徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

漱石の熊本観

2024-03-07 21:20:20 | 文芸


 散歩で新坂を下りながら遠く阿蘇山を望んでいると必ず思い出すのが、明治29年4月、第五高等学校に赴任するためここを人力車で通りかかった夏目漱石のこと。熊本市街を見おろしながら「森の都」と言ったと伝えられるが真相はさだかではない。もし漱石先生が、ビルが林立した今日の風景を眺めたらいったい何と表現されるだろうか。

 漱石は明治33年(1900)7月、英国留学のため4年3ヶ月を過ごした熊本を去るが、その8年後の明治41年(1908)2月、九州日日新聞(現在の熊本日日新聞)のインタビューに答えて熊本の印象を次のように語っている。
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 初めて熊本に行った時の所感、それならお話いたしましょう。私は7、8年前松山の中学から熊本の五高に転任する際に汽車で上熊本の停車場に着いて下りて見ると、まず第一に驚いたのは停車場前の道幅の広いことでした。そうしてあの広い坂を腕車(人力車)で登り尽くして京町を突き抜けて坪井に下りようという新坂にさしかかると、豁然として眼下に展開する一面の市街を見下ろしてまた驚いた。そしていい所に来たと思った。あれから眺めると、家ばかりな市街の尽くるあたりから、眼を射る白川の一筋が、限りなき春の色を漲らした田圃を不規則に貫いて、遥か向うの蒼暗き中に封じ込まれている。それに薄紫色の山が遠く見えて、その山々を阿蘇の煙が遠慮なく這い回っているという絶景、実に美観だと思った。それから阿蘇街道(豊後街道)の黒髪村の友人の宅に着いて、そこでしばらく厄介になって熊本を見物した。
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漱石来熊120年記念「お帰りなさい漱石祭」(2016.4.13)漱石が新坂から熊本市街を眺める場面を再現