暮れの30日に舅を迎えに行き、ウチの家にご招待・・・・
その日はお寺さんへのご挨拶とお墓参りを済ませて舅の家に行くと、義弟と一緒に待ってました。
ひとまず我が家へ・・・たくさんの荷物は、羽毛掛け布団、着替え、ポータブルトイレ、車椅子等等。
我が家に落ち着いてふと気がつくと、おしっこでズボンまで濡れている。
「おじいちゃん、ちょっと寒いけど、パンツとか、ズボンとかおしっこで濡れてるから換えさしてね?」「そうかぁ?」
両足も自分の意思で動かすわけでもないみたい、棒のようなものに下着やズボンをはかすようなカンジだった・・・・
おしっこもウンチもいつしたか解からない状態。
「ウンチは?」「運賃払うんか?」「違う、ウンコ~」「運送屋さん?」「ちゃうやんか、大便は?」「ミーの予定としては午後やから今はないわ」
夜は舅に用意したベッドの横で寝ました。
夜中に「お~~い」と突然大きな声。「おしっこ?」「そうやねん」
オムツを見ると「パンツやパッチ、パジャマは濡れてるか?」と、たんびたんびに聞く。
濡れてるときとそうでないとき「濡れてないよ、優秀やね、ええよええよ」「そうか、優秀か?」
が、夜中に2~3時間おきに・・・・
そやそや今は、おっさんになってる息子達が赤ちゃんのとき夜中に3時間おきぐらいに授乳してはオムツ換えてたなぁ・・・
「今日は何日や?」「今日はね、一月一日、お正月!」「ええ?正月か?」「そうやで、そやからお雑煮やらお節やら食べるんよ」
年の暮れから黒豆は食べてもらってた。
舅は大の黒豆好き「上手に炊けたなぁ、これやったらいつでも、丹波の里にユーも嫁にいけるなぁ」「黒豆炊けてお嫁さんになれるんやったら、うれしいわ、頑張るわね」「うん、頑張りや」
私は大阪育ちなんで、お雑煮はおすましで・・・が定番、京都生まれで京都育ちの舅は白味噌仕立て。
「おいしいなぁ、この雑煮、たまには違う味もええもんやな」と喜んでくれた、餅をノドにつっかえないように注意を促すと「ミーはわからん、餅なんかでノド詰まらすのんが」と言う。
もちろん細心の注意をはらって、餅は小さく切ってある。
午後になったら「ウンチは?」と聞く、「う~ん 出そうや」おっと、あわてず、ポータブルトイレにお座りしてもらう・・・ぽちょん、ぽちょんと小バナナ2~3本。予告通りやわ・・・
向かい合って私の両肩に舅の両手を置いてもらって、オムツ、パンツ、パッチ、ズボンと上げていく「世話かけるなぁ、なかなか出来ひんことを・・そうや肩でももんでやろ」とその両手で私の肩をモミモミ、ありがたくて、ありがたくて・・・・
南向きの部屋で椅子にもたれて、私と四方山話。
鮮明な記憶が戦争中にボルネオに行ったこと。
そこで、ヘビの蒲焼を食べたとかのエピソードはいつ聞いても面白くて楽しい。
「今、なんじ?」「4時過ぎやわ」「ほな、もうちょっとしたら晩御飯やな?」
2日の午前には義弟の家に送っていった。我が家で3泊4日の滞在。
この日にちだから、ずっと付きっきりで見てあげられた。
ずっと一緒に住んだら、さぞや大変やろなぁ・・・・
とにかく目が離せないのだから。
今は、あっちこっちに老人健康保健施設が建っています。
昔のような暗いイメージの老人ホームとはまた、ちょっと違います
実際に見学に行ったりもしました。
舅にもプロの達人に介護を委ねるということを検討中です。
その日はお寺さんへのご挨拶とお墓参りを済ませて舅の家に行くと、義弟と一緒に待ってました。
ひとまず我が家へ・・・たくさんの荷物は、羽毛掛け布団、着替え、ポータブルトイレ、車椅子等等。
我が家に落ち着いてふと気がつくと、おしっこでズボンまで濡れている。
「おじいちゃん、ちょっと寒いけど、パンツとか、ズボンとかおしっこで濡れてるから換えさしてね?」「そうかぁ?」
両足も自分の意思で動かすわけでもないみたい、棒のようなものに下着やズボンをはかすようなカンジだった・・・・
おしっこもウンチもいつしたか解からない状態。
「ウンチは?」「運賃払うんか?」「違う、ウンコ~」「運送屋さん?」「ちゃうやんか、大便は?」「ミーの予定としては午後やから今はないわ」
夜は舅に用意したベッドの横で寝ました。
夜中に「お~~い」と突然大きな声。「おしっこ?」「そうやねん」
オムツを見ると「パンツやパッチ、パジャマは濡れてるか?」と、たんびたんびに聞く。
濡れてるときとそうでないとき「濡れてないよ、優秀やね、ええよええよ」「そうか、優秀か?」
が、夜中に2~3時間おきに・・・・
そやそや今は、おっさんになってる息子達が赤ちゃんのとき夜中に3時間おきぐらいに授乳してはオムツ換えてたなぁ・・・
「今日は何日や?」「今日はね、一月一日、お正月!」「ええ?正月か?」「そうやで、そやからお雑煮やらお節やら食べるんよ」
年の暮れから黒豆は食べてもらってた。
舅は大の黒豆好き「上手に炊けたなぁ、これやったらいつでも、丹波の里にユーも嫁にいけるなぁ」「黒豆炊けてお嫁さんになれるんやったら、うれしいわ、頑張るわね」「うん、頑張りや」
私は大阪育ちなんで、お雑煮はおすましで・・・が定番、京都生まれで京都育ちの舅は白味噌仕立て。
「おいしいなぁ、この雑煮、たまには違う味もええもんやな」と喜んでくれた、餅をノドにつっかえないように注意を促すと「ミーはわからん、餅なんかでノド詰まらすのんが」と言う。
もちろん細心の注意をはらって、餅は小さく切ってある。
午後になったら「ウンチは?」と聞く、「う~ん 出そうや」おっと、あわてず、ポータブルトイレにお座りしてもらう・・・ぽちょん、ぽちょんと小バナナ2~3本。予告通りやわ・・・
向かい合って私の両肩に舅の両手を置いてもらって、オムツ、パンツ、パッチ、ズボンと上げていく「世話かけるなぁ、なかなか出来ひんことを・・そうや肩でももんでやろ」とその両手で私の肩をモミモミ、ありがたくて、ありがたくて・・・・
南向きの部屋で椅子にもたれて、私と四方山話。
鮮明な記憶が戦争中にボルネオに行ったこと。
そこで、ヘビの蒲焼を食べたとかのエピソードはいつ聞いても面白くて楽しい。
「今、なんじ?」「4時過ぎやわ」「ほな、もうちょっとしたら晩御飯やな?」
2日の午前には義弟の家に送っていった。我が家で3泊4日の滞在。
この日にちだから、ずっと付きっきりで見てあげられた。
ずっと一緒に住んだら、さぞや大変やろなぁ・・・・
とにかく目が離せないのだから。
今は、あっちこっちに老人健康保健施設が建っています。
昔のような暗いイメージの老人ホームとはまた、ちょっと違います
実際に見学に行ったりもしました。
舅にもプロの達人に介護を委ねるということを検討中です。
私もお舅さんと一緒に蔵sてお世話しました。完全に認知症にかかり真夜中に目が離せない状態でした。京大病院で頭のはっきりするお薬やて貰ってきて飲ませてあげたら、認知症が治ったんです。
狭いお家でおむつ替えするから子供たちはご飯が食べられなくなって大変だったのに、信じられないことでした。
回復しはってから自分で福祉へホーームへの入所の手続きして、出て行かれました。同居することで持病のぜんそくも治ったりして良い事もあったけれど、義姉から見ると不満もあったようで、いろんな事思い出しました。
85歳でホームにて倒れましたが、お見舞いに駆けつけても、自分のことより孫のこと気にかけてくれはる良い舅でした。
わんちゃんはお料理上手な素晴らしいお嫁さんです!
お舅さんお世話の様子 本当にご苦労様です。
昔 還暦過ぎたら皆子供に帰ると言われましたが、
今では80過ぎたらに変わりつつありますが、
人生の終わりに近ずくと皆様のお世話になるのですね。
そこまで元気で楽しく過ごしたいものです。
自分もだんだん近ずいて来ますが 娘 息子たちも
気に掛けてくれるかしら。・・・
あるんですね!!
舅の場合、認知症とそうでないのとの丁度境目なんだそうです。
よその人とだったら結構しっかりした受け答えをしはるんです。
私が長男の嫁ということと、その長男はもう亡くなっているということが解からないみたいです。
「次は私の番やさかいよろしゅう頼んまっせ~」と常々息子達には言うてるんですよ・・・・・
ちひろさん ご苦労様でした・・・・
決して言うもんじゃないということが、この度解かりました・・・
どんな人生の終わりを過ごすことが出来るのか?
それはその人その人の生き方ひとつだと思います。
優しいチョコさん!!大丈夫。
ごくろうさまでした
年寄りの話を聞くことは難しい
楽しんで聞いてもらえてお父さんも
さらに記憶が鮮明になったかも
今のことは思い出せなくても
昔のことはよく覚えてるといいますね
人の一生って思ったようにいかないんでしょうか
お舅さんのお世話ほんとにお疲れ様でした。
私の周りでも、お世話していらしゃる方多いです・・
ギリギリまでお世話して、今は施設にいらしゃる方や
最後まで家で看取った方など・・
私も、時間の問題かな?って思っています。。
私の母が祖母をみた時に、夜3時間おきにジュース飲ませたり、オムツを替えたりと・・
赤ちゃんだと未来があるけど・・って言っていた事を思いだします・・
でも、最後はありがとうって言って貰えて嬉しかったって・・・
「そんなんと、ちゃうやんか」は禁句ですね。
つじつまが合わないことでも、なんとなく合ってくるんですよね、フシギと・・・・
短い時間だったから、やれたという。
ず~っと一緒だったらホントに大変。
エフさんは周りにいらっしゃいませんか?
まだ、お若いから、周りの方たちもまだまだかな?
カワイイおばあちゃんになりたいです。
この3時間おきというローテーション、神秘なものをカンジませんか?
フシギですね・・・
ホント、きっちり時計のように、3時間おきにというのは・・・・・
今は情報もたくさん知り得ることが出来るしいろんなことお勉強できるから、少しづつ介護の方も明るくなっていきそうな気がします。
このお舅さん、おっしゃる言葉がなんだか子どもみたいでかわいい・・・?
子どもに帰って行くって本当なのかもしれないね。
昨日から,何度も、コメントするのに、消えてしまつて、
、なんていったらいいのか、姑のことを、思い出します
あつけなくいってしまって、子孝行しやはつた・・・
と言われました、
今、母と話したいこと、いっぱいあります。
あのときの言葉は、このことやった・・・。こういうことか・・・、俳句をやつていましてね。
勉強大好きな人でした。
どんどん、うであげて・・・・日本画や、油絵もやって
あかるくて、ころころ笑って・・・・、
主人と、気が合って、二人で、イツまでも話が尽きないのです。うちへきたかったんです。だから、
ウチへきてくださったら、教えてもらおうと楽しみにしていました。なくなったあとは、ぼんゃりしてました。
おかあさんありがとうって
何べん云ってもいいたりない・・・・