(長文) 私が後期高齢者(75歳)になり、今年3月30日から毎月一回のペースで遠地ウオーキングを始めたのは、生まれて18年間を四国で、学生時代に4年間を関西で、仕事に着いてから54年間を関東で過ごし、関東ではコンピュータ開発を60歳まで一つの道だけを、社会ボランティアを75歳まで一つの道だけを、余暇は一人で決まった山岳渓流での釣りとかみさんと二人で決まった自然の花・温泉三昧だけを、・・・といった偏った社会生活でした。関東の生活圏を外れた浅草・鎌倉・日光・・・草津に行ったことがありません。通過したことはあります。これではいけないと、地域の後期高齢者どうしとの交流・一人だけのゆったり外出を増やそうと、できることから手をつけています。
12月14日、厚木の鳶尾山(とびおさん)ハイキングコースの展望台に行ってきました。天気は一昨日昨日としとしと雨が降りましたが気温も上がり晴れでした。座間~厚木は、丹沢の大きな相模川と中津川の合流する広い扇状地下流域で、相模湾近くの基地の街です。国道246・129号線、東名高速・首都圏央道連絡高速(圏央厚木IC&PISIC)が伸びる交通の要所です。私は伊豆箱根・表丹沢に行く時には車・電車で通過は良くしていたのですが、立寄って歩いたことは全くありませんでした。川崎の多摩丘陵南端の町の家の近くの勝坂(標高111.1~100.7m)から南西に丹沢山系全体が良く見えるのですが、丹沢の低山丘陵地からこっちはどのように見えているのか気になっていました。インターネットで調べると、展望台(標高213m+展望台階段74段)から直線で、ランドマークとなる新宿高層ビル群まで北東に38Km、その一線上途中の勝坂まで20Kmです。
座間駅起点終点往復ウオーキングは、計画18.4Km7時間(+1時間の余裕を含め)をゆったりとり、往路は町の家を早朝6時5分に出発して、座間駅に6時54分に着き歩き始めて、座間駅に13時52分に座間駅に戻ってきて歩き終わり、朝と逆順で14時40分に家に戻ってきました。1時間の余裕を含めていたのですが、計画した往復で通る中津川の相模原愛川からの山道は使用されていない様子で、尾根筋に出て、ハイキングコースに合流するまで斜面を藪漕ぎで歩く状態でした。帰りは厚木鷲尾団地側に迂回して整備された道を速足で歩き、結果19.7Km約7時間のウオーキングをしました。
遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
地図 予定路赤点線(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
今回は小田原線座間駅(標高50.7m) を起点終点として歩きました。
座間駅西口(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
座間駅西口前の細路を北上し、地図を参照すればわかりやすいですが突き当りを右折し、県道51号線との交差点をを横断し、県道46号線との交差点を左折し、県道42号線との三差路を右側の歩道路に右折し、直進します。直ぐにJR相模線を陸橋で越えます。前に整然とした水田が広がります。奥に丹沢が良く見え、左端が大山です。
整然とした水田(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
県道42号線を進むと相模川を渡る座架依橋 (ざかえばし:499.6m)があり、前後に堤防の高さ以上に道を高くしており見た目はかなり大きくて長い橋です。橋を渡ると首都圏央道連絡高速の高架橋をくぐります。下流側に圏央厚木IC(インターチェンジ)、上流側に圏央厚木PISIC(スマートインターチェンジ)があり、車の交通量が多いです。
座架依橋上より相模川上流を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
県道42号線を更に進み県道129号線との交差点を渡り右側に右奥に進む細い路が分かれており、細い路を道なりに進みます。正面に丹沢の最東端部が大きく望めます。左の高山が大山です。右の低山がこれから向かう鳶尾山です。更に道なりに進むと坂道を下り、中津川の堤防上の道に出ます。
中津川前から丹沢を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
堤防上の道を右折(上流に向かう)し河川敷を左側に見ながらしばらく進むと、右側にあつぎ郷土博物館があります。しばらく進むと中津川の才戸橋(標高46.6m)があり右に折れて渡ります。上流に取水堰堤があり、堰堤下の石の上からあおさぎが小魚を狙っています。ここまでくればもう一息です。しばらくあおさぎを観察していましたが、全く動きませんでした。
才戸橋上より中津川上流を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
橋を渡れば、路をそのまま進み最初の交差点を右折し、直ぐに二股路になる左側の上り路を進みます。結構急な坂道ですが、正面に目的の展望台が見えました。鳶尾は神奈川 厚木の内陸工業団地と住宅が大規模開発整備されたとの情報どうり辺りは新しい街で、整然として住みやすそうです。リコー工場・神奈川工科大・・・大きな建物が目立ちます。
展望台を視認(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
しかし、住宅地(私有地)で登山口らしい道は見当たりません。山裾を左回りに登り口を探し、こじんまりとした寺の左側に山に入れそうな登り口(標高98.7m)を見つけました。登れる根拠は無かったのですが、ここから尾根に登ろうと決めました。
寺の左側のこの登り口?に決めた(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
道は坂になると直ぐに不鮮明な踏み跡になりました。とにかくまっすぐ上にがむしゃらに上りました。晩秋ですから草花は枯れており、笹を藪漕ぎは楽です。しかし茨が混生しており手に刺さったり着衣にひっかります。枯葉が積もって湿っていて滑ります。ヤマビルも見かけませんでした。尾根(標高159.9m)にたどり着いて右に曲がり、やっとハイキングコースにたどり着きました。右に曲がると直ぐに日清戦没記念碑に着きました。
道無き藪漕ぎ(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
なんとかハイキングコースに出れ、整備され踏み跡が確かなので、歩くのが楽になりました。ただ、稜線の路の左側に電気柵が設けられていて、危険との注意書きがあります。道もなんとなく右下がりになっており、稜線山側の右側を歩きました。道の左側を覗くと急な斜面で鳶尾住宅地・公共施設・・・公園が広がっています。
ハイキングコース(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
稜線の左側後ろを振り返ると、南の奥の左に出発した座間駅辺りが、右に厚木の中心地辺りが、その手前に相模川の堤防、その手前にリコー工場、その手前に登ってきた稜線が良く見えます。
ハイキングコースより南展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
もうひと踏ん張りと先に進むと、ちょっと前に路が二股になっていたのですが、右側の路が展望台廻り鳶尾山、左側の路が鳶尾山直行となっていて、私は左側を進んで二股が一つになったことに気が付き、右側の路を引き返しました。大した距離では無く直ぐに展望台の前に戻れました。
目的の鳶尾山展望台(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
急なラセン階段を上ると360度の展望です。登っているのは私一人だけです。天気は晴れで見通しがきいており、先ず展望台(標高213m+展望台階段74段)の上から直線で北東に38Kmのランドマークとする新宿高層ビル群(北東38Km先)を探し当てました。その一線上途中に勝坂(20Km先)があるはずです。川崎の多摩丘陵南端の町の家の近くの勝坂(標高111.1~100.7m)はうっすらと緑の細い帯に見えるような見えないような状態ですが、とにかく今回の目的達成です。昔の戦国時代には東軍が南多摩勝坂から西の方を見張り、西軍が高崎鳶尾山から東の方を見張っていた実感があります。
参考:南多摩勝坂より南西の展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
高崎鳶尾山展望台より北東の展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
高崎鳶尾山展望台より北東の拡大展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
満足して、後はゆっくりと展望台から全方位の景色を見ました。大満足です。
展望台より北西すぐ前の鳶尾山展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
展望台より西の丹沢展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
展望台より南西の伊豆湘南展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
展望台より南の三浦横浜展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
展望台より北の相模原多摩展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
目的は達成したし、展望台から鳶尾山の全貌と山頂を見たし、往復ウオーキングは計画18.4Km7時間(+1時間の余裕を含め)としていたのですが今回も予想外の時間がかかり過ぎて、復路は尾根道を通らずに、鳶尾団地に降りて整備された路をリコー工場ビルを目標に歩いて工場前に出て、左に曲がれば中津川の才戸橋に着き、後は往路の逆順を辿り町の家に戻りました。ウオーキング歩数距離は33,679歩19.71Kmの楽しい一日でした。今日、ハイキングコースで挨拶した人は二人だけでした。
下山路(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
鳶尾山の名前の由来を知りたかったのですが、現地では由来の碑などを見つけられませんでした。インターネット情報でも見つけられませんでした。鳶尾という名前は国内に結構あるようで、もやもやとしてしています。古地図(1906年/明治39年)にはふりがながついていませんが山尾鳶(右から読み)は記載があり、その近辺に鳶尾の地名は見つけられませんでした。鳶尾のいろいろな読み方として いちはつ75.0%・とんび12.5%・エンビ12.5%がありました。この内の いちはつ は花の名で、中国〜ミャンマー原産であやめ科の耐寒耐暑性多年草で、江戸時代に中国より渡来したあやめの仲間です。菖蒲田に植えられ5月頃に最盛期を迎えます。いちはやく咲くことが名前の由来(いちはつ)で、花は青紫色に濃紫色の脈や斑点がはいっています。白花もあります。昔は屋根に植えて大風を防いでいました。用途は庭植え・鉢植えの・根を乾燥させて漢方薬・生け花材とされており、名前の由来との解釈もあるようです。
鳶尾山の名前の由来?(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
12月14日、厚木の鳶尾山(とびおさん)ハイキングコースの展望台に行ってきました。天気は一昨日昨日としとしと雨が降りましたが気温も上がり晴れでした。座間~厚木は、丹沢の大きな相模川と中津川の合流する広い扇状地下流域で、相模湾近くの基地の街です。国道246・129号線、東名高速・首都圏央道連絡高速(圏央厚木IC&PISIC)が伸びる交通の要所です。私は伊豆箱根・表丹沢に行く時には車・電車で通過は良くしていたのですが、立寄って歩いたことは全くありませんでした。川崎の多摩丘陵南端の町の家の近くの勝坂(標高111.1~100.7m)から南西に丹沢山系全体が良く見えるのですが、丹沢の低山丘陵地からこっちはどのように見えているのか気になっていました。インターネットで調べると、展望台(標高213m+展望台階段74段)から直線で、ランドマークとなる新宿高層ビル群まで北東に38Km、その一線上途中の勝坂まで20Kmです。
座間駅起点終点往復ウオーキングは、計画18.4Km7時間(+1時間の余裕を含め)をゆったりとり、往路は町の家を早朝6時5分に出発して、座間駅に6時54分に着き歩き始めて、座間駅に13時52分に座間駅に戻ってきて歩き終わり、朝と逆順で14時40分に家に戻ってきました。1時間の余裕を含めていたのですが、計画した往復で通る中津川の相模原愛川からの山道は使用されていない様子で、尾根筋に出て、ハイキングコースに合流するまで斜面を藪漕ぎで歩く状態でした。帰りは厚木鷲尾団地側に迂回して整備された道を速足で歩き、結果19.7Km約7時間のウオーキングをしました。
遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
地図 予定路赤点線(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
今回は小田原線座間駅(標高50.7m) を起点終点として歩きました。
座間駅西口(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
座間駅西口前の細路を北上し、地図を参照すればわかりやすいですが突き当りを右折し、県道51号線との交差点をを横断し、県道46号線との交差点を左折し、県道42号線との三差路を右側の歩道路に右折し、直進します。直ぐにJR相模線を陸橋で越えます。前に整然とした水田が広がります。奥に丹沢が良く見え、左端が大山です。
整然とした水田(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
県道42号線を進むと相模川を渡る座架依橋 (ざかえばし:499.6m)があり、前後に堤防の高さ以上に道を高くしており見た目はかなり大きくて長い橋です。橋を渡ると首都圏央道連絡高速の高架橋をくぐります。下流側に圏央厚木IC(インターチェンジ)、上流側に圏央厚木PISIC(スマートインターチェンジ)があり、車の交通量が多いです。
座架依橋上より相模川上流を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
県道42号線を更に進み県道129号線との交差点を渡り右側に右奥に進む細い路が分かれており、細い路を道なりに進みます。正面に丹沢の最東端部が大きく望めます。左の高山が大山です。右の低山がこれから向かう鳶尾山です。更に道なりに進むと坂道を下り、中津川の堤防上の道に出ます。
中津川前から丹沢を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
堤防上の道を右折(上流に向かう)し河川敷を左側に見ながらしばらく進むと、右側にあつぎ郷土博物館があります。しばらく進むと中津川の才戸橋(標高46.6m)があり右に折れて渡ります。上流に取水堰堤があり、堰堤下の石の上からあおさぎが小魚を狙っています。ここまでくればもう一息です。しばらくあおさぎを観察していましたが、全く動きませんでした。
才戸橋上より中津川上流を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
橋を渡れば、路をそのまま進み最初の交差点を右折し、直ぐに二股路になる左側の上り路を進みます。結構急な坂道ですが、正面に目的の展望台が見えました。鳶尾は神奈川 厚木の内陸工業団地と住宅が大規模開発整備されたとの情報どうり辺りは新しい街で、整然として住みやすそうです。リコー工場・神奈川工科大・・・大きな建物が目立ちます。
展望台を視認(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
しかし、住宅地(私有地)で登山口らしい道は見当たりません。山裾を左回りに登り口を探し、こじんまりとした寺の左側に山に入れそうな登り口(標高98.7m)を見つけました。登れる根拠は無かったのですが、ここから尾根に登ろうと決めました。
寺の左側のこの登り口?に決めた(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
道は坂になると直ぐに不鮮明な踏み跡になりました。とにかくまっすぐ上にがむしゃらに上りました。晩秋ですから草花は枯れており、笹を藪漕ぎは楽です。しかし茨が混生しており手に刺さったり着衣にひっかります。枯葉が積もって湿っていて滑ります。ヤマビルも見かけませんでした。尾根(標高159.9m)にたどり着いて右に曲がり、やっとハイキングコースにたどり着きました。右に曲がると直ぐに日清戦没記念碑に着きました。
道無き藪漕ぎ(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
なんとかハイキングコースに出れ、整備され踏み跡が確かなので、歩くのが楽になりました。ただ、稜線の路の左側に電気柵が設けられていて、危険との注意書きがあります。道もなんとなく右下がりになっており、稜線山側の右側を歩きました。道の左側を覗くと急な斜面で鳶尾住宅地・公共施設・・・公園が広がっています。
ハイキングコース(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
稜線の左側後ろを振り返ると、南の奥の左に出発した座間駅辺りが、右に厚木の中心地辺りが、その手前に相模川の堤防、その手前にリコー工場、その手前に登ってきた稜線が良く見えます。
ハイキングコースより南展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
もうひと踏ん張りと先に進むと、ちょっと前に路が二股になっていたのですが、右側の路が展望台廻り鳶尾山、左側の路が鳶尾山直行となっていて、私は左側を進んで二股が一つになったことに気が付き、右側の路を引き返しました。大した距離では無く直ぐに展望台の前に戻れました。
目的の鳶尾山展望台(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
急なラセン階段を上ると360度の展望です。登っているのは私一人だけです。天気は晴れで見通しがきいており、先ず展望台(標高213m+展望台階段74段)の上から直線で北東に38Kmのランドマークとする新宿高層ビル群(北東38Km先)を探し当てました。その一線上途中に勝坂(20Km先)があるはずです。川崎の多摩丘陵南端の町の家の近くの勝坂(標高111.1~100.7m)はうっすらと緑の細い帯に見えるような見えないような状態ですが、とにかく今回の目的達成です。昔の戦国時代には東軍が南多摩勝坂から西の方を見張り、西軍が高崎鳶尾山から東の方を見張っていた実感があります。
参考:南多摩勝坂より南西の展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
高崎鳶尾山展望台より北東の展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
高崎鳶尾山展望台より北東の拡大展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
満足して、後はゆっくりと展望台から全方位の景色を見ました。大満足です。
展望台より北西すぐ前の鳶尾山展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
展望台より西の丹沢展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
展望台より南西の伊豆湘南展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
展望台より南の三浦横浜展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
展望台より北の相模原多摩展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
目的は達成したし、展望台から鳶尾山の全貌と山頂を見たし、往復ウオーキングは計画18.4Km7時間(+1時間の余裕を含め)としていたのですが今回も予想外の時間がかかり過ぎて、復路は尾根道を通らずに、鳶尾団地に降りて整備された路をリコー工場ビルを目標に歩いて工場前に出て、左に曲がれば中津川の才戸橋に着き、後は往路の逆順を辿り町の家に戻りました。ウオーキング歩数距離は33,679歩19.71Kmの楽しい一日でした。今日、ハイキングコースで挨拶した人は二人だけでした。
下山路(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
鳶尾山の名前の由来を知りたかったのですが、現地では由来の碑などを見つけられませんでした。インターネット情報でも見つけられませんでした。鳶尾という名前は国内に結構あるようで、もやもやとしてしています。古地図(1906年/明治39年)にはふりがながついていませんが山尾鳶(右から読み)は記載があり、その近辺に鳶尾の地名は見つけられませんでした。鳶尾のいろいろな読み方として いちはつ75.0%・とんび12.5%・エンビ12.5%がありました。この内の いちはつ は花の名で、中国〜ミャンマー原産であやめ科の耐寒耐暑性多年草で、江戸時代に中国より渡来したあやめの仲間です。菖蒲田に植えられ5月頃に最盛期を迎えます。いちはやく咲くことが名前の由来(いちはつ)で、花は青紫色に濃紫色の脈や斑点がはいっています。白花もあります。昔は屋根に植えて大風を防いでいました。用途は庭植え・鉢植えの・根を乾燥させて漢方薬・生け花材とされており、名前の由来との解釈もあるようです。
鳶尾山の名前の由来?(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)