日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

権利って何だろう…?

2005-10-30 | 堅めの話
とあるお気に入りブログで偶然知った記事なのだが、まずは、何も言わずに読んでみて欲しい。(ちょっと重いけど)

禁煙ファシズム発動(大事な人に押し付ける)

…どのような感想を抱かれただろうか?

実は、私もこれと似たような経験をしたことがある。
(といっても、身近な喫煙者の死にショックを受けたとかの話ではないが。)


車の運転時にはシートベルトが義務付けられているというのはご存知だろう。
若い頃の私は例によってイキがって、

「シートベルトしたからって事故率が下がるわけじゃないでしょ!
あんな窮屈なもの、事故が怖いヘタクソドライバーだけがすりゃいいじゃん!
事故ったときに困るのだって自分だけ!誰にも迷惑かけるわけじゃないんだから、
車に乗るときくらい好きなようにさせてよ!これこそ自己責任でしょ!」

…とまあこんな調子で、シートベルトを毛嫌いしていた。
検問で引っかかって減点されたときも、まるでそれが自慢できることであるかのように考えていたのも事実。


そうこうするうちに、結婚して子どもを授かった。
そんな私でも、さすがに子どもはチャイルドシートに座らせていた。
(ちょうどチャイルドシートが法制化され始めた時期でもあった。)
しかし私自身は相変わらずシートベルトはしていなかった。

ある日のこと。
いつものように後部座席に子どもを乗せてドライブしていた。
そのとき、何の前触れもなくある映像が浮かんだのだ。
(もしかしたら、そのとき実際に事故現場を見ていたかもしれない。)

…私の車が事故に巻き込まれている。
幸いチャイルドシートのおかげで、子どもにはケガはない。
しかし、シートベルトをしていなかった私は、運転席で動かなくなっている。
子どもたちは後部座席で「ママ~!」といつまでも泣き叫んでいる…

そんな映像だ。私は少なからぬショックを受けた。
シートベルトをするしないは、「自己責任」やら何やらの問題ではなかったのだ。
私は「シートベルトをしない権利もある」などという、勘違いした「自由」のおかげで、もう少しで愛する人々を悲しませてしまうところだった。

そしてそれ以来、子どもを乗せているいないにかかわらず、運転するときにはシートベルトをするようにしている。


で、話は先の「禁煙ファシズム」に戻るのだが、ここではこのように語られている。

 喫煙を理由に他者の人権を圧迫するのはおかしい。
 人の自由や権利を尊重することは大事である。
 それを理解しているから、世の中に対してとか、大勢に対して
 働きかけようとは思わない。

その上で彼はこう語るのだ。

 「私の周りの大事な人たちには、嫌がられても(喫煙を)やめさせたいと
  思うようになりました」

そうか、そういうことだったのだ!
私は「権利」という言葉の響きの良さにはばまれて、もう一足歩を進めることができずにいたのに気づいた。


シートベルトの話で言うと、
昔も今も私は助手席の人には特にシートベルトを勧めたことはない。
それこそ、「(シートベルトを)したくない人に無理に押し付けるのはよくない。
シートベルトをしない権利もあるのだから。」という考え方だ。
しかし、私は間違っていた。

覚えておいて欲しいのだが、これから先私の車に乗る人には
「シートベルトをしない権利」は、ない。(よほどの身体的理由があれば別だが)

逆に言うと、もし私から「シートベルト?しない権利もあると思うよ~」などと言われたら、「どうでもいい人」だと思われている、ということだ。
…というのは冗談にせよ、(私は「どうでもいい人」は愛車には乗せない
特に大切な人に対しては時には「権利」と名のつくものでも制限させてもらおう、という決意を新たにしたのだ。

子どもを助手席に乗せるようになったとき、もしも子どもが「シートベルトしない権利」なんてものを持ち出しても、そんなもので説得されない自信がついた。
身勝手だといわれようがなんだろうが、私のためにそうしてもらう。
これは、権利なんぞの出る幕ではないのだ。


それにしても「権利」という言葉は、
「他人」(平たく言えば「どうでもいい人」)に対して使われる分には違和感はないし、ほとんど無条件に「広く認めるべきだ」と素直に思えるのだが、
「大切な人」に対してその概念をそのまま持ち込むことって出来るのだろうか。
全ての人に最大限の権利を認めるべき、という主張は、裏を返せば「何もかもどうでもいい」につながるような、冷たいもののようにも感じられてならない。

これから先、子どもは様々な「試練」を持ち込んでくるだろう。
しかし、「子どもの権利」などという甘い言葉の響きにだまされて道を誤るようなことだけはないようにしたいと、強く思った。

プロバスケットボールリーグ始動!

2005-10-26 | お気に入り♪
今年から日本でプロバスケットボールリーグがスタートするのをご存知だろうか。
名づけて「bjリーグ」。(私が名づけたワケじゃないが^^;)

「何でもプロ化すればいいってもんでもないでしょーに…」と覚めた目で見る向きもあるかもしれない。
しかし私には熱くなるのに十分な理由があるのだ。

何といっても「BRONCOS」の存在が大きい。

「埼玉ブロンコス」は何を隠そう、我が町所沢で活躍する「日本初の市民チーム」なのだ。
バスケットボールを心から愛する青年たちが、ビンボーにも負けず、地方巡業に精を出し…(やっぱウソっぽい?^^;)市民の応援の手を借りながら成長してきたチーム、それがブロンコスだ。

ブロンコスにはわが子の小学校のバスケ教室でも毎年お世話になっている。
球技に今一つ興味のないわが子は参加しなかったのだが、私はPTA役員だったので、開催のお手伝いに奔走していた。素顔の選手たちを知っている(ちょっとだけど…)というのはやっぱり自慢したくなるよね♪

それからもう一つは、bjリーグ設立の経緯を知ってしまったこと。

実は、日本バスケットボール協会は
「独立プロリーグ(bjリーグのこと)とかかわるな」
と早々と地方協会に通達している。
要するに、「ケンカ別れ」状態でのスタートとなるのだ。

> (日本バスケットボール協会の)石川武専務理事によると、
協会傘下にある学校や実業団に対しbjからスカウト活動があっても
接触を断ったり、bj主催のバスケ教室開催を頼まれても、
会場の提供や子どもたちなどの参加を断るよう、今後要請していくという。
(gooニュース・現在リンク切れ)
なんだってさ。これって要するにイジメじゃん?!オトナ気なさすぎ!!

元はと言えば
> 協会の指導力不足が招いた事態である。
5年も前から男子最高峰のスーパーリーグのプロ化をうたいながら、
一向に実現されないことにしびれを切らした新潟などが、
リーグを統括する協会傘下の日本リーグ機構を飛び出した。
(SANSPO.COMより)

だってのに!!
こうなったら意地でもみんなでbjリーグのほうを成功させて、“老害”協会を見返してやろうじゃない?!

まっすぐに、いいことだけを

2005-10-21 | 今日の出来事。(私事編)
朝日記の奇跡」という本を読んだ。
偶然検索でひっかかってきて、面白そうだったのでアマゾンで衝動買いしたものだ。

内容は、まあ要するに
「従来就寝前につけていた日記を、翌朝つけてみましょう」
という、それだけの話なのだが、実は影響されやすい私は早速朝日記をつけ始めている。

朝日記をつける効用として「なるほど~」と納得してしまったのは
「日記をその日の夜ではなく翌朝つけることによって、“感情”を一度リセットして冷静に振り返ることが出来る」
ということ、そして
「同時に“一日の始まり”につながっていることで、自然に建設的・前向きな記録になる」
というものだ。

そして「朝日記」をつけ始めるに当たって重要な注意事項がコレ。
「最初の7日間はいいことだけ書くようにしましょう(続ける秘訣)」
実はこれが(自分でも思いもよらなかったことなのだが)予想以上に難しいということに気づいた。
つい「いいこと」を書きつつ「一方で…」「とはいえ…」と批判めいた分析を加えそうになったり、自分についてのいいことを書いた後で「^^;」をつけて茶化したくなる衝動にかられたり…特に、不本意なことが続いた日にはなおさら書きにくい。

「問題意識がある」といえばそうとも言えるかもしれない。しかし知らず知らずのうちに私は物事(自分を含めて)に対して、ともすれば「批判的」な方向に傾くきらいがあるようだ、ということに、今更ながら気づかされた。

(でも、多かれ少なかれみんなそうかも?とも思うのだ。
だまされたと思って一度やってみてほしいのだが、ほとんどの現代人にとっては、とにかくまっすぐに「いいことだけ」を書くというのは、案外難しい作業なのではないだろうか。)

同時に、こうまで意識して「いいことだけ」を記録に残すという経験がなかった私にとって、この「朝日記」は未体験の心地よさだった。
「いいこと日記」をつけよう!」という本も出ているように、「いいことだけを日記に書こう」という考えもあるくらいだから、この快感を知ってしまった私も「いっそのことこれからずっとそうしようかな…?」と思案中である。

ビリヤード月間と

2005-10-20 | 今日の出来事。(私事編)
銘打った以上、しょーがないので、こないだやったダンナとの勝負結果を記録しておこうと思う。

第一回戦…ダンナの勝ち。
久々にしてはブレークもきれいに決まり、「まずまずじゃーん♪」といい気分でスタート。しかし、「ビギナーズラック」?もそうは続かない。
そもそもルールが記憶の彼方になってしまっているので相当あやふやなのだ…手玉が落ちたら次の人は好きなところに置いていいんだっけ?的玉が一緒に落ちたらそれも戻すの?でもどこに??といった調子。う~む、イマイチ勝負そのものに燃えない…そうこうするうちになんとか(時間はかかったが)すべての玉が沈む。

第二回戦…私の勝ち。
一回戦よりさらに試合時間がかかった。特に中盤あたりは「いつになったら終わるの~?」状態で、いつしか「我慢大会」の様相を呈するように…もはやお互いにキッチリ狙って入れようという気合もなく、「とにかくファールしなけりゃオッケー」の世界。9番ボールを沈めたときも、快感というよりは「やっと終わったよ~…」という脱力感に近いものがあった。

番外編…ダーツ
隣に電子ダーツ盤があり、前からやってみたかった私は「次アレやろう!アレ!!」と、うまくいかないビリヤードはそこそこに移動した。
で、やってみたのだが…
これが意外に難しい!まず予想以上に力が要るのだ。「狙って投げる」というよりは、「とにかく力の限り投げる」に近い。当然スコアは…(ご想像にオマカセします)

というわけで、ビリヤード月間と意気込んではみたものの、「…次いつ行く?」と早くもテンション下がり気味…「ま、“スカッ”ってのがなかっただけよかったよネ」とうなずきあっていた、低レベルな私たちでありました。
“スカッ”←ビリヤードやったことある人ならわかるよネ♪あの「コケッ」って瞬間を…

…また行くことがあったら報告しますね~

バースデーカード

2005-10-18 | 今日の出来事。(私事編)
今年もアイルランド経由で、はるばるバースデーカードが着きました!
Thank you so much, my friends!!

思えば学生時代、あちこちにぶつかりまくってた私は、まさに「ゼツミョ~の距離感」でもってみんなに秘かに支えてもらってたなぁ~…
私ってホントに幸せ者だわ~
(リアルでは若干照れくさいので、ここで言わせてネ)

それにしても、もう20年続いてるんだよね。これってすごくない?!
トシとるはずだわ…とはお互いに言わないことにしよう

博多弁

2005-10-14 | ヤワラカメの話
娘が国語かなんかの調べ学習で、方言の例を調べたいと言ってきた。
それなら生粋の博多っ子の私の出番!
…とはいえ、気がついたらもう関東で暮らす年月のほうが長くなってる私。
おまけに私の母ときたら、なぜか「ウチの中では方言使用禁止!標準語のみ!」にしてたし…
(おかげでアイデンティティ確立にどれだけ苦労したことか?!ってのはオオゲサだけどね^^;)

で、インターネットの助けを借りたのだが…
出るわ出るわ、なつかしい言葉の数々!
・「なおす」(しまう、片付ける)
・「こらえる」(我慢する)
・「くらす」(殴る)
・「いっちょんわからん」(全然わからない)
・「じゃいけんし!」(じゃんけんぽん!)
・「せーのーがーはい!」(いっせーのーせっ!…ところでコレって標準語
  なの??)
などなど…

また、新たに知る事実も…
・「ダ行」の発音が「ラ行」になる。
(…そうだったのか~。だから「かろのうろん」って店があったのね。
同級生の一人にあんまりアタマよくなさそうな子がいて、その子が「サラダ」を「サララ」って言うもんで妹と小ばかにしてた覚えがあるんだけど、あれって方言だったのね^^;)

それから、「せからしか」「しゃーしか」は、今となっては「ウザイ」がかなりピッタリくる感じがするのが面白い。


私的に、なぜか好きな博多弁は
「つやつけとー」(カッコつけてる)とかかな。
これって、男の子が好きな女の子の前でいいカッコしてて、周りの男子から
「お前なんツヤつけとーとや~?」って突っ込まれてテレてるイメージがあるんだよね。
(…やけに具体的?^^;ひょっとして実体験に基づいてるのか?!)

それから「好いとう」「好かん」も好き♪
「好き」とか「嫌い」より、もうちょっと軽くって、笑顔で言うのが似合う気がするんだよね。
特に「好かん」は標準語ではピッタリくる言葉がないなぁ~。
これは、ちょっと好きな男の子にからかわれた女の子が「も~好かーん」って笑いながらふくれっつらしてるシーンかな♪
(またまた妙に具体的^^;)

こうやって博多弁をたどっていくと、気持ちが自然に小学校の頃に戻っていくのがホントに不思議だ。

フォーレ「パヴァーヌ」

2005-10-08 | 音楽

ずいぶん前のCMだが、もしかしたら覚えている人も多いかもしれない。

水割りのグラスが魚の図鑑の上に置かれる。
しばらくすると、図鑑の中の魚たちがそれに呼応するように動き出し、なつかしそうにグラスの周りに集う、というものだ。(確かウイスキーのCMだったと思う。 )

このCM、見るだけで涙が出てきそうなほどに好きだったのだが、というのもBGMが大変美しかったからだ。(私のCMの好みは、要は映画の好みと同じ。音楽がよければすべてヨシ♪)

そしてある日、インターネットの力を借りて検索に検索を重ね(というほどでもないが)、この曲がフォーレのパヴァーヌであることを知った。
もちろん早速CDをネットで購入。様々な編曲・楽器構成のものがあり、迷った挙句に少年合唱のバージョンにしたのだが、これがまた涙が出るほど美しい。この世ならざる響きとは、まさにこのことだ。

で、コレを聞くのはもっぱら家族が寝静まった夜更けなのだが…
ふと客観的に自分を見てみると、かなり「アブナイヤツ」に見えなくもないような(笑)
でも、自分としては別にフツーなんだけどね。同じくフォーレのレクイエムなんぞも夜更けに聞き入ってナミダしてるけど、それがナニカ?って感じ。

しかし…実は、聞きたくて買ったはいいけれど、いまだに聞くチャンスのないCDもウチには眠っていたりする。その名は
「グレゴリオ聖歌」だ。
もちろん、聞きたいから買ったわけなんだけど、これを夜更けに一人で聞くのは、我ながら相当「キテル」ような気がして、いまだに聞いていない。
かといって真昼間に聞くってのもどーも合わない気がするし…
というわけでこのCD、実はいまだに封も切ってないのだった…
う~ん、聞きたい!けど聞けない…


ふと気づけば

2005-10-06 | 今日の出来事。(私事編)
季節感にゼンゼン合ってないテンプレートになっていた…
というわけで、気分一新!

今月は勝手に「ビリヤード強化月間」ということにさせてもらいました。
実はこの前、超~久しぶりにダンナとビリヤードをやったんだけど
結果は…いーじゃない、どーだって!!

言葉の選び方。

2005-10-06 | 堅めの話
以前家庭教育学級で、プロの声楽家の方を招いてコンサートを企画したときのことだ。
私は例によってお手紙作りの担当だった。イラストやフォントにも凝って、我ながらなかなかの出来のものを作ることが出来た。

先生のチェックも通り、無事コンサートも終わって、幾日か経ったときのこと。
学校で出会ったあるお母さんから、お手紙の中の一文にクレームがついた。
その一文とは
「小さなお子様をお連れになる場合には、演奏の妨げにならないようご配慮ください」
だった。

私はこの一文を、「注意」というよりは「小さいお子さん連れでもOKですよ~」の意図をこめて入れたつもりだった。プロの演奏会では「未就学児入場不可」の場合も珍しくないからだ。
しかし、そのお母さんは(彼女にも未就学児がいたのだが)「子連れの人に冷たい感じがする。これでは気を使ってしまって参加しにくい」と感じたそうだ。

もちろんそのお母さんには、そういう意図ではなかったことを説明してヒタスラ謝ったのだが、言葉というのは自分の意図したように伝わるとは限らないのだ、ということを痛感した。
言外に感じとっている意味が、人によってはまったくの正反対であることもあるとは…

面倒がらず、省略せず、また複数の立場の人の意見を聞きながら文章を練るというのは、やはり大切なことのようだ。

・・・と言いながら、実はいまだにこのテの浅慮が多くて我ながらイヤになることが多いのだ…あ~あ…