日々思うこと

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op.71 私を救ってくれたもの①

2021-02-28 | 闘病記に名を借りた自分語り

晴れて治療終了✨
もう当分病院に行かなくていいんだー!😆
と思ったら、来週には術後3ヶ月の診察があるのでした😅
通院や入院のときは
なぜか晴天の日が多かったです。
美しい陽光に、大いに慰められました。

ここからは、
闘病中に私を救ってくれたもの、そして
救ってはくれなかったものについて、少しずつ記録していきたいと思っています。

まずは、何を置いても「家族」。

妹は、いつも抗がん剤投与の前に、見計らったようにメッセをくれました。
普段はそれほど交流はないのですが、ちょっとしたことを報告しているだけで、不安を紛らすことができました。
九州在住の父母とも、これほど交流を持った時期はありませんでした。
美味しいものを送ったり送られたり、
そのたびに電話で近況報告をしたり...😊

そして、夫の存在の有難さ。

普段の私は、他人と笑い合うことが大好きなのですが
ガン治療中はそれが苦痛になってしまいました。
それでも外ではつとめていつも通りに、元気な姿でいるように心がけていました。
(そうすると、人からよく「良かった、元気そうじゃない🎵」と言われました。
私のことを気遣ってくれての言葉だとは分かっていたのですが、その言葉に虚しさを感じなかったと言えば嘘になります。)

ダンナといるときには「元気」を装わなくていいのがとても楽でした。

抗がん剤投与を受けていた病院へは、車で一時間弱の道のり。
ダンナに送り迎えしてもらっていましたが、その間ほぼ無言でした。
行きは、「これから抗がん剤だ...」という憂鬱さでおしゃべりなどする気になれず、
帰りは安堵感と疲労感でたいてい爆睡。
ダンナに悪いなと思いつつも、
自分が自分のままでいられる幸せを、いつもどこかで感じていました。

「健やかなるときも、病めるときも」
という結婚の誓いの重さをかみしめています。

笑っている人と一緒にいるのが楽しいのは当たり前でしょう。
それが愛する人なら尚更。

しかし、どんなに愛している人であっても
(または、愛しているがゆえに)
苦しんでいるときに寄り添うのが、どんなに大変なことか...
そして、そういう人と出会えて時を重ねてこられたということが、どれだけ幸運なことか...

山も谷もあったけれど
家族の歴史を繋いできたのは
このときのため、だったのかもしれない。
そう思うほどです。


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