―『源氏物語』「葵の巻」には、斉院列見物に出かけた葵の上(光源氏の正妻)と六条御息所(光源氏の恋人の一人)が牛車をとめる場所をめぐって争う、通称「車争い」のシーンが記述されています。―
葵祭は賀茂別雷(かもわけいかづち)神社「上賀茂神社」と賀茂御祖(かみみおや)神社「下鴨神社」の例祭です。
千年紀を迎えたあの源氏物語にも描かれた葵祭が15日、京都市内で繰り広げられた。
京都御苑の建礼門を出た、王朝装束に身を包んだ約500人の行列が、私から人垣のはるか向こうを平安時代の優雅な雰囲気を醸し、新緑映える御苑の中を進んで行きます。
行列のあらましは保存会の方が櫓の上からマイクで案内されてる。
が、風向きなどで何をおっしゃってるのかさっぱり・・・どうやら馬上の人はお役人、歩いている人たちは、その御家来衆のよう。
古くは賀茂祭りと呼ばれ、平安中期の宮廷貴族の間では、単に”まつり”といえば、この葵祭のことであるといわれるほど有名であった。
華麗な服(装束)に、美しく飾られた車(牛車、ぎっしゃ)、頭にカモアオイ(フタバアオイ)の葉を挿して、華々しく行われていたパレードですが、やがて中世に入ると、財政難により、華やかさは、だんだんと失われていき、ついには1467年から11年間続いた応仁の乱によって完全に中止となります。
その後、華々しいパレードが再開されたのは、それから二百年以上経った元禄七年(1694)のことであり、この時から『賀茂祭』は『葵祭』と呼ばれるようになりました。
昔、カモアオイの葉を頭に挿して行列した事からこう呼ばれるようになったとも、祭の復興に『葵の御紋』の徳川幕府の多大な援助があったからとも言われています。(葵祭り:裏のお話)
じゃぁ何故に故に葵の葉っぱ(フタバアオイ)なの?
=御所車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで葵(フタバアオイ)の葉で飾られている=
クリックしてみやしゃんせ~
お話では、賀茂玉依日売(かもたまよりひめ)が石川の瀬見の小川(糺の森にある)で遊んでいると朱塗りの矢が川上から流れてきた。
これを持ち帰り床の間に飾っておくと、この矢に感じて彼女は妊娠し男の子を生んだ。
父親が誰なのかわからなかった。
この子が成人したときのお祝いの席で盃に映ったのが父親だと言い、父親が誰かと訊ねると、彼は盃の中は誰にも見せず、屋根を突き破って天に昇ってしまった。
そのことから雷の子だと分かったのだという。
天に昇ってしまった我が子を悲しんでいる玉依媛命(たまよりひめのみこと)
に父親の建角身命(たけつぬみのみこと)は「葵を桂の木に結ったのをお供えすると良い」
(葵は“逢ふひ”と呼ばれていたのだと言い伝えられている。)
玉依媛命(たまよりひめのみこと)のもとに戻ってきたのが別雷命(わけいかづちのみこと)であり上賀茂神社に祀られ、玉依媛命(たまよりひめのみこと)とその父親の建角身命(たけつぬみのみこと)は下鴨神社に祀られている。
葵は古くから妊婦のお腹に当てると安産のおまじない、また雷とかの厄除けにも重宝されていたらしい・・・
以上のお話は上賀茂神社関係者さんに直接インタビューしてお答えいただいたお話です。
斎王代を務める村田紫帆(しほ)さん(25)が25年ぶりに新調した十二ひとえに身を包み・・・・
=斎王代=
斎王というのは平安時代に内親王が選ばれて祭りに奉仕したもので、現在は在京の未婚女性から選ばれ斎王代と呼ばれる
このお祭りの中でのハイライトは路頭の儀(行列)でしょう。
そしてそのヒロインはなんと言うても斎王代ですよね・・・
騎女(むなのり おんな)
斎王付の清浄な巫女(神事を司る女)で、騎馬で参向するのでその名がある。
【おまけ】
御苑の杜
葵祭は賀茂別雷(かもわけいかづち)神社「上賀茂神社」と賀茂御祖(かみみおや)神社「下鴨神社」の例祭です。
千年紀を迎えたあの源氏物語にも描かれた葵祭が15日、京都市内で繰り広げられた。
京都御苑の建礼門を出た、王朝装束に身を包んだ約500人の行列が、私から人垣のはるか向こうを平安時代の優雅な雰囲気を醸し、新緑映える御苑の中を進んで行きます。
行列のあらましは保存会の方が櫓の上からマイクで案内されてる。
が、風向きなどで何をおっしゃってるのかさっぱり・・・どうやら馬上の人はお役人、歩いている人たちは、その御家来衆のよう。
古くは賀茂祭りと呼ばれ、平安中期の宮廷貴族の間では、単に”まつり”といえば、この葵祭のことであるといわれるほど有名であった。
華麗な服(装束)に、美しく飾られた車(牛車、ぎっしゃ)、頭にカモアオイ(フタバアオイ)の葉を挿して、華々しく行われていたパレードですが、やがて中世に入ると、財政難により、華やかさは、だんだんと失われていき、ついには1467年から11年間続いた応仁の乱によって完全に中止となります。
その後、華々しいパレードが再開されたのは、それから二百年以上経った元禄七年(1694)のことであり、この時から『賀茂祭』は『葵祭』と呼ばれるようになりました。
昔、カモアオイの葉を頭に挿して行列した事からこう呼ばれるようになったとも、祭の復興に『葵の御紋』の徳川幕府の多大な援助があったからとも言われています。(葵祭り:裏のお話)
じゃぁ何故に故に葵の葉っぱ(フタバアオイ)なの?
=御所車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで葵(フタバアオイ)の葉で飾られている=
クリックしてみやしゃんせ~
お話では、賀茂玉依日売(かもたまよりひめ)が石川の瀬見の小川(糺の森にある)で遊んでいると朱塗りの矢が川上から流れてきた。
これを持ち帰り床の間に飾っておくと、この矢に感じて彼女は妊娠し男の子を生んだ。
父親が誰なのかわからなかった。
この子が成人したときのお祝いの席で盃に映ったのが父親だと言い、父親が誰かと訊ねると、彼は盃の中は誰にも見せず、屋根を突き破って天に昇ってしまった。
そのことから雷の子だと分かったのだという。
天に昇ってしまった我が子を悲しんでいる玉依媛命(たまよりひめのみこと)
に父親の建角身命(たけつぬみのみこと)は「葵を桂の木に結ったのをお供えすると良い」
(葵は“逢ふひ”と呼ばれていたのだと言い伝えられている。)
玉依媛命(たまよりひめのみこと)のもとに戻ってきたのが別雷命(わけいかづちのみこと)であり上賀茂神社に祀られ、玉依媛命(たまよりひめのみこと)とその父親の建角身命(たけつぬみのみこと)は下鴨神社に祀られている。
葵は古くから妊婦のお腹に当てると安産のおまじない、また雷とかの厄除けにも重宝されていたらしい・・・
以上のお話は上賀茂神社関係者さんに直接インタビューしてお答えいただいたお話です。
斎王代を務める村田紫帆(しほ)さん(25)が25年ぶりに新調した十二ひとえに身を包み・・・・
=斎王代=
斎王というのは平安時代に内親王が選ばれて祭りに奉仕したもので、現在は在京の未婚女性から選ばれ斎王代と呼ばれる
このお祭りの中でのハイライトは路頭の儀(行列)でしょう。
そしてそのヒロインはなんと言うても斎王代ですよね・・・
騎女(むなのり おんな)
斎王付の清浄な巫女(神事を司る女)で、騎馬で参向するのでその名がある。
【おまけ】
御苑の杜
とても良く解り楽しく拝見できました~
良いお天気で良かったですね~
マウス オンで画像も変りましたね!
日々ご発展おめでとうございます~
とても、励みになります。
いつもありがとうです・・・・
メディアの腕章や首からぶら下げるパス、
欲しいよう~~~~
ず~~っと近くまで寄っていけるモンね・・・・・
祭りの後の御苑の杜の木陰でお茶しました。
写真の腕もグングンアップされて・・
いいなあ~~良く撮れてます。
奈良のおん祭りを写しに行ったけど・・・
動いてるし~~行列は難しいですよね。
そういえば、だいぶまえに
十二単衣を新調したニュースが新聞にのってました。
村田紫帆さんの写真付きで・・・
かっこいーー
写真撮影もインタビューもおつかれさまです
生の声があるとなんか違いますね
行列を追いかけての撮影は思ったようにいかなかったでしょう
さらりと記事になってるところがすごい!
フタバアオイがたくさん飾られてますね
こんなにたくさんのフタバアオイ・・
栽培してるんでしょうか
山に行けばどこにもあるような植物なんでしょうか
ミコさんは何時のおん祭りに、行かはったんですか?
私は初めてだったので要領もわからず、てんてこまいの撮影会でした。
寒いし・・・・・
後の打ち上げ会をただひたすら楽しみに・・・・
と思いました。反省・・・・・
”あふひ”はどんな字ですか?
「逢う逢わないの逢、はひふへほのふ、はひふへほのひ」です。とおっしゃいました。
フタバアオイは上賀茂神社と下鴨神社が御所に献納するそうで「どっかで栽培されてるんですか?」「さぁ~~」でした。
そよかぜさんが金剛山で、たしか、フタバアオイと遭遇してはる記事が載ってましたね
そして葵祭りのことも・・・・5月5日
同じ時に行ってはったんですね。
コンデジ持って いろはさんにくっついて行ったんです。(初めてだったので・・・)
教室には入ってないので打ち上げ会は失礼しました。
でもE先生は生徒さんと同じように接してくださいました。いい先生です♪
私もあの日はコンデジで頑張ってましたよ。
ご一緒させていただいた先輩が、いろいろとアドバイスしてくれはって、結構コツがわかって楽しかったです。
毎年、雪が降ったり、寒い一日だそうですが、去年はまだましな日だったそうで、冬のお祭りはやる方も観るほうもタイヘンだわ・・・・
4月20日 元宝塚歌劇団トップスターの訃報が載りました。享年70歳の惜しまれる若さです。入団が68年、花組のトップスターに輝いたのが80年。わんちゃんはこの頃 すでに嵌ってました?
『何歳になろうと、情熱さえ絶やさなければ人はまぶしく輝ける』、今朝の天声人語には 背中を押されました。
ウチの庭でフタバアオイを育てて上賀茂神社に献上します、すると、葵祭の行列を特別席で観覧することができました。
順みつきさんは、わんちゃんとはすれちがいでした、子育ての時期に宝塚鑑賞をお休みしていた頃でした、再び通い始めたのは1998年宙組誕生からです。今は再びお休みしてます。