戸籍を見る仕事を少ししていたので、古い戸籍を見るのが好きです。
昔の戸籍は手書きで、書く人のくせがモロに出ていたり変体かなの名前が出てきたり、読み解くのが楽しい。
古いものはマイクロフィルムなどで保管して、現物は処分されたりするんだろうか。
そうこう考えているうちに、父の戸籍をたどってみようと思い立ったのです。
横浜市内の実家のそばの区役所で、父の出生から死亡までと家系図作成を理由にたどってもらいました。
同じ横浜市内であれば、他の区の本籍も調べられるとのことで、20分ほどでその場ですべて分かりました。
私の祖父の祖父まで名前が分かりました。200年以上も前の祖先を思うと不思議ですね。特に商売をしていたわけでもなく、お百姓だったと思います。
一番古い戸籍に「弘化元年」という文字が読み取れて、役所の方が「こんな古い年号が出てきたのは初めてです」と言っていました。
弘化元年は1844年です。でもこれは家督相続された年で、祖父の父の生年月日はそれより前の文政2年(1819年)でした。これがこの戸籍の中で一番古い年号です。
あれ?なんだか年齢が合わないな~~( ;∀;)70歳過ぎの子供が祖父ということになるなぁ。。。達筆すぎて年号が読めない。。。もう少し調べる必要があるようです。
そして相続の2年後、弘化3年に妖怪アマビエが出現しています。
アマビエ:1846年(弘化3年)4月中旬に、肥後国(現在の熊本県)の海岸に出現した三本足の化け物。猿のような声で6年間の諸国の豊作と流行病による死者続出を予言し、続いて自分の姿を描き写す者には害はない、と告げて海中に戻ったといいます。この流行時に三本足のアマビエの姿の摺り物(イラスト)が市街地を中心に、たくさん販売されたといいます。今もいろいろなアマビエの商品がありますが、コロナにも効果があるといいですね。
その後、嘉永6年(1853年)にペリーが来て、安政2年(1855年)年に江戸にM6.9の直下型地震が起き一万人以上が死亡、安政6年(1859年)安政の大獄に続きます。
幕末、維新とかなり身近に感じてきました。と同時に戸籍について調べてみました。
戸籍の制度は、古くは大化の改新の頃からあったようですが、平安時代には戸籍の作成は行われませんでした。税金逃れの不正が行われたからそうです。
安土桃山時代、豊臣秀吉によって行われた「太閤検地(たいこうけんち)」で年貢を取り立てるため国勢調査のようなものが行われました。
江戸時代になると、お寺が作成した過去帳が戸籍の役割でした。分限帳という武士の役職が載った名簿もありました。
文政8年(1825年)に長州藩(今の山口県)で戸籍法が施行されます。祖父の父が生まれた頃です。この法律こそが近代戸籍法の原点とされていて、現代につながる戸籍制度の始まりといえます。
明治5年に国としての本格的な戸籍制度が開始され、「壬申戸籍」と呼ばれる全国単位の戸籍が作られ、現行戸籍の基礎になりました。
私の祖先は、おそらく農民で他の地に移ることもなく、お寺の台帳を戸籍に写したので、古い記録が残っているのではないでしょうか。お墓参りに行くと、私の旧姓のお墓ばかりです。そこに親戚もみんなが住んでいたのでしょう。
この後は、母方の戸籍と祖母の戸籍をたどり、夫の家系もたどるつもりです。
地方の役所から取り寄せるには、戸籍を取る理由などを書いて、郵便為替を多めに送れば返送してくれるそうです。
ちなみに今回は、7通の戸籍をとり5000円近くかかりました。一か所ですべて済んだので大満足です。