主和音(トニック)だけです。
Bachの第1小節目は、ソプラノ声部を
「このようにも装飾できるんですよ!」といえるような好い例です。
★先月の KAWAI 金沢でのアナリーゼ講座
「Italienisches Konzert イタリア協奏曲第2楽章」で、
お話いたしましたことと、深く関連付けられます。
Bachは、イタリア協奏曲の第2楽章で、装飾音で表記できる音もすべて、
細かく音符で書き込んでいます。
この Sonata a-Moll BWV965 も同じように、Bachは書き込んでいます。
★これは、当時の慣習に則った凡庸な装飾で演奏されますと、
作品がダメージを受けますので、それを避けるとともに、
装飾によって生まれる旋律を、新しく motif モティーフとしてとらえ、
曲全体の構造を作っていく役割を持っています。
★12月16日の KAWAI 金沢「Italienisches Konzert イタリア協奏曲
アナリーゼ講座、第5回最終会」では、
第2楽章の装飾された旋律を、新たな motif モティーフとして、
どんな輝かしい「第3楽章」が生まれ出たかを、詳しくお話いたします。
★もう少し、Bachの編曲について書きますと、
第2曲目の「Fuga」 冒頭16小節目くらいまでは、それなりに、
“おとなしく”Reincken ラインケンの Fugaに則って編曲されています。
★17、18小節目で、Bach独自のアイデア「バス声部のh音の保続音」が、
出現した後は、もうBachの筆が止まりません。
Bachの“スポーツカーのような Fuga”が、疾走します。
Chopinが、誤りの多いチェルニー校訂「平均律クラヴィーア曲集」の楽譜に、
自ら訂正を書き加えているうち、思わず、 Chopin独自の音楽を創り、
書き込んでしまったのと同じです。
★「16小節目までは、おとなしくラインケンを編曲した」と、書きましたが、
そうではありませんでした。
もう8小節目では、決してReincken ラインケンが書かないような
「gis¹とg²の対斜(false relation 又はcross relation)」を、
わざわざ、作っています。
★「対斜 false relation」は、「counterpoint 対位法」 の教科書では、
禁則、掟破りなのです。
Bachの面目躍如です。
37小節目の「対斜 false relation」も、とても素敵です。
★編曲の元の素材が素晴らしいと、
“どうにも止まらない・・・”ように、縦横に、
Bachの技法、能力が爆発していきます。
★皆さまも是非、楽譜を手に、この両者の深い音楽を
味わってください。
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