徒然なるままに

日常を取り留めなく書きます

休職中のこと

2008-02-02 01:19:51 | 働く
2003年の1月になんか仕事がいやになって休職した。
理由は「仕事したくない」なのだが、会社の保健婦さんや病院の先生は、それは「うつ病」ですねって診断されて、診断書が出されて3ヶ月の休職になった。
そもそも休職のきっかけとなったのは、「うつ病の薬」が合わなくて、気持ち悪くなって、「これはどうにもなりません」と会社の保健婦さんに電話したから。
その保健婦さんはとても親切で2週間に1度くらい、「体調はどうですか?」というメールがきて、1ヶ月に1度は面談していた。
で、病院から出てきた薬が、飲むと、気持ち悪くなって、眩暈がして、気分がよくなるどころか、ああ、もうぼくはダメだっていう、超ダウン系な気持ちとなった。それで保健婦さんに電話したら、もう休養を取るしかないといわれた。
すぐに総合病院の先生に診断書を書いてもらい、とりあえず2ヶ月の休職がきまった。
ぼくはせっかくの休養なのだから、当時乗っていたHONDA・BEATで日本一周でもするかと思っていたが、病院の先生から1人でいると自殺したくなるので、実家に帰るように言われた。
実家(静岡)に帰って、藤枝の病院に行ったら入院を勧められた。
1回も入院したことがなかったので、ぼくは入院することにした。
看護婦さんと仲良くなれるかなあ、などど気楽に考えていた。
実際、入院してみると、看護婦さん(看護師だね)はいつも忙しそうで、仲良くなれるきっかけがなかった。
病室は4つのベッドがあったが、他の患者は年配の人ばかりで、いまいち打ち解けなかった。
それで、ぼくは、病室にPCを持ち込むことを許可してもらい、インターネットばかりしていた。PHSでの接続だったが、月に2万の請求が来たのには驚いた。
もともとうつ病ではないので、入院背活はかなり退屈。
ようやく外出許可がもらえたので、藤枝駅前のパチンコ屋でスロットをしていた。
当時はあ「猪木」が流行っていた。
スロットをして、駅前のレストランで生ビールを飲んだ。
1週間ぶりのビールは体中に染み渡って格別だった。
病院から駅前まではバスで30分くらいかかった。
だいぶ良くなった(というか最初から悪くない)ので2週間で退院できた。
その後は実家で静養。
ぼくは母に弁当を作ってもらい、県立図書館で、勉強していた、というのは嘘でパチンココンコルドに通っていた。→うつ病じゃないだろ・
その他、ビートで秋田まで行ったり、紀伊半島1周したり、結構ドライブにも出かけた。給料が入らなかったのは痛いが、後から保険の申請や、組合への申請をしたら意外とかねがもらえた。
いやあ、いいね、休職。また入院したいな。