徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

高浜虚子と祇園の舞妓

2024-03-20 23:04:55 | 文芸
 高浜虚子の「漱石氏と私」には、明治40年の春、京都で夏目漱石と一緒に過ごした祇園の夜などが書かれている。この時、漱石は、第三高等学校の校長を務めていた狩野亨吉宅に逗留し、職業作家として初の作品「虞美人草」を執筆中だった。ちょうどこの頃、漱石を第五高等学校に招いた菅虎雄も狩野宅に逗留していた。狩野は漱石が五高へ招いた人でもあり、五高ゆかりの人物が揃っていたわけだ。虚子は漱石を誘って、都踊りを見に行ったり、祇園の茶屋「一力」で舞妓たちと雑魚寝の一夜を過したりしている。ここに登場する二人の舞妓、十三歳の千賀菊と玉喜久は虚子の「風流懺法(ふうりゅうせんぽう)」にも登場する。千賀菊はなぜか、三千歳という名で登場する。「風流懺法」には舞妓たちが「京の四季」や「相生獅子」などを踊る様子が描かれている。
 この三千歳という舞妓は数年後、一念という比叡山の小法師と出逢い、恋に落ちるのだが、ある客に身請けされてしまう。あきらめきれない一念は三千歳と落ち合い心中行を決行する。しかし、死に場所を求めて入った山中で出逢った炭焼き男の小屋に招かれ、男と一緒に暮らす女の暖かいもてなしに心中を断念するという後日譚がつく。