Aさんは、音楽をこよなく愛するギター弾き。
地域カフェオープン当初から、ほとんど皆勤で通ってきてくださっています。
コーヒーを飲みながら、ギターを弾きながら、
1人で歌ったり、誰かと歌ったり。
マイペースで二時間弱過ごして帰って行かれるのが常でした。
好きなタイプの曲が似ていたこともあり、親子ほど年の離れた私とも意気投合して、よく音楽談義で盛り上がりました。
あるときから、他のスタッフと組んで
半年に一度ほど、施設への慰問ライブに伺うようになりました。
私もお仲間に入れていただいたのですが、曲目を決めたり練習したりといった時間はとても楽しいものでした。
実はその施設は、かつてAさん自身もリハビリに通われていたところ。
腕も満足に動かせない状態から、ギターが弾けるまでに回復した姿を見られることは、
施設のスタッフにとっても感無量だったのではと想像します。
3年ほどたったある日、
たまたま他のスタッフが所用で出払っている時間がありました。(30分ほど)
今度のライブの予定や、昔流行った音楽などの話をしていて
Aさんが楽譜を取りに行くために立ち上がりました。
そのとき、いきなり後ろから強く抱きすくめられたのです。
頭の中は真っ白。何が起きたのかが分かりませんでした。
次に湧いたのは恐怖に近い感情でした。
胸のすぐそばにあったAさんの手が、どうか、どうか、これ以上動きませんように...!とひたすら祈っていました。
時間にしたら10秒にも満たなかったと思いますが、とてつもなく長く感じました。
無言のまま腕を離すと、Aさんは何もなかったように戻ってきて「タイタニックごっこ、かな?」と。
私は「びっくりするじゃないですかー」と返すのが精一杯でした。
数分後、他のスタッフたちが戻ってきましたが、私は心中動揺しながらも何事もなかったように装ってしまいました。
3年も心地よい付き合いをしていた相手から、まさかこんなことをされるとは夢にも思っていなかったので、私は大変戸惑い、悩みました。
私が受けたのはセクハラなのだろうか?と、まずはそこからでした。
ちょっとしたスキンシップと言えなくはないかもしれない。
私が大袈裟に捉えすぎなのかもしれない。
何度もそう思おうとしました。
しかし、あの時の恐怖に近い感覚を思うと、それで片付けることは到底できないとも思いました。
現にその後しばらくの間は、後ろに人が立ったり、男性と(ほんの一瞬でも)二人きりになるシチュエーションが恐くなってしまったので...
しかし一方で、誰かに訴えることを躊躇させる要素がいくつもありました。
一つは、Aさん自身の人間性です。
Aさんは自由気ままなように見えて、実はさりげなく人への気遣いができる方でしたし、慰問ライブのときも共演者が気持ちよく演奏できるように配慮してくださっていました。
まるで少女マンガのようなロマンチックな性格でもあり、決してセクシャルなことだけを求めてあのような行動に出たわけではないと思っています。いや、信じています。
(もちろん断言はできません。しかしある程度の年数つきあっている私は、他の人よりはAさんのことを知っているはずだと思います。)
もう一つは、カフェの活動に関わる問題だからです。
地域カフェというからには、
どんな人の居場所にもなりうる、
どんな人でも排除されない場所でなければならないはず。
まして認知症についての理解を深めることを目的としているなら尚更です。
なのに、私が「被害」を訴えてしまうことで
Aさんが来づらくなる、もしくはAさんを遠ざけるということがもしも起こってしまったら?
それは地域カフェの主旨に反していないだろうか。
結論から言うと
私はかなり悩んだ末、他のスタッフに打ち明けて今後どうすべきか相談しました。
私の出した結論は、「当面の間、多忙を理由にカフェ活動を休む」でした。
Aさんを傷つけたくない、
地域カフェ活動も続けてほしい、
でも私はAさんとは距離を起きたい。
いろいろ考えた末の、苦渋の選択でした。
結局、私がカフェ活動に復帰するまでには一年を要しました。
Aさんは「どうしてたんだよー久しぶりじゃない♪」と、以前と変わりなくフレンドリーでした。
私もこれまで通りに接しましたが、この一年私がどんなに悩んだかなんて、きっと分かっていないんだろうな...
このことを書くかどうかについても悩みました。
しかし、介護職の女性が黙って職を去るときには、背後に利用者からのセクハラが多々あるということを耳にしたので
一参考事例として書き留めておいてもいいかもしれないと思ってアップしました。
ひとたび「事件」になってしまったら、
世間的には「セクハラ」の一語で片付けられてしまうのでしょう。
しかし現実には
個々に悩ましく深い葛藤があるということが、少しでも伝われば幸いです。