本日は、法楽寺のしまい不動で、大根炊きを3皿頂いて、そのあと、股が池明神、AOKIにスヌーピーの粗品をもらいに・・を予定していました。
法楽寺から股が池明神へ。
法楽寺に行った時には、近くの股が池公園にあるひょうたん良先生のお友達の神様を祭る股が池明神様にお参りすることにしています。
橋を渡ったとき、鴨が・・・
そして、境内へ。
でかい方の祠へ。
隙間から中をのぞくと。
ごあいさつ。
もう一つの祠をのぞくと。
暗くてなかが見えませんが、スマホで撮影すると、フラッシュがたかれ、写メにはきれいに映ります。
ごあいさつ。
境内には、活動パネルが・・・。
股が池大明神は、宮司さんがいるわけではなく、地元町内会が管理しています。
最初にできた住吉区は、天王寺村・田辺村・北百済村・南百済村・平野郷町・喜連村・依羅村・長居村・住吉村・墨江村・安立町・敷津村の12町村からなる広大な区域・・
もともとあったのが、住吉区で、そこから阿倍野区と東住吉区が分区、後世にさらに住吉区から住之江区と東住吉区から平野区が分区したのがわかりました。
田辺村(大阪市編入時には田辺町)・北百済村・南百済村は、現在の東住吉区。平野郷町・喜連村は、現在の平野区。依羅(よさみ)村・長居村・住吉村・墨江村は現在の住吉区。安立町・敷津村は現在の住之江区。現在の阿倍野区に相当するのが、天王寺村。なんで安立が町なんかと思って調べると、住吉大社の門前町として発達していて多くの人が住んでいたからとわかりました。
住吉という名前は、住吉大社から来ていますが、住吉大社の住吉は、そもそも「住むのに吉」から来ています。
この旧住吉区エリアの特徴は、人口の集中地区にも関わらず、空襲をほとんど受けていないという事です。
旧住吉区エリアは、当時の人口から言うと、京都をしのぐ人口があったと思われますが、空襲を免れています。まさしく、「住むに吉」地域であったと思われます。
そして、AOKIへ。目前にして、粗品がもらえるダイレクトメールは持ってきていましたが、誕生月のはがきダイレクトメールを持ってきていませんでした。
そのハガキ提示で10%引き。それで、バカらしいので、AOKI行きはやめました。
そして、再び、法楽寺へ。
鷺の仲間がいた池に、鴨の大群が押し寄せているのが心配だ。