お昼近くにお坊さんが来て、いつもの月命日と変わらぬ供養を。
それから、母が長い間使い込んだ台所の器具を、今日も時間を見て手入れをしてました。
昨日は父と対話でしたが、今日は少し離れたサ高住に居る母と、年季の入った調理器具を見ながら、対話をしてたかもしれません。
物によっては、50年以上は経つものもあります。
それを見ながら50年が何であったのか、考えさせられてしまいます。
当麻に帰ってから、“生産性”のない時間ばかりが過ぎていきます。
我が家も弟の家も娘ばかり。
その娘の代で家も絶えます。
そんなことも常に頭にあるので、感慨に耽るのかもしれません。
話し相手のいない家は、時々自分を迷走させます。
『裸足のイサドラ』 - ポール・モーリア